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【(2)】 シナリオの目的は韓国との妥協 「慰安婦」蒸し返され続け崩壊 2014.4.2 慰安婦募集の強制性を認めた 平成5年8月の河野談話の発表に向け、同年2月に外務省で作成された内部文書「従軍慰安婦問題(今後のシナリオ)」は、真相究明は二の次だったことを明確に示している。すでに同年7月の韓国での元慰安婦16人への聞き取り調査がずさん極まりない内容だったことは、産経新聞が昨年10月に報じた調査報告書の詳細で明らかになっているが、聞き取りはこの「シナリオ」に沿ったものだったわけだ。 「シナリオ」は、聞き取り調査についてこう記している。「真相究明の結論および後続措置に関し、韓国側の協力が得られるめどが立った最終的段階で、必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討する」 ■ 一定の「結論」想定 つまり、外務省はあらかじめ一定の「結論」を想定し、事前に韓国側の了解を得た上で、その結論を正当化するために聞き取り調査を実施する考えだったことになる。「シナリオ」は韓国政府とのすり合わせのあり方についてはこう書く。「真相究明についての日本政府の結論と引き換えに、韓国政府に何らかの措置の実施を受け入れさせるという パッケージ・ディール(一括取引)で本件解決を図る」 日本側が韓国側の意向に沿った結論を出す代わりに、韓国側には慰安婦問題の決着を何らかの形で表明させるという狙いだろう。 談話発表後、一時的には収まったものの、韓国は国内事情からこの問題を蒸し返し続けており、所期の目的は達成されていない。 もともと聞き取り調査に関しては、以前から多くの疑問点が指摘されていた。調査は 7月26日から 30日までの 5日間、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会で行われたが、この団体は日本政府を相手に慰安婦賠償訴訟を起こしている当事者だった。 元慰安婦1人あたりの聴取時間はわずか 2時間半から 3時間。産経新聞が入手した調査報告書によると、およそ証拠能力の認められないものだった。A4判13枚で、「慰安婦にされた経緯」「慰安所での生活」「その他の状況」の 3点が記されているが、16人中、生年月日が記載されているのは半数の 人だけ。そのうち別のインタビューでは異なる年月日を回答している例も複数ある。 大阪、下関、熊本など戦地ではなく、一般の娼(しょう)館はあってもそもそも慰安所がなかった地域で働いたとの不自然な証言もあった。氏名に関しても「呂」と名字だけのものやカタカナだけのもの、「白粉」と不完全なものもあり、出身地についても大半の 13人が不明・不詳となっていた。 ■ 定義まで広げて こうした調査報告書のずさんさも、聞き取り調査自体が初めから「儀式」だったと思えば得心がいく。 「米国の図書館まで行ったが、女性たちを強制的に集めたことを客観的に裏付けるデータは見つからなかった」 河野談話作成当時の事務方トップである元官房副長官、石原信雄は 今年2月20日の衆院予算委員会でこう明言した。第1次安倍内閣も 19年に「政府発見の資料の中に強制連行を示すような記述はない」との答弁書を閣議決定している。 当時の宮沢喜一内閣は、国内外をいくら探しても「強制性」を認めるための物理的な証拠は出てこないので、自分は強制連行されたと述べる元慰安婦の聞き取り調査をもって証拠とすることにしたのである。そのため 5年3月には、強制の定義を「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合を含む」(当時の内閣外政審議室長、谷野作太郎)と広げることまでしている。そして当時の官房長官の河野洋平も石原もこれまで、この聞き取り調査が河野談話の根拠・決め手となったと証言してきた。 ■ 一連の流れは、外務省の「シナリオ」と符合している。 だが、宮沢内閣が苦心惨憺(さんたん)して韓国のために「強制性」を認めた結果、慰安婦問題は解決するどころかさらに大きな国際問題となっていった。(敬称略) ◇ 産経新聞は今回の連載にあたり河野、谷野両氏に改めて取材を申し込んだが拒否された。 河野事務所のコメント「取材・講演などについては、国内外でさまざまな評価、意見が出ている中で、この問題をさらに政治・外交問題化させるべきではないとの考えから、基本的にお断りをしています」 2014.4.2 11:45
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