材大なれば用を為し難し

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東西両軍必死に戦い (コメント数:1)

1 Ryou 2013-12-16 21:57:26 [URL]

 東西両軍必死に戦い、東軍では先鋒本多忠朝及び小笠原秀政忠脩親子戦死す。幸村は越前兵に突入した。此の日諸隊躍進何れも先駆の功名にはやり後方の配備甚だ手薄だった。「御所様之御陣へ真田左衛門佐かゝり候て、御陣衆を追ちらし討捕り申候。御陣衆三里ほどづゝにげ候衆も皆々いきのこられ候。三度目に真田もうち死にて候。真田日本一の兵いにしへよりの物語にも無之由惣別これのみ申事に候」と『薩藩奮記』にあるが、講談で家康が、真田に追かけられる話も、全然嘘ではない。流石直参の三河武士も三里逃げた。真田一党の壮烈な最後は「日本にはためし少なき勇士なり。ふしぎなる弓取なり。真田備居る侍を一人も残さず討死させる也。合戦終りて後に、真田下知を守りたる者、天下に是なし。一所に討死させるなり」と云われている。
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