人権
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1 manolo 2013-08-26 14:55:58 [画像] [PC]

出典:「初めての人権」(2008)、上田正一他編、法律文化社、pp.1-6

1-1. 1. 人権の定義
【人権とは】
 一口で人権といえば、人の権利のことである。一般的には基本権と呼ばれたり、日本国憲法第3章に書かれている基本的人権に代表される国民一人ひとりの、個人が持つ権利と説明されることが多い。それも国家から与えられる権利ではなく、人間一人ひとりが生来持っている権利とされる。こういった考えはトーマス・ホッブス、ジョン・ロック、ジャン・ジャック・ルソーの社会契約論者によって提起され、近代的な自然権思想として確立した。(p.1)

1-2.
 人間がこの地上に初めて現れた状態を自然状態といい、そこで人間はホッブスによれば、自然権を持つとされ、その内容は生命権と自由権とされる。人口が増大するにつれて、それらの権利も衝突し、平和な世界から、互いに対立と抗争を引き起こす修羅の世界を現出する。ホッブスは「万人の万人対する闘争」と表現した。人間は平和を取り戻し、自らの自然権を保護するために、国家を築き強制力を持った専制王政に自然権を委ねるとする。社会契約説である。ロックはこれに反発し、自然権は人間個々人に備わった権利であり、この権利の円滑なる実態保障のために、国家に委託する契約をしたのであるから、保障がなされない場合には国家に反抗する権利・抵抗権(革命権)があるという。ロックは生命権・自由権に財産権を加えて自然権とした。国家の権力が強大化すれば、専制化して危険であるので、三権に分立し、互いに牽制してこそ意義があるとした(p.1)

1-3.
 人権観念が成立した後も人権が国家によって保護されたかというとそうではない。上記思想家の影響を受けて革命がなされたとされる英米仏のその後の歴史においても、国家の人権侵害に対し、抗議し、戦い、人権確立に向けての格闘してきた歴史であった。大量虐殺も国家の安寧と秩序を守るためという目的で正当化された。国家が国民に対して人権を侵害している度合いは、国によって今なお様々である。(pp.1-2)

2 manolo 2013-08-26 15:27:30 [PC]

1-4.
 また実体的には人権は生来のものといいながら絶対的かというとそうでない。まず人権が侵害される場合には、人権の侵害が許される。国家が「公共の福祉」をあげて、人権を制限し、規制するなどの侵害がなされる場合である。(p.2)

1-5.
【人権宣言】
 人権の歴史はイギリスから語られることが多い。1215年のマグナ・カルタ、1628年の権利の請願、1689年の権利の章典である。これらは近代人権宣言の前史として位置づけられ、人権というよりも国民権と呼ぶべきだとされる。近代的・個人主義的な人権へと発展するについては、ロックやルソーの説く自然権思想に基づく社会契約説が中心的役割を果たした。1776年、アメリカ独立革命への影響では、アメリカ各州憲法にみられる人権宣言規定にみられる。なかでもヴァージニア憲法1条では、「すべての人は、生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は、人民が社会を組織するに当たり、如何なる契約によっても、その子孫からこれを奪うことのできないものである。」と定めた。また、1789年、フランス革命で発せられたフランス人権宣言(「人および市民の権利宣言」)は、その後のヨーロッパ各国で制定されていく近代立憲主義の憲法に影響を及ぼした。1条では「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくのでなければ、設けられない」と、自由及び権利の平等について記し、4条で自由を定義し、権利の限界を示して、「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなくては定められない」とした。しかし、19世紀から20世紀前半にかけての各国憲法は主として「国民」の権利を認める内容が多くて、この時期の人権を「外見的人権」であるという。(pp.2-3)

3 manolo 2013-08-26 15:56:36 [PC]

1-6.
【世界人権宣言】
 第二次世界大戦期のナチズム・ファシズムの体験は世界の憲法事情を大きく変え、初期の人権思想が見直され、人間が人間であることの論理必然的結果として享有される人権観念が一般化した。人は法律によって保護されるという観念から、人権は法律によっても侵害できないという法への信頼へと転じられた。日本においては1946(昭和21年)制定の日本国憲法に基本的人権として規定された。国際的には1948年12月、第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択されて、前文で述べるように「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義および平和の基礎である」とし、「人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来のが、一般の人々の最高の願望として宣言され」、「人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護すること」、「諸国間の友好関係を促進することが肝要である」。よって「国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意した」。(p.3)

1-7.
【日本国憲法の成立】
 明治憲法は欽定憲法であり、天皇統治である。73条の改正条項に基づいて現行憲法が制定されたというが、天皇統治の基本的性格を捨てて国民主権の憲法への改正はあり得ないとされる。この理論上の矛盾を宮沢俊義はポツダム宣言を受諾した段階で、天皇統治が否定され、国民主権が成立したという一種の革命が起きたとする八月革命説を主張した。このほか制定の過程で日本側が創ろうとした松本国務大臣案が保守的なのに驚いた連合軍総司令部は所謂「マッカーサー三原則」を提示して草案に織り込むことを命じた。@天皇元首、皇位は世襲、国民の基本的意思に責任を負う。A戦争放棄。B封建制度の禁止。「押しつけ憲法論」が出たが、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の基本原則を評価するものも多い。(p.4)

4 manolo 2013-08-26 16:40:24 [PC]

1-8. 3.基本的人権
【国家からの自由】
 日本国憲法第3章には「国民の権利及び義務」を規定している。ここで、保障されている自由・権利を成り立ちや性質で分類してみる。以下は一応の分類であって、分類の仕方は学者によって多少の相違がある。第一は国家からの自由である。国家が国民に干渉しなければ、それだけで国民の自由や権利が保障されるので、消極的権利(自由権的基本権)と呼ぶこともある。これには思想・良心の自由(19条)、信教の自由と政教分離(20条)、表現の自由(21条)、学問の自由(23条)、の精神的自由権と、財産権(29条)、職業選択の自由(22条1項)の経済的自由権とと、居住移転・外国移住・国籍離脱の自由(22条1項・2項)、奴隷的拘束・苦役からの自由(18条)の身体的自由権に加えて法廷手続きの保障(31条)、その他刑事手続き上の保障(33条〜39条)がある。(pp.4-5)

1-9.
【国家への自由】
 第二は国家への自由である。国家による国民生活への関与を求める自由である。国家が国民に対して一定の積極的な行為を為すように要求する権利である。積極的権利(社会権的基本権)と呼ばれる。これには生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、労働基本権(27条、28条)の社会権と、裁判を受ける権利(32条)、国家賠償請求権(17条)、刑事補償請求権(40条)の受益権がある。(p.5)

1-10.
【国政参政権】
 第三は国家の意思決定に国民が参加する権利である。能動的権利(参政権あるいは市民の権利)と言われる。これには参政権(15条―公務員の選定罷免権・公務員の本質・普通選挙の保障・秘密投票の保障、請願権(16条)がある。(p.5)

5 manolo 2013-08-26 16:52:59 [PC]

1-11.
 さて、第一で「国家からの自由」として考えられた諸権利を古典的権利として位置づけることもあるが、「古典的」とくくる場合には、第二の社会権的基本権に列記した「裁判を受ける権利」、「国家賠償請求権」、「刑事補償請求権」と、第三に掲げた「請願権」も古い歴史を持っているがゆえに、同じく古典的権利とするのが適当である。近代以前の社会では国民にとって、「立法」はいまだ無縁なものであり、「裁判」こそが権利救済の有効な手だてであるために、「裁判を受ける権利」の保障には重大な意義があるのである。また公権力に違法性が認められても、古くは「国家無責任」、「主権免責」の原則をもって、国民は損害の賠償を認められなかったが、大日本帝国憲法の下では、非権力活動から生じた損害については、民法の規定により国や公共団体の賠償責任が認められるようになった。(p.5)

1-12.
【新しい人権】
 このほかに、日本国憲法に明記されていない人権に、「新しい人権」と呼ばれるものがある。憲法制定時にはこれらの「新しい人権」と呼ばれる諸権利は、権利として考えられていなかった。しかし、前項で見てきた古典的自由権に社会権が加わって、人権は一層充実していくのであるが、国家からの自由や妨害排除から、国家から積極的是正措置の要求にむかってゆく方向の中で、「新しい人権」が創出されている。自由権、社会権に次ぐ、「第3世代の人権」と呼ばれ、人びとに歓迎されてきた。他方、「新しい人権」が次々と国民の要求によって生み出されてくる状況を人権のインフレ化と捉え、人権の価値が下落していくことへの危惧や裁判官の主観が入る余地を広げることへの危険性を指摘する学者もいる。「新しい権利」は一般の幸福追求権から導き出される人権と考えられる。これまで主張されてきたものは、プライバシーの権利、環境権、自己決定権、日照権、静穏権、眺望権、入浜権、嫌煙権、健康権、情報権、アクセス権及び平和的生存権など多数にのぼる。(pp.5-6)

6 manolo 2013-08-26 17:13:11 [PC]

1-13.
【人権の私人間効力】
 憲法の基本的人権の規定は公権力との関係で論じられてきた。国民の権利や自由を国家から保護するもの、防衛権と考えられてきた。私人間の人権侵害は私的自治の原則に委ねられ、公権力は及ばないものとされてきた。しかし、高度に資本主義が発展してくると国家権力に匹敵するような社会的実力を持ち、個人に対峙する強力な類似団体としての存在が問題となってきた。企業、労働組合、経済団体、職能団体などの私的団体である。そこで、このような社会的権力からも国民の人権を保護する必要があるのではないかとする議論が生じてきたたのである。戦後日本人の人権は、自然権思想に基づいて個人の尊厳を最高価値とする背景の中で実定されたきた。その意味で人権は公法私法を包括する全法秩序の基本原則であるから、すべての法領域に対応するものである。よって憲法の人権規定は私人による人権侵害に対しても何らかの形で適用されなければならないとされる。

1-14.
 私人間効力については、アメリカの法理を援用しつつ、ステイトアクション(State action)の名で呼ばれる「私人の行為をなんらかの仕方でStateの行為と同視することによって、憲法上の要請をそこに及ぼす技術」とか、アファーマティブ・アクション(affirmative action)で知られる差別解消に向けて、さらに国家の積極的措置が取られるべきであるとする説も有力になってきている。(p.6)


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