労働組合
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1 manolo 2013-11-03 23:53:53 [画像] [PC]
出典『よくわかる産業社会学』、上村千恵子編著、ミネルヴァ書房(VII-1.「労働組合とは何か」)pp.100-101
1-1. 1. 労働組合の役割
日本の労働組合法によれば、労働組合(labor union)とは「*労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体」と定義される(労働組合法第二条)。労働組合とは、市場において使用者と対峙する際に弱い立場におかれやすい労働者が、市場メカニズムの一方的な犠牲にならないよう、自らの交渉力を強化するために組織する団体だといえる。(p.100)
*この定義は、イギリスの社会問題研究家であるウェッブ夫妻の考え方を反映したものとなっている。ウェッブ夫妻は、「労働組合とは、賃金労働者が、その労働生活の諸条件を維持または改善するための恒常的な団体である」という見解を示している(ウェッブ、S.・ウェッブ、B.、荒畑寒村監訳、1973、『労働組合運動の歴史』日本労働協会、p.4)。
2 manolo 2013-11-03 23:55:36 [PC]
1-2.
もっとも、歴史的にみると、当初からこのように労働組合の存在が認められてきたわけではない。資本主義社会の初期においては、取引の自由、営業の自由、労働の自由といった個人的自由が法的原則として重視されており、それらの自由を制約しかねない労働組合の結成やその活動を禁圧する政策がとられていたのである。これに対し、労働組合の政治的勢力が増大し、かつ労働組合の意義についての社会の認識が改まると、労働組合は法的に認められるとともに、その結成や活動に対してさまざまな保護や助成を受けられるようになった。(p.100)
1-3.
日本でも、戦前においては労働組合の結成や活動や多くの制約を受けていた。これに対し、1945年に制定された労働組合法(1949年改正)は、その目的として、「労働者がその労働条件について交渉するために自ら代表者を選出することその他の団体交渉を行うために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること並びに使用者と労働者との関係を規制する労働協約を締結するための団体交渉をすること及びその手続きを助成すること」を掲げている(労働組合法第一条)。これにより、労働組合は、単に法的に存在が認められたのみならず、その結成や活動に対して一定の保護や助成を受けられるようになった。(p.100)
1-4. 2. 労働組合の条件
ただし、労働者が結成するすべての団体が労働組合として認められ、保護や助成を受けられるわけではない。労働組合法では、第二条但書において、次のような団体は労働組合として認められないと規定している。(p.100)
1-5.
第一は、「使用者の利益を代表する者の参加を許すもの」である。労働組合は、労働者の利益を守るのが原則だからである。第二は、「経費の支出につき使用者の経理上の援助を受けるもの」である。労働組合は、使用者から独立した存在でなければないからである。第三は、「共済事業その他福利事業のみを目的とするもの」、第四は、「主として政治運動又は社会運動を目的とするもの」である。労働組合は、労働協約の締結を通じて労働条件の維持改善を図るのが原則だからである。(pp.100-101)
3 manolo 2013-11-03 23:57:07 [PC]
1-6. 3. 労働組合の形態
労働組合は、組織する組合員の範囲や資格によって、いくつかの形態に分けることができる。まず、労働組合の歴史のなかで最も古いのが、職業別組合(*craft union)である。職業別組合とは、一定の職業につく訓練を受けた労働者が、産業や企業を問わず職業の共通性を基礎として結成する労働組合である。17世紀末から18世紀はじめのイギリスにおいて、羊毛職工、植字工、仕立職人、船大工などの多くの熟練職業の労働者が、初期の労働組合を結成した。これら職業別組合の特徴としては、それぞれの職業の労働者の利益を守るために、訓練課程や資格を統制するとともに、一定の賃金水準を設定してそれを下回る賃金で働くことを禁止するなど、独占的、排他的性格を持ちやすいことがあげられる。(p.101)
*「職能別組合」ともいう。
1-7.
やがて、資本主義が高度化し、鉄鋼産業、造船産業、機械産業、自動車産業などにおいて機械化された大量生産が発達してくると、同一産業における労働条件や作業環境の共通性を基礎として、多くの半熟練・不熟練労働者を組織する産業別組合(industrial union)が出現した。これらの産業別組合の特徴としては、アメリカのCIO(Congress of Industrial Organizations)の運動に代表されるように、使用者調の弾圧に抗して激しい闘争を通じて結成され、社会主義や共産主義などのイデオロギーと結びつきやすい側面があったことがあげられる。
1-8.
欧米諸国においては職業別組合、産業別組合が主流であるのに対し、日本において特徴的にみられ、また日本の労働組合の代表的な形態となっているのが、特定の企業または事業所で働く労働者(しばし正規労働者に限定される)を組織する企業別組合(enterprise union)である。たとえば、トヨタ自動車株式会社のトヨタ自動車労働組合、株式会社日立製作所の日立製作所労働組合というように、組合名に企業名を冠しているのが一般的である。(p.101)
1-9.
これに対し、さまざまな職業、産業、企業の労働者、特に不熟練労働者を幅広く組織するのが、一般組合(general union)である。その代表としては、イギリスの運輸一般労働組合、一般・都市労働組合、商業・配給関連労働組合などがあげられる。日本においても、企業別組合に組織されにくい中小企業の労働者や個人労働者が、主として地域別の一般組合に組織されている。(p.101)
4 manolo 2013-11-05 00:27:35 [PC]
出典『よくわかる産業社会学』、上村千恵子編著、ミネルヴァ書房、(VII-2.「企業別組合」)pp.102-103
2-1. 1. 企業別組合と日本型雇用システム
欧米とは異なり、日本では、特定の企業または事業所で働く労働者を組織する企業別組合がもっとも代表的な労働組合の形態となっており、組合員の約9割がこの形態の労働組合に属しているとされる。そして、企業別組合は、しばし海外の研究者によって、*終身雇用、年功序列と並ぶ日本型雇用システムの本質的特徴のひとつとして取り上げられてきた。具体的には、従業員の一体感を高めることによって、企業コミュニティ形成の基盤となっているといわれる。(p.102)
*そのような海外の研究の代表としてアベグレン、J.、占部都美監訳1958、『日本の経営』ダイヤモンド社:OECD、労働省訳、1972、『OECD対日労働報告書』日本労働協会などがあげられる。また、OECD上掲書の「序」において、当時の労働事務次官・松永正男は、生涯雇用、年功序列、企業別労働組合が「三種の神器」として日本の経済成長に貢献したと述べている。(p.102)
2-2. 2. 企業別組合の特徴
企業別組合という形態をとることには、労働者にとってプラスの側面とマイナスの側面とがある。プラスの側面としては、以下の事柄があげられる。第一に、労働者を組織化しやすく、組合運営が財政面でも安定しやすいということである。企業別組合の多くは、職場において労働者が必ず組合員に加入しなければならないという、ユニオン・ショップ制度をとっている。この制度により、労働組合は新規採用者を自動的に組織化することできる。また、企業別組合の場合、組合員が同一企業の労働者であるために、*組合費が徴収しやすく、組合運営が財政面で安定したものになりやすい。(p102)
*多くの大企業では、給与支給の際、組合員の賃金から組合費を天引きし、労働組合に一括して渡す、チェック・オフ制度をとっている。(p.102)
5 manolo 2013-11-05 00:32:01 [PC]
2-3.
第二に、*ブルーカラー労働者とホワイトカラー労働者が一体となって組合活動に携われることである。欧米の職業別組合、産業別組合の多くは、ブルーカラー労働者を中心に結成されているため、産業化の進展によってホワイトカラー労働者が増加するなかで、彼らの組織化に苦労している。これに対し、日本の企業別組合においては、ホワイトカラーの組織化が容易であるのみならず、彼らの知識や能力を組合活動の資源として活用することができる。(p. 102)
*このような労働組合を工職混合組合と呼ぶ。
2-4.
第三に、最も重要なこととして、企業の内部、すなわち生産活動が行われる職場に組合の組織があることによって、職場の実状に即した組合活動を行いうること、さらには、経営の実情を踏まえた現実的な組合活動を展開しやすいことがあげられる。組合員が現実にどのような不満や要望を抱いているのかを把握し、それらを組合の政策として使用者に伝えていくことが、組合活動の基本である。そのような点において、企業別組合は、組合員の利益に適った行動をとるのにふさわしい形態だということができる。(pp.102-103)
2-5.
他方、マイナスの側面としては、以下の事柄があげられる。第一に、労働者が企業別組合の枠をこえて連帯するのが難しいということである。当然のことながら、企業別組合の組合員となれるのは、当然企業の労働者に限られる。それゆえ、給与や手当が当該企業の経営状態や使用者の方針に左右される傾向があり、労働条件を社会的に標準化することが難しい。(p.103)
2-6.
第二に、労働組合と使用者が癒着しやすいということである。企業別組合において、組合員の雇用を安定させ、労働条件を向上させるためには、当該企業の事業が安定し、成長していかなければならない。それゆえ、使用者の利益と組合員の利益が一致する部分が多く、結果として、*組合員の利益が使用者の従属させられるということがしばしば起こりうる。(p.103)
*このように、使用者が実権を握っている労働組合のことを、御用組合(yellow union)と呼ぶ。
6 manolo 2013-11-05 00:34:43 [PC]
2-7.
第三に、日本企業別組合の多くは正規労働者のみの組合であり、パートタイマーなど非正規労働者の組織化が遅れているということである。もっとも、近年では非正規労働者を組織化する労働組合も増加しつつあるが、現状としては、労使関係において非正規労働者の意見が十分に反映されているとは言い難い。(p.103)
2-8. 3. 産業別組合との連携
企業別組合のもとでは、労働者が企業の枠を超えて連帯することは難しいと述べた。しかし、1955年以降の賃金交渉において、最終決定こそ各企業の労使交渉に委ねられるものの、あらかじめ産業別組合(正確には、企業別組合の連合体)が賃上げ要求を提示し、企業別組合がそれに従って行動するという独特の慣行が生まれた。これを春闘(春季生活闘争)という。(p.103)
2-9.
春闘は、毎年2月頃から始まる。まず、自動車、電機、鉄鋼といった製造業の産業別組合が、産業別の賃上げ要求を提示する。次に、それらの産業別組合に加盟する大手製造業の企業別組合が、産業別組合の指導の下で交渉を行い、できる限り同一産業内で足並みの揃った賃上げ水準を引き出す。そして、そこで形成された賃上げ相場が、非製造や中小企業の賃上げに波及するというかたちをとる。(p.103)
2-10.
なお、1990年のバブル崩壊後においては、同一産業内でいわゆる「勝ち組」企業と「負け組」企業が明確化したため、最終的な賃上げ水準がばらつくようになった。また、成果主義賃金の導入により、春闘における賃上げ率が個々の労働者の所得向上に結びつかなくなってきており、従来の意味での春闘の役割は希薄化しつつある。しかし他方で、春闘は、雇用維持や労働時間の短縮など、賃上げ以外の問題について労使が話し合う場という新しい役割を担いつつある。(p.103)
7 manolo 2013-11-26 21:06:57 [PC]
出典『よくわかる産業社会学』、上村千恵子編著、ミネルヴァ書房(VII-3.「労使の対立」)pp.104-105
3-1. 【1. 労使関係とは何か】
労働者と使用者(経営者)との間に形成される関係を、*労使関係(industrial relations)という。労使関係のあり方は、労働組合の活動方針や経営方針次第で多様な形態をとりうるが、いかなる形態のものであれ、その根底に構造的な利害対立がある点では共通している。以下、戦前および戦後においてその利害対立がどのようなかたちで立ち現われてきたかを、事例に即してみていく。(p.104)
*これに対し、労働者と資本家の階級的対立関係を表現するときには、労資関係という用語を用いる。(p.104)
3-2. 【2. 戦前の労働問題】
戦前の日本では、労働組合の結成や活動は多くの制約を受けていた。そのため、労働者は、団結して異議を申し立てる機会も与えられないまま、過酷な環境もとで低賃金を強いられてきた。ここでは代表的な2冊を取り上げる。
3-3.
ひとつは1899年(昭和32年)に上梓された横山源之助『日本の下層社会』である。同署によれば、当時の紡績工場においては、地方の農村から集められた義務教育未了の10歳未満の少女たちが、30畳から40畳に40人から50人が押し込められる狭い寄宿舎で寝泊まりしながら、防火装置も整わない灼熱の工場で昼夜二交代勤務に従事していたという。しかも、労働者の福利を顧みない経営者により会社は中国市場で多額の利益を収めながら、労働者の手元に渡る賃金はわずかで、貯金すらままならなかった。
3-4.
いまひとつは、第一次大戦後の1925年(大正14年)に上梓された細井和喜蔵『女工哀史』である。同書には、当時の紡績工場における、仕事上の些細なミスに対する残酷な身体的懲罰、不良品の発生に対する理不尽な罰金制度の存在が克明に配されている。また、工場の衛生状態も悪く、女性の死亡率は1000人中の23人と、当時の一般女性の3倍に上っていたという。(p,104)
8 manolo 2013-11-26 21:08:15 [PC]
3-5. 【3. 戦後の労働争議】
戦後、1945年の労働組合法の制定法により労働組合の形成が法認されると、全国各地で激しい労働争議が巻き起こった。ここでは、当時、世間で大きな注目を集めたふたつの争議を取り上げる。(p.104)
3-6.
ひとつは、近江絹糸争議である。近江絹糸は、戦後に急成長を遂げた後発の繊維メーカーであり、その躍進ぶりには目を見張るものがあったが、その背景には労働法や労働者の人権を無視した前近代的経営があった。具体的には、「フクロウ労働」と呼ばれる専門深夜番制度、労働者を交互に競わせる仕掛け、勤続を重ねても昇給しない賃金制度が敷かれるとともに、仏教の強制、信書の開封、私物検査、外出制限といった人権侵害が横行していた。そこで、これに反発した労働者は、1954年、全繊同盟の指導のもと近江絹糸労働組合を結成し、22項目の要求を使用者側に提出した。しかし、使用者側がこれを拒んだため、組合側はストライキに入った。結局、中央労働委員会の3度目の斡旋によって組合の勝利のもとで事態は終結したが、争議の過程で組合側に自殺者が出るなど、その代償は決して小さなものではなかった。(pp.104-105)
3-7.
いまひとつは、1959年から1960年にかけて、三井三池炭鉱で行われた三井三池争議である。1958年以降、石炭業界は厳しい不況に見舞われ、三井三池炭鉱においても、希望退職などによる人員削減が提示された。しかし、希望退職者が不足したため、1959年12月、使用者側が戦闘的な組合活動員を含む1200名を指名解雇、これに反発した組合側がストライキに入るかたちで争議が始まった。争議は、財界が使用者側を、総評が組合側を支援する「総資本対総労働」の対決と位置づけられたこともあり、長期化した。最終的には、組合側が世論の支持を得られなかったこともあり、使用者側による指名解雇を認める形で決着したが、長期化の混乱のなかで幾度の暴力事件が発生し、少なからぬ死傷者を出すなど、大きな犠牲を伴う争議となった。(p.105)
9 manolo 2013-11-26 21:09:30 [PC]
3-8. 【4. 職場共同体と仕事の規則】
高度成長期が終わる頃には、犠牲者を伴う激しい労働争議はほとんどみられなくなった。しかし、労使の対立的な関係自体がなくなったわけではない。そのような関係が象徴的に見られるものとして、1975年から1977年にかけて調査が行われた国鉄動力車労働組合(動労)の事例を取り上げる。(p.105)
3-9.
当時の動労は、団体交渉においてストライキを辞さない強硬な態度を示すことで知られていたが、そのような態度を生み出していたのが、労働者の強い結束である。そして、その結束を支えていたのが、職場共同体による仕事の規制を通じた労働者同士の競争の回避、平等の保障であった。具体的には、労働協約に基づき乗務距離・時間に厳しい制限を設け、過重労働の回避、業務負担の平準化を図るとともに、昇給や昇格において年齢・勤続に基づく先任順位の準用の適用を要求し、業績主義的競争の回避を図っていた。(p.105)
3-10.
現在では、当時の勤労のような労働組合は少ないが、この事例は、職場共同体による仕事の規制が、労働者の強い結束をもたらし、団体交渉において強硬な態度を生み出す基盤となりうることを物語っている。(p.105)
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