本質主義(Essentialism)
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1 manolo 2015-01-16 08:13:11 [画像] [PC]
出典 :『よくわかる文化人類学(第2版)』、綾部恒雄・桑山敬巳編、ミネルヴァ書房、2/25/2010、「X-3. 本質主義と構築主義」、綾部真雄、pp.96-97
1-1. 【1. 本質主義と構造主義とは】
本質主義とは、特定の集団や事柄には、簡単には変わらない根本的な性質(本質)があると考える立場のことを指します。構築主義はその正反対で、一般に「本質」と考えられているものが、実は社会的に“創られたもの”、つまり構築されたものに過ぎないとする立場です。たとえばあなたが、煮干しのダシがきいたおいしい味噌汁に感謝し、「この味はやっぱり日本人にしかわからない」と言ったとします。このとき仮に、「ダシの味がわかること」と「日本人であること」の関係を信じているとしたら、あなたは「本質主義者」のレッテルがはられるかもしれません。一方で、「そのような好みは環境によってできあがるもので、日本人であることは関係ない」と主張するなら、あなたは「構築主義者」と呼ばれるというわけです。その対象は「女性」でも、「老人」でも「体育会運動部出身」でもかまいません。一般に、世間ではそのようなカテゴリーに属す人々に対して型にはまったイメージを持つ傾向があります。女性なら「優しい」、老人なら「頑固」といったかたちです。こうしたイメージはしばしば本質主義的であるとされ、構築主義サイドから強く批判されてきました。(p.96)
2 manolo 2015-01-16 08:14:52 [PC]
1-2.
本質主義的な主張の背後には、時折ちらちらと*生物学的(遺伝子)決定論が見え隠れします。たとえば、女性は子供を産み母乳を与えるように身体の仕組みができているからこそ本能的に母性を持ち、だからこそ周囲に対しても優しいのだとするような主張がそうです。しかし、それだけだと「女性がみな優しいわけではない」という反論をすぐ受けてしまいます。そこで、本質主義サイドにはそのような批判をかわすための論理もみられます。そのひとつが「継続性」つまり、ある人々にまつわる特質を本質的だと言えるのは、それが今に始まったことではなく昔からずっと続いてきたものであるからだという論理です。もうひとつが「共有性」、つまり、そうした特質は、全員とまではいかずとも大部分の人々に共有されているからこそ、本質的なものだと考えられるとする論理です。(p.96)
*生物学的(遺伝子)決定論
先天的に定められた資質、あるいは遺伝子が人間の思考や行動を根本的な部分で左右しているという考え方。社会生物学、行動生態学、進化心理学などが論証を進めようとしているが、その妥当性をめぐっては激しい議論が繰り広げられてきた。近年、文化人類学的な立場との折衷的な研究も進んでいる。(p.96)
1-3. 【2. 民族論における本質主義と構築主義】
本質主義と構築主義というふたつの立場は、「民族」をめぐってこれまで激しいせめぎ合いを続けてきました。なぜなら、人々が民族に自己の全存在をかけ、時には命までも落とすことがあるのは、それが他のものと取って代わることのできない“本質的な”ものであるからなのか、あるいはただ単に、“創られた(構築された)”幻想につき動かされているからなのかを見極めることは、今日の世界を理解する上で重要なポイントとなるからです。なお、本質主義を「原初主義」、構築主義を道具主義と呼ぶこともあります。(pp.96-97)
3 manolo 2015-01-16 08:16:10 [PC]
1-4.
本質主義の代表格がシルズ(Shills, E.)やギアツ(Geertz, C.)です。たとえば、ギアツは民族を血のつながりの拡大としてとらえ、言語、宗教、領土などが人々をつなげる基本的要素だと考えます。そして新興のネイション(国民/国家)が統合を欠き絶えず紛争を抱えているのは、ネイションという人為的に作られた枠組みが、原初的絆をもつ複数の民族を併存させないからだと主張します。日本の「大和民族」のように、多くの場合、ネイションはある特定の民族を中心に形成されるので、ネイション全体がその民族の性格を帯びてしまいます。その結果、同じ国内の多民族はなかなか同化できないというわけです。(p.97)
1-5.
一方、グレイザー(Glazer, N.)とモイニハン(Moynihan, P.)コーエン(Cohen, R.)などに代表される構築主義者(道具主義者)は、民族を、ネイションという枠組みの中で人々が孤独を感じずに生きるためだけでなく、それに基づいて様々な権利を主張し資源を獲得するための「手段」として捉える視点を打ち出しました。民族を緩やかなつながりを持ったなんらかの「会」、その一員であることを「会員権」になぞらえ、人々が利害をめぐって複数の「会」の間で入会と脱会を繰り返している様子を想像すると分かりやすいでしょう。(p.97)
1-6. 【戦略的本質主義】
現在、人類学者の多くは構築主義的な立場をとっていますが、世界各地の少数民族や先住民が関わる権利闘争の現場では、「民族の土地」、「真正な文化」、「〇〇の血」といった本質主義的な表現が人々のアイデンティティをつなぎとめる政治的な力を発揮することもあります。その否定は、マイノリティの代弁者を自負してきた人類学者の存在意義を大きく揺るがしかねません。そこで、社会的な弱者が正当な権利を獲得するために用いる本質主義的な表現や運動に限って、それを「戦略的本質主義」と呼んで認める傾向もあります。(p.97)
4 manolo 2015-01-16 08:17:03 [PC]
1-7.
そもそも本質主義と構築主義とは表裏一体の関係にあり、お互いに相容れないものではありません。なぜなら民族は、なんの実体もないところに唐突に立ち現われることもなければ、他の集団と混ざったり外部の影響を受けたりせずに、長きにわたって純粋性を保ち続けることもないからです。したがって、本来は民族の持つ本質性と構築性との“関係”こそが問われるべきなのです。ともあれ、2つの立場の違いをうまく乗り越えることが、今日の人類学にとって重要な課題の一つであることは間違いないでしょう。(p.97)
*折衷的な視点を持つモリス(Morris, B.)は、人間をケーキにたとえ、ケーキを焼くのに必要なレシピ、材料、オーブン、焼き手はそれぞれ人間のDNA、身体、環境、意志に相当すると言う。すなわち、人間はDNDや身体(本質的なもの)のみでも、環境や意志(構築的なもの)のみでも“焼きあがらず”両者が揃ってはじめて存在しうることを伝えようとしている。(p.97)
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