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70連敗の東大が模範とすべき千葉ロッテの姿勢 (コメント数:4) |
1 匿名さん 2014-04-21 13:06:11 [PC]
負けたくて負けているわけじゃない 負けたくて、負けているわけじゃない。力の差も、体力差もあることはわかっている。それでも強豪の5校とリーグ戦を戦わなくてはいけない。東京大学が20日、慶応大に敗れ、引き分けを挟んで70連敗を喫した。リーグワーストタイ記録だった。スタンドからは次の試合こそ勝利を願うOB、ファンからの拍手が飛んだ。 |
2 匿名さん 2014-04-21 13:06:56 [PC]
プロ野球の記録では1998年に千葉ロッテが記録した18連敗が最長である。6月13日のオリックス戦から始まり、7月8日のオリックス戦まで約3週間も勝利の女神はロッテに微笑まなかった。 6月13日、当時、投手陣の軸にならなくてはいけない小宮山悟投手が5回5失点KO。ここから悪夢が始まった。 このシーズンはリリーフの河本育之が故障。リリーフ陣の整備ができず、最終的には最多勝を獲得するエースの黒木知宏が、連敗ストッパーを託され、緊急リリーフをした試合も多かった。 5連敗で迎えた6月20日の日本ハム戦ではリリーフに失敗。翌21日も連敗を6で止めるために1点リードした9回にマウンドに上がったが、逆転サヨナラホームランを浴びるという悲劇にあった。黒木は3度もリリーフに失敗した。 |
3 匿名さん 2014-04-21 13:07:47 [PC]
勝利を待ち続けたロッテファン 悲劇はそこで終わらなかった。7月7日。16連敗で迎えた敵地でのオリックス戦。今日こそはとエースの黒木が今度は先発としてマウンドへ。持ち前の気迫のこもった好投を続け、9回ツーアウトまで3対1と2点のリードを守った。走者は一塁。外国人打者・プリアムに対して、追い込んで、あと1球と迫っていた。連敗ストップまであと1球だった。しかし……。 打者がバットを振り抜いた打球は、無情にもグリーンスタジアム神戸の左翼席へ飛び込む同点の2ラン。野球の神様はまたもロッテを、黒木を見放した。黒木はマウンドで崩れ落ちた。「どうして……」。熱い男、黒木は一人で歩くことすらままならなかった。七夕の夜の悲劇。黒木は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 しかし、連敗ストップを待ち望んだファンたちたちは絶句したが、すぐに応援を始めた。 当時、ロッテのファンは負けても、負けても「俺たちがついている」と横断幕をかかげ、毎試合、毎試合、声援を送っていた。次第に「苦しい時こそ、自分がマリーンズを応援しないといけない」という気持ちになり、微増ながら日に日にスタジアムの観客動員も伸びていた。 チームを率いた近藤昭仁監督は「せめてもの救いはファンのみなさんが暴動もせず、温かくチーム、選手を見守ってくれたこと」と話していたこともあった。18連敗の日本記録。普通なら嫌にになって応援や観戦をやめてもおかしくはない。それでもロッテファンは勝利を待ち続けた。 7月9日のオリックス戦に勝利し、18連敗でようやく不名誉な記録は止まった。勝利した選手たちはベンチを飛び出して、スタンドのファンに向けて頭を深々と下げて、感謝した。応援してくれたファンがいなければ、勝利はなかった。 |
4 匿名さん 2014-04-21 13:08:38 [PC]
悪夢を経て一回り強くなった ファンはどんな時でも見放さず、温かい応援を続けていた。手の抜いたプレーをしていたのなら批判するが、ファンの目に映る選手たちは勝とうと必死だった。その姿がファンの心を繋ぎ止め、その後、強いチームへと成長することになるロッテの礎になった。 ロッテは黒木が崩れ落ち、17連敗目を喫した1年後に首位に立つなど、悪夢を経て一回り強くなった。今では12球団トップクラスのまとまった応援で知られるロッテのファンはこの時からチームを心から応援し、選手たちと一丸になって戦っていた。万年Bクラスから、Aクラスの常連へ。優勝、日本一へとのし上がっていった。 勝ちたいという姿勢を失わなければいい。過去は振り返っても仕方がない。70連敗を喫した東大にも、ファンやOBの応援が降り注いだ。 手を抜いて負けているわけではない。選手たちが必死ならば、周りの心に響いているはずだ。不名誉な記録かもしれないが、ロッテも連敗記録から学んで今がある。東大も戦う気持ちを失わず、この一戦の敗北を力に変えていけば、きっと白星をつかみ取る日が訪れるだろう。 |
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