再度自己紹介…私が福祉業界に進もうとしたかの話です。
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1 はっとり@一応幹事 2010-01-17 22:41:10 [PC]

 30日に皆さんと話そうか?と思ったのですが、喋ると長くなる
性格だし、自分にとって皆さんと話す機会はもう無い?と考え、
だらだらと書いてみました。
 私の社会人デビューは1988年、大学の法学部を出て創業300年の
紙商社でした。理由は、「紙は永遠に使うから」なんてね、
安定志向でした。
 本業は、メーカが流通させた商品の代金回収なんで、既存顧客との
接触度を上げる事が大事でした。そのため、買い手(新聞社・大手
出版社・印刷会社・加工業者等)とより良いコネ構築、要はゴルフ・
酒・マージャンをやって繋ぎ止めればいい商売でした。
まあ、今はメーカの再編や流通も多様化して、コネより価格という
時代ですし、入った会社も合併して現在はありません。

 ところが、その会社の中で配属されたのが、「OA機器部」でした。
正直言うと、本業とは関係ない部署ですし、しかも使っていたのが
当時は独自OSのオフコンなんてのでした。

 しかし1997年頃、パソコンが一般的に出回って来ました。
価格低下によってビジネスが成立しなくなり、服部のスキルも
白紙になりましたし、会社は事業撤退をしました。

 当時はポストバブルの時代で不況だったのですが、コンピュータ業界
だけは2000年問題を前に求人がありました。そこで、縁もゆかりもない
のに好きなだけで「北海道に行って、コンピュータの仕事を極める」と
言って、実行しました。若かったんだ、青かったんだと思います(~_~)

2 はっとり@一応幹事 2010-01-17 22:43:43 [PC]

 もともと、いろんな装置に組み込むソフト専門でやっていたの会社ですが、
社長が「事務系ソフトを開発したい」と言う事で、経験を買われました。
しかし、拓銀破綻やポスト2000年問題、更には同僚が自殺や心の病で退社
なんて事があったり、事務系ソフトはやっぱり金にならない事で、
またもや事業終了で辞めました。

 その後、コンピュータ業界に二つの異変が起きました。ひとつは
「プログラマが足りない」時代から「プログラマが余る時代」に、
もう一つは、コンプライアンスや個人情報保護の視点から、
在籍している会社ではなく、ユーザや請負元に常駐して
「ひと月いくら」という契約で働くようになりましたし、
雇用形態が常勤から、「プロジェクトベースで雇用」とか、
契約やアルバイトといった方向に変わって来ました。

…そもそもここまで読んでいただければわかるように、好きで
コンピュータの世界に入った訳ではありません。いや、ユーザが
見える所で、共に悩んだり理想像を一緒に悩みながら完成形にする事は
好きですが、朝から晩まで部屋に篭りっきり…なんて、好きになれませんでした。
しかし北海道で食ってゆくために、当時は何でもやりました。
学校教師向けインストラクタとか、某官庁出先機関のコンピュータの
ネットワーク化の北海道地区リーダとか、コールセンタのオペレータ…

 そんな私が介護の仕事を始めようと思ったのは、今から7年前かなぁ、
前の会社で一緒だった元会社の奥さんが離婚して、私の掲示板に
助けを求めて来た事、それから始まった一連の事が始まりでした。
上手く纏められないんですが…。
 彼女は旦那と友達でしたが、夫婦としては寝ても覚めてもコンピュータ
の事しか考えない旦那、しかも彼の会社が傾いていく中で、お互いに
ずれが生じて彼女が心の病を患い離婚…の中で、私に助けを求めてきました。
しかし連れ出せば酒に病的に溺れ、けろっとしたら反抗する…
理解しようとしたけど、できないまま別れました。
 そんな人生の失敗から、いずれはカウンセリングや
ソーシャルワーカー的な仕事をしたいな、と思ったのがきっかけです。

3 はっとり@一応幹事 2010-01-17 22:44:55 [PC]

 東京にいた時より、北海道では色々な経験をして、付きあいの幅は
広かったです。コMスンのケアマネとか、看護士とか…。
 ただその人達は「天使」でも、常に優しくもない、普通の人です。
私も性格は悪いし、寂しがりやでコミュニケーション下手で、
不器用で人見知りです。まあ、「ナントカもおだてりゃ木に登る」
タイプですけど(笑)
 就職の事を考えると、「大丈夫なんだろうか、いや大丈夫だろう」と
自問自答している今日この頃です。

 ちなみに北海道から東京に帰ってきたのは、ずっと契約や派遣社員が続いたので、
「ちゃんとしなくては」と思ったからです。「彼女」の件が
なければ、5年前に戻って今は全く関係ない仕事に就いていた…
かも知れません。それでも、過去をどんなに悔やんでも
未来を直す事はできないでしょう。まあ、恋愛は人生の中で
もう一回やるエネルギーはないでしょうね(苦笑)

 「福祉の仕事に入ろう」と思ったのは去年秋口頃かなぁ?
最初は「タウンワーク」を見て、訪問介護の事業所や、グループホーム
に応募しました。けど、自分の過去の振り返りや将来ビジョンが
曖昧だと、選考までは行かないんですよね。
 人生の棚卸し、それから未来への展望をやり直しながら
ハローワークや東京都社会福祉協議会辺りが主催する面接会に
行き、事業所や施設見学をする中で、今回お世話になる施設とご縁が
ありました。特に「私達には、中途採用職員を一人前にするシステムがある」
と言われた事が、決定打になったと思います。

4 はっとり@一応幹事 2010-01-17 22:48:00 [PC]

 施設介護で未経験、ヘルパー2級の場合、給料は大差ないと思います。
但し「ボーナス」と「退職金」、「正職員」にはこだわりましたが、
結局介護の給料は介護保険ベースですし、介護付有料だって
そんなに変わらない(年俸制、退職金なしと言う施設がありましたが)、
でも43歳で正職員と言うのは、今は他産業では無理でしょう。
但し、「介護でもやってみようか」「介護しか仕事が無い」という
甘い期待だけで見ると、現実の給料や仕事内容で幻滅しますよ(^_^.)
 将来は「現場のプロ」より実務を知った上で
マネージメントする側になりたいと思っています。但し、
管理者が現実を知らないで勝手に動いたりすると、実務サイドから
クレームがつくのは明らかです。50までにラインから卒業して、
資格や経験で認められる〜そうなりたいと考えてます。
福祉の仕事は多岐に亘りますし、できれば知的や精神障がいと
立ち向かいたい、そのためにはいずれカウンセラーやケース
ワーカーになりたいと考えています。

 なりたい自分って一人一人違うし、押し付けません。
皆さんと違う道でしょうし、家族介護や訪問介護、介護事務、
断念する人…でも、正直皆さんとお会いできて良かったし、
一人だけでは「もう一回会いたい」ってこれだけの方が考えないと
思います。素直な気持ち、それは参加される方だけではなく、
メールを通してお話した方からも感じました。
服部は単にまとめただけです。今回は皆さんと楽しみたいですけど、
次回はできませんから(断言)

5 はっとり@一応幹事 2010-01-17 22:49:41 [PC]

 教科書にもありましたが、介護には「燃え尽き症候群」って
あります。どんなに「やり甲斐がある」と思っても認められない
もどかしさ、理想像ばかり求めて、結局「遣り甲斐が違う」というのは
避けたいし、その半面常識からかけ離れた事をやりたくないですね。

 今度入る施設には、システムやマニュアルがあるのは確かです。
 しかし、一番大事なのは働く人間だし、チームワークや上下関係が
ちゃんとしなければならないと思います。
少なくとも理想は追いません。
 ちなみに、オフには適当に本を読んで旅する事が好きです。
現実逃避と言われようと、リセットする手段は常に持っていたいと
思っています。

 そして、何よりも大事なのは「縁」ですよね。人生の中で、いつ
どこで再会するかわからないですから、それだけは大事にしていたいと思います。
年齢や性別、結婚されているか…そんな事で縛ったら幅を狭めるだけですし、
仕事でもそうだけど、「引き出しを多く持っていた方が勝ち」だと思います。(完)

6 takesue 2010-01-18 01:08:04 [PC]

hattori-san! ブラボー!
「縁!」 皆様が性別、年代、職業、人種を問わず、2009年、年末集中classで同じ時間を共有した仲間! 其々の目的は違うと思いますが、介護と言う共通の学び。同級生だと思います  
皆、人生それぞれに乗り越えられる試練を背負い!と、思います。十人十色! 苦労はかってでもしなさい!の言葉通り、苦労は知恵となり力となり、楽は怠ける事では無く、楽しむ事。苦労の中からの楽しさ有。 
短い時間ながら、同じ場所で、同じ時間を共有した仲間の親睦会。 何しろ、30日の最終日は実習の予定を組む事で、「さようなら!お世話になりました!」を交わす時間も無く(初めまして!の始まりはありましたが)でしたから。
皆さんの参加!待っていまーす!
hattori-san!の今後の飛躍に

7 はっとり@一応幹事 2010-01-22 23:59:17 [PC]

takesueさん、ありがとうございます。半数以上の方が参加されると言うのは、凄い事だと思います。
いろいろ調整したい事はありますが、まずは今回楽しんでやりましょう


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