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ジェンダー17 manolo 2015-01-17 00:59:08 manolo
本質主義(Essentialism)4 manolo 2015-01-16 08:17:03 manolo
おとり捜査4 manolo 2015-01-16 07:49:59 manolo
エスニシティ7 manolo 2014-11-04 07:45:03 manolo
世俗主義9 manolo 2014-10-20 21:38:20 manolo
子育て10 manolo 2014-07-25 12:02:39 manolo
ステークホルダー7 manolo 2014-07-24 19:58:45 manolo
責任論7 manolo 2014-06-28 18:25:02 manolo
社会統合6 manolo 2014-06-11 10:31:31 manolo
多文化主義16 manolo 2014-05-04 00:11:50 manolo
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1 manolo 2013-09-10 01:18:46 [PC]


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出典:『よくわかるジェンダー・スタディーズ ―人文社会科学から自然科学まで-』、木村涼子他編著、ミネルヴァ書房、3/30/2013、「I-1A-1. ジェンダーと社会化」、pp.20-21

1-1. 1. 「女」と「男」
 わたしたち「人間は」、生まれながらにして「女/女性」と「男/男性」の2つの性別のいずれかに分かれており、身体・能力・パーソナリティなどにおいてそれぞれ異なる特徴を有しているといわれます。こうした見方は、通常問い直されることのない「常識」とされてきました。(p.20)

1-2.
 しかし、20世紀の後半以降、この「常識」はさまざまな形で検討されました。「人間」は、本当に男女で明確に二分されているのでしょうか。あるいは、「男」と「女」の間には、超えられない生来的な違いが多くあるのでしょうか。そうした問いかけをしていくなかで、社会的/文化的に男女の性別二分法のあり方を考える「ジェンダー(gender)」概念が生まれました。「男は仕事、女は家庭」に代表される性別役割観、男性の方が知的に優れている(とりわけ理系分野で)という能力観、女性は優しさ/男性はたくましさといった「女/男らしさ」をもつとする性別特性論などは、いずれも文化的に、または社会システムとしてつくりあげられ、維持されてきたという視点が、ジェンダー概念の導入によって明確になってきたのです。(p.20)

8 manolo 2013-09-19 12:35:58 [PC]

3-4.
 さらに、子どもは一方的に性の*型づけをされるだけではありません。認知能力の発達によって、2歳半で自分の性別をかなり正確に理解するようになり、3歳になると自分の性や他人の性、事物の性的帰属もかなり理解できるようになります。このことから中核性同一性は2~3歳で確立すると考えられます。そしてこの中核性同一性が核になって、子どもは性別に沿った知覚世界と経験を自ら積極的に築きあげ、組織化していくのです。その結果、学齢の頃には性が一貫した不変の属性である(性の恒常性)ことを理解し、ジェンダー・アイデンティティの一応の確立をみます。(pp.94-95)

*性の型づけとは、その社会・文化において性別にふさわしいとされる行動を期待され、身につけていくこと。(p.94)

3-5. ジェンダー・アイデンティティの危機
 しかし、ここまでの段階では、自分が女あるいは男であることの自己概念が一致するというにすぎません。ジェンダー・アイデンティティがセクシュアルな主体として内実を伴ったものになるには、まず、身体的側面における危機を経る必要があります。今日、女子の性的成熟は小学校の中高学年からみられますが、近年のやせ志向は小学校にも広く浸透し、この時期の女子のやせ願望に抵触します。その結果、女子では、性的・身体的成熟がピークに達する中学生の時期に自尊感情は最も低下し、性の受容もこの時期最も低下します。また、摂食障害の一つである拒食症、別名思春期やせ症が好発するのもこの時期です。(p.95)


3-6.
 一方、青年中期・後期には性役割同一性が課題になってきます。ジェンダー・アイデンティティの社会的側面における危機といえましょう。この時期は、男女共に異性からの役割期待を実際以上に性に型づけされたものとして理解しているために、役割期待と自分の振る舞いとの間にギャップを感じています。また、進路選択において、*ジェンダー・トラックといわれるような、性に沿った選択をする圧力が働きます。さらに、社会に出るにあたって、学生時代には感じることのなかった直接・間接の差別を経験することで、「社会が女性に期待すること」を改めて認識します。どう振る舞い(性役割)、だれを好きになるか(性対象選択)はこの時期の大きな課題です。(p.95)

9 manolo 2013-09-19 12:36:32 [PC]

*ジェンダー・トラックとは、走るコースにたとえ、進路選択において選択肢が性別によってあらかじめ決められているさまをいう。(p.95)

10 manolo 2014-11-04 07:50:48 [PC]

出典:『よくわかる文化人類学(第2版)』、綾部恒雄・桑山敬巳編、ミネルヴァ書房、2/25/2010、「VIII-1. ジェンダーとセックス」、宇田川妙子、pp.78-79

4-1. 【1. 性差は文化社会の中で作られる】
 女性や男性というジェンダーの問題は、現在、世界中のいたるところで大きな関心を呼んでいます。日本でも1999年に「男女共同参画社会基本法」が制定され、固定的な男性らしさ・女らしさの見直しが行われています。男女の差異を、あまりにも絶対視しすぎることが、様々な弊害をもたらしているのです。(p.78)

4-2.
 そもそもジェンダー(gender)とは、生まれながらの身体的な性差(セックス sex)ではなく、社会や文化の中で作られる性差を意味する言葉です。ここには、男性らしさや女性らしさとは、生物学的な身体によって決定されるものではなく、社会や文化の中で形成されるという考え方が反映しています。(p.78)

4-3.
 この考え方は、一般的には、1960年代後半から欧米で始まったフェミニズムをきっかけに広まってきましたが、人類学では、*以前からもよく知られていました。世界の各地では、女性が男性以上に家庭の外で仕事をしているなど、私たちの社会とは大きく異なる性別役割分担がしばしば見られます。しかもその役割分担は、近代化など、歴史的変遷の中で変化することも少なくありません。それらの非常に多様で複雑な事例を見ていくと、男女の差とは、決して生物学に決まっているわけでも、固定的でもないことが浮かび上がってきます。(p.78)

*なかでも1930年代に発表された、ニューギニアの3つの社会(アラペシュ、ムンドゥグモル、チャンブリを比較したミード(Mead, M)の業績『3つの未開社会における性と気質 Sex and temperament in three primitive societies』は有名である。特に漁業や交易に従事するチャンブリでは、その仕事に従事しているのは主に女性であり、一方、男性は依存心が高いなど、男女の役割が私たちのそれと逆転しているように見えるという。彼女の業績については、現在、批判も寄せられているが、性と文化に関係する本格的な研究の出発点であることは間違いない。(p.78)

11 manolo 2014-11-04 07:52:38 [PC]

4-4.
 とはいえ、性差は生まれながらに決まっているという考え方も否定しにくいものである。その論争には、実はまだ決着がついてませんが、身体と性差の関係は、私たちが考えている以上に複雑であろうことをまず確認しておきましょう。(p.78)


4-5. 【2. 身体は、どこまで私たちの性差を決めているのか】
 身体的な性差は、一般的にペニスなどの性器や身体の外面的な特徴によって判断されるとともに、性染色体のXとYがその形状を決定しているといわれます。しかし、ことはそれほどに単純ではありません。(p.78)

4-6.
 私たちの身体は、発達段階ではいずれも、将来男女の性器に発達する性腺を両方持っています。その意味では、人は男女同型であると言えます。しかし、受胎から2~3ヶ月たつと、各自の染色体の組み合わせに基づいて性ホルモンが分泌され、この性ホルモンこそが身体的な性差の形状に直接関与します。つまり、染色体XYの組み合わせの場合には、*男性ホルモン(アントロゲン)が多く分泌されて男性生殖器が発達し、男性の身体が発現するというわけです。ただし、このとき何らかの理由でホルモンの分泌に問題が起きると、身体の外形が遺伝子とずれることがあります。染色体がXXでも、アントロゲンが過剰分泌され、女性性器が未発達となり、見かけ上は男性的な身体を発現したり、その逆もあります。そしてそれゆえ出生時に、遺伝子とは異なる性別が付与され、たとえば遺伝子上は女性なのに男性として育てられる事例も出てきます。(pp.78-79)

*人は男女ともに、男性ホルモンと女性ホルモン(エストロゲン)の両方を有しており、その多少によって、どちらの性が発現するかが決まる。特に男性ホルモンの分泌は、異常になりやすい傾向があり、その異常(アンドロゲン不感症症候群)は、インターセックスが生まれる最大の原因の1つである。(p.78)

12 manolo 2014-11-04 07:55:00 [PC]

4-7.
 このように男女の身体的な区別が不明確になっている人々(インターセックスと呼ばれています)は、確かにその数は多くありません。しかし、原因はホルモンのほかに遺伝子の異常による場合もあり、このことは、私たちの性差が、身体の側面からみても排他的に男と女の2つに区別できないことを示しています。そして、インターセックスの人たちのその後の成長を追ってみると、そこには、さらに興味深い事実が浮かび上がってきます。というのも、彼/彼らは、たいてい、各自の遺伝子に対応する生殖器が不十分なだけであって、他方の性機能を獲得しているわけではないからです。(p.79)

4-8.
 たとえば、遺伝子的には女性だが、男性型が表面化して男性として育てられた人の場合、機能的に不十分ながらも女性です。ゆえに、成長する過程でその矛盾が表面化することがあります。では、その時、どちらの性を選ぶのか(p.79)

4-9.
 こうした事例を調査した*マネー(Money, J.)らの『性の署名』によると、多くの場合m彼/彼らは、育てられてきた性を選択し、その性に適合するように性転換手術などを用いて身体を変えようとします。たとえ遺伝子が女性で身体的に十分男性でなくても、男性として育てられてきたからには、男性としての意識(性自認)を変えることは困難だからです。ここからは、彼/彼女らにとって重要なのは、生まれながらの性差だけではなく、生育環境の中で作られてきた性差、つまりジェンダーであることは明らかでしょう。『性の署名』には、男性として育てられたインターセックス女性が、性転換手術によって身体を男性化したあと、女性と結婚して(もちろん男性としての生殖機能はないので)養子を取り、男性として人生を歩んでいる事例も紹介されています。(p.79)

*ジョン・マネー/パトリシア・タッカー著、朝山新一訳『性の署名』人文書院、1980年。ただし、現在では、無理に男性か女性かを選択せずに、インターセックスという「第3の性」のあり方を模索する人も出てきている。(p.79)

13 manolo 2014-11-04 07:55:48 [PC]

4-10. 【3. 身体も文化や社会の一部である】
 こうしてみると、性差はやはり文化や社会の側面ぬきには考えられません。また、一律に身体とはいっても、どの部分が性の判別に関わるのかと考えるのかと、身体そのものが、実は文化や社会によって意味づけられるともいえます。例えばニューギニア高地では、出産で血液を放出しても生理が終わった女性を、女性の体液がなくなったとして男性と見なします。一方男性は、結婚後、性生活を行い、精液を失った高齢になると、女性と見なされます。つまり現代では生殖器が性差を決定すると思われがちですが、ここでの性別の判断材料は、血液・乳・精液などの体液なので。このように身体的な性差の判定材料が多様なら、身体と文化と文化の区別は無意味なのかもしれません。(p.79)

14 manolo 2015-01-16 07:59:48 [PC]

出典:『よくわかる文化人類学(第2版)』、綾部恒雄・桑山敬巳編、ミネルヴァ書房、2/25/2010、「VIII-5. 男女の二項を超えていくジェンダー」、宇田川妙子、pp.86-87

5-1. 【1. 男性性という問題】
 近年では、こうした女性やジェンダーの多様性や多面性とともに、そのジェンダーがどのように作られてきたのか、という歴史性にも注目した研究が進みつつあります。歴史性に関しては、ここでは残念ながら割愛しますが、まだ重要な課題が残されています。それは、ジェンダーに含まれるのは、女性という問題だけではない点です。そこにはまず、男性という問題が欠けています。(p.86)

5-2.
 男性役割や男性らしさも、それぞれの文化社会の中で作られ多様であることは当然であり、すでに数多くの報告がなされてきました。しかし、近年注目されているのは、「男性支配社会」の内実に関するさらなる考察です。(p.86)

5-3.
 例えば私たちの社会では、周知のとおり、女性はしばしば性の対象と見なされていますが、それは、男性の女性にたいする態度を意味するだけではなく、男性同士の関係を作り上げるのに有効な仕掛けでもあると考えられます。実際、「英雄、色を好む」のことばのように、性力が男性間の競合や地位の象徴になっていることはよく知られていますし、彼らの猥談は、男性同士の結びつきを高めるともいわれます。男性たちは、女性を性の対象とすることによって、女性を社会の正式な成員から排除するとともに、互いに競い合いながらも連携を強めて、男性支配の体制を盤石なものにしているのです。もちろん男性支配のあり方は、これだけではないでしょう。今後は、その多様な実態を、男性同士の関係という問題にも目を向けて分析していく必要があります。(p.86)

15 manolo 2015-01-16 08:01:04 [PC]

5-4. 【2. 異性愛という問題】
 もう1つは、セクシュアリティに関わる問題です。セクシュアリティ(sexuality)とは、簡単に言えば、誰に性的に魅かれるかという性的な指向を意味します。一般的には異性愛、同性愛、両性愛などが考えられます。しかしながら、これまでのジェンダー研究が想定してきたのは、もっぱら異性愛でした。(p.86)

5-5.
 そもそも異性愛とは、当たり前に見えるかもしれませんが、人の性のあり方を、女性と男性との補完的な二項だけに限定する考え方に繋がります。しかもその根拠となっているのは、生殖は男女で成立するという論理です。確かに生物学的な生殖には男女が必要ですが、男女の関係は、それだけではないはずです。にもかかわらず生殖を一義とする考え方は、実は近代になって発達したものなのです。近代以降、子ども(生殖)が重視されるようになったからこそ、先述のように、*男女の役割が子育てのために公的/家内的という形で峻別され、一方、生殖に繋がらない同性愛に対しては差別が激しくなっていったのです(pp.86-87)

*子どもを中心として父・母からなる核家族的な家族のあり方とは、現在ではごく当たり前のように見えるが、近代以降に理想的な家族像とされたものである。ゆえにこの形態を「近代家族」と呼ぶこともある。(p.86)

5-6. 【3. 性には男女以外の形もある】
 実際、このように男性と女性だけを前提とする考え方から一歩離れるならば、世界各地には*「第3の性」とも呼ばれる他の性の形が見いだせます。(p.87)

*第3の性
異性愛の男性および女性にあてはまらない性のあり方を総称する言葉だが、近年では、もともとは「変態」「倒錯」を意味するクイア(queer)という言葉が使われ始めている。そこには、同性愛だけでなく・・・インターセックス、トランスジェンダー、トランスセクシュアルなども含まれるが、それぞれの区分もまた明確に行うことはできない。(p.87)

16 manolo 2015-01-17 00:25:08 [PC]

5-7.
 例えば、北米先住民の中には、ベルダーシュ(berdache)と呼ばれてきた*トランスジェンダーの人たちがいます。彼/彼らは、たいてい子ども時代に身体的な性とは異なる性役割への指向があらわれ、以降、異性の衣服を身につけ、異性の仕事に従事するようになった人たちです。男性の身体をもつベルダーシュであれば、女性の服装をまとい、女性の仕事とされている織物や壺作り等に携わり、男性と結婚しますし、その逆もあります。このためベルダーシュは、白人との接触後、近代西洋的な論理によって同性愛者として厳しい差別にさらされてきました。ベルダーシュという言葉も、同性愛者を意味するフランス語由来の**蔑称です。しかし先住民社会においては、彼/彼女らは、むしろ男女両方の能力や技術を持つものとして尊敬されており、シャーマンとみなされることもありました。こうしたベルダーシュの存在は、北米先住民の社会では、そもそも性別が生まれながらの身体によって決定されるとは考えられておらず、しかも、男女の中間的な性のあり方も認められていたことを示しています。このほかにも、インドの***ヒジュラのように、世界各地には異性愛の男女には収まらない多様なジェンダーのあり方が数多く存在しています。(p.87)

*トランスジェンダー
生まれながらの身体的な性とは異なる性別役割や服装を指向する人たちのこと。彼/彼女らは、身体を変えることは少ないが、これらに対して、生まれながらの身体的な性に強い違和感を覚え、性転換を望む者(あるいは実行した者)を、トランスセクシュアルと呼ぶ。ただし、両者の間は明確に区別できない。(p.87)

**現在、彼/彼女らは。「ツー・スピリット two-spirit」という新たな言葉を用いて自らを呼ぶようになっている。この言葉には、自分たちを男女二つの精神を持つ者とみなすという意識が込められている。(p.87)

***ヒジュラ
ベルダーシュと違って、身体的に男性のみのトランスジェンダーであり、たいては服装だけでなく、去勢という身体的な変工も行う。ヒジュラは、宗教的な役割が重視され、特に誕生儀礼では不可欠の存在とされているが、売春を生業としていることも多く、しばしば差別の対象となっている。(p.87)

17 manolo 2015-01-17 00:59:08 [PC]

5-8. 【4. 性は性を超えても広がっていく】
 こうしてみると、私たちの性は、セックス、ジェンダー、セクシュアリティ、どの次元をとっても限りなく多様であることを前提に考察していく必要が出てきました。その意味では、ジェンダーに関する研究はまだこれからですが、最後に、性の問題は、性の領域を超えたところにもあることを述べておきます。(p.87)

5-9.
 すでに述べたように性差は、権力と密接に結びついています。性の関係はたいてい、男と女の関係に代表されるように、権力関係でもあります。それゆえ人種や民族間などの権力関係も、性的な比喩で語られます。例えば、黒人を性的モラルに欠けるとみなす白人社会の言説は多々あります。また民族闘争の際には、戦時中に多発する強姦事件など、深刻な性暴力が発生します。性は一見私的な事柄ですが、実は最も有効な権力の装置の1つとして、私的な場所を超えても利用されるのです。したがってジェンダーという視点は、グローバル化にともなって権力構造がさらに複雑化しつつある現在、その構造を批判的に暴くものとしても必要になってくるでしょう。(p.87)
 
1 manolo 2015-01-16 08:13:11 [PC]


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出典 :『よくわかる文化人類学(第2版)』、綾部恒雄・桑山敬巳編、ミネルヴァ書房、2/25/2010、「X-3. 本質主義と構築主義」、綾部真雄、pp.96-97

1-1. 【1. 本質主義と構造主義とは】
 本質主義とは、特定の集団や事柄には、簡単には変わらない根本的な性質(本質)があると考える立場のことを指します。構築主義はその正反対で、一般に「本質」と考えられているものが、実は社会的に“創られたもの”、つまり構築されたものに過ぎないとする立場です。たとえばあなたが、煮干しのダシがきいたおいしい味噌汁に感謝し、「この味はやっぱり日本人にしかわからない」と言ったとします。このとき仮に、「ダシの味がわかること」と「日本人であること」の関係を信じているとしたら、あなたは「本質主義者」のレッテルがはられるかもしれません。一方で、「そのような好みは環境によってできあがるもので、日本人であることは関係ない」と主張するなら、あなたは「構築主義者」と呼ばれるというわけです。その対象は「女性」でも、「老人」でも「体育会運動部出身」でもかまいません。一般に、世間ではそのようなカテゴリーに属す人々に対して型にはまったイメージを持つ傾向があります。女性なら「優しい」、老人なら「頑固」といったかたちです。こうしたイメージはしばしば本質主義的であるとされ、構築主義サイドから強く批判されてきました。(p.96)

2 manolo 2015-01-16 08:14:52 [PC]

1-2.
 本質主義的な主張の背後には、時折ちらちらと*生物学的(遺伝子)決定論が見え隠れします。たとえば、女性は子供を産み母乳を与えるように身体の仕組みができているからこそ本能的に母性を持ち、だからこそ周囲に対しても優しいのだとするような主張がそうです。しかし、それだけだと「女性がみな優しいわけではない」という反論をすぐ受けてしまいます。そこで、本質主義サイドにはそのような批判をかわすための論理もみられます。そのひとつが「継続性」つまり、ある人々にまつわる特質を本質的だと言えるのは、それが今に始まったことではなく昔からずっと続いてきたものであるからだという論理です。もうひとつが「共有性」、つまり、そうした特質は、全員とまではいかずとも大部分の人々に共有されているからこそ、本質的なものだと考えられるとする論理です。(p.96)

*生物学的(遺伝子)決定論
先天的に定められた資質、あるいは遺伝子が人間の思考や行動を根本的な部分で左右しているという考え方。社会生物学、行動生態学、進化心理学などが論証を進めようとしているが、その妥当性をめぐっては激しい議論が繰り広げられてきた。近年、文化人類学的な立場との折衷的な研究も進んでいる。(p.96)

1-3. 【2. 民族論における本質主義と構築主義】
 本質主義と構築主義というふたつの立場は、「民族」をめぐってこれまで激しいせめぎ合いを続けてきました。なぜなら、人々が民族に自己の全存在をかけ、時には命までも落とすことがあるのは、それが他のものと取って代わることのできない“本質的な”ものであるからなのか、あるいはただ単に、“創られた(構築された)”幻想につき動かされているからなのかを見極めることは、今日の世界を理解する上で重要なポイントとなるからです。なお、本質主義を「原初主義」、構築主義を道具主義と呼ぶこともあります。(pp.96-97)

3 manolo 2015-01-16 08:16:10 [PC]

1-4.
 本質主義の代表格がシルズ(Shills, E.)やギアツ(Geertz, C.)です。たとえば、ギアツは民族を血のつながりの拡大としてとらえ、言語、宗教、領土などが人々をつなげる基本的要素だと考えます。そして新興のネイション(国民/国家)が統合を欠き絶えず紛争を抱えているのは、ネイションという人為的に作られた枠組みが、原初的絆をもつ複数の民族を併存させないからだと主張します。日本の「大和民族」のように、多くの場合、ネイションはある特定の民族を中心に形成されるので、ネイション全体がその民族の性格を帯びてしまいます。その結果、同じ国内の多民族はなかなか同化できないというわけです。(p.97)

1-5.
 一方、グレイザー(Glazer, N.)とモイニハン(Moynihan, P.)コーエン(Cohen, R.)などに代表される構築主義者(道具主義者)は、民族を、ネイションという枠組みの中で人々が孤独を感じずに生きるためだけでなく、それに基づいて様々な権利を主張し資源を獲得するための「手段」として捉える視点を打ち出しました。民族を緩やかなつながりを持ったなんらかの「会」、その一員であることを「会員権」になぞらえ、人々が利害をめぐって複数の「会」の間で入会と脱会を繰り返している様子を想像すると分かりやすいでしょう。(p.97)

1-6. 【戦略的本質主義】
 現在、人類学者の多くは構築主義的な立場をとっていますが、世界各地の少数民族や先住民が関わる権利闘争の現場では、「民族の土地」、「真正な文化」、「〇〇の血」といった本質主義的な表現が人々のアイデンティティをつなぎとめる政治的な力を発揮することもあります。その否定は、マイノリティの代弁者を自負してきた人類学者の存在意義を大きく揺るがしかねません。そこで、社会的な弱者が正当な権利を獲得するために用いる本質主義的な表現や運動に限って、それを「戦略的本質主義」と呼んで認める傾向もあります。(p.97)

4 manolo 2015-01-16 08:17:03 [PC]

1-7.
 そもそも本質主義と構築主義とは表裏一体の関係にあり、お互いに相容れないものではありません。なぜなら民族は、なんの実体もないところに唐突に立ち現われることもなければ、他の集団と混ざったり外部の影響を受けたりせずに、長きにわたって純粋性を保ち続けることもないからです。したがって、本来は民族の持つ本質性と構築性との“関係”こそが問われるべきなのです。ともあれ、2つの立場の違いをうまく乗り越えることが、今日の人類学にとって重要な課題の一つであることは間違いないでしょう。(p.97)

*折衷的な視点を持つモリス(Morris, B.)は、人間をケーキにたとえ、ケーキを焼くのに必要なレシピ、材料、オーブン、焼き手はそれぞれ人間のDNA、身体、環境、意志に相当すると言う。すなわち、人間はDNDや身体(本質的なもの)のみでも、環境や意志(構築的なもの)のみでも“焼きあがらず”両者が揃ってはじめて存在しうることを伝えようとしている。(p.97)
 
1 manolo 2015-01-16 07:45:00 [PC]


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出典:『よくわかる刑事訴訟法』、推橋隆幸編著、ミネルヴァ書房、4/20/2009、「III-7 おとり捜査」、大野正博、pp.42-43

1-1. 【1. おとり捜査の意義と類型】
 *おとり捜査とは、「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が、その身分や意図を相手方に秘して犯罪を実行するように働き掛け、相手方がこれに応じて犯罪の実行に出たところで現行犯逮捕等により検挙するものである」(最決平成16年7月12日)。おとり捜査そのものに関する明文規定は存在しないが、**麻薬及び向精神薬取締法58条、あへん法45条、銃砲刀剣類所持等取締法27条の3は、捜査官が何人からも薬物ないし銃器等の法禁物を譲り受けることができると規定している。おとり捜査については、犯意の有無を基準として、①機会提供型と②犯意誘発型に区別することができる。①とは、あらかじめ犯意を有している被誘惑者に誘惑者が働きかけをして犯罪の機会を提供するものであり、②とは、誘惑者が被誘惑者に働きかけて初めて犯意を抱き、犯罪を実行さえる場合をいう。(p.42)

*おとり捜査
わが国におけるおとり捜査の導入は、第二次世界大戦後、占領軍の要請に基づき、麻薬事犯の取締りの徹底をなす際に、占領軍関係より示唆されたものであるとされる。(p.42)

**しかし、一般にこれらの規定は、おとり捜査の創設規定ではないと解されている。(p.42)

2 manolo 2015-01-16 07:47:02 [PC]

1-2. 【おとり捜査は任意処分か】
 おとり捜査につき、*最決昭和28年3月5日は、「他人の誘惑により犯意を生じ又はこれを強化された者が犯罪を実行した場合、わが刑事法上その誘惑者が場合によっては……教唆犯又は従犯として責を負うことのあることは格別、その他人である誘惑者が一私人でなく、捜査機関であるとの一事を以てその犯罪実行者の犯罪構成要件該当性又は責任性若しくは違法性を阻却し又は公訴提起の手続き規定に違反し若しくは公訴権を消滅せしめるものとすることのできないこと多言を要しない」と判示し、下級審において、機会提供型は違法ではないが、犯意誘発型は違法であるとの判断が示された(**東京高判昭和57年10月15日)。このような状況下において、大阪大麻所持おとり捜査事件決定は、「少なくとも、直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において、通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合に、機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象におとり捜査を行うことは、刑訴法197条1項に基づく任意捜査として許容されるものと解すべきである」とした。最高裁は、岐阜呼気検査事件決定に照らし、このような位置づけをなしたのである。なお、任意捜査とし許容する際には、検挙する犯罪の罪質や重大性、他の捜査方法による摘発の困難性、おとり捜査を用いることの必要性、相手方に対する働きかけの方法や程度など手段の相当性等の要件が要求されることになろう。また、最高裁は、おとり捜査の許容性につき、刑訴法197条1項に根拠を求めたことにより***将来発生が見込まれる犯罪捜査を認めたとの解釈も成り立つ。(pp.42-43)

*最決昭和28年3月5日
刑集7巻3号482頁。また、最判昭和29年11月5日刑集8巻11号1715頁も、これを引用しつつ、「いわゆる囮捜査は、これによって犯意を誘発された者の犯罪構成要件妥当性、責任性若しくは違法性を阻却するものではない」とした。(p.42)

**東京高判昭和57年10月15日
判時1095号155頁。同様の判断を示すものとして、東京高判昭和60年10月18日刑月17巻10号927頁、東京高判昭和62年12月16日判タ667号269頁等。(p.42)

3 manolo 2015-01-16 07:49:27 [PC]

***将来発生が見込まれる犯罪捜査
伝統的な行政警察活動と司法警察活動を区別する考え方によれば、前者は犯罪発生前の予防・鎮圧を、また後者は発生後の犯罪を対象とするため、このような判断には矛盾が生じることになる。しかし、両者の区別を目的の違いに求め、犯罪の訴追・処罰に向けられた活動である限り、将来の犯罪についても、任意処分をなすことが可能であるとの考え方によれば、問題はなかろう。なお、同様のことが、ビデオカメラによる監視においても問題とされた。(p.43)

1-3. 【3. おとり捜査における違法性の実質】
 おとり捜査は、国家が誘惑者となって被誘惑者に犯罪を行わせるものであることから、場合によっては違法となりうる場合がある。なぜなら、本来、犯罪を抑制する立場にある国家が、自ら犯罪を誘発する側面、及び国家機関が一種のトリックを用いて、事情を知らない第三者を罠にかける側面から、手続きの公正違反に当たると解されるからである。最決平成8年10月18日における反対意見が、「人を犯罪に誘い込んだおとり捜査は、正義の実現を指向する司法の廉潔性に反するものとして、特別の理由がない限り許されない」と述べたのはこのような考え方が前提としてあったからであろう。その他、刑事実体法によって保護される法益を侵害する点や公権力から干渉を受けないという対象者の人格的自立権を侵害する点が強調されることもある。(p.43)

4 manolo 2015-01-16 07:49:59 [PC]

1-4. 【4. 違法なおとり捜査の効果】
 違法なおとり捜査に対し、従来は*無罪説も存在したが、実体法的に犯罪が成立しないとはいえない。そこで、訴訟法上は如何なる効果を付与すべきであるかが問題となる。この点に関し、違法なおとり捜査に基づく証拠については、違法収集証拠の排除法則を適用し、処理すべきであるとの見解が存在する。しかし、おとり捜査の違法性の問題は、もはや個々の証拠の許容性の問題の範疇を超えるものであり、妥当ではない。そこで、違法なおとり捜査に基づき起訴がなされた場合には、刑事裁判によって手続きを打ち切るべきであるとするのが通説の立場である。この場合、手続きを打ち切るための理由として、**免訴説と公訴棄却説が対立する、まず、前者は違法なおとり捜査は実体的訴訟条件が欠ける、あるいは国家の処罰適格が欠けることを理由に挙げ、免訴をもって手続きを打ち切るべきであるとする見解である。なお、***一事不再理の効力を失う免訴を主張する見解も存在する。これらの見解に対しては、理論上はともかく、直接の根拠規定を見出すことができないとの批判がなされている。これに対し、後者はおとり捜査の違法が手続きの不公正を理由としていることから、デュー・プロセス違反として、****公訴棄却により手続きを打ち切るべきであるとの見解である。この見解に対しては、刑訴法338条4号が起訴手続きの違反に関する規定であって、捜査段階の違法は本号とは無関係であると批判される。その他、犯意誘発型のおとり捜査については公訴棄却にするとともに、常軌を逸した機会提供型のおとり捜査については、違法収集証拠の排除法則を適用すべきであるとの見解も存在する。公訴棄却説が、多数説である。(p.43)

*無罪説
横浜地判昭和26年7月17日高刑集4巻14号2083頁は、憲法前文、及び憲法13条を根拠に、被告人を無罪とした。(p.43)

**免訴
確定判決の存在、刑の廃止、大赦、公訴時効の完成の各場合に言渡される判決(刑訴法337条)。(p.43)

***一事不再理(ne bis in idem)
ある事件につき、被告人を一度訴追した場合には、同一事件についての再度の公訴提起は許されないとする原則(憲法39条、刑訴法337条1号)。(p.43)

****公訴棄却
訴訟条件を欠くために、事件の実体についての審理に立ち入ることなく訴訟を打ち切る形式裁判(338条・339条)。(p.43)
 
1 manolo 2014-11-04 07:33:53 [PC]


267 x 189
出典:『国際社会学』、樽本英樹、7/5/2009、ミネルヴァ書房、「I-3. エスニシティの射程」、pp.10-13

1-1.
 エスニック料理、エスニック雑貨という表現で見られるように、エスニックやエスニシティという言葉は日本語でよく使われるようになっている。国際社会学においてもエスニシティは重要な概念である。しかし、意味が曖昧なまま使用されることがあるため、十分注意が必要である。集団間の境界設定という観点から定義をし、当事者たちがどのようにエスニシティを捉えているかという観点で考察を進めるとよい。(p.10)

2 manolo 2014-11-04 07:36:01 [PC]

1-2. 【1. 人種概念への批判】
 I-2で触れたように、人種(race)概念は肌の色、毛質、顔、体型といった生物学的特徴による人々の分類であり、こうした人種概念への批判としてエスニシティ(ethnicity)概念が出てきたのである。とはいえ、生物学的特徴も社会的に構築されなければ存立しえないように、人種概念もエスニシティ概念も人々を区分するための社会的構造物には違いない。問題は、概念の持っている歴史である。人種概念は社会的構築物でありながらも、客観的な生物学的特徴に基づいていると信じられてきた概念である。それに対してエスニシティ概念は、ユネスコ(UNESCO)が1953年に「人種」の代わりに「エスニック集団」(ethnic group)を使うよう勧告して以来、人種概念の持つ「生物学的特徴による決めつけ」から離脱しようとして積極的に使用されるようになった。その結果、エスニシティ概念はもうひとつの前提を得た。それは、人種概念が永続的な要因が人々の間の差異を作り出すとするのに対して、エスニシティは可変的な要因こそが人々の間の違いを形成するのだと仮定していることである。(p.10)

1-3. 【2. 基本的な理解】
 オックスフォード英語辞典は、「人種的、文化的、宗教的、言語的特徴に関連していること、またはそれらを共通に持つこと」を総称して「エスニック」(ethnic)として捉えている。しかしこの定義は「人種的特徴」を含めているため、人種概念批判の文脈を無視したのである。この点を考えると、エスニシティの最も広い定義は、「習慣、宗教、言語等の文化に基づいた人々の分類」となろう。しかしこの定義はあまりにも広く漠然としており、国際社会における意味合いを十分表しているとは言えない。(p.10)

3 manolo 2014-11-04 07:38:51 [PC]

1-4.
 社会学でも最も初期にエスニシティ概念に言及したマックス・ウェーバー(Max Weber)は、「エスニック集団」を次のように定義した。「目に見える慣習か習慣、またはその両者、植民地化、移民の記憶といったものの類似性を基礎にして、先祖の共通性を主観的に信じ合う人々の集まり……客観的な血縁があろうともなかろうとも。」(Webern1976: 237)ウェーバーのこの定義は、エスニシティのある一面を明らかにしている。つまり、エスニシティは人々が社会的に構築しうるものであり、構築のための指標は多元的で交換可能である。例えば、習性、言語、宗教、生活様式、主観、政治的経験や過去の闘争。あらゆるものがエスニシティの指標となりうる。ウェーバーによれば、特に政治的共同体はエスニックな共通性に関する信念を創り上げる傾向にあるという(Weber 1976: 234-44)。ウェーバーの定義はエスニシティの基本的な理解を示していると言ってよい。しかしその後、社会学者や人類学者はその基本的な理解を超えた意味をエスニシティの中に発見していくことになる。(pp.10-11)

1-5. 【3. エスニシティをめぐる考え方の多様性と3つの対立軸】
 エスニシティの多様性が特に注目されたのが、1960年代から70年代にかけて先進諸国が「エスニック・リバイバル」という現象に直面したときである。カナダのケベック、イギリスのスコットランドとウェールズ、スペインのバスク等、近代化を遂げたはずの先進諸国内部で、民族意識が高揚したり、分離独立運動が高まったりしたのだ(Smith1981)。当時、社会学の理論的主流を構成していた*構造機能主義理論と**マルクス主義理論は、両者とも社会が近代化すればエスニシティのような属性に基づく「前近代的な」絆は消失していくと考えていた。ところが、このような近代化論的発想は裏切られた。近代化を達成した先進諸社会におけるエスニシティを根拠とした社会運動の頻発を説明できなかったのである。こうした事情が、エスニシティの社会理論的位置づけに反省を迫ることになった。(p.11)

4 manolo 2014-11-04 07:40:28 [PC]

*構造機能主義(structural-functionalism)
人類学者ラドクリフ・ブラウン(Radcliffe-Brown)らの影響を受けつつタルコット・パーソンズ(Talcott Parsons)が始めた社会学の理論的立場のひとつ。社会を相対的に変化しにくい部分(「構造」)と社会全体の維持に貢献する部分(「構造」)に分け、社会を社会システムとして捉えることを提唱した。社会が近代化して機能的に分化すると、部族のような属性集団は重要性を失うとした。(p.11)

**マルクス主義(Marxism)
カール・マルクス(Karl Marx)とフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)が始めた思想の総称。属性に基づく集団ではなく、労働者階級が資本家階級から政権を奪取し革命を起こすことで、望ましい社会を実現するとした。(p.11)

1-6.
 吉野耕作は、この反省を巡る議論を3つの問いと、それに対する回答からなる二項対立的な視点にまとめている(吉野 1987、1997: 19-36)(p.11)

1-7.
 第1に、近代化した社会においてもエスニックな絆が持続するのはなぜだろうか。そこに提出される2つの視点は、原初主義(primordialism)と境界主義(boundary approach)である。エドワード・シルズ(Edward Shils)やクリフォード・ギアーツ(Clifford Geertz)に代表される原初主義によれば、エスニシティの本質はある集合体内部で過去から現在・未来と持続する原初的な絆や感情だとされる。一方、フレデリック・バルト(Frederik Barth)やサンドラ・ウォールマン(Sandra Wallman)に代表される*境界主義は、自集団と他集団との象徴的な境界形成こそがエスニシティの存続の条件であるとする。(p.11)

*民族関係の結合と分離からエスニシティの顕在化と潜在化を考える立場は、基本的には境界主義的な発想を元にしている。(谷 2002a)(p.11)

1-8.
 第2の問いは、近代社会の人々にとってエスニシティが魅力を持ち続けるのはなぜかである。これには表出主義(expressivism、affectivism)と手段主義(instrumentalism)が対照的な解答を提出する。ミルトン・インガー(Milton Yinger)らの表出主義は、人々が近代社会において失われがちな象徴体系の表出的経験をエスニシティに求めているのだとする。一方、アブナ・コーエン(Abna Cohen)らの手段主義は利益追求のための政治手段としてエスニシティが利用されているのだと主張する。(pp.11-12)

5 manolo 2014-11-04 07:41:49 [PC]

1-9.
 第3に、近代化した社会において「エスニック・リバイバル」と呼ばれるナショナリズム運動が生じたのはなぜだろうか。この問題に対する視点は、「歴史主義(perennialism or historicism)と近代主義(modernism)である。*エスニー概念を用いたアントニー・スミス(Anthony Smith)に代表される歴史主義は、エスニシティおよびナショナリズムを近代以前から永続的に続く歴史過程の産物だとする。一方、アーネスト・ゲルナー(Arnest Gellner)やベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson)らの近代主義は、エシニシティおよびナショナリズムを近代社会の社会構造に付随した、近代工業社会への構造的変動の飢渇であると考えている。(p.12)

*エスニー(ethnie)
近代以降の産物であるネーション(nation)に対比して、歴史的記憶や文化を共有しネーションのもとになったような近代以前の共同体のことを言う。(p.12)

1-10.
 3つの問いに対するこれらの視点は、エスニシティ概念が指示する現象の多様性を示している。エスニシティという現象自体は、上記の諸視点が示す二項対立のいずれかであるといった排他的な性質を持つように見えない。むしろ、*状況によっては異なる性質を持ったり、また異なる性質を同時に包含し、矛盾した性格を持つように見える場合がよくある。この意味で、エスニシティとは何かという問いはあまり意味がない問いなのである。したがってまずは、エスニシティに関して基本的な概念規定をしておき、次にエスニシティの多様性を把握することが望ましい方向性である。(p.12)

*そうした状況の最も顕著なもののひとつは、その社会における人種エスニック編成である。例えば「日系アメリカ人」は、アメリカ合衆国における人種的な序列構造において「アメリカ市民」と「日本民族」という矛盾した2つの要請の上に成立してきた(南川 2007)。(p.12)

6 manolo 2014-11-04 07:43:47 [PC]

1-11. 【4. 基本的な定義の設定】
 3つの問いのうち第1の問いへの解答のひとつである境界主義的立場からエスニシティを以下のように定義しておくとよいであろう。(p.12)

エスニシティとは、集団の起源を初めとしたいくつかの文化的項目によって内集団と外集団との境界を設定する制度である。

 用いられる文化的項目には、領土、歴史、神話、言語、文学、宗教、経済的配慮、象徴的シンボル等様々なものが考えられるであろう。ある社会では、主に宗教が境界設定がなされるというように、使用される文化的項目は異なりうる。そしてもちろん複数の文化的項目が組み合わされて利用されることもある。(p.12)

1-12.
 この定義を用いると、上記の3つの二項対立的解答の多様性を理解することができる。まず、第2の問いであるエスニシティの魅力の持続に関しては、表出主義的か手段主義的という理論的な対立があった。上記の定義においては、境界設定のために選ばれた文化的項目によって表出主義的性質を帯びたり、手段主義的性質を帯びたりするのである。例えば「古来からの神話」が選ばれると表出主義的に見え、「就いている職業」といった経済的配慮で境界が設定されると手段主義的に見えるといったように、さらにそれらの項目を選択する人々の動機が表出的か手段的かによって、エスニシティの魅力の持続の理由が異なって見えてくる。(pp.12-13)

1-13.
 次に第3の問いであるナショナリズム運動が生じた理由について、上記の定義からは次のように考えられる。文化的項目の性質として、「古来より続く象徴的シンボル」が強調され、項目の選択過程が近代以前に遂行されていれば、歴史主義的と判断される。一方で、経済的配慮等、諸利益を示す項目が選択されたのだとすれば、近代主義の考え方に近くなる。近代以降「古来より続く象徴的シンボル」が選択されるという事態は、エリック・ホブズホーム(Eric Hobsbawn)が「伝統の創造」と呼んできたことに近い。(p.13)

7 manolo 2014-11-04 07:45:03 [PC]

1-14.
 最後に、第1の問いに戻ろう。エスニックな絆の持続の理由である。上記の定義は境界主義的な立場をとっている。しかし、原初主義的な説明を排除するものではない。原初主義的説明は、共通の親族・祖先に対する信仰といった集団の歴史的起源に関する事柄や、宗教、言語、習俗等の「自然に備わった」文化的な項目を重視する。したがって上の定義では、*そのような項目が集団間の境界設定のために選択されたとき、エスニシティは原初主義的に見えるのである。ただし原初主義者が強調したように、「エスニック集団の起源」はエスニシティに欠くべからざる要素と捉えてよいであろう。しかし同時に注意しなければならない[の]は、どのような集団でもある種の「正統化」を図るときには自己の「起源」について言及しようとするものだという点である。「私たちは初めは~から始まったのだ」と言及し、集団の結束を高めたり、集団外に対してその存在を誇示したりするのである。この点に関しては、宗教集団であろうと村落共同体であろうと、また企業のような機能手段であろうとかわりはない。したがって、エスニシティだけに「集団の起源」に関する文化的項目が入っていると断じることは危険である。(p.13)

*このような集団の歴史的起源の信仰や文化項目を継承するのに、様々な儀式が欠かせない。例えば、在日韓国・朝鮮人では「祭祀」(チェサ)が有効に機能している(谷 2002b)。また、家庭内の伝統だけでなく、民族団体への参加や学歴達成によってもエスニシティは「獲得」される場合があるという(福岡・金 1997)(p.13)

1-15.
 以上のような基本的定義に基づき、研究対象となる社会や集団がエスニシティをどのように捉えているのかを探求することが、エスニシティ概念を有意義に取り扱うコツである。(p.13)
 
1 manolo 2014-10-20 21:15:28 [PC]


224 x 224
出典:『宗教と現代がよくわかる本2009』、渡邊直樹編、平凡社、3/18/2009、「トルコの世俗主義とイスラーム」、内藤正典、pp.104~107

1-1. 【トルコ独自の世俗主義】
 トルコは、人口の大半をスンニー派ムスリムが占めている。その意味ではムスリムの国と言うことができる。しかし、トルコは「イスラームの国」あるいは「イスラーム国家」ではない。メディアでは、トルコを「イスラーム教国」と表現することがしばしばあるが、これは誤りである。理由は、トルコ共和国憲法が定める「世俗主義」(トルコ語ではlaiklik=ライクリキ)の原則にある。(p.104)

2 manolo 2014-10-20 21:17:45 [PC]

1-2.
 トルコの世俗主義とは、私たちが日本でいうところの「政教分離」に近いが、もっと厳格で適用範囲の広い原則である。その原則によって国家と宗教を切り離しているので、イスラーム教国とは呼べないのである。(p.104)

1-3.
 日本の政教分離は、政府をはじめ公的機関が宗教に介入せず、宗教もまた政治や行政など公的領域に介入しないことをいう。ただし、一個人が信仰を公的な場で表明することまでは原則的に妨げない。かつて、エホバの証人に属する生徒が、自分の信ずる聖書解釈に基づいて、格闘技としての剣道の実技授業を拒否したので、学校側は必修授業の単位を認定できないとして当該生徒を原級留置とした。このことをめぐって争われた訴訟で、最高裁は、一九九六年に学校(神戸市立工業高等専門学校)の措置を違憲とする判決を下している。公的な規則よりも、生徒個人の信仰と信教の自由を重視したのである。(p.104)

1-4.
 トルコと日本とを比べると、第一の相違点はここにある。トルコでは、個人であっても、信仰を公の場で表明することが認められない。トルコで最大の争点となっているのが、大学での女性のスカーフ着用の可否である。イスラームにおいては、成人した女性は頭髪を家族以外の異性にさらさないことが求められている。これは、女性の頭髪を性的部位として、乳房や性器と同様、隠すべきところと規定していることによる。(pp.104-105)

1-5.
 トルコ共和国憲法は、もちろん、直接スカーフ着用の可否を規定しないが、第二条において同国が「世俗主義」を国家原則とすると規定し、第四条で改定および改定の発議すら禁じている。他の条文や法律と整合的に判断すると、個人の側も宗教的シンボルを公の場で掲げたり、信仰に基づく行為を公の場で行うことも禁止される。(p.105)

3 manolo 2014-10-20 21:20:21 [PC]

1-6.
 高校までは制服の規定があるため、原則としてスカーフの着用は禁じられてきたのだが、大学に関しては法律の条文に服装規定がない。九〇年代初頭まで、トルコには国立大学しかなく、したがって、大学は公教育の一部、つまり公的空間とみなされていた。その後、私立大学も設置を認められ、いまでは相当数の私立大学もあるが、すべての大学は高等教育評議会の監視下に置かれており、同評議会の議長は大統領が任命する。高等教育評議会が、大学でのスカーフ着用を許可しない限り、以前からの慣例により、女子大生は構内でスカーフを着用できない。女性のスカーフやヴェールが、イスラームという宗教の信仰を表明するシンボルと解釈されてきたからである。(p.105)

1-7.
 しかし、イスラームにおいて女性の頭髪を隠せという規定は、頭髪を性的部位とするところに由来しており、羞恥心から頭部を覆いたいという女性にとっては、相当の精神的苦痛をもたらすことも事実である。そのために、人口の大半をムスリムが占めるトルコではスカーフ着用の可否がきわめて難しい政治問題となってきたのである。現状では、民意の過半数は着用を容認すべきという方向にある。この傾向は一九八〇年代から強まってきた。(p.105)

1-8.
 日本の政教分離との大きな相違点はもうひとつある。政府(国家)が、宗教を管理していることである。イスラームには、神(アッラー)の代理行為を為しうる聖職者は存在しない。しかし、日常生活の事細かな規範まで定めているイスラームには、どうしてもこれらの規範に精通する指導者が必要である。指導者のことをアラビア語ではウラマー、トルコ語ではイマームという。トルコでは、イマーム国家公務員とし、宗教業務を監督する宗務庁を設置している。したがって、トルコのイマームは、*イスラーム法を最上位の法源として信徒を教導することはできない。あくまで、トルコ共和国憲法を最上位の法として、その範囲内で、イスラーム法にしたがった「教え」や「規範」を信徒に説くことが許されるのである。(pp.105-106)

*イスラーム法
イスラームを形づくる法の体系。アラビア語ではシャリーア。聖典コーラン、預言者ムハンマドの生前の慣行(スンナ)、イスラーム法学者の合意(イジュマー)、聖典など合理的推論(キヤース)を法の源とする。シーア派は、ムハンマドの正統な後継者(イマーム)の慣行を含める。(p.105)

4 manolo 2014-10-20 21:27:31 [PC]

1-9.
 これは、イスラームの本質とは大きく矛盾する。なぜなら、イスラームでは、コーランは聖法、すなわち神の法であり、これを上回る法源の存在を認めないからである。しかしながら、いま現在、世界に存在する諸国家で、イスラーム法を完全に適用している国はない。それ近いのがサウジアラビアやイランだが、多くの国では、国民の多くがムスリムであったとしても、現実の法体系は、部分的にイスラーム法を適用するものの、世俗法との折衷である。トルコの場合、法体系からほぼ完全にイスラーム的な要素を締め出しているから、私的生活の範囲でしかイスラームの規範を実践できないことになる。(p.106)

1-10. 【民意との齟齬】
 トルコ共和国は、建国(一九二三年)直後から、イスラーム復興勢力の抵抗に直面した。建国を成功させた*ムスタファ・ケマル(後のアタテュルク)らは、西欧列強との死闘の末に樹立した共和国を、以前のようなイスラーム帝国(全身はオスマン帝国)に戻す気はなかった。強大な西欧諸国の力を知悉(ちしつ)していたからこそ、国家の仕組みの基本を西欧諸国から採用した。世俗主義は、フランス共和国の憲法原則となっている**ライシテを範にとった。(p.106)

*ムスタファ・ケマル
一八八一~一九三八。トルコ共和国建国の父。アタテュルクは、後に偉業を称えてトルコ国会が彼に贈った名前で「父なるトルコ人」を意味する。オスマン帝国の軍人で、第一次世界大戦中に名将として名をはせた。帝国の崩壊をまのあたりにして、民衆と軍を率いて列強と戦い、独立を達成した。(p.106)

**ライシテ(la?cit?)
フランス独自の世俗主義。国家と教会を切り離し、教会の国家への介入を阻止することを目的としたが、個人が公の領域で宗教を表明することも禁じられる。日本と異なり、首相のような公人だけでなく、一般市民も同様の規制を受ける。(p.106)

5 manolo 2014-10-20 21:30:12 [PC]

1-11.
 しかし、建国以来八五年の歴史を見ていると、世俗主義は幾度も危機にさらされてきた。国民のほとんどがムスリムなのだから、民意が政治のイスラーム化を望むことは不思議ではない。特に貧富の格差が拡大したり、一部の富裕層に富が集中して再分配が公正におこなわれない場合、民衆は、政治が「イスラーム的に公正であること」を求める。イスラームでは弱者の救済を「喜捨」として義務づけている。金をもうけることはなんら問題ではないが、もうけの一部を弱者救済のために、「神」に差し出すことを求めている。(p.106)

1-12.
 わざわざイスラームを持ち出さなくても、階層間格差の縮小を求めることは(私たちには)可能だが、ムスリムの場合、どうしても、それを「神の定め」としての公正観に引き付けて要求する。人間に関するありとあらゆる道徳規範を「神の定め」に求めるのがイスラームの基本構造だからである。(p.106)

1-13.
 一九九〇年代に入ると、選挙のたびに民意がイスラーム政党を選択する傾向が顕著になってきた。一九九〇年半ばには、地方選挙(市長および市議会議員の選出)と総選挙(一院制の国会議員の選出)で、イスラーム色の強い福祉党が第一党の座を占めた。トルコでは、県は内務省の直轄であり、知事は任命制、県議会はない。国会では、単独で政権を取れず中道右派との連立となった。一九九七年、世俗主義擁護を掲げる軍部とのあいだに対立が強まり、政権は崩壊した。憲法裁判所は同党を世俗主義違反として解党させた。(p.107)

1-14.
 しかし二〇〇一年には、かつて福祉党の党員で改革派を名乗る政治家たちが公正・発展党を結党し、〇二年の総選挙で勝利し、初めてイスラーム政党の単独政権が成立した。〇七年の総選挙でも四七%の得票率で圧勝し、現在も与党の座にある。〇七年にはこの党の結成以来のメンバーだったアブドゥッラー・ギュル前外相・副首相が大統領となり、首相のレジェブ・タイイプ・エルドアンとともにイスラーム主義者が国家を率いることになった。(p.107)

6 manolo 2014-10-20 21:32:05 [PC]

1-15.
 この二年間でトルコの世俗主義は危機に瀕した。〇八年、共和国検察庁は与党を世俗主義違反で憲法裁判所に提訴したが、判決は、憲法違反と認めながらも政党助成金を削減するにとどまった。もはや、司法や軍が世俗主義の絶対原則を盾に政治に介入できる時代ではなくなったという見方がトルコでは強い。来春に予定される地方選挙を前に、公正・発展党はめだって福祉政策を打ち出している。日本ならば、ばら撒き型といわれるところだが、トルコの貧困層にとっては、「イスラーム的に公正な」政策の実現である。民主主義の成熟がイスラーム政党の台頭と並行していくところに、トルコの政治過程の特色と困難がある。(p.107)

7 manolo 2014-10-20 21:34:41 [PC]

出典:『よくわかる宗教社会学』、櫻井義秀・三木英編著、11/25/2007、ミネルヴァ書房、「I-2. 世俗化論と私事化」、川又俊則、pp.4-5

2-1. 【1. 世俗化論の興隆】
 欧米の宗教社会学界で1960-70年代に盛んに論じられたテーマが世俗化論という「宗教と社会変動」をめぐる一般理論である。ヨーロッパにおける教会の日曜礼拝出席率、受洗率の低下については1930年代からフランスのル・ブラなどが調査結果を示していたが、そうした教会離れは、産業社会の進展などを背景に宗教が衰退もしくは消滅へ向かう徴候なのか、それともそのようなことはあり得ないのかという議論が1960年代以降噴出したのである。(p.4)

2-2.
 宗教集団の類型論研究でも有名なブライアン・ウィルソンは世俗化を、近代化の進展に伴い「宗教的な諸制度や行為及び宗教的意識が、社会的意義を喪失する過程」と見なす。現代社会はより世俗的になり、社会内部や組織自体が変化したため、宗教性の重要性が減少したと説明するウィルソンの主張は「宗教的衰退論」であるといえよう。彼は、変化の緩慢さや一時的な宗教復興はあっても、逆行はありえないと主張する。また、宗教を超自然的なものへの祈りと見なすウィルソンは、宗教は共同体のイデオロギーだとも述べる。したがって、世俗化は、社会組織が共同体を基盤にしたシステムから、大規模な社会契約的なシステムへ変化したことに連動しているというのである。(p.4)

2-3. 【2. 聖なる天蓋・宗教の私事化。市民宗教】
 世俗化、すなわち宗教が社会の中心から周辺領域へ拡散する現象は、*論者によってさまざまな角度から考察されてきた。(p.4)

*以下を参照。バーガー, P.、園田稔訳、1979、『聖なる天蓋―神聖世界の社会学』。ルックマン, T.、赤池憲他訳、1976、『見えない宗教―現代宗教社会学入門』ヨルダン社。なおバーガーは、1990年代の後半に自らの議論を撤回した。(p.4)

2-4.
 ピーター・バーガーは、社会と文化の諸領域が宗教の制度や象徴の支配から離脱する過程を世俗化と規定し、世俗化によって社会全体を覆っていた「聖なる天蓋」というチャーチ的な宗教制度が合理化されると論じた。だが、宗教自体が社会的に意義を失うというのではなく、個人的な関心としての対象へと変わるのだと述べた。(p.4)

8 manolo 2014-10-20 21:36:52 [PC]

2-5.
 トーマス・ルックマンは、現代社会は世俗化されたというより、宗教から教団組織や儀礼などの要素が後退し、宗教が個々人に内面化され、見えないかたちで機能している、すなわち制度的組織ではなく「見えない宗教」(invisible religion)として潜在化していると述べた。宗教を組織の側面ばかりで見ず、個人の消費の対象として展開するという見解であり、これは「宗教の私事化」(privatization of religion)ともいえる。現代のスピリチュアリティなどとも関連する主張であろう。(pp.4-5)

2-6.
 そして、ロバート・ベラーは、政教分離が原則のアメリカの宗教事情を検討し、アメリカではキリスト教の伝統を引き継ぐ宗教的理念が、アメリカ再統合の機能をもたらすものとしての役割を果たしていることを論じた。これが、文化宗教(「市民宗教」; civil religion)である。(p.5)

2-7. 【3. 現代の世俗化論:修正派と廃棄派】
 だが1980年後半より、多くの新宗教の台頭や、欧米における保守派プロテスタンティズムの復活、そして政治的に強い影響を与える宗教的要素など、宗教の復興を思わせる現象が世界各地で見られるようになり、世俗化や宗教衰退の議論は見直しを余儀なくされた。(p.5)

2-8.
 山中弘はこうした現代の世俗化論を修正派と廃棄派に二分して説明している。前者は、制度的教会の全般的衰退や宗教の個人化を認めつつも、制度に属さない宗教の存続ないし高まりを強調している人々を指す。代表的論者としてはカーレル・ドベラーレがいる。ドべラーレは、全体社会・組織・個人と3つのレベルを設定し、全体社会レベルの世俗化を「非聖化」(laicization)と言い換え、宗教の影響力縮小過程を世俗化と見なす。そして、教会など(組織)の衰退や、宗教に関与する人々(個人)の減少を認めつつ、超越的システムだった宗教が、他と同様に1つのサブシステムとなる状態を「柱状化」と名づけた。(p.5)

2-9.
 廃棄派の論者としてはホセ・カサノヴァがいる。カサノヴァは、世俗化論を制度や規範から世俗領域が分化する命題、宗教実践や信仰が衰退する命題、宗教が周辺領域に追い出される命題に分類し、1番目は正しいが2番目、3番目は反証可能なので否定されるとした。そして、公共宗教について、国家・政治社会・市民社会の3つのレベルで論じた。(p.5)

9 manolo 2014-10-20 21:38:20 [PC]

2-10.
 人々の行為がどのようなメカニズムで選択され、その行為が集まってどのような社会的状態に帰結するかを特定する理論が、経済学で注目を集め社会学にも応用された「合理的選択理論」(rational choice theory)である。ロドニー・スタークやウイリアム・ベインブリッジたちは、この合理的選択理論を宗教社会学に導入した。宗教的多元主義が広まる中で、宗教選択を個人の消費行動と同様に捉えるのである。この立場では、「宗教が公共領域から衰退する」という見解は、「市場の独占や国家規制が自由競争になったに過ぎない」と言い換え可能となる。中野毅は、こうした各論者の世俗化論を適用範囲・時代・性質によって簡潔に整理している。(p.5)

2-11.
 従来の議論が「前近代=宗教的」「近代≠宗教的」との図式をめぐるに過ぎず、今後はその図式そのものが問われるべきだとの議論もあり、世俗化論はいまだ議論を呼ぶ重大な概念といえよう。(p.5)
 
1 manolo 2014-07-25 09:50:59 [PC]


273 x 184
出典:『よくわかる現代家族』、神原文子他編著、ミネルヴァ書房、4/30/2009(第3部 IX-1 「子育てと子育て支援」)、船橋惠子、pp.126-127

1-1. 【1. 育児費用の再配分システム】
 出世率が低下し、高齢者人口の割合が増加するにつれて、次世代を育み育てることが社会の存続にとって不可欠の重要な課題であるという認識が広がっている。また産業化の以降の現代社会では、育児を丁寧に手間をかけて行うようになり、子どもの教育期間も長くなったため、子育てに多額の費用がかかるようになった。そこで、*育児の費用を家族だけで負担するのではなく、社会全体で担うべきだという考え方が支持されるようになってきた。(p.126)

*AIU保険会社は、出産から22年間の育児にかかる総費用を算出して発表している。2005年度では、基本養育費が1,640万円、教育費も加えると、公立コースでは2,985万、私立医大のコースでは6,064万円であった。(p.126)

2 manolo 2014-07-25 11:11:24 [PC]

1-2.
 育児の費用を社会全体で担っていくための制度としては、児童・家族給付と税金控除がある。北欧などの社会民主主義諸国では、子どもがどんな環境のもとに生まれても最低限の豊かな生活ができるようにするために、親の所得水準に関係なく普遍主義的に給付される*児童手当制度が発達している。またアメリカ合衆国などの自由主義諸国では、児童・家族手当は存在しないが、子どもをもつ世帯への税金控除の制度が発達しており、それによって子育て世帯が享受する育児費は北欧の児童手当なみの金額になるという。日本では、児童手当があるほか、世帯主の給与に付加される扶養家族手当や、税の控除があるが、その総額は育児費用に対して多くはない。(p.126)

*スウェーデンでは所得に関係なく16歳未満のすべての子どもにひとり月額1,050クローナ(1.9万円)を支給。日本では所得制限(第1子では年収570万以下)のもと、3歳まで月額1万円、3歳から12歳まで5,000円を支給(2007年)。なお、2010年より扶養控除の代わりに所得制限無しの児童手当を増額することになった。(p.126)

1-3. 【2. 保育と育児休業】
 幼い子供を持つ親が職業活動と育児を両立させるためには、働いている時間に子どもを誰かに保育してもらうか、育児休業を取得して一定期間は育児に専念することが必要になる。少子高齢化社会において労働力が不足し、女性労働者の活用が課題になるにつれて、保育制度を充実させ、また育児休業を取得しやすくして、女性の熟練労働者が育児期の困難をこえて就労継続できるようにする社会的仕組みが整えられてきた。(p.126)

1-4.
 日本における両性にひらかれた育児休業の法律は1992年にはじめて施行された。その後1999年に介護に関する規定とセットになって育児・介護休業法として施行され、さらに2004年に改正法が施行された。基本的に1歳に満たない子(実子・養子)を養育する労働者は、連続するひとまとまりの期間として1回だけ育児休業を取得できるが、保育所への入所時期などの理由から1歳6ヶ月までのばすことができる。期間雇用者についても、継続的に雇用されている場合は育児休業を取得できる。(pp.126-127)

3 manolo 2014-07-25 11:47:37 [PC]

1-5.
 しかし、雇用保険により40%の所得保障があるとはいえ所得保障は不十分であり、職場の理解が得にくいなどの理由により女性ですら取得しにくい状況がある。ちなみに第1子出産を機に約7割の女性が仕事を辞めている。出産後も仕事を続けている3割の女性労働者のうち、育児休業を取得した女性は7割程度である。また男性の育児休業取得者は、全取得者の1.9%に過ぎず、配偶者が出産した男性労働者の0.33%にとどまる(2002年)。専業主婦の妻が多いために、育児休暇の取得など念頭にない夫婦が多いと思われるが、じつは妻が専業主婦であっても産後8週間は「常態として育児休業に係る子を養育することができない」とみなされるので、夫は育児休暇を取得することができるのである。所得保障の低さ、職場の無理解、性別役割分業意識などが、男性の育児休暇取得の障壁になっている。(p.127)

1-6.
 保育所は、戦後1948年の児童福祉法施行とともにスタートし、「保育に欠ける」子どもを措置する福祉制度であったが、次第に共働き世帯の子どものための施設へと変化していき、1997年の児童福祉法改正を経て、育児支援センターとしての役割も与えられるようになった。また保育所には、国の最低基準を満たし認可を受けて公費で運営されている認可保育所(公立・私立)と無認可保育所がある。歴史的に幼稚園には文部科学省管轄の幼児教育施設、保育所は厚生労働省管轄の福祉施設と異なっていたが、少子化のもとで私立幼稚園では預かり保育を付加サービスとして行うようになり、今日では両者の統合に向けてさまざまな試みが行われている。(p.127)

1-7.
 いまだ出産退職する女性が多く、就労を継続する女性にも親族に預ける場合があるため、保育所に通う子どもは0歳で1割、1歳で2割、2歳以降で3割、幼稚園に通う子供は3歳で4割、4~5歳で6~7割という比率で、保育園児は少数派である。しかし、就労を継続したい女性が増え親族世帯が減るにつれて、保育ニーズは年々高まり、待機児の増加が社会問題化している。3歳以上では保育所にも幼稚園にも入園しやすいが、2歳以下の保育が不足している。学齢前の子どもに対する総合的体系的な施策が求められている。(p.127)

4 manolo 2014-07-25 11:52:16 [PC]

1-8. 【3. 子育て支援センター】
 みずから望んで育児に専念することを選び専業主婦になった母親も、育児支援を必要としている。歴史的に母親がひとりで育児を担ったことはなく、親族や近隣のネットワークに支えられてはじめて育児が可能であった。平均きょうだい数がふたりという環境で育った若い親は、育児を身近に見る機会がなく、はじめて親になって戸惑うことばかりである。そのような若い親に、子どもを預ける場でなく、子どもを連れてきて仲間と集い、専門家のアドバイスを受けながら相互に学び合う場を提供するのが、子育て支援センターである。(p.127)

5 manolo 2014-07-25 11:54:52 [PC]

出典:『よくわかる現代家族』、神原文子他編著、ミネルヴァ書房、4/30/2009(第3部 IX-3 「3歳児神話」)、船橋惠子、pp.130-131

2-1. 【1. マターナル・デプリベイションの真意】
 3歳児神話とは、乳幼児期の大切さゆえに、子どもが3歳になるまでは母親がつねに子どもそばにいて育児に専念すべきだという考え方である。実際に3歳まで母親が育児に専念した場合と就労継続した場合とで子どもの発達に差が出るかどうかについて、科学的な根拠は明確に示されていない。しかし日本ではこの信念が広く行き渡っており、今なお少なからぬ若い女性が子供が生まれたら仕事を辞めて育児に専念しなければと思い込んでいる。(p.130)

2-2.
 3歳児神話のルーツは大正期にさかのぼる。産業化とともに都市の中間層で、男性が外で働き女性が家庭を守るという性別役割分業家族が登場しはじめた。それに呼応するように男性の医師や教育者、心理学者などが、幼少期には母親が子育てに専念するかどうかが、子どもの育ちの善し悪しに影響すると述べだしたのである。(p.130)

2-3.
 さらに強い影響を与えたのが、母性剥奪(Maternal deprivation)理論である。1951年に世界保健機構が精神医科学者のジョン・ボウルビィに委託してホスピタリズム(施設病)研究を行った。その結果、当時劣悪な環境にあった乳児院の子どもの心身の発達が遅れているのは、子どもにきめ細やかな感覚刺激を与える母性的なケアが欠けていたからであった。それが、母親がそばにいないと子どもの発達がゆがむと短絡化されてしまった。欧米では母性剥奪理論の功罪を問い直す研究(マイケル・ラター)が行われ、子どもの発達に必要なのは、必ずしも生みの母親が子どものそばにいることなのではなく、あたたかいケアをする大人たちが子どもと安定的な関係を結ぶことであると修正されていったが、日本では母性剥奪理論が問い直されずに3歳児神話が強化された。(p.130)

6 manolo 2014-07-25 11:57:07 [PC]

2-4. 【2. なぜ高度経済成長期に?】
 1955年頃から1975年頃までのいわゆる高度成長期に、3歳児神話は日本社会に広がり深く根を張った。その背景には社会の構造的変化があった。(p.130)

2-5. 
 この時期には、多産多死を経て少産少死に至る人口転換の途上で生じる*人口ボーナスがあり、その若い労働力は産業化と都市化の中で長男のみを地方の農家に残して都市の移動し核家族を形成した。同時に、高度経済成長の中で利益を上げつつあった大企業では、男性基幹労働者に家族を養える賃金を提供するようになり、終身雇用、年功序列・年功賃金、企業別組合という日本的経営の三本柱を実現させた。それまでの一家総出で働く農家の暮らしに代わって、世帯主の男性が安定した大企業に働いていれば妻子を養うことができる時代になったのである。つまり、男性は外で働き、女性は家庭に専念するという性別分業が、一般に多くの家族にとって可能になった。生活のために働きながら子育てをするという労苦から解放されて、家庭生活の主人公になるという専業主婦の暮らしは、当時は憧れられたのであった。(pp.130-131)

*人口ボーナス
乳児死亡が減ったためにきょうだい数が多い世代が働き盛りになって労働力が豊富になること。(p.130)

2-6. 【3. 3歳児神話の再生産】
 高度経済成長が終わり、サービス化、情報化、グローバル化が進み、女性の労働力を活用しなければならない社会に転じても、いったん根を下ろした3歳児神話は容易には抜けなかった。むしろ子供を丁寧に育てて高い教育を与える傾向が高まるとともに、3歳児神話は強化されていく。その要因として、ジェンダーにとらわれた「科学」や、「制度」化された3歳神話の存在を挙げることができる。(p.131)

7 manolo 2014-07-25 11:58:17 [PC]

2-7.
 母性剥奪の理論に続いて、1970年代後半から80年代にかけて、母子相互作用研究が盛んになった。動物の母子の行動パターンを左右するホルモン作用からヒントを得て、ヒトの母子関係への推論が行われ、生まれて間もない幼い子どもと産みの母親が授乳やスキンシップ・添い寝を通して密接な母子関係をもたないと、子どもの情緒的・精神的・身体的発達に悪い影響を与えると考えられた。また乳児の研究も進められ、保育者の働きかけに応えて乳児の脳が早くから発達することもわかり、早期教育がはやり始めた。漢字や算数をカードで遊ばせながら教えると、2歳程度の子供が驚くような学習成果を現したりする。そのため、子どもを産む若い女性たちは、よりよい子育てをめざし、子育てはとても片手間ではできない大きな仕事であり、女性の使命であると感じるようになっていった。(p.131)

2-8.
 3歳児神話は保育制度の中にも根を下ろしている。3歳未満の保育所入所については人数枠が少なく、待機児が多い。また保育者のがわに、本来は母親がみるべきであり、保育に欠ける(貧しくて母親が働かないと生活ができない、母親が病気で育児ができないなど)場合を除いては、できるだけ保育時間を短くする、あるいは母親に世話をさせるように仕向けるという傾向がしばしばみられた。1986年に施行された男女雇用機会均等法の後も、職業を持つ母親は、就労時間と通勤時間をカバーしていない保育期間や、病児保育の欠如に悩まされなければならず、世間から「子どもがかわいそう」という言葉が投げられ、両立は困難に満ちていた。(p.131)

2-9. 
 3歳児神話は、このようなさまざまな制度や人々の意識の中に組み込まれ、再生産されつつ根強く生き残っており、それが今日の先進国の中で例外的な日本女性のM字型就労パターンの存続を支えている。(p.131)

8 manolo 2014-07-25 12:00:09 [PC]

出典:『よくわかる現代家族』、神原文子他編著、ミネルヴァ書房、4/30/2009(第3部 IX-4 「母性神話」)、船橋惠子、pp.132-133

3-1. 【1. 「母性」という言葉の歴史的登場】
 沢山美果子によれば「母性」という言葉は、古来から日本にあった言葉ではなく、大正期の人口転換の開始期に乳児死亡率を下げるために母親の自覚を求める文脈で使われるようになった。スウェーデン語のmoderskkap、英語のmotherhoodの訳語として使用され、はじめは「母心」という表現だったものが「母性」として定着した。(p.132)

3-2.
 「母性」とは子を産み哺乳しうるという女性の身体的特徴から出てくる。子を愛する心であり、子のために尽くす心であるとされた。「母性」という言葉によって、①母子は一体である(子は母のすべてであり母は子のほかには何もない)、②生みの母があらゆることを断念して育児に専念すべきである、③母の愛は盲目なので育児知識を学ぶ必要がある、という主張がなされた。つまり、母親の育児責任を自覚させるとともに、祖父母による民族的育児法を否定して、男性小児科医の指導に従った「科学的育児」を推進したのである。母乳の価値を認識すること、時間決め授乳、早期の離乳、抱き癖をつけないこと、排泄の訓練などが推奨された。(p.132)

3-3.
 しかし母性が美化され強調される裏で、徳川時代には少なかった親子心中、特に母子心中が大正期に急増した。母親に経済力がないため、母子の生活が行き詰ってしまうと、自分が死んでしまえば子は果たして幸福になれるかわからないと思い詰めて、子どもを道連れにしてしまうのである。このような歴史的経緯の中ですでに、今日の孤立した母親の育児の問題点が孕まれている。(p.132)

9 manolo 2014-07-25 12:01:19 [PC]

3-4. 【2. 戦後の母性神話】
 時代は変わって戦後、家同士の見合い結婚から本人同士の恋愛結婚へと家族規範が変化していく中で、「母性」に関する意識はどのように変化してきたのであろうか。(p.132)

3-5.
 山村賢明は、戦後日本社会の「母」の観念をテレビドラマやラジオ番組などの分析によって、「価値としての母」として抽出した。すなわち、母は子を生き甲斐として、様々な苦しみに耐え、自分のすべてを捧げて子に尽くす「苦労する母」である。そのため「母に対する子の愛着は、父をこえて濃密なものとなり「情動化される母」となる。そのような母は、子にとって精神的な支えとなって子を励まし、そのアチーブメント(達成)を助ける「支えとしての母」だけでなく、子が最後に帰ってゆくことができる心のよりどころでもある「救いとしての母」である。そのような母はかけがいのないありがたい存在であるが、子はそれを償い得ないので「罪の意識としての母」となる。このように甘えと罪悪感を?子にして、子は母のために自らの達成に向かった。山村の分析は日本文化の中に潜む「母性」の呪縛を示唆している。(pp.132-133)

3-6.
 このように戦後なお、産みの母による献身的な子育てが賛美され、「母性」が社会的な物語構成のキーワードであり続けた。マスコミにより、しばしば「母性喪失」という名の母親バッシングも行われた。田間恭子は、1973年を中心に盛んに行われた子捨て・子殺し報道を分析し、実際の統計的傾向とはうらはらに「父親不在の、母親による子捨て・子殺しの物語」のみが紡がれてきたことを明らかにした。(p.133)

3-7.
 女性は子どもを産むのが自然で、子どもを産んだらあふれる愛情で献身的に育てるのが当然であるという「母性神話」は、子どもができない不妊の女性、事情によって中絶を選んだ女性、育てられずに子どもを手放す女性、懸命に育てるほど子育てがつらいと感じる女性たちを苦しめてきた。(p.133)

10 manolo 2014-07-25 12:02:39 [PC]

3-8. 【3. 「母性」意識の変容:父親の育児】
 しかし、当事者の母親たちの孤立した無休の子育てがつらいという声や、女性研究者による実証的な産業研究の蓄積、男女平等教育の成果などにより、現代の若い母親たちの母性意識は変容しつつある。(p.133)

3-9.
 まず、パートナー・父親の育児責任を問う意識が高まっている。父親も子供が小さいうちから子育てに参加すべきである。子どもの問題は母親だけでなく、父親の責任でもある。父親も母親と同じく家計の安定と家事や子育てを共有すべきである、父親は子どもの誕生に立ち会うべきである、と考える女性が過半数である。(p.133)

3-10.
 さらに職業と育児の優先度をカップルの組み合わせ方で聞くと、夫には職業と育児で同じように重視してほしいが、自分は育児を優先したいという、「男性の二重役割、女性の育児優先」という新しい性別分業意識が生まれている。これは父親の育児と母性神話の新しい妥協形と見ることができよう。(p.133)
 
1 manolo 2014-07-24 19:51:17 [PC]


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出典:『よくわかる企業論』、佐久間信夫編著、6/15/2006、ミネルヴァ書房、「第2部 V-1. ステークホルダーの定義と理論研究」、pp.34-35

1-1. 【1. ステークホルダーの定義】
 一般に、企業活動にとって影響を受ける個人や集団は*ステークホルダー(Stakeholder)ないし利害関係者と呼ばれている。ステークホルダーには様々な定義があるが、ここではフリーマン(Freeman, R. E.)の定義を取り上げることにしよう。(p.34)

*ステークホルダー
Stakeholderという英語はstockholder(株式を所有する人=株主)という言葉を意識して造られた用語である。Stakeholder という用語が経営学の文献に最初に登場するのは、スタンフォード研究所が1963年に配布した資料の中であったといわれている。(p.34)

2 manolo 2014-07-24 19:53:35 [PC]

1-2.
 フリーマンはステークホルダーを「その支持がなければ組織が存在を停止してしまうような集団」と定義した。そしてそのような集団として*株主、従業員、納入業者、金融機関、社会などをあげた。その後彼は、ステークホルダーの概念を企業がその存続を依存している集団だけでなく、社会運動団体のような、企業にとって敵対的な集団にも拡大した。具体的には公衆や地域社会、自然保護団体、消費者団体などもステークホルダーに含められることになった。(p.34)

*株主
株主はステークホルダーの中でも特別な存在である。法律上、企業は株主のものであり、企業は株主の利益のために経営されなければならない。かつては、企業が社会貢献のために寄付をすることは株主の利益を損なう(配当などが減る)ため違法であるとして裁判が起こされたこともある。こうした考えは株主主権論と呼ばれ、現在でもこの考えを主張する研究者が存在する。しかし実際には、企業は多くのステークホルダーの利益を考慮しなければ存続することができなくなっているのが現実であり、すでにほとんどの企業において株主以外のステークホルダーの利益も重視する経営が実践されている。(p.34)

1-3. 【2. ステークホルダー・アプローチ】
 1970年以降のアメリカ経営学はこのステークホルダーの存在を前提に展開されることが多くなったが、こうした傾向はステークホルダー・アプローチと呼ばれている。経営学においてステークホルダー・アプローチがとられるようになったのは、ステークホルダーが企業経営に対して非常に重要な影響を与えるようになってきたからにほかならない。そして、その傾向は今日ますます強くなってきている。(p.34)

1-4.
 ステークホルダー・アプローチは経営戦略論、企業の社会的責任、企業と社会論、企業統治論、企業倫理論などの分野で重要な地位を占めている。アンゾフ(Ansoff, H. I.)は著書『新企業戦略』(The New Corporate Strategy, 1965)の中で、企業の目的が、労働者、株主、納入業者、債権者などの要求の中から導き出されるということを指摘している。(p.34)

3 manolo 2014-07-24 19:54:40 [PC]

1-5.
 企業の社会的責任論においては、株主、顧客・消費者、納入業者、地域住民などは企業の構成員ととらえられている。かつて企業は財やサービスの生産・販売によって利潤を獲得する手段と考えられてきたのに対し、企業と社会論では、企業はステークホルダーがその生活と繁栄を依存するような社会制度へと変わったとして、企業概念の変化を強調する。(pp.34-35)

1-6.
 また、アメリカの機関投資家は企業統治活動の一環として人種差別、環境問題、工場閉鎖などによる社会的課題事項に関する株主提案を活発に行ってきたが、企業統治論におけるステークホルダー・アプローチはこうした現実を踏まえたものとして展開されている。(p.35)

1-7. 【3. ステークホルダーの分類】
 ステークホルダーの分類には様々なものがある。まずステークホルダーを第1次ステークホルダー(primary stakeholder)と第2次ステークホルダー(secondary stakeholder)とに分類する方法がある。*第1次ステークホルダーは企業と相互依存関係にあり、企業活動に影響を与える集団のことで、従業員・株主・債権者・納入業者・顧客・小売業者などがこれにあたる。第2次ステークホルダーは、企業活動によって直接的・間接的に影響を受ける集団のことで、具体的には行政機関・外国政府・社会活動団体・報道機関・経済団体・一般公衆・地域社会などである。(p.35)

*第1次ステークホルダーと第2次ステークホルダー
ポストとローレンスとウェーバーによる分類で水村典弘(『現代企業とステークホルダー』文眞堂、2004年、72-78頁)によって整理が行われている。(p.35)

1-8.
 ステークホルダーは*社会的ステークホルダー(social stakeholder)と非社会的ステークホルダー(non social stakeholder)に分類することができる。社会的ステークホルダーは企業に対して直接的な意思疎通が可能なステークホルダーのことであり、非社会的ステークホルダーは企業に対して直接的な意思疎通が困難なステークホルダーのことである。(p.35)

*社会的ステークホルダーと非社会的ステークホルダー
ウイラーとシッランパーがザ・ボディショップの経営理念を紹介しながら著した『ステークホルダー・コーポレーション』において用いられている分類法で、水村(同上書)によって紹介されている。(p.35)

4 manolo 2014-07-24 19:55:44 [PC]

1-9.
 社会的ステークホルダーはさらに第1次社会的ステークホルダーと第2次社会的ステークホルダーに分類される。第1次社会的ステークホルダーは、企業とその存続に直接的な関係を持つステークホルダーであり、具体的には地域社会・納入業者・顧客・投資家・従業員・経営管理者などである。第2次社会的ステークホルダーは企業とその存続に代表参加的な関係を持つステークホルダーであり、具体的には行政機関・市民社会・圧力団体・労働組合・報道機関・有識者・業界団体・競合企業などである。(p.35)

1-10.
 非社会的ステークホルダーも「企業とその存続に直接的な利害関係を有し、意思疎通が困難な個人または動作主体」である第1次非社会的ステークホルダーと、「企業とその存続に代表参加的な利害関係を有し、意思疎通が困難な個人または動作主体」である第2次非社会的ステークホルダーに分類することができる。前者の例には自然環境、未来世代、人類以外の生物などを挙げることができる。後者の例には環境圧力団体、動物愛護団体などを挙げることができる。(p.35)

5 manolo 2014-07-24 19:57:14 [PC]

出典:『よくわかる企業論』、佐久間信夫編著、6/15/2006、ミネルヴァ書房、「第2部 V-2. 企業とステークホルダーの具体的か関係」、pp.36-37

2-1. 【1. 従業員や消費者などとの関係】
 企業とステークホルダーの関係は、元来、互恵的な関係でなければ、それを長期にわたって維持することは困難であろう。たとえば、企業と株主の関係は、企業が株主に対して高い配当を安定的に支払い、株価を高く維持することが望まれる。これに対し、株主は企業の株式を積極的に購入・保有することが企業にとって望ましい。さらに企業には、株主総会における議決権の行使など、株主に対して株主としての権利を保障することも求められる。(p.36)

2-2.
 また、企業は従業員や労働組合に対し、雇用の安定と高賃金を保証し、これに対して従業員・労働組合は積極的に経営に参加することが双方にとって望ましい。企業は従業員に対し、職場での安全や健康に配慮することも求められる。(p.36)

2-3.
 企業は消費者に対して安全で品質の高い商品を提供し、消費者は企業の商品を積極的に購買することが両者にとって望ましい関係である。近年、食品の安全性に対する消費者の要求はしだいに厳しさを増しており、企業は食品の生産・加工・販売の経路を遡って調べることができる*トレーサビリティ制度の整備などが迫られている。(p.36)

*トレーサビリティ(traceability)
食品などの安全性を確保するため、製品の生産、加工、流通の履歴を管理すること。問題のある製品が出回った場合、生産、加工、流通の各段階に保管されている収穫日や生産者の情報を遡って調べることができ、製品回収や原因究明に役立てることができる。BSE(牛海綿状脳症)の発生を機に牛の生育情報などの記録を義務づけた牛肉トレーサビリティ法が2003年12月に施行されたが、他の食品、さらには機械や部品などに対してもトレーサビリティの考えが広げられていっている。(p.36)

6 manolo 2014-07-24 19:58:05 [PC]

2-4. 【2. 他の企業や政府などとの関係】
 日本の大企業は下請け、孫請けなど多数の関係会社をもち、これらの関係会社はコスト削減や納期の厳守などで大企業(親会社)に協力すると同時に、親会社は関係会社に対し資金提供や技術指導などで保護育成を図ることが、親会社の協争力強化にとっても望ましい。(p.36)

2-5.
 企業は他の企業と取引を行っているが、お互いに取引契約を守ることが両者にとって望ましい関係である。また競争企業との間には公正な競争を行うことが望まれる。具体的には、*談合やカルテルなど独占禁止法に違反するような行為をしないことである。また産業スパイなどによって競争企業の技術や知的財産を不正に取得すべきではない。(p.36)

2-6.
 道路や橋、空港などの交通網や電話などの通信網はインフラストラクウチャー(社会的生産基盤)と呼ばれ、企業活動にとって必要不可欠の設備であるが、個々の企業がこうしたインフラストラクチャーを整備することは不可能である。企業は国や地方自治体に正しく納税する一方で、国や地方自治体はこうしたインフラストラクチャーを整備することによって企業活動が円滑に進められるようになる。(pp.36-37)

*談合
官庁が公共工事などを民間企業に発注する際、民間企業が事前に話し合いによって受注企業を決めてしまうこと。国や地方自治体などが工事を発注する場合には、その工事にかかる費用を見積もり、予定価格(上限)と最低制限価格(下限)を決め入札を行い、この上限と下限の間で最も低い価格を提示した業者と契約を結ぶ競争入札方式をとっている。本来は、官庁は最も低い価格を提示した業者と契約を結ぶことになっているが、業者側は上限価格の情報ももっており、どの企業が落札するかという順番も話し合いによってあらかじめ、特定の業者が上限価格に近い価格で工事を受注することになる。談合により業者間の競争がなくなるため、工事費が高くなり税金が無駄に使われることになる。談合は独占禁止法によって禁止されているが、日本全国にみられ、日本は談合列島などと呼ばれ批判されてきたが、一向に改善されていない。(pp.36-37)

7 manolo 2014-07-24 19:58:45 [PC]

2-7. 【3. 地域社会や一般公衆との関係】
 企業が活発に活動し、従業員の雇用を増やし高い賃金を支払えば、その地域の雇用の改善と所得の増大を通して地域の活性化に貢献することになる。企業が公害を発生させたり、不祥事を起こしたりすれば、地域住民がその企業をマイナスイメージでみるようになり、住民だけでなく地方自治体も一体となって企業への抗議行動にも発展する可能性がある。企業は経済活動だけでなく、フィランソロピー活動などによって地域社会がその企業に対して好意的なイメージをもってもらうように努めるのが普通である。(地域)社会が企業に対して持つ好意的イメージのことを*グッドウィルと呼んでいる。(p.37)

*グッドウィル(good-will)
アメリカ企業は平均して利益の約2%を社会貢献活動に充てているが、それは一般公衆のグッドウィルの獲得が長期的な企業の発展に不可欠だからである。(p.37)

2-8.
 企業不祥事などが続発すると企業に対する社会(一般社会)の目が厳しいものとなり、企業を規制する法律が強化されたりするのが一般的である。また同様の理由から個々の企業も自社に対して良いイメージをもってもらおうと努めるのが普通である。例えば、陪審員制の裁判制度をとるアメリカでは、民間人である陪審員が特定企業に対して悪いイメージをもっている場合、その企業の関わる裁判で企業が不利な判決を受けることが十分考えられる。企業は美術館や教育機関への寄付、ボランティア活動などの社会貢献活動によって常に一般公衆の*グッドウィルの獲得に努めることになる。(p.37)

【企業とステークホルダーの具体的な関係】
企業(安定的高配当) ⇔ 株主(出資)
企業(高賃金・雇用の安定) ⇔ 労働組合、従業員(企業活動への積極的参加)
企業(利子) ⇔ 金融機関(融資)
企業(低価格・安全な商品) ⇔ 顧客、消費者(積極的購買)
企業(保護育成) ⇔ 関係会社(一体的役割)
企業(取引契約の履行) ⇔ 取引企業(取引契約の履行)
企業(公正な競争) ⇔ 競争企業(公正な競争)
企業(納税) ⇔ 国・地方自治体(社会的生産基盤)
企業(地域経済の活性化) ⇔ 地域社会(グッド・ウィル)
企業(社会的貢献) ⇔ 一般公衆(グッド・ウィル)
(p.37)
 
1 manolo 2014-06-25 23:10:40 [PC]


242 x 171
文献:『よくわかる刑法』、井田良他著、4/20/2006、ミネルヴァ書房、(「第1部 III-2 責任論(1):責任主義、責任の本質」)、井田良、pp.66-67

1-1. 責任主義の原則
 刑法の基本原則として罪刑法的主義と並んで重要なのが、*責任主義の原則である。この原則によれば、行為者に責任を問い得ない行為、いいかえれば、意思決定を非難できない行為は、これを処罰することができない。また、刑罰の分量も、行為に対する非難の程度に見合った重さの刑を超えるものであってはならない。(p.66)

*責任主義
この原則は「責任なければ刑罰なし」という標語で言い表わされることもある。この原則が承認されるまでは、重大な結果を生じさせた以上、本人に主観的な責任を問いえないような場合でも処罰されたり(結果責任)、また、他人の犯罪についても連帯責任を問われることがあった。責任主義はこれを否定するもので、行為者の意思決定が主観的かつ個人的に非難可能な場合でなければ処罰できないとするのである。(p.66)

2 manolo 2014-06-25 23:14:10 [PC]

1-2.
 刑罰が本質的に応報であり、刑は犯人に対する非難としての意味を持つ限度で正当化されるとする応報刑論の立場からは、責任主義は当然の帰結である。たとえ何人も被害者を死亡させるような重大な結果を引き起こしたとしても、その行為が異常な精神状態・心理状態で行われた場合には、行為者を非難することはできない。例えば、意思決定をコントロールできない精神障害者には責任能力が欠如し、その違法行為を理由として刑罰を科すことは許されない(39事項1項)。また、責任を問うためには、故意か、過失か、少なくとも過失が必要であり、過失もない行為を理由として行為者を処罰することはできない。(p.66)

1-3. 【2. 違法性と責任の区別の必要性】
 法益は侵害したが、違法性が阻却される行為(例えば、正当防衛行為)は、法が許容する「やってよいこと」である。違法ではあるが責任は否定される行為(例えば、精神障害者による違法行為)、法秩序に反する「やってはならない」行為ではあるが、「仕方がない」ことであり、刑を科すことが正当化できないから犯罪とならない。違法と責任とを区別することにより、評価においてかなり違いのある二種類の行為を分けることができる。そればかりでなく、適法行為に対しては正当防衛をもって対抗することはできないが、責任を問い得ない行為でも違法行為である以上(例えば、精神障害者が通行人にいきなり殴りかかってきたとき)、これに対して身を守る行為は正当防衛となり得る。さらに、*違法判断は共犯者に対しても連帯的に作用するが、責任判断は個別的なものである。(p.66)

*違法判断の連帯性、責任判断の個別性
適法行為に協力したとき、協力者たる共犯者の行為も原則として適法であり、逆に違法行為に協力した共犯者の行為は同様に違法であるのが通例である。これに対し、責任があるかないかは、その個人がノーマルな精神状態・心理状態にあるかどうかの問題であるから、その人ごとに個別に判断されるべき問題である。(p.66)

3 manolo 2014-06-25 23:18:01 [PC]

1-4. 【3. 責任の本質】
 刑罰についての考え方の違いは、責任の本質についての見解の対立として現れる。応報刑論によれば、違法行為を思い止まることもできたのに、あえて違法行為に出たところに道義的非難が可能であり、それこそが責任の本質である(*道義的責任論)。この立場から、責任の根拠は個々の行為における非難されるべき意思決定であり、行為に対する責任が問われるべきことになるから、行為責任論が採られる。これに対し、目的刑論の立場からは、行為者が犯罪を思い止まることができないという「性格の危険性」をもつことが刑を科す根拠であり、そういう人は、社会に迷惑がかからないように刑罰を受けるべき義務がある。社会的に危険な犯人が再発防止のための刑を受けるべき負担こそが責任の本質と言うことになる(**社会的責任論)。この立場からは、責任の問われる根拠は行為者の危険な性格であり、性格責任論が問われる。現在では、応報刑論を基本とする立場が支配的であり、社会的責任論・性格責任論は支持者を失っている。(p.67)

*道義的責任論
この見解によれば、精神病や薬物の影響による場合など、病的な精神状態・心理状態で行われた行為(39条1項)や14歳に満たない子どもの行為(41条)の意思決定に対しては「けしからん」という非難ができないことから責任が問われないと説明されることになる。

**社会的責任論
社会的責任論を徹底すれば、性格の危険性のあらわれとして違法行為が行われるかぎり、行為者が精神障害者であろうと、子どもであろうと、刑事責任を肯定しない理由はない。目的刑論・社会的責任論の立場からは、刑罰と保安処分の区別は否定される(一元主義)。

4 manolo 2014-06-25 23:21:14 [PC]

1-5. 【4. 責任の要素】
 責任の要素(ないし責任の要件)をどのように捉えるかをめぐり、心理的責任論と規範的責任論という見解の対立があった。かつての心理的責任論は、「行為者の心の中にある心理的事実の確認」が責任判断であるとし、故意と過失という「責任の種類」があり、責任能力は責任そのものでなく「責任の前提」であるとした。しかし、やがて責任の本質は非難という否定的価値判断であると考えられるようになり、しかも、故意・過失という心理的事実があっても責任を問い得ない場合、すなわち「適法行為の期待可能性」がない場合があることが気づかれるに至った。例えば、1人で乳児を育てている若い母親が収入を得られず生活に困って、赤ちゃん用の粉ミルクを万引きしたという窃盗(235条)の事例を考えてみよう。このケースでは、責任能力も故意もあるかも知れないが、責任の程度は低いと考えられ、よくよくの事情があったのであれば、責任を否定することが認められてよいであろう。そのことは、適法行為の期待可能性もまた責任要素として認められなければならないということを意味するのである。現在の通説たる規範的責任論は、責任の実体を意思決定に対する非難可能性に求め、「責任の要素」として、責任能力、故意・過失の他に、*適法行為の期待可能性(さらに、違法性の意識の可能性)が必要であるとしている。(p.67)

*期待可能性
刑法の規定をみると、期待可能性の思想が基礎にあると考えられるものが少なくない。過剰防衛(36条2項)や過剰避難(37条1項ただし書)において寛大な取扱いを受けることがあるのは、緊急の事態のもとで行き過ぎた行為を行わないように意思決定することの困難さ、すなわち期待可能性の減少が考慮されたものと理解することができる。よりはっきりと、期待可能性の欠如による不処罰の場合を規定したと解されているのは、「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」1条2項である。(p.67)

5 manolo 2014-06-28 18:22:11 [PC]

出典:『よくわかる刑法』、井田良他著、4/20/2006、ミネルヴァ書房、(「第1部 III-3 責任論(2):責任能力」)、野村和彦、pp.68-69

2-1. 【責任能力とは】
 行為が構成要件に該当し、違法性があると評価されても、なお、行為について行為者を非難できなければ、つまり、責任がなければ、犯罪は成立しない。責任能力をめぐる議論では、行為者に対して刑法による非難を差し向けることができるかどうかが問題となる。多数死傷した事件において、事件当時、行為者に責任能力があったかどうかが主な論点として*争われることがある。(p.68)

*例えば、東京地下鉄サリン事件(1995年)、和歌山ヒ素入りカレー事件(1998年)、大阪教育大附属池田小学校児童殺傷事件(2001年)など。(p.68)

2-2.
 責任能力とは、行為時に、刑法による非難を認識して、行為を止める(あるいは行為する)ことができること、である。刑法の役割は、他者や社会に危害を加えないよう行為者の危険性を除去するために存在するのではなく、あくまでも、過去に犯した行為に対して非難するところにある。(p.68)

2-3. 【2. 責任能力の判断基準、及び責任能力の程度:心身喪失、心神衰弱】
 39条1項は、「心神喪失者の行為は、罰しない」と定め、心神喪失者には責任能力がないため、不処罰となる旨を規定する。また、同条2項は「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」とし、責任能力はあるものの、それが完全でない場合は、刑を必ず軽減する、としている。ここでは、責任能力の有無及びその程度は、何を基準に決定すべきかが問題となる。(p.68)

2-4.
 判例によれば、心神喪失とは、精神の障害によって、事柄の是非善悪を弁(わきま)えることができず、あるいはその弁えに従って行動することができないことを指す。また、心神耗弱(こうじゃく)は、精神の障害によって、是非善悪を弁える力、その弁えによって行為をする力が著しく低下していることを指す。つまり責任能力の判断に際しては、①行為者に精神障害があるか否か、②行為者の心理面(是非善悪を弁えること)に問題があるかどうか、という、二つの事情を基礎としている。行為時に、刑法の規範を遵守しえたかを責任能力の中心に据えるとき、判例の採用している方法は妥当だといえよう。(p.68)

6 manolo 2014-06-28 18:23:55 [PC]

2-5.
 このように、刑法における責任能力は、精神面と心理面とによって判断される。それ故、責任能力を判断するための判断材料を得るためには、精神医学や心理学の協力がなければならない。しかし、責任能力の有無および程度には、*最終的には、刑法の役割から決せられることになる。(p.68)

*最高裁は、心神喪失という精神鑑定の結論を採用せず、心神喪失とした精神鑑定書全体の内容やその他の精神鑑定並びに記録における諸状況(犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様など)を総合的に判断して、被告人を心神衰弱とした原判決を支持した(最決昭和59年7月3日刑集38巻8号2783頁)。(p.68)

2-6. 【3. 保安処分】
 心神喪失とされれば、当人に対して刑事責任を追及することはできなくなる。行為者が刑法による非難を理解できない以上、その者に刑罰を科すことは無意味である。しかし、心神喪失により無罪となった人を、犯罪事実が認められないとして無罪となった人、正当防衛として違法性が阻却された人と比較した時、実際、一抹の不安が残る。心神喪失の原因となった精神障害や心理的障害が治癒されなければ、再び同種の犯罪行為に及ぶ可能性も否定できないからである。(p.69)

2-7.
 心神喪失者や心神耗弱者に対しては、刑罰を科さない代わりに保安処分を課す国が少なくない。保安処分とは、心神喪失者の身柄を確保して、その者に対し精神面及び心理面の治療を実施し、それを通じて社会の安全を目指す処分のことである。わが国の刑法は保安処分をもたず、心神喪失者のその後の治療については、刑事司法の手を離れ、*行政的措置に委ねられてきた。(p.69)

*「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」における措置入院制度。措置入院は身柄の拘束度が弱く、もっぱら医学的観点によって、退院を決することになる。(p.69)

7 manolo 2014-06-28 18:25:02 [PC]

2-8.
 しかし、2001年6月8日に発生した大阪教育大附属池田小学校事件をきっかけに、心神喪失者や心神耗弱者を、単に行政による措置に委ねるのは妥当ではないという意見が強まった。そして、心神喪失者や心神耗弱者に対して、自由をより制限する形で、治療的処遇を行う必要があることが強調された。その結果、2003年に心神喪失者等医療観察法(「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」)が成立した。*この制度は、事実上の保安処分と言ってよい。(p.69)

*入退院の判断の際に、裁判所が関わる点が、措置入院と大きく異なる。(p.69)

2-9. 【4. 刑法41条と少年】
 「14歳に満たない者の行為は、罰しない」と41条は規定する。それでは、14歳以上の物の行為は、刑法によって裁かれるのかといえば、必ずしもそうではない。刑法の特別法として、少年法がある。(p.69)

2-10.
 少年法は、20歳未満の者に対して適用される(少年法2条1項)。少年法において最も特徴的なことは保護処分である。保護処分は、少年院送致、児童自立支援施設および児童養護施設送致、保護観察からなる(少年法24条1項)。保護処分は、原則的に、教育的処分である。刑法は、基本的に、過去に犯した罪の重さの程度に応じて刑罰を科す。しかし、少年法では、過去の罪の重さよりも、むしろ、今後、犯罪を犯さないよう、*少年の教育に重点が置かれる、このため、保護処分では、罪の重さよりも、少年の人格や社会的環境が重視される。少年鑑別所や家庭裁判所調査官が少年の人格や社会的環境の調査にあたる。(p.69)

*もっとも、被害者保護の思潮が有力になるにつれて、少年の厚生を重視する少年法のあり方が批判されるようになってきている。刑法の場合と同様、少年も、過去に犯した罪に応じた制裁を受けるべきであるというのが、その批判の主眼であるといってよいであろう。(p.69)
 
1 manolo 2014-06-11 10:22:18 [PC]


275 x 183
『よくわかる国際社会学』、樽本英樹著、ミネルヴァ書房、7/5/2009、(III-1 「社会統合としての同化」)、pp.62-63

1-1.
 移民やマイノリティをホスト社会に統合するため初めて登場した社会科学的観念は、同化である。同化理論として、パークの人間関係モデル、ゴードンの同化過程モデル、シブタニ=クワンの生態学的モデルといった考え方がアメリカ合衆国のシカゴ学派を中心に提出されてきた。1960年後半以降、強制や差別につながるということで規範的側面が否定されたものの、同化理論の記述的・説明的側面は1990年代から再評価されるようになってきた。(p.62)

2 manolo 2014-06-11 10:23:31 [PC]

1-2. 【1. 同化という考えの背景】
 急増する国際移民やエスニック・マイノリティをいかにしてホスト社会に*統合するか。この問いは現代においてだけ問われているのではない。人間社会が誕生して以来、問われ続けているのである。20世紀初頭、社会学の一派であるシカゴ学派は、同化(assimilation)という考えを定式化した。これが移民・マイノリティの社会統合に関する初めての社会科学的な考えであったと言ってよいであろう。(p.62)

*統合(integration)も多義的な概念で混乱しがちである。ここでは、国際移民やエスニック・マイノリティを社会に含みこんで社会秩序を実現することと、とりあえず考えておく。(p.62)

1-3.
 このとき同化は次のように定義された。「人々や集団が、他の人々や他の集団の記憶、感情、態度を獲得し、経験や歴史を共有することで共通の文化的生活に組み込まれる、相互浸透と融合の過程。」(Park and Burgess 1966: 735)こうして、同化へと至る過程や段階を特定しようとする学問的な営みが始まったのである。(p.62)

1-4. 【2. パークの人種関係循環モデル】
 ロバート・パーク(Robert E. Park)は、都市シカゴに集まってくるヨーロッパ系移民を対象として、次のような人種関係モデル(race-relations cycle model)をつくった(Park 1950; 関根: 1994: 62)。(p.62)

接触(contact)→競合(competition)→応化(accommodation)→同化(assimilation)

1-5.
 人々の移住はそれ以前には会ったことのない異文化の人々との「接触」をもたらす。諸集団は、接触すると互いに有利な位置を占め利益を得ようと「競合」し、衝突や葛藤(conflict)を起こして社会は不安定になる。やがて、集団間の優劣関係が定まり人々が集団の位置づけを認識することで、社会はより安定的になり、「応化」の段階を迎える。しかし、集団の境界を超えた人々の個人的つながりがそのような集団間の優劣関係を掘り崩し、「同化」の段階がやってくる。パークは同化までのこの過程を、「明らかに、前へ向かい後戻りはしない過程」と見なしていた。(pp.62-63)

3 manolo 2014-06-11 10:24:42 [PC]

1-6. 【3. ゴードンの同化過程モデル】
 しかし同化と一言で言っても、いくつかの次元でそれは生じうる。その様々な次元を区別したのがミルトン・ゴードン(Milton Gordon)の同化過程モデルである(Gordon 1964=2000 : 67; 関根 1994 : 62-5)。

文化的・行動的変化(cultural・behavioral)→文化変容(acculturation)
構造的同化(structural)
婚姻的同化(marital)→融合(amalgamation)
アイデンティティ的同化(identificational)
態度受容同化(attitude receptional)
行動受容同化(behavior receptional)
市民的同化(civic)
(p.63)

1-7.
 同化過程モデルは7つの段階を区別する。第1に、移民がマジョリティと接触しホスト社会の文化パターンを修得しようとする段階は、「文化的・行動的同化」である。マイノリティがホスト社会の言語、服装、感情的表現を身につける段階のため、「文化変容」とも呼ばれる。第2の段階は、マイノリティ集団がホスト社会の教会、クラブ、コミュニティ組織など小集団に加入する段階であり、「構造的同化」と呼ばれる。構造的同化が深まっていくと、エスニック集団外との婚姻も増えてきて、第3の段階である「婚姻的同化」が進行する。婚姻的同化は生物学的同化とでもあるということで、「融合」という名前も与えられている。第4の段階では、マイノリティたちはホスト社会の国民であるという感覚を持つようになり、「アイデンティテイ的同化」が生じる。さらに第5の段階で偏見や差別意識がなくなる「態度受容的同化」、第6の段階でマイノリティとマジョリティの現実の行動に差がなくなる「行動受容的同化」に達する。そして、最後の第7の段階でエスニック集団間に文化・価値のレベルでも政治的行動のレベルでもコンフリクトがなくなる理想的な状況、「市民的同化」が訪れるのである。(p.63)

1-8.
 ゴードンの同化過程モデルは、必ずしも同化が必然的に生じる過程であることを前提にしているわけではない。しかし、第1次大戦中およびその後のアメリカ合衆国の時代的風潮の中では同化は国民形成原理として当然のことだと思い込まれていた。その影響から、ゴードンのモデルが必然的過程であると解釈されることもあった。(pp.64-65)

4 manolo 2014-06-11 10:25:38 [PC]

1-9. 【4. シブタニ=クワンの生態学的モデル】
 ゴードンの同化過程モデルは、各段階の移行がなぜ生じるかに関する因果的なメカニズムを特定してはいなかった(Alba and Nee 1997: 837)。マイノリティの同化の因果メカニズムまで踏み込んだのがシブタニ=クワン(Shibutani and Kwan 1965)の生態学的モデル(ecological model)である。シブタニとクワンは、G・H・ミード(G. H. Mead)のシンボリック相互作用論に基づき、人々は「実際にどんな人か」ではなく「どのように定義されているか」によって扱われるとする。そして、個々人の感じる他者との主観的な距離を「社会的距離」(social distance)と定義する。社会的距離がある程度遠いときは、人々は共通のアイデンティティや経験の共有を感じる。一方、社会的距離が近くなると、人々は他者を別のカテゴリーに属した人々として扱うようになる。その結果、社会移動が盛んになりマイノリティが上昇移動を果たしたとしても、社会的距離が縮まることによって、エスニック・アイデンティティは変化せず残存するという(Shibutani and Kwan 1965)。つまり、シブタニとクワンに従えば、エスニック諸集団で構成される*エスニック階層の秩序は強固で変化しにくいということである。(p.64)

*エスニック階層(ethnic stratification)
エスニック集団間関係として構築された社会階層のこと。(p.64)

1-10.
 しかし、そのように安定的なエスニック階層の秩序でさえ、生態学的な要因にさらされることでパークの人種関係循環モデルの示す変動を起こす。この生態学的要因にはいくつかのものが想定される。まず、生産様式に関する技術革新が挙げられる。例えばアメリカ合衆国で開発された自動綿つむぎ機は、南部へ向かっていたマイノリティ労働者の流れを北部工業地帯へ向かわせ、国内のエスニック階層を変動させた。マジョリティとマイノリティの間の人口バランスの変動も、後者の割合が増加したときには、多文化的な政策を促進するなどの効果を持つ。人権の擁護など、既存の文化的価値に対抗する新たなアイデアの登場も、マイノリティ抑圧に反対する社会運動を生じさせるなどして、安定的であるはずのエスニック階層を揺るがすであろう。この考えは、エスニック集団をとり巻く生態学的要因に着目したため、「生態学的モデル」と呼ばれるのである(Alba and Nee 1997 : 837-41 ; Shibutani and Kwan 1965)。(p.64)

5 manolo 2014-06-11 10:29:50 [PC]

1-11.
 ゴードンの同化過程モデルが因果的な説明に欠き、個人レベルの同化の記述に終始していたのに対して、シブタニ=クワンの生態学的モデルは、因果的要因を組み入れつつ、集団レベルのエスニック境界の変動までを視野に入れたと言える。(p.64)

1-12. 【同化理論への批判と再評価】
 同化理論は、マイノリティの様態を記述・説明するために使われると同時に、「マイノリテイは同化すべきだ」という規範的要求のために利用されることが多かった。それゆえ戦後、特に1970年代以降その倫理的側面を降強く批判され、公の場で提唱されることは少なくなった。主な批判点は次のようなものである。(p.65)

1-13.
第1に同化はマイノリティのエスニックな出自の徴を消し去ろうとするものがあり、強制的である。第2に同化理論は少なくとも結果的には同化できないマイノリティを排除したり、不適切な存在であると烙印を押すことになる。第3に同化理論はヨーロッパ系など初期の移民を説明することはできるけれども、非ヨーロッパ系など後にやってきた移民を説明できない。第4に同化理論は、移民がホスト社会での滞在年数を重ねていくと自然に同化していくという「直線的同化」(straight-line assimilation)(Gans 1992)を前提にしている。(p.65)

6 manolo 2014-06-11 10:31:31 [PC]

1-14.
 批判点の1番目と2番目は同化理論の規範モデル的解釈に対するものである。規範的解釈は、アングロ文化への*同一化や、「**人種のるつぼ」といった素朴なイメージに基づいているため、批判は現在でも正当だとみなされることが多い。しかし記述・説明モデルの側面に関する第3と第4の批判に関しては、1990年代半ばあたりから見直しが始まり、同化理論は再評価され、マイノリティの社会統合の考察に用いられ始めている。(p.65)

*アングロ文化への同一化(Anglo conformity)
移民の、イギリス的な文化、制度、慣習への適応のことを言う。アメリカ合衆国では特に20世紀初めまで強固な考え方であった(明石他1984 : 17-20)(p.65)

**人種のるつぼ(melting pot)
 イギリス系ユダヤ人作家イスラエル・ザングウィルの戯曲『るつぼ』に端を発する。あらゆる国から来た人間が融け合い、ひとつの新しい人種になるというイメージを与え、新しいエスニック集団も統合できるという発想を与えた(明石他 1984: 20: 20-3)。(p.65)

1-15.
 同化理論の再評価は、「直線的同化」という仮定をまず疑問視し、「でこぼこ線エスニシティ」(bumpy-line ethnicity)を前提として採用するところから始まる。すなわち同化は、直線的かつ一方向に進行する過程ではなく、停滞する時期を幾度かはさみながら徐々に生じる過程なのである(Gans 1992)。(p.65)

1-16.
 そして、同化理論を単に移民個人に焦点を合わせたものではなく、移民の性質とホスト社会の制度や構造との相互作用を捉えるものに発展させようとした。例えば、マイノリティの社会経済的地位に着目した「社会経済的同化」(socio-economic assimilation)、マイノリティの居住地の変化に注目する「居住的同化」(residential assimilation)、そして同化がホスト社会の中流文化へ向かうだけではなく、上層や下層など様々な層へと向こうことがあるという分割的同化(segmented assimilation)といった考え方が提出されている。このように同化理論は再評価され、マイノリティのホスト社会への統合を記述・説明するために現在でも拡張され利用されているのである。「マイノリティは「同化しなければならない」とか「同化すべきだ」といったイデオロギーにとらわれることなく、同化理論を応用すべきである。(p.65)
 
1 manolo 2014-01-13 01:18:34 [PC]


275 x 183
出典:『よくわかる法哲学・法思想』、深田三徳・濱真一郎編著、ミネルヴァ書房、5/20/2007、「第2部 III-16 多文化主義の問題」、濱真一郎、pp.124-125

1-1. 【1. 多文化主義と文化の「共存」】
 近代社会には、-国内には一つの国民のみが存在するという「国民国家」の理念が存在してきた。しかしながら、実際には、多くの国家には複数の先住民族や移民が生活している。彼ら/彼女たちは、以前は多数派と同じ権利を要求していたが、現在ではむしろ、多数派と異なる自分たちの伝統文化を保持する権利を主張している。こういった、マイノリティとしての先住民や移民の権利を尊重する動向は、多文化主義と呼ばれている。多文化主義とは、一つの社会の内部において複数の文化の「共存」を是とし、文化の共存がもたらすプラスの面を積極的に評価しようとする主張ないし運動を指す。(p.124)

7 manolo 2014-05-03 23:54:30 [PC]

2-5.
 これら3つの多文化主義のうち、多く議論されるはずのイデオロギー的―規範的なものとプログラム的―政治的なものである。すなわち、人口学的―記述的な意味での多文化主義の進行を前提として認めた上で、規範的・イデオロギー的に多文化主義は望ましいのかどうか。望ましいとしたらどのような政治プログラムを導入したらよいのかなどが議論されているのである。(p.71)

2-6. 【2. 規範としての多文化主義】
 イデオロギー的―規範的な多文化主義(規範的多文化主義)は、社会の構成員のエスニックな文化は尊重されなければならないし、尊重されるような社会が望ましいという規範的な内容とする。しかしこのような含意は、すぐさま私たちに様々な文化的背景を持った人々が何の共通性も持たずに乱立する社会という多文化社会のひとつのイメージを与える。文化的に多様な社会において人種差別や構造的不平等をなくし、社会秩序を実現することは可能なのだろうか。そこで次に社会秩序を実現できるような多文化社会を模索するような試みが行われる。(p.71)

8 manolo 2014-05-03 23:57:50 [PC]

2-7. ○多文化社会の希求
 [公的領域/私的領域]と[同質性/多様性]の2つの軸で社会の4つのタイプが区別できる。第1のタイプは公的領域と私的領域の両者において文化的同質性が追及される「同化社会」(assimilation society)である。単一文化、単一民族による国民国家の理想型と合致する。第2のタイプは公的領域と私的領域の両者で文化的多様性が優位になる「多元社会」(plural society)である。東南アジアでかつて見いだされたような、市場でのみ複数のエスニック集団が出会う社会はこれに当たる。私的領域において文化や生活習慣が同質的であるにもかかわらず、公的領域において多様な文化や政治参加の格差がみられる社会が第3のタイプであり、「南部アメリカ型社会」('Deep South’ society)と呼ばれる。白人系と黒人系が隔離していた公民権運動以前のアメリカ合衆国南部に典型例があるとされるからである。最後の第4のタイプは、私的領域においては文化や生活習慣が多様である一方、公的領域においては市民権や福祉給付を通じて単一の同質的な文化や習慣が現われる社会である。一般にはこれこそが、社会統合が達成可能な「多文化社会」であるといわれる。いわば「複数のコミュニティを包括するコミュニティ(a community of communities)の創出を目指すのである(Commission of the Future of Multi-Ethnic Britain 2000: Rex 1997: 207-8)。(pp.71-72)

2-8. ○多文化主義のバリエーション
 しかし、私的領域において多様性を許容しつつ、公的領域においては同質性を保持するという「私化の戦略」(a strategy of privatization)(Barry 2001)の範囲内でも、多文化主義はいくつかのバリエーションに開かれている。例えば関根政美は多文化主義を*6つの種類に分ける(関根 2000: 50-9)。(1)シンボリック多文化主義(2)リベラル多文化主義(3)コーポレイト多文化主義(4)連邦制多文化主義/地域分権多文化主義(5)分断的多文化主義(6)分離・独立主義多文化主義(p.72)

*これらの6つの多文化主義には規範的なものと政治プログラム的な物の両者を指している可能性がある。ここでは規範的側面に限って取り上げておく。(p.72)

9 manolo 2014-05-03 23:58:43 [PC]

2-9.
 このうち、(5)分断的多文化主義はマイノリティがマジョリティの文化・言語・生活様式を否定し、独自の文化や生活を追求する考え方であり、多元社会を目指すものと言える。また、(6)分離・独立主義多文化主義は、チェコとスロバキアのように、エスニック・マイノリティが現存社会を解体してでも分離・自治を求める考え方を指す。したがってひとつの社会を複数に分け、同化社会を新たにつくる試みであり、ひとつの社会内で多文化を許容するのではない。すなわち(5)と(6)は通常言われる多文化主義とは異なる。(p.72)

2-10.
 一方、(1)から(4)までは多文化社会の実現を志向している。ただし、多様性の許容度および同質性の要求度に関して程度の差がある。(1)シンボリック多文化主義は、エスニック料理店の増加や、伝統芸能を披露する年数回の多文化フェスティバルのような限定的な多様性は許容するけれども、それ以上の多様性は許容しないという考え方である。(2)リベラル多文化主義は、私的領域においては文化的多様性を認める一方、市民生活や公的生活ではリベラルな価値観に基づいた市民文化や社会習慣に従うべきだとする。「機会の平等を確保すれば、エスニック集団間の不平等は解消すると想定する点で、いわば多文化主義の「理念型」と言えるであろう。(3)コーポレイト多文化主義は私的領域だけでなく、公的領域における文化的多様性も一部認める。例えば多言語放送や多文化教育の実施、教育や雇用におけるアファーマティヴ・アクションで「結果の平等」を求めることが望ましいと考え方である。エスニック集団は法人格を持つ(コーポレートな、corporate)存在として、政府援助の対象となる。最後に、ひとつの社会内でエスニック集団の地域棲み分けがある場合には(4)連邦制多文化主義/地域分権多文化主義が模索されうる。スイスやベルギーで見られるように、各地域それぞれに政治的、法的制度を設け、各言語の公用語としての使用を平等にしたりする。また、地域分権という形で中央政府の権限を譲渡することで、全体としての社会の統合を維持しようとする。地域ごとの自律性をかなり認めるという点で、最も多文化社会の「理念型」から離れた考えであるといえる。(p.73)

10 manolo 2014-05-03 23:59:43 [PC]

2-11.
 規範的多文化主義の中で、どれが最も望ましいのであろうか。どのタイプが社会統合をもたらすのであろうか。また、どのタイプが社会の構成員により充実した生き方を与えるのであろうか。現在のところ確固とした解答は得られていない。当該社会の歴史や社会的文脈などによって回答は異なることであろうし、文化ごとに考え方は異なるであろう。そのため多文化社会と多文化主義は論争の的であり続けている。(p.73)

2-12. 【3. 政治プログラムとしての多文化主義】
 多文化主義を論争の的にしているもう一つの理由は、規範を政治プログラムに変換することの難しさである。一般に政治プログラムとしての多文化主義は、異文化・異言語の維持と発展、エスニック・マイノリティの社会・政治参加の促進、受け入れ社会のマジョリテイへの啓蒙活動という3つで主に構成される。(p.73)

*カナダの多文化主義の基本目的は、(1)文化維持への公的援助の推進、(2)各エスニック集団間の相互交流、(3)公用語修得の奨励、(4)機会平等を妨げる文化的障害の打破とされる(田村[1992]、1996: 236)。これらは3つの政治プログラムに位置づけて理解されうる。(p.73)

2-13.
 第1に、異文化・異言語の維持と発展は、文化やアイデンティテに尊厳を与えることでマイノリティの劣等感を消し去り、能動的に社会に関わるきっかけを与えようとしている、いわゆるエンパワーメント(empowerment)が目的である。第2に、社会・政治参加の促進は、参加に関わる様々な障害を取り除き、マイノリティの持つ人的資本がホスト社会で有効に活用され、マイノリティが社会の一員として充実した生活を送れるように導くことである。第3にマジョリティへの啓蒙活動は、なじみのない文化や言語に接して偏見や差別が生じることを防ぐために、異文化交流などを通して異文化や異言語へのマジョリティの理解を深める目的を持つ。以上の3つの政治プログラムを通じてエスニック集団間関係が良好になることが期待されている。(pp.73-74)

11 manolo 2014-05-04 00:03:12 [PC]

2-14.
 こうした政治プログラムとしての多文化主義の施策は、*多岐にわたる。有効性を発揮することも多い一方、有効に働かない場合も多々ある。多文化主義という理念を具体化するために各国は模索を続けているのである。(p.74)

*政治プログラムとしての多文化主義: オーストラリアの例

異文化・異言語維持・促進プログラム
エスニック・コミュニティの財政援助(エスニック学校/移民博物館/福祉施設)
エスニック・メディアへの免許付与・公的援助(テレビ・ラジオ放送)
エスニック・ビジネスへの援助・奨励、表彰
 非差別的移民政策の実施(聖職者、教師など文化的専門職の移住規制はしない)
社会参加促進プログラム
 ホスト社会の言語・文化の教育サービス
 通訳・翻訳サービスの実施(電話通訳/裁判所、病院、警察など公共施設)
 公共機関における多言語出版物の配布(災害情報など)
 国外の教育・職業資格の認定
 新規移民・難民向け福祉援助
 教育・雇用に関するアファーマティヴ・アクション
 永住者・長期滞在者への選挙権付与
 人種差別禁止法の制定と実施
 人権・平等委員会などの設置
受け入れ社会のマジョリティへの啓蒙活動
 公営多文化放送の実施(テレビ・ラジオ放送)
 学校、企業、公共機関における多文化教育の実施
 多文化フェスティバルなどの実施
 多文化問題研究・広報機関の設置
 多文化主義法の制定
(p.74)

2-15. 【4. 多文化主義の問題点】
 多文化主義を実現することに以下のような問題に直面しているため容易ではない。第1に、公的領域と私的領域の区別が曖昧になる場合がある。フランスでは教育現場におけるイスラム教徒のスカーフ着用が、私的領域のみ許される宗教信仰を公的領域に持ち込むことだとしばしば問題にされる。また、イギリスのアジア系住民の「お見合い結婚」では、結婚という私的領域の行為が公的領域の問題だとみなされ女性の人権侵害に当たると主張されることがある。このように、公的領域と私的領域の境界は曖昧である。(p.74)

12 manolo 2014-05-04 00:05:36 [PC]

2-16.
 第2に、多文化的要求は私的領域の不可侵を同時に主張しやすい。ところが私的領域には様々な問題がある。例えば、多文化主義の下でエスニックな文化が擁護されると同時に、その中の女性差別や子どもの権利軽視など家父長制的な要素は温存されることがある。このように*多文化主義が反リベラルな文化を擁護せざるを得ないかどうかは、大きな争点となっている(Kymlicka 1995=1998: 226-58; 盛山 2006: 268-74)。(pp.74-75)

*キムリッカはこの争点に関して、「対外的防衛」と「対内的制約」という概念を提出している。対外的防御とは、マイノリティ集団とマジョリティ集団との平等を達成するため、マイノリティ集団を外部の決定から守ることである。対内的制約とは、マイノリティ集団が内部のコンフリクトで不安定にならないようにすることである(Kymlicka 1995=1998: 50-63; 盛山 2006: 265-6)。(p.75)

2-17
 第3に、ホスト社会内のすべての文化の多文化的要求に応えることは容易ではない。例えば、多言語教育に振り割ることのできるカリキュラム上の時間、教員数、資金は限られている。このとき多文化的要求を認める文化をいくつかに限定しなければならない。ウィル・キムリッカはこの問題に対して、「*社会構成的文化」だけに限定すればよいと考えている(Kymlicka 1995=1998: 111-60)。しかし、社会構成的文化の選定基準自体は極めて曖昧であり、どの要求を認めどの要求を認めないかを決めることは難しい。(p.75)

*社会構成的文化(societal culture)
公的、私的領域を含む人間の活動のすべてにわたって、有意味な生き方を人々に与える文化のこと(Kymlicka 1995=1998: 113)。(p.75)

13 manolo 2014-05-04 00:06:50 [PC]

2-18.
 第4に、多文化主義にはパラドクスがある。マイノリティの文化・言語が維持・発展するほど、さらなる援助が得られることから、マイノリティは自らの文化・言語をことさらに強調し、文化的独自性を絶対視する原理主義的主張を発展させかねない。すると今度は、自らの文化が脅威にさらされているとマジョリティが感じる。多文化教育などはマイノリティの利益になるだけで、社会的コストにすぎない。マジョリティ文化だって文化のひとつだから多文化主義の下で保護されるべきだと。こうしてナショナル・アイデンティテイが動揺し、「*人種なき人種主義」に基づいた、極右政党の台頭、差別、人種間分離、失業の生起を促してしまう。社会統合のための多文化主義が社会的分裂を引き起こしてしまうのだ。これが「多文化主義のパラドクス」である(Bolaffi 2003: 184; 関根 2005: 334-8)。このパラドクスに直面して、劣位にあるマイノリティを社会に統合するための福祉主義的多文化主義の政策は削除される。代わって、移民政策をくぐり抜けた経済的に有用な高技能労働者のみに対して、その労働者たちの自助努力に基づく限りでの多文化を許容する経済合理主義的多文化主義が台頭する(関根 2005: 338-41)。(p.75)

*人種なき人種主義
人種やエスニシティの優劣に基づく伝統的な人種主義ではなく、文化間の両立不可能性や文化間境界の消滅への不安に基づいて主張される人種主義のこと。(p.75)

2-19.
 第5に、上記の問題の背後には文化に関する本質主義と反-本質主義の緊張関係が存在する。文化本質主義によれば、各エスニック集団は確定した文化をひとつだけ持ち、その文化は不変で、そこから抜け出すことは困難で、集団外の人々には身につけられない(馬渕 2002; 関根 2000: 200-2)。本質主義は文化的差異の絶対視につながり社会的分裂の原因となる。しかし反-本質主義の下では逆に文化による集団の一体性がなくなり、多文化主義は力を失う。ネオリベラリズムの下でエスニック集団は個人化し、人々をナショナリスムに駆り立ててしまう(塩原 2005)。したがって、多文化主義は本質主義と反-本質主義の微妙なバランスの上に成立可能なのである。(p.75)

2-20.
 多文化社会実現への道は険しい。しかしグローバル化時代にいるわれわれには、同化主義へと後戻りする選択肢は残されてはいないのである。(p.75)

14 manolo 2014-05-04 00:08:44 [PC]

『よくわかる国際社会学』、樽本英樹著、ミネルヴァ書房、7/5/2009、(コラム2「様々な多文化社会」)、pp.76-77

3-1. 【世界は多文化社会でいっぱい?】
 世界各地はかなりの数の外国人・移民人口を抱えており、その割合は徐々に大きくなってきている。(中略)より細かく見ると都市住民のさらに多くの割合を外国人・移民が占めていることがわかる。例えば、ロンドンの行政区の中には外国人・移民人口が半分を超えているところもある。すなわち、人口構成だけを見ると世界は多文化社会でいっぱいである。しかしふつう多文化社会と言われる社会は、人口構成上、移民・外国人がいるだけではない。その社会に移民・外国人の文化を許容するような政策や法体系があって初めて多文化社会と言われることが多いのである。(p.76)

3-2. 【多文化社会の国ごとの違い】
 多文化社会と一言で言っても、国ごとに様々な違いがある。例えば最も多文化主義が進んでいるとされるカナダ、オーストラリア、スウェーデンに関してでさえ、進展の仕方や背景は異なる。(p.76)

3-3.
 カナダは、イギリス系移民とフランス系移民が先住民族の土地に入植することでできあがった国である。したがってまずは英仏二大集団の融和をいかに図るかが課題となり、多文化社会となる基礎が築かれた。特にフランス系住民がマジョリティを占めるケベック州にどれだけの権限を与えるべきかが焦点となった。そして1960年代終わりからアジア系が新規移民として流入したことで多文化法が制定され、英仏以外の集団にも多文化主義の枠組みが広げられていった。後に先住民族もこの多文化主義の枠組みに組み入れられていったのである。(p.76)

15 manolo 2014-05-04 00:10:55 [PC]

3-4.
 オーストラリアは、イギリス系移民の入植で始まった国であるため、イギリス系住民が圧倒的多数であり、「白人の国オーストラリア」の形成と維持を目指す「白豪主義」を採用した。この過程で先住民族は白人系文化への同化を迫られていった。しかし、イギリス系移民が減少し、さらに他のヨーロッパ系移民も減少する中で、1960年代終わり頃から徐々にアジア系など非白人系移民を受け入れざるをえなくなった。白豪主義は放棄せざるをえなくなり、多文化主義的な政策がとられるようになった。この過程で白人系への同化政策が迫られていた先住民族も自らの文化を認められるようになった。ただしオーストラリアは、多文化主義を法制度上公式に認めたわけではない。(pp.76-77)

3-5.
 スウェーデンは、前二者のような移民国ではない。スウェーデン人という単一の集団と少数の北方民族で構成された非移民国であった。しかし2回にわたる世界大戦と冷戦下における東西対立の経験をふまえて、人権擁護の見地から多くの難民を受け入れた。また、1954年北欧共通労働市場の形成により国内に隣国のフィンランド人が多数同居することになった。その結果、外国人住民に対しても国政選挙を含む政治的権利を与えるといった外国人に対する寛容な政策がはぐくまれた。さらに、文化的権利を認め多文化主義を採用していくことになった(Inglis 1996: 41-59)。(p.77)

3-6.
 以上のような典型例だけが多文化社会なのではない。外国人・移民の同化を望ましい表明している社会も、多文化的な側面を持つことがある。つまり、表向きは多文化社会を否定しているにもかかわらず、事実上多文化主義的な施策を容認しているということがよくある。例えば移民個人個人が社会と文化へと同化すべきだと強く主張しているフランスにおいてでさえも、移民が独自の文化を守ることを「相違への権利」(le droit a la difference)という名で定式化し、擁護しようという動きがでてきているのである。(p.77)

16 manolo 2014-05-04 00:11:50 [PC]

3-7. 【多文化社会をめぐる社会の類型?】
 III-3では、多文化社会の本質を示すために、同化社会、南部アメリカ型社会、多元社会とは異なる社会として、多文化社会を提示した。しかし、多文化社会をめぐる社会類型には他にもいろいろなものがある。社会のメンバーである国民や市民を規定する市民権付与の仕方で分けるやり方もよく使われる。例えば社会を、帝国モデル、エスニックモデル、共和制モデル、多文化モデルに分けるのである。(p.77)

3-8.
 エスニックモデルは、血統や文化で規定されるエスニシティを共有している者を市民と規定する。共和制モデルは憲法・法律を尊重し、それらに基づく政治共同体のメンバーを市民とし、当該社会のマジョリティ文化の受け入れを要請する。多文化モデルは、共和制モデルと同じく政治共同体のメンバーを国民としつつ、文化的差異や社会内でのエスニック・コミュニティ形成を許容する社会モデルである(Castle and Miller 1993 = 1996: 42-3)。(p.77)

3-9. 【多文化社会をまとめる文化】
 どのような類型で多文化社会を捉えようとも、「多文化社会を許容すると社会の統一が乱れる」という批判にさらわれてしまう。そこで多文化を許容しかつ社会の統一を達成できるような包括的な文化をつくり出すことは可能なのだろうか。もしそのような包括的文化が可能だとすれ、個々の文化よりも抽象的なものとなるであろう。しかし往々にして包括的文化と見えるものは、ホスト社会の文化的要素から成立している。例えば、イギリスやオーストラリアにおける英語とか。西欧諸国やアメリカ合衆国に見られるキリスト教のように、個々の文化を担っているマイノリティから見ると、そのような包括的文化でさえ、具体的・個別的で自らの文化と相容れない敵対的なものに見えかねない。イスラム教徒から見た西欧的価値がその典型例である。そこで、多文化社会をまとめる文化はどのようなものでありうるのか、この問題が現在問われ続けているのである。(p.77)