犯罪論
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1 manolo 2013-10-16 16:28:53 [画像] [PC]

出典:『よくわかる刑法』、井田良、4/20/2006、ミネルヴァ書房、(序-5.「犯罪論の体系」、飯島暢)pp.10-11

1-1. 1. 犯罪論体系の意義
 犯罪行為の一般的な成立要件を検討するのが犯罪論である。刑法の条文をみれば明らかなように、例えば199条なら殺人罪に固有の犯罪の成立要件が問題となる。しかし、そうした個々の犯罪類系の成立要件から抽象化して取り出してきた、いわばすべての犯罪に妥当する一般的な成立要件を犯罪論は取り扱う。犯罪成立の一般的用件はいくつかあるが、それらを明確な概念として構成し、一定の観点の下で相互に関連づけながら、論理的な首尾一貫性によってまとめ上げて配列したのが犯罪論の体系である。そして、通説的見解によれば、犯罪とは「構成要件に該当する違法で有責な行為」であると定義されている。それ故、犯罪が成立するための基礎となる行為はさておき、犯罪の一般的な成立要件とは、@構成要件該当性、A違法性、B有責性(責任)であり、この順番にそって、分析的・段階的に犯罪の成立を判断する思考の枠組みこそが犯罪論の体系といえる。では、何故このような犯罪論の体系が必要なのであろうか。刑罰という厳しい制裁を予定する刑法は、感情に流されることなく、適正に適用されなければならない。そして、そのためには犯罪の成立を判断する際に、刑法の基本原則にのっとった明確で統一的な指針が刑事司法の運用者(特に裁判官)にとって不可欠となる。つまり、この指針を提供するのが、分析的・論理的な判断を可能とする犯罪論の体系なのである。(p.10)

12 manolo 2014-02-26 22:19:39 [PC]

4-7.
 故意と過失を区別するにあたり、大まかに三つの見解が存在する。構成要件実現(結果発生)の蓋然性を認識していた場合には故意が認められるとする蓋然性説(認識説)、構成要件の実現を認容する必要があるという*認容説、構成要件を認識したが、それを、行為を思いとどまる動機とせず実現した場合に故意ありとする**動機説(実現意思説)がある。蓋然性説の難点は、蓋然性が不明確である点や、行為者に意図が存在したが結果発生の確率が非常に低い場合に故意を認めることが困難となる点にある。通説とされ、判例も支持しているとされる認容説に関しては、認容という心理状態は、法益侵害結果に対する「悪い心情」を問題にするものであり心情刑法であって、妥当ではないといった批判や、認容にも幅があり、「かまわない」というような積極的認容から「意に介さない」「無関心」といった消極的認容まで存在し曖昧である、という批判がなされている。有力説である動機説は、統一的に故意を理解することが可能となる点で、つまり、未必の故意論のみならず、意図、確定的故意の場合においても説明可能ある点で優れている。(p.35)

*認容
うけいれるということ。(p.35)

**動機説
ここでいう動機とは「恨み」や「保険金目的」といったいわゆる動機とは異なる。(p.35)

13 manolo 2014-02-26 22:33:43 [PC]

出典:『よくわかる刑法』、井田良他著、4/20/2006、ミネルヴァ書房、(「第1部 I-10 過失犯論」)、南由介、pp.40-41

5-1. 【1. 過失犯】
 31条の1項のただし書きは「法律に特別の規定がある場合は、この限りではない」と規定している。この「特別の規定」とは過失犯のことであり、法律上、「過失により」あるいは「注意を怠り」といった文言で規定されている。実際上、罪を犯す意思がなかったとしても、不注意により、見過ごすことのできない重大な結果を発生させたという場合(例えば、過って人を死なせた場合や失火など)は決して少なくない。過失犯とは、このような場合に例外的に処罰しようとするものである(ただし、今日では過失処罰規定は少なくない)。なお、38条1項を素直に読むと、「特別の規定」があれば過失のない行為でも処罰することができるかにみえるが、過失すらない行為に対して非難することは不可能であり、それは責任主義に反することにある(ただし、結果的加重犯)。(p.40)

5-2.
 過失犯の問題は、過失犯にあたる構成要件行為が明文で規定されておらず(不注意とされるような行為は世の中に限りなく存在する)、不明確である点にある。それ故、どのような場合に刑法上の不注意が認められるかが重要となる。(p.40)

5-3.
【2. 注意義務】
 過失犯が成立するためには、注意義務違反(不注意)がなければならない。その不注意義務の内容について、伝統的な考え方によれば、結果予見義務とされてきた。例えば、よそ見をしながら自動車を運転する際、よそ見をすれば人を死傷させるかもしれない、という人の死傷結果を予見する義務が課され、この予見に基づき結果回避のための行動をとらねばならない、ということになる。この注意義務の中心を結果予見義務に求め、予見可能性があれば過失犯が成立するという考え方を、旧過失論*(伝統的過失論)と呼ぶ。なお、この見解における結果の予見可能性については、法益侵害結果(結果無価値)の予見が処罰を基礎づけることから、結果回避へと動機づけるのに十分な、ある程度高度な予見可能性、すなわち、「具体的予見可能性」が要求されることになる。(p.40)

14 manolo 2014-02-26 22:35:21 [PC]

5-4.
 これに対し、わが国では戦後、ドイツの学説の影響を受け、予見可能性という程度の概念では幅が広く不明確であり、予見可能性が認められるならばただちに処罰されることになってしまうのではないか(つまり予見可能性のみでの判断は、可能であっても不可能であったともいえ、限定にならないのではという疑問)、という批判から、注意義務の中心を結果回避義務とする*新過失論が有力に主張されるに至った。この見解によれば、結果の予見可能性あったとしてもただちに過失犯が肯定されるのではなく、一般に要求される行動基準を逸脱した場合に、結果を回避すべき義務に違反したことになり、過失犯の成立が認められる。先の例でいえば、人の死傷の予見のみでは注意義務として足らず、よそ見をして運転するというような行動基準の逸脱があってはじめて、注意義務違反が肯定されるのである。ただし、新過失論は、当初、旧過失論の処罰範囲を限定するものであったが、行動基準の内容の不明確さにより、今では処罰拡大へと動いているという批判がなされている。(pp.40-41)

*新過失論
行動基準(基準行為)から逸脱した行為があれば結果回避義務違反が肯定されるという、「行為」を問題にする見解であることから、新過失論は、行為を違法要素とする行為無価値論に親和的な見解ということができる。それ故、過失は違法要素となり、結果予見義務、結果回避義務は客観的注意義務となる。(p.41)

5-5.
 また、高度経済成長期に、未知の分野における公害や薬害が問題になったという時代背景から、「何か起こるかもしれない」という漠然とした程度の危惧感(予見可能性)があれば足り、この危惧感を払しょくするため何らかの措置がとられなければ結果回避義務違反が肯定されるとする*危惧感説が主張されるに至ったが、処罰範囲が極めて拡大されることから、少数説にとどまっている。(p.41)

*危惧感説
不安感説、新新過失論とも呼ばれる。新過失論と同様に、結果回避義務を注意義務の中心におく見解であるが、新過失論が旧過失論を処罰の限定へと導くものであるのに対し、危惧感説は、抽象的予見可能性があれば結果回避義務を認めることから、処罰を拡大する方向へ導くことになる。(p.41)

15 manolo 2014-02-26 22:37:11 [PC]

5-6.
 なお、いずれの見解からも、結果予見義務、結果回避義務の前提として、結果の予見可能性、結果回避可能性が必要であることはいうまでもない。(p.41)

注意義務をめぐる各学説の相違点

旧過失論……結果予見義務中心 具体的予見可能性 結果無価値論(責任要素)
新過失論……結果回避義務中心 具体的予見可能性 行為無価値論(違法要素)
危惧感説……結果回避義務中心 危惧感(抽象的予見可能性)行為無価値論(違法要素)
(p.41)

5-7.
【3. 信頼の原則】
 自己に落ち度があったが、相手側(被害者)にも不適切な行動があったという場合、行為者にはいかなる評価が下されるべきであろうか。刑法においては*過失相殺という考え方は認められないので、このような場合であっても、行為者の落ち度が刑法上の過失に該当するか否か判断されなければならない。(p.41)

*過失相殺
民法上の概念であり、被害者側にも過失があった場合には、賠償額から被害者側の過失分を減らすことが認められているが(民法418条、722条2項)、刑法上は認められない。(p.41)

16 manolo 2014-02-26 22:38:28 [PC]

5-8.
 そこで考え出された概念が、*「信頼の原則」である。これは、相手側に不適切な行為があった場合に、相手がそのような行為に出てくることを予測し、それにより結果を回避しなければならないとすれば、行為者に対する過大な要求であるから、相手側が適切な行動に出てくることを信頼できるならば、仮に信頼が裏切られたとしても過失責任は負わないとする考え方である。例えば、原付自転車がセンターラインの若干左側で後方の安全確認を十分にせず右折しようとした際、後方から高速度でセンターラインの右側にはみ出して追い越してきたオートバイと接触し、相手側を死亡させた場合(最判昭和42年10月13日刑集21巻8号1097頁)では、行為者には、交通法規に違反して追い越してくる車両を予見し、結果を回避する義務はない、ということになる。(p.41)

*信頼の原則
ただし、この原則は、相手側が老人や幼児であったり、自己の過ちが重大である場合には、もはや相手を信頼できないため、適用されない。また、この原則が適用された場合には、結果予見義務あるいは結果回避義務が否定される。(p.41)


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