多文化主義
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1 manolo 2014-01-13 01:18:34 [画像] [PC]

出典:『よくわかる法哲学・法思想』、深田三徳・濱真一郎編著、ミネルヴァ書房、5/20/2007、「第2部 III-16 多文化主義の問題」、濱真一郎、pp.124-125

1-1. 【1. 多文化主義と文化の「共存」】
 近代社会には、−国内には一つの国民のみが存在するという「国民国家」の理念が存在してきた。しかしながら、実際には、多くの国家には複数の先住民族や移民が生活している。彼ら/彼女たちは、以前は多数派と同じ権利を要求していたが、現在ではむしろ、多数派と異なる自分たちの伝統文化を保持する権利を主張している。こういった、マイノリティとしての先住民や移民の権利を尊重する動向は、多文化主義と呼ばれている。多文化主義とは、一つの社会の内部において複数の文化の「共存」を是とし、文化の共存がもたらすプラスの面を積極的に評価しようとする主張ないし運動を指す。(p.124)

12 manolo 2014-05-04 00:05:36 [PC]

2-16.
 第2に、多文化的要求は私的領域の不可侵を同時に主張しやすい。ところが私的領域には様々な問題がある。例えば、多文化主義の下でエスニックな文化が擁護されると同時に、その中の女性差別や子どもの権利軽視など家父長制的な要素は温存されることがある。このように*多文化主義が反リベラルな文化を擁護せざるを得ないかどうかは、大きな争点となっている(Kymlicka 1995=1998: 226-58; 盛山 2006: 268-74)。(pp.74-75)

*キムリッカはこの争点に関して、「対外的防衛」と「対内的制約」という概念を提出している。対外的防御とは、マイノリティ集団とマジョリティ集団との平等を達成するため、マイノリティ集団を外部の決定から守ることである。対内的制約とは、マイノリティ集団が内部のコンフリクトで不安定にならないようにすることである(Kymlicka 1995=1998: 50-63; 盛山 2006: 265-6)。(p.75)

2-17
 第3に、ホスト社会内のすべての文化の多文化的要求に応えることは容易ではない。例えば、多言語教育に振り割ることのできるカリキュラム上の時間、教員数、資金は限られている。このとき多文化的要求を認める文化をいくつかに限定しなければならない。ウィル・キムリッカはこの問題に対して、「*社会構成的文化」だけに限定すればよいと考えている(Kymlicka 1995=1998: 111-60)。しかし、社会構成的文化の選定基準自体は極めて曖昧であり、どの要求を認めどの要求を認めないかを決めることは難しい。(p.75)

*社会構成的文化(societal culture)
公的、私的領域を含む人間の活動のすべてにわたって、有意味な生き方を人々に与える文化のこと(Kymlicka 1995=1998: 113)。(p.75)

13 manolo 2014-05-04 00:06:50 [PC]

2-18.
 第4に、多文化主義にはパラドクスがある。マイノリティの文化・言語が維持・発展するほど、さらなる援助が得られることから、マイノリティは自らの文化・言語をことさらに強調し、文化的独自性を絶対視する原理主義的主張を発展させかねない。すると今度は、自らの文化が脅威にさらされているとマジョリティが感じる。多文化教育などはマイノリティの利益になるだけで、社会的コストにすぎない。マジョリティ文化だって文化のひとつだから多文化主義の下で保護されるべきだと。こうしてナショナル・アイデンティテイが動揺し、「*人種なき人種主義」に基づいた、極右政党の台頭、差別、人種間分離、失業の生起を促してしまう。社会統合のための多文化主義が社会的分裂を引き起こしてしまうのだ。これが「多文化主義のパラドクス」である(Bolaffi 2003: 184; 関根 2005: 334-8)。このパラドクスに直面して、劣位にあるマイノリティを社会に統合するための福祉主義的多文化主義の政策は削除される。代わって、移民政策をくぐり抜けた経済的に有用な高技能労働者のみに対して、その労働者たちの自助努力に基づく限りでの多文化を許容する経済合理主義的多文化主義が台頭する(関根 2005: 338-41)。(p.75)

*人種なき人種主義
人種やエスニシティの優劣に基づく伝統的な人種主義ではなく、文化間の両立不可能性や文化間境界の消滅への不安に基づいて主張される人種主義のこと。(p.75)

2-19.
 第5に、上記の問題の背後には文化に関する本質主義と反−本質主義の緊張関係が存在する。文化本質主義によれば、各エスニック集団は確定した文化をひとつだけ持ち、その文化は不変で、そこから抜け出すことは困難で、集団外の人々には身につけられない(馬渕 2002; 関根 2000: 200-2)。本質主義は文化的差異の絶対視につながり社会的分裂の原因となる。しかし反−本質主義の下では逆に文化による集団の一体性がなくなり、多文化主義は力を失う。ネオリベラリズムの下でエスニック集団は個人化し、人々をナショナリスムに駆り立ててしまう(塩原 2005)。したがって、多文化主義は本質主義と反−本質主義の微妙なバランスの上に成立可能なのである。(p.75)

2-20.
 多文化社会実現への道は険しい。しかしグローバル化時代にいるわれわれには、同化主義へと後戻りする選択肢は残されてはいないのである。(p.75)

14 manolo 2014-05-04 00:08:44 [PC]

『よくわかる国際社会学』、樽本英樹著、ミネルヴァ書房、7/5/2009、(コラム2「様々な多文化社会」)、pp.76-77

3-1. 【世界は多文化社会でいっぱい?】
 世界各地はかなりの数の外国人・移民人口を抱えており、その割合は徐々に大きくなってきている。(中略)より細かく見ると都市住民のさらに多くの割合を外国人・移民が占めていることがわかる。例えば、ロンドンの行政区の中には外国人・移民人口が半分を超えているところもある。すなわち、人口構成だけを見ると世界は多文化社会でいっぱいである。しかしふつう多文化社会と言われる社会は、人口構成上、移民・外国人がいるだけではない。その社会に移民・外国人の文化を許容するような政策や法体系があって初めて多文化社会と言われることが多いのである。(p.76)

3-2. 【多文化社会の国ごとの違い】
 多文化社会と一言で言っても、国ごとに様々な違いがある。例えば最も多文化主義が進んでいるとされるカナダ、オーストラリア、スウェーデンに関してでさえ、進展の仕方や背景は異なる。(p.76)

3-3.
 カナダは、イギリス系移民とフランス系移民が先住民族の土地に入植することでできあがった国である。したがってまずは英仏二大集団の融和をいかに図るかが課題となり、多文化社会となる基礎が築かれた。特にフランス系住民がマジョリティを占めるケベック州にどれだけの権限を与えるべきかが焦点となった。そして1960年代終わりからアジア系が新規移民として流入したことで多文化法が制定され、英仏以外の集団にも多文化主義の枠組みが広げられていった。後に先住民族もこの多文化主義の枠組みに組み入れられていったのである。(p.76)

15 manolo 2014-05-04 00:10:55 [PC]

3-4.
 オーストラリアは、イギリス系移民の入植で始まった国であるため、イギリス系住民が圧倒的多数であり、「白人の国オーストラリア」の形成と維持を目指す「白豪主義」を採用した。この過程で先住民族は白人系文化への同化を迫られていった。しかし、イギリス系移民が減少し、さらに他のヨーロッパ系移民も減少する中で、1960年代終わり頃から徐々にアジア系など非白人系移民を受け入れざるをえなくなった。白豪主義は放棄せざるをえなくなり、多文化主義的な政策がとられるようになった。この過程で白人系への同化政策が迫られていた先住民族も自らの文化を認められるようになった。ただしオーストラリアは、多文化主義を法制度上公式に認めたわけではない。(pp.76-77)

3-5.
 スウェーデンは、前二者のような移民国ではない。スウェーデン人という単一の集団と少数の北方民族で構成された非移民国であった。しかし2回にわたる世界大戦と冷戦下における東西対立の経験をふまえて、人権擁護の見地から多くの難民を受け入れた。また、1954年北欧共通労働市場の形成により国内に隣国のフィンランド人が多数同居することになった。その結果、外国人住民に対しても国政選挙を含む政治的権利を与えるといった外国人に対する寛容な政策がはぐくまれた。さらに、文化的権利を認め多文化主義を採用していくことになった(Inglis 1996: 41-59)。(p.77)

3-6.
 以上のような典型例だけが多文化社会なのではない。外国人・移民の同化を望ましい表明している社会も、多文化的な側面を持つことがある。つまり、表向きは多文化社会を否定しているにもかかわらず、事実上多文化主義的な施策を容認しているということがよくある。例えば移民個人個人が社会と文化へと同化すべきだと強く主張しているフランスにおいてでさえも、移民が独自の文化を守ることを「相違への権利」(le droit a la difference)という名で定式化し、擁護しようという動きがでてきているのである。(p.77)

16 manolo 2014-05-04 00:11:50 [PC]

3-7. 【多文化社会をめぐる社会の類型?】
 III-3では、多文化社会の本質を示すために、同化社会、南部アメリカ型社会、多元社会とは異なる社会として、多文化社会を提示した。しかし、多文化社会をめぐる社会類型には他にもいろいろなものがある。社会のメンバーである国民や市民を規定する市民権付与の仕方で分けるやり方もよく使われる。例えば社会を、帝国モデル、エスニックモデル、共和制モデル、多文化モデルに分けるのである。(p.77)

3-8.
 エスニックモデルは、血統や文化で規定されるエスニシティを共有している者を市民と規定する。共和制モデルは憲法・法律を尊重し、それらに基づく政治共同体のメンバーを市民とし、当該社会のマジョリティ文化の受け入れを要請する。多文化モデルは、共和制モデルと同じく政治共同体のメンバーを国民としつつ、文化的差異や社会内でのエスニック・コミュニティ形成を許容する社会モデルである(Castle and Miller 1993 = 1996: 42-3)。(p.77)

3-9. 【多文化社会をまとめる文化】
 どのような類型で多文化社会を捉えようとも、「多文化社会を許容すると社会の統一が乱れる」という批判にさらわれてしまう。そこで多文化を許容しかつ社会の統一を達成できるような包括的な文化をつくり出すことは可能なのだろうか。もしそのような包括的文化が可能だとすれ、個々の文化よりも抽象的なものとなるであろう。しかし往々にして包括的文化と見えるものは、ホスト社会の文化的要素から成立している。例えば、イギリスやオーストラリアにおける英語とか。西欧諸国やアメリカ合衆国に見られるキリスト教のように、個々の文化を担っているマイノリティから見ると、そのような包括的文化でさえ、具体的・個別的で自らの文化と相容れない敵対的なものに見えかねない。イスラム教徒から見た西欧的価値がその典型例である。そこで、多文化社会をまとめる文化はどのようなものでありうるのか、この問題が現在問われ続けているのである。(p.77)


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