岩倉市の「自治基本条例」を廃止せよ!!
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【(4)後半】 中国が仕掛ける根拠不明の「慰安婦30万人」 6月英文出版 2014.4.4 「慰安婦に関する資料の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界記憶遺産への登録を目指そう」 2月8日、上海で開かれた慰安婦問題に関する国際会議でこのような共同宣言が採択された。会議を共催したのは上海師範大とソウルの成均館大。中韓の研究者は慰安婦問題で民間レベルでの連携を確認した。 会議で中心的役割を務めた上海師範大教授の蘇智良(59)は、慰安婦問題を世界記憶遺産にしようとする理由について、「日本が『特攻隊』を申請しようとしているからですよ」と説明する。特攻隊の出撃基地があった鹿児島県で、隊員の遺書などを記憶遺産として申請する動きがあることに中韓が “対抗” したという。歴史的価値そのものではなく、日本への対抗こそが申請の理由なのだ。2年に1度のユネスコ世界記憶遺産への登録の審査は、戦後70年にあたる来年行われる。 蘇によると、この会議の費用は「昨年末に、中国政府から初めて下りた 80万元(約1320万円)の慰安婦問題に関する研究予算が充てられた」という。研究予算が初めてついたのは蘇らが昨年、吉林省長春市である歴史資料を見つけたことも影響している。 現在、吉林省の中国共産党委員会が利用している建物は、関東軍司令部が使用していたもので、蘇らはこの建物に眠っていた 10万点に及ぶ資料の一部に「日本軍がかつて慰安所を管理していた」とする文書を見つけたのだという。ただ、資料がどこまで日本と関係し、信頼性のあるものなのかが現時点で不明であることは蘇も認める。「われわれも知らない慰安婦に関する史実が、今後の研究で明らかになるかもしれない」 × × × 蘇の研究によると、32年に上海市内で “日本租界” とも呼ばれた日本人居留区の虹口にできた「大一サロン」が、世界で最初に日本軍の管理下に置かれた慰安所だったという。現在は一般の住宅になっているその建物に足を踏み入れた。46年から一室に住んでいるという住民の部屋には、畳はなくなったが、欄間に富士山を描いた木工細工が残っていた。 蘇によると、大一サロンは 20年代から存在した「大一」という名の貸座敷が前身。この貸座敷には芸者や遊女もいたと蘇はみているが、軍医の意見を吸い上げた軍部が定期的な性病検査などを義務づけた慰安婦制度を作り、慰安所として管理下に置いた第1号が「大一サロン」だという。 蘇は著書『上海日本軍慰安所実録』で、38年当時、上海には約300人の慰安婦がいたとしており、その過半数の女性は朝鮮半島から連れてこられた「日本植民地政策の犠牲者だ」などと表現している。 45年の終戦まで上海には 160カ所以上の慰安所ができたといい、蘇は朝鮮半島出身者が経営を担っていたケースも多いと語る。その根拠となる当時の「在華半島人人名録」には、慰安所経営者として「韓次礼」(日本名・大原光江)や「白利淳」(同・白井源一)などの名前が並ぶ。 蘇は「強制性はあった」と強調するが、中国人女性との接触に神経をとがらせていた旧日本軍が関与したとはとても思えない例まで挙げた。「海南省や山西省などには当時、纏足(てんそく)(女児の足指に布をきつく巻いて足が成長しないようにした中国の風習)が残っており、走って逃げようにも逃げられない中国女性が慰安婦にさせられたケースがある」 中国共産党機関紙、人民日報が運営する「人民網」は、中国大陸のみならず台湾や東南アジアなど各地に広がった慰安所で、最大で 30万人の慰安婦が存在し、このうち約68%が中国出身者だったとの記事を昨年8月に掲載している。30万人という数字はいわゆる「南京事件」で虐殺されたとして中国が主張する人数と奇妙に符合しており、いずれも根拠は不明だ。30万人という数字がまずありきだったのではないかという疑念も生じる。 蘇は6月には、研究成果を英語でまとめた書籍『チャイニーズ・コンフォート・ウーマン(中国人慰安婦)』を出版する。そのサブタイトルは「日本帝国の性奴隷の証拠」。英語で出版する理由は何か。そこに、まさに中国側の「歴史戦」の意図が透けてみえる。 平成5年の慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官談話に関与した元官房副長官、石原信雄は 2日の参院統治機構調査会に出席し、作成過程で「韓国側も『過去の問題に一応区切りをつける』と言っていたので、それを信じて談話を出した」と述べた。ところが、談話で慰安婦問題は収まるどころか、韓国と中国が共闘して対日攻勢をかける事態にまで深刻化している。(敬称略) 2014.4.4 (・画像:「慰安所」とされる建物に残る富士山を模した木工細工。下で作業しているのは1946年からこの部屋に住む男性の妻=上海市(河崎真澄撮影))
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