罰を望む女性で (コメント数:1) |
1 櫻井 2020-03-10 20:24:29 [PC]
躾けとして罰を与えられることを望む女は多い。 自己評価が低く、どちらかというと真面目な女ほどその傾向にある。 私が望むのは被虐心が強く、心と身体に罰を望む女。 ただ罰を与えるのではない。 なぜその罰を欲するのか、相手を深く理解して与えるこそ意味がある。 自分の言動に善悪を付け、つねに悪をそこに見出す。 必要以上の罪の意識、自分が許せない。 だが、罪の意識はどんどん膨れ上がり、自傷行為を日常的にする女もいる。 罰せられることは許されるということ。 自分ではなく他者から与えられる罰だからこそ、意味があり、心が安堵する。 罰は痛みだけではない。 辱めが罰になる女もいれば、惨めさと屈辱感が罰になる女もいる。 精神的苦痛が快感になる女もいれば、肉体的苦痛が快感になる女もいる。 自分を理解している存在からの罰だからこそ安心感、充足感も感じることができる。 罰を与えられることでしか、自分の存在を実感できない。 罰を与えられて安心する。 自己評価が低く、心からの罰を望む女。 私が所有したいのはそんな女。 そして私の加虐性を受け入れてくれる女。 年齢問わず、平日も会えることが希望。 日常も身分差を明確にするため何かを躾け、命じる。 それでも良ければ。 年齢は問わない。 秘密厳守。 |
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