基次自ら先頭に (コメント数:1) |
1 Ryou 2013-12-16 21:55:22 [URL]
基次自ら先頭に立ち兵を収めんとしたが、銃丸に胸板を貫かれ、従兵金方某之を肩にせんとするも体躯肥肝、基次また去るを欲せず命じて頸を刎ねしめ之を田に埋めた。同日、薄田兼相亦戦死した。これは、岩見重太郎の後身と云われているが、どうか分らん。濃霧により約束の期に遅れた真田勢は遂に基次兼相の死を救うことが出来ず、伊達隊と会戦した。幸村槍を駢べて迎え、六文銭の旌旗、甲冑、その他赤色を用いし甲州以来の真田の赤隊、山の如く敢て退かず。午後二時頃城内より退去令の伝騎来って後退した。幸村自ら殿軍となり名退却をなす。「しづ/\としつはらひ仕関東勢百万も候へ、男は一人もなく候よし雑言申、大阪へ引取申候」と『北川覚書』に出ている。 幸村は総大将だけに、基次ほど死を焦らないところ名将の器である。「男は一人もなし」と雑言しても、関東勢返す言葉はなかったろう。 |
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