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しかし、そう言うと、必ず「お前は命より経済を取るのか」と言う人間が出てきます。が、そう言う輩は、むしろ「経済」をこそ舐めていると言っていい。「経済」とは、すなわち 、日々の生活であり、その生活を支える生業であり、私たち自身の暮らしの異名なのです。 それは「おカネ」を媒介としますが、単なる「おカネ」の問題ではない。 人と人との接触、ギブ・アンド・テイクの関わり合いの中から生まれてくる感情の総体、喜怒哀楽の流れそのものなのです。 覆水盆に返らずとはよく言ったもので、生活を「一度止めてしまう」ことの取り返しのつかなさは、まさに東日本大震災で、私たちが経験したことではありませんか。 しかし、だからこそ、「おカネ」だけを渡しておいて(金銭補償)、経済は止めておいてもいいのだ(ロックダウンを目指すべきだ)などといった言説は、ニヒリズムの肯定以外の何ものでもないのです。「金をやるから大人しくしておけ」などという言葉は、家畜や奴隷には言えても、日々の仕事と、その生活の中に喜びを見出して生きる「人間」に向かって用いるべき言葉ではない。 しかも、政府が「おカネ」をケチっている現状で、安易に「自粛延長」を唱えることは、それ自体が、ほとんど不条理な暴力と化していると言っていいでしょう。 しかし、だからこそ、自粛の大義名分である「医療崩壊阻止」の掛け声にしても、それが、私たちの「具体」を守る上での「抽象」であることが自覚されなくなってしまえば、いつでも「暴力」に反転してしまいかねないのだという事は忘れてはなりません。 何も私たちは、「日本医師会」や「医療」のためだけに存在しているわけではない。 むしろ「医療」という行為は、私たちの暮らしや、生活を豊かにしていくための 一つの「手段」でしかないのです。 しかし、それが「目的」とされてしまえば、「医療崩壊阻止」の美名の下に、「医療」以外の全ての暮らしと人々の生活が犠牲にされてしまいかねません。 この「対米従属」ならぬ「医療従属」のニヒリズムを、抵抗すべき「不条理」と言わずして何というのか。 事実、「病からの自由」を担保する医療行為は、消極的価値(死からの自由)にはなり得ても、その自由(命)を使って成し遂げるべき積極的価値(命を賭しても成し遂げるべきこと)にはなり得ません。 人が「命」を守るのは、その「命」を使って何かしらの生産をする限りであって、その逆ではない。 つまり、医療崩壊を防ぐ努力は当然だとしても、それは、飽くまで、私たちの生活(生き甲斐・喜び)を守る範囲内においてのことであって、そのために生活を過剰に犠牲にすべきではないということです。 さもなければ、私たちの社会は、「生き延びる」ことだけを自己目的化した、生きる屍たち(ゾンビ)の楽園となるでしょう。 ただし、誤解してほしくないのは、だからといって私は、即刻、普通の生活に戻るべきだなどとは言ってはいないことです。 ただ、出来るだけの感染予防の努力をしながら ―三密の回避・手洗い・うがい・手で顔を触らないこと・高齢者などのコロナ弱者の自粛などなど― なお、最低限の生活の営みを守っていくことはできるだろうと言っているだけです。 果たして、それで人が死んでしまうのなら、それはそれで「仕方がないこと」ではありませんか。 そう言うことは、冷酷でも何でもない。 単に当然の事実を引き受けているだけのことです。 むしろ、その当然の事実を避けて、人々の生活を破壊し続けることの方が何百倍も罪深いのではないでしょうか。 繰り返しますが、私たちは、決して「医療」のために生きているのではない。 たとえ死んでも、「生活の喜び」(生き甲斐)のためにこそ生きているのです。 この「仕方のなさ」から逃げようとするから、「仕方がない」などということはあり得ないと考えるから、つまり、「封じ込め」は可能だというゼロリスク神話に囚われるから、「8割削減」などという「抽象」を、バカの 一つ覚えのように叫びはじめることになるのです(ちなみに、無症状患者が多い新型コロナでは、「8割削減」の前提となっている、クラスター潰しによる感染経路の特定と、それによる封じ込めは間違いなく破綻します)。
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