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■ 家族 (画像: 妻 メアリー・エルキントン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0#/media/File:Mary_Elkinton_%28Nitobe%27s_wife%29.jpg ) 1891年(明治24年)に アメリカ人女性メアリー・エルキントン(Mary P. Elkinton 日本名:万里子)とフィラデルフィアで結婚している。 二人の間には遠益(とおます)という長男が生まれたが 生後8日で夭折している。養子に孝夫(よしお)がいる。 祖父の新渡戸傳は、幕末期に荒れ地だった南部盛岡藩の北部・三本木原(青森県十和田市付近)で 灌漑用水路・稲生川の掘削事業を成功させ、稲造の父・十次郎はそれを補佐し産業開発も行った。 傳は江戸で材木業を営み成功するといった才能もあった。 この三本木原の総合開発事業は新渡戸家三代(稲造の祖父・傳、父・十次郎、長兄・七郎)に亘って行われ、十和田市発展の礎となっている。 このように新渡戸家は稲造だけでなく傳を始めとした英才を輩出していたが、必ずしも恵まれた境遇ではなかった。 稲造の曾祖父で兵法学者だった新渡戸維民(これたみ)は 藩の方針に反対して僻地へ流され、祖父・傳も 藩の重役への諌言癖から昇進が遅く、御用人にまでのぼりつめた父・十次郎もまた藩の財政立て直しに奔走したことが裏目に出て蟄居閉門となり、その失意のあまり病没している。 また、従弟に昆虫学者の新渡戸稲雄がいるが、31歳で早世している 。 ■ 後世 生誕の地である盛岡市と、客死したビクトリア市は、新渡戸が縁となって現在姉妹都市となっている 。 1984年(昭和59年)11月1日に発行された五千円紙幣D号券の肖像に採用された。
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