パターナリズム
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1 manolo 2013-01-18 18:55:52 [PC]
出典:『現代社会とパターナリズム』沢登俊雄編著(1997)、ゆみる出版
1-1.【干渉の理由】
@ 他人に危害を及ぼす行為を防ぐためという理由。
危害というのは、人々の生活における実害のことである。刑法でいう、個人的法益(人の生命・身体・財産・名誉)、社会的法益、国家的法益に対する侵害である。社会的法益も国家的法益も、人々の生活上の利益に由来する、あるいは還元できるものだと考えられている。この侵害を防ぐために他者に干渉するという理由は「侵害原理」と呼ばれている。(p.13)
A人々に著しく不快感を与える行為を防ぐためという理由。
侵害原理は、人々の感情を害するという理由によって他者の行為に対する干渉を認めるものではない。しかし他人を侵害する(実害がある)とは言えないにしても、人々に著しい不快感を与えるような行為に対しては、それを防ぐための干渉は許されると考えられる。この理由を「不快原理」と呼んでおこう。不快原理は侵害原理と似ているけれども、人々の感情を害する行為に対するものである点で侵害原理と違っている。侵害原理が実害という基準を設けるのに対して、感情を害するということが基準となっている。(p.14)
B公共の道徳を保持するために干渉するという理由。
社会生活を送る上で互いに公共の道徳を守らなければ生活はできない。だから反道徳的な行いに対しては、いろいろ干渉して、規制する必要があると考えられる。この理由は「モラリズム」と呼ばれている。(p.14)
C公益のためという理由。または、集団的利益のためという理由。(p.14)
D干渉される人のために干渉するという理由。
他人を侵害するのではないし、他人に著しい不快を与えるのでもない。公益にも関わらない。不道徳という理由でもない。干渉されるその人のためという理由で干渉する。これはパターナリズムと呼ばれている。(p.14)
2 manolo 2013-01-18 19:26:47 [PC]
1-2. 干渉するのは個人に限られるものではない。国などの公的機関も干渉する。公的機関以外にも私的、社会的組織による干渉もある。また干渉されるのも個人に限られるものではない。家族、地域住民、国民国境を越えた難民、外国の政府も干渉されるものになりえる。また、ここでは「干渉」ということにするが、法令による規制から学校の規則、隣の親切なおばさんのお節介まで、内容・程度はさまざまである。ここでの議論の焦点は「理由」にある。およそ他人に干渉するものと干渉される者がいて、何らかの干渉があるとして、その干渉の「理由」としてパターナリズムが語られるのである。(p.15)
1-3. 干渉の理由について、右にみたように、いろいろと言われているというのは、それが私たちの自由と密接にかかわるからである。自由が不当に侵害されないために干渉の理由は、慎重に検討されなければならない。(p.15)
1-4. 【G. ドゥオーキンによる説明】
ドゥオーキンによれば、パターナリズムとは「もっぱら強制される人の福祉・幸福・必要・利益または価値と関係する理由によって正当化されるような、ある人の行動の自由への干渉」であるとされる。この定義では、干渉は「強制」と捉えられている。干渉の根拠は、その干渉のされる人の「福祉・幸福・必要・利益・価値と関係する理由」と網羅される。干渉される対象は「行動の自由」である。そしてパターナリズムは「正当化される」干渉に限られ、正当化されない干渉はパターナリズムではないとされる。(p.27)
3 manolo 2013-01-18 23:19:32 [PC]
1-5. 【行政によってなされる干渉の例@ 座席ベルト】
道路交通法は、自動車運転手に座席ベルトの装着を義務づけている(道路交通法71条の3)。また、自動二輪車の運転手にヘルメットをかぶることを義務付けている(71条の4)。さらに、初心運転者に初心運転者標識の表示を義務づけている(71条の5)。いずれの義務付けも、主に義務づけられている、その人のための規制であるとされている。交通事故に対する人々の関心は高い。道路交通法の規定は、利害関係者も多い。公益といった観点からも論じられることもある。(pp.20-21)
1-6.【その他の例】
法令上、パターナリズムの例と考えられるものをいくつか列挙しておこう。もちろんパターナリズムは、これらに限られるものではない。
・博打を禁じること。
・決闘を禁じること。
・少年指導委員による少年の補導
・年少者について就くことのできる職業や労働時間を規制すること。
・女性について職業や労働時間などについて規制すること。
・妊産婦の就労を制限すること。
・収入の一定割合を退職年金のために強制的に支払わせること。
・金銭貸借の利率の上限を規制すること。
・奴隷契約を無効とすること。
・商品に有害性表示や注意表示を義務付けること。
・販売者に購入者に対して一定の説明を義務付けること。
・事象のおそれのある精神病者の強制入院措置。
(pp.22-23)
4 manolo 2014-01-23 02:15:07 [PC]
出典:『よくわかる法哲学・法思想』、深田三徳・濱真一郎編著、5/20/2007、ミネルヴァ書房(「第2部 II-5 法的パターナリズム」)、菅富美枝、pp.90-91
2-1. 【1. 「本人の利益」を知っているのは誰か】
前項目において、自由主義の基本的見解を示すものとして、J.S. ミルの危害原理に着目した。「その人自身にのみ関連する部分」については干渉すべきでないとする立場は、「何が自己の利益になるか」については自分自身がよくわかっているということを前提としている。しかし、この点に疑問が生じるとき、危害原理は一定の修正を必要とされうる。例えば、賭博の禁止において、社会全体の健全な勤労意欲の喪失に対する危惧感をみることができる。さらに、他の捉え方として、自制心の弱い者が賭け事の深みに落ちるのを未然に救おうとする「親心」をみることができる。国民の生命や健康を守るため、常習性のある麻薬の所持や服用を禁止する規定についても、同様に考えることができよう。ここには、国民を自律能力のない子どもとしても扱う思想が潜んでいる。このような思想を、*パターナリズム(父親的温情主義)と呼ぶ。(p.90)
*パターナリズム(paternalism)
父と子の関係に似た、優者の劣者に対する行動様式をいう。おおむね、優越的立場にある者が自己への服従と引き換えに保護を与える形式を指す。優越的地位にある者が、一人前でない者ために、あれこれ指示、命令をすることを指す意味でも用いられる。もとは社会学の用語。(p.90)
2-2.
日本社会においては、私的領域における自己決定権の考え方が希薄であるといわれる。個人的な領域においてすら自分で決定することを嫌い、むしろ、日本独特の「お上意識」などから、後見的にアドバイスなり命令を受けることが歓迎されているとさえいわれている。しかしながら、「個人主義」の伝統の強い英米では、自己決定権は人間の自由の根源的なものと考えられており、パターナリズムへの反感は極めて強い。パターナリズムは、「おせっかい」「余計なお世話」「権力的介入」として忌み嫌われているのである。しかし、他方で、「適切な」判断の期待できない状況にある人々のため、例外的に、法が後見的な役割を果たすべきことを主張する見解も有力である。この立場は、一定の範囲・程度におけるパターナリズムの必要性を説く。(p.90)
5 manolo 2014-01-23 02:16:30 [PC]
2-3. 【3. パターナリズムの類型】
「本人のために」という理由・名目によって、個人の自由に介入・干渉することを正当化するにあたっては、多様な基準が展開されている。被介入者が介入に同意しているか、あるいは「合理的な」状況にあれば承認するはずであることを根拠とする「意思原理」、そして被介入者の、より大きな自由の実現を理由とする「自由最大化」といった基準である。以下、どの範囲・程度におけるパターナリズムであれば、個人の自由を重んじる立場からも正当化されうるのか。パターナリズムを三つの観点から類型化して検討する。(pp.90-91)
2-4. ○「弱い」パターナリズム、「強い」パターナリズム
本人の意思が自発的に決定されているが、そこから生じる結果が客観的にみて「本人のため」にならないような場合に、本人の意思に介入してその実現を阻むべきだと考えるパターナリズムを「強い」パターナリズムと呼ぶ。これに対して、詐欺や不注意によるなど、本人の意思が任意に決定されたのではない場合に限って介入すべきだと考えるパターナリズムを、「弱い」パターナリズムと呼ぶ。(p.91)
2-5. ○「直接的」パターナリズム、「間接的」パターナリズム
ヘルメット着用を義務づける法規のように、保護される人と介入を受ける人が同一の場合を「直接的」パターナリズムと呼ぶ。他方、一般に危険だと考えられている特定の薬品を勝手に使用させないために、その薬品の製造や販売自体を規制する場合のように、保護される人(一般国民)と介入を受ける人(薬品の製造者、販売業者)が異なる場合を、「間接的」パターナリズムと呼ぶ。(p.91)
2-6. 「積極的」パターナリズム、「消極的」パターナリズム、
退職年金の積み立てを義務づけるなど、被介入者の利益を増進させるために介入する場合を、「積極的」パターナリズムと呼ぶ。他方、自殺防止や危険行為(例:冬山登山)の禁止など、本人に対する危害から本人自身を守るために介入する場合を、「消極的」パターナリズムと呼ぶ。(p.91)
6 manolo 2014-01-23 02:17:27 [PC]
2-7. 【3. 現代社会とパターナリズム】
個人の自由を重んじるならば、個人の「自律」を実現したり補完するために介入の必要が認められる場合であって、かつ、*本人の意思に沿い、本人の自由への制約が最も少ない手段によるパターナリズム的介入のみが、限定的に正当化されると考えるべきであろう。パターナリズムの中には公益的観点による規制と重なり合うものもある(例:喫煙規制について、本人の健康とともに医療費の増大が懸念される場合)。また、現代社会においては、金銭消費貸借契約における利息の制限や、消費者契約法における不当条項規制など、強制以外の方法によって私的自治に干渉する「ソフトな」パターナリズムも注目される。さらに、現代社会において、パターナリズムは、個人と国家の関係みならず、立場に上下関係のある個人と個人(例:医師と患者、介護者と被介護者)や、個人と彼らを取り巻く社会との関係について、改めて問い直す重要なテーマともなっている。(p.91)
*例えば、明治期以来の「禁治産」制度を大きく変更した後、新成年後見制度においては、すでに判断能力を喪失してしまった人々に代わって、誰がどのように意思決定を行うべきかが重要な課題である。本人の意思がもはや不明な段階に達している以上、そこで決定された意思とは、「仮定的同意」とならざるをえない。だが、そのような場合であっても、過干渉や、一般的な見解を押し付ける画一的処理を避けるべく、本人の「真意」を慎重に探ることが求められている。(p.91)
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