岩倉市の「自治基本条例」を廃止せよ!!
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■「フロントランナー」の立場を自らどう意味づけるのか さて、ここまで朝日新聞がその「特集」において取り上げた主要なポイントのいくつかについて述べてきた。明らかなのは、最後に取り上げた92年1月11日の記事を除けば、巷間指摘されている朝日新聞の個々の記事が日韓両国の世論や、慰安婦問題の展開に与えた影響は、考えられているほどには大きなものではない、ということである。つまり、朝日新聞のこれらの記事の内容は、韓国のメディアは勿論、日本の他のメディアにもさほど大きく顧みられることはなかったし、各々の時点でこれらの記事により両国の世論が大きく動かされた、とも言い難かった。 とはいえ、しかしながら、そのことは朝日新聞が日韓両国の間に横たわる慰安婦問題において大きな役割を果たさなかったことを意味するのか、と言えば勿論そうではない。何故なら、日韓両国のマスメディアの中で、朝日新聞こそが慰安婦問題を70年代の極めて早い段階から取り上げ、持続的かつ積極的に報じてきた存在だからである。 例えば、朝日新聞の記事データベースによれば、同紙がはじめてこの問題を大きく取り上げたのは、1979年9月7日の「従軍慰安婦の涙 朝鮮女性の悲惨さ追う」という投稿記事においてである。1970年代といえば、従軍慰安婦に対する話は日韓両国の間で一種のタブーとなっており、これに先行した千田夏光らの指摘も「際物」扱いされていた時代である。そのような時代において、この問題を発掘し、それを一般の人々に知らしめていったメディア、それが朝日新聞だったのである。 そして朝日新聞はこの問題における「フロントランナー」であったからこそ、極めて早い時期の慰安婦問題に関する議論の誤謬をもそのまま引き受けることになった。 「慰安婦とは挺身隊という名目で強制的に連行された人々である」という言説は、慰安婦問題の最初期の摘発者である千田夏光が1969年のソウル新聞の記事等を土台に作り上げたものであり、後に問題になった吉田清治の「証言」もまた、この千田の著作の記述を土台に、彼なりの脚色を大いに付け加えて創作されたものだと考えることが出来る。問題があったとすれば、朝日新聞の多くの記者たちが、この最初期の慰安婦問題における言説を検証せず報道したのみならず、彼ら自身の一部もまた、自らこの言説を信じ込んでしまっていたことにあったろう。その意味において、吉田証言の盲信も、挺身隊と慰安婦の混同も、従軍慰安婦問題の初期の誤謬をそのまま受け入れたことの結果だったと言うことができる。
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