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こんばんは。「最近違和感組」のひとりとして自分が今思っていることを言わせてください。 ラテシンには色んな価値観の方がいるので、天童さんのようにいいねの数に囚われない人もいれば、 いいねの数=良問指数である。と短絡的に考えてしまう私のような人間もいます。 いいねが無くても名作があるように、いいねが多いけど(問題としては)駄作、というのも必ず存在します。 これらはある程度は仕方ないことですし、名作駄作の判定も人によって違うので許容するしかありません。 しかしながら、「誰も良問だと思ってないのにいいねが多い」という状態が生まれてしまう場合があります。 それは「漫然と、『ただなんとなく』いいねを押してしまう方」がいる場合です。 短絡的思考の私がそんな問題を見たら「こういうのが良問なのかなぁ」と、 『良問』というもの自体を勘違いすることうけあいです。初心者の方ならなおさらでしょう。 そうしたことが繰り返されて、良問の基準がだんだん歪んでいったら嫌ですねー。 また、問題を真剣に作っている出題者は、自分の問題が正当な評価を受けているのか疑問を感じることになります。 いいね貰っても素直に喜べない人も、実は既にいるんじゃないですか?いませんかそうですか。 シチテンさんも言っていますが、いいねの価値は相対的に下がっているように感じます。 ぶっちゃけ「なんでこんな問題に○票も入ってんの?」と感じることも最近は多々あります。自分の問題含めて。 「いいねを押す理由は自由!」というのは誤解で、本当は「どんな理由であれ、いいね!と感じた作品」です。 今、いいねを押そうとしている問題、自分は本当に「いいね!」と感じたのか? ただなんとなく、漫然といいねを押そうとしてないか? 『この人の問題なら良問だ!』・・・ネームバリューという先入観にとらわれてないか? 今一度、いいねを押す前に冷静になって確認して欲しいです。ほんの軽くでいいので。 殿堂入りからいいね!に名前が変更されて、そのあたりの意識が希薄になっているような気がします。 増えたいいねの数自体よりも、いつかそういう風潮になりそうなのが非常に不安です。 もしそういう風潮が始まれば、問題の評価なんてまともに出来やしません。美味イイねのオンパレード。 例えば今、 「その お気に入り に入っている問題、なんでいいね!と思ったの?」 と尋ねられて、具体的に答えられる方はどのぐらいいらっしゃるのでしょうか? もし答えられないなら、一度考えなおした方がいいと思います。 出題者にも失礼ですし、私のような人が良問を探す時の邪魔にしかなりませんしね。 長々と書きましたが、私個人の意見は 「私にはその問題の良さは理解できないけど、君は心の底から本当にその問題がいいね! と思って『いいね』押してるんだよね?信じていいよね?・・・うん、それなら別に文句はないよ!」 ってところです。 まぁ、票が入って何が困るの?と言われればそんなに困っていませんが、 個人的にはなんとなーく嫌な雰囲気だなぁ、やりづらいなぁ。という感じです。 なんだこのマジレス長文。真面目かよ。
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