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さて、それでは朝日新聞の慰安婦問題に関わる報道は、実際にはどのような影響を与えてきたのであろうか。そこでここからこの問題について、筆者なりに見ていくことにしよう。 ■ 吉田清治氏の証言 まず今回注目を浴びることとなった、吉田清治氏の証言(以下、吉田証言)についてである。同「特集」も述べているように、朝日新聞に初めて同氏が登場するのは、1982年9月2日、しかし、その証言が同紙面にて大きく取り上げられるようになったのは、1983年10月19日、「韓国の丘に謝罪の碑」という表題で同氏が韓国の「望郷の丘」に自らの行為を謝罪する記念碑を建てることを報じた後のことである。この時の吉田の行動について日本国内の他紙はほとんど報じていないから、この時の朝日新聞の報道が突出していることは明らかである。 しかしながら、そのことは逆に言えば、少なくともこの時点では朝日新聞が吉田証言を大きく取り上げたことが、他紙の報道に大きな影響をもたらしていないことをも意味している。毎日新聞や読売新聞など、他紙に吉田が頻繁に登場するようになるのは、90年代に入り慰安婦問題が、実際の日韓間の重要問題として浮上する時期以降のことであり、その意味で吉田証言の扱いについての朝日新聞と他紙とのギャップは極めて大きいものがある。もっとも、影響力ある朝日新聞に大きく取り上げられたことにより、吉田の知名度が飛躍的に向上したことは恐らく確かであり、その意味で80年代の朝日新聞による報道が、吉田証言が後に脚光を浴びる基盤となったであろうことは否定できない。 他方、吉田証言が韓国においてはじめて報道されたのも、やはり83年に「謝罪の碑」を建てた時のことである。しかしながら、興味深いことに、この時点での韓国メディアの報道内容は、朝日新聞のそれとは大きく異なっていた。即ち、朝日新聞が83年段階で既に吉田証言を慰安婦に関わるものとして注目して取り上げたのに対し、韓国メディアはこれをより広い問題、即ち、「慰安婦をも含む強制連行問題」に関するものとして取り上げたからである。 背景にあったのは、80年代初頭の韓国では慰安婦問題が未だほとんど脚光を浴びておらず、むしろ、タブーに近い問題として扱われていたことであろう。言い換えるなら、当時の韓国メディアの報道は、あくまでこのような韓国国内の文脈で書かれており、その内容の一致度を考えても、朝日新聞の報道が韓国のメディアや社会に与えた影響を、過大評価するのは禁物である。
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