ジェンダー
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1 manolo 2013-09-10 01:18:46 [画像] [PC]

出典:『よくわかるジェンダー・スタディーズ ―人文社会科学から自然科学まで−』、木村涼子他編著、ミネルヴァ書房、3/30/2013、「I-1A-1. ジェンダーと社会化」、pp.20-21

1-1. 1. 「女」と「男」
 わたしたち「人間は」、生まれながらにして「女/女性」と「男/男性」の2つの性別のいずれかに分かれており、身体・能力・パーソナリティなどにおいてそれぞれ異なる特徴を有しているといわれます。こうした見方は、通常問い直されることのない「常識」とされてきました。(p.20)

1-2.
 しかし、20世紀の後半以降、この「常識」はさまざまな形で検討されました。「人間」は、本当に男女で明確に二分されているのでしょうか。あるいは、「男」と「女」の間には、超えられない生来的な違いが多くあるのでしょうか。そうした問いかけをしていくなかで、社会的/文化的に男女の性別二分法のあり方を考える「ジェンダー(gender)」概念が生まれました。「男は仕事、女は家庭」に代表される性別役割観、男性の方が知的に優れている(とりわけ理系分野で)という能力観、女性は優しさ/男性はたくましさといった「女/男らしさ」をもつとする性別特性論などは、いずれも文化的に、または社会システムとしてつくりあげられ、維持されてきたという視点が、ジェンダー概念の導入によって明確になってきたのです。(p.20)

12 manolo 2014-11-04 07:55:00 [PC]

4-7.
 このように男女の身体的な区別が不明確になっている人々(インターセックスと呼ばれています)は、確かにその数は多くありません。しかし、原因はホルモンのほかに遺伝子の異常による場合もあり、このことは、私たちの性差が、身体の側面からみても排他的に男と女の2つに区別できないことを示しています。そして、インターセックスの人たちのその後の成長を追ってみると、そこには、さらに興味深い事実が浮かび上がってきます。というのも、彼/彼らは、たいてい、各自の遺伝子に対応する生殖器が不十分なだけであって、他方の性機能を獲得しているわけではないからです。(p.79)

4-8.
 たとえば、遺伝子的には女性だが、男性型が表面化して男性として育てられた人の場合、機能的に不十分ながらも女性です。ゆえに、成長する過程でその矛盾が表面化することがあります。では、その時、どちらの性を選ぶのか(p.79)

4-9.
 こうした事例を調査した*マネー(Money, J.)らの『性の署名』によると、多くの場合m彼/彼らは、育てられてきた性を選択し、その性に適合するように性転換手術などを用いて身体を変えようとします。たとえ遺伝子が女性で身体的に十分男性でなくても、男性として育てられてきたからには、男性としての意識(性自認)を変えることは困難だからです。ここからは、彼/彼女らにとって重要なのは、生まれながらの性差だけではなく、生育環境の中で作られてきた性差、つまりジェンダーであることは明らかでしょう。『性の署名』には、男性として育てられたインターセックス女性が、性転換手術によって身体を男性化したあと、女性と結婚して(もちろん男性としての生殖機能はないので)養子を取り、男性として人生を歩んでいる事例も紹介されています。(p.79)

*ジョン・マネー/パトリシア・タッカー著、朝山新一訳『性の署名』人文書院、1980年。ただし、現在では、無理に男性か女性かを選択せずに、インターセックスという「第3の性」のあり方を模索する人も出てきている。(p.79)

13 manolo 2014-11-04 07:55:48 [PC]

4-10. 【3. 身体も文化や社会の一部である】
 こうしてみると、性差はやはり文化や社会の側面ぬきには考えられません。また、一律に身体とはいっても、どの部分が性の判別に関わるのかと考えるのかと、身体そのものが、実は文化や社会によって意味づけられるともいえます。例えばニューギニア高地では、出産で血液を放出しても生理が終わった女性を、女性の体液がなくなったとして男性と見なします。一方男性は、結婚後、性生活を行い、精液を失った高齢になると、女性と見なされます。つまり現代では生殖器が性差を決定すると思われがちですが、ここでの性別の判断材料は、血液・乳・精液などの体液なので。このように身体的な性差の判定材料が多様なら、身体と文化と文化の区別は無意味なのかもしれません。(p.79)

14 manolo 2015-01-16 07:59:48 [PC]

出典:『よくわかる文化人類学(第2版)』、綾部恒雄・桑山敬巳編、ミネルヴァ書房、2/25/2010、「VIII-5. 男女の二項を超えていくジェンダー」、宇田川妙子、pp.86-87

5-1. 【1. 男性性という問題】
 近年では、こうした女性やジェンダーの多様性や多面性とともに、そのジェンダーがどのように作られてきたのか、という歴史性にも注目した研究が進みつつあります。歴史性に関しては、ここでは残念ながら割愛しますが、まだ重要な課題が残されています。それは、ジェンダーに含まれるのは、女性という問題だけではない点です。そこにはまず、男性という問題が欠けています。(p.86)

5-2.
 男性役割や男性らしさも、それぞれの文化社会の中で作られ多様であることは当然であり、すでに数多くの報告がなされてきました。しかし、近年注目されているのは、「男性支配社会」の内実に関するさらなる考察です。(p.86)

5-3.
 例えば私たちの社会では、周知のとおり、女性はしばしば性の対象と見なされていますが、それは、男性の女性にたいする態度を意味するだけではなく、男性同士の関係を作り上げるのに有効な仕掛けでもあると考えられます。実際、「英雄、色を好む」のことばのように、性力が男性間の競合や地位の象徴になっていることはよく知られていますし、彼らの猥談は、男性同士の結びつきを高めるともいわれます。男性たちは、女性を性の対象とすることによって、女性を社会の正式な成員から排除するとともに、互いに競い合いながらも連携を強めて、男性支配の体制を盤石なものにしているのです。もちろん男性支配のあり方は、これだけではないでしょう。今後は、その多様な実態を、男性同士の関係という問題にも目を向けて分析していく必要があります。(p.86)

15 manolo 2015-01-16 08:01:04 [PC]

5-4. 【2. 異性愛という問題】
 もう1つは、セクシュアリティに関わる問題です。セクシュアリティ(sexuality)とは、簡単に言えば、誰に性的に魅かれるかという性的な指向を意味します。一般的には異性愛、同性愛、両性愛などが考えられます。しかしながら、これまでのジェンダー研究が想定してきたのは、もっぱら異性愛でした。(p.86)

5-5.
 そもそも異性愛とは、当たり前に見えるかもしれませんが、人の性のあり方を、女性と男性との補完的な二項だけに限定する考え方に繋がります。しかもその根拠となっているのは、生殖は男女で成立するという論理です。確かに生物学的な生殖には男女が必要ですが、男女の関係は、それだけではないはずです。にもかかわらず生殖を一義とする考え方は、実は近代になって発達したものなのです。近代以降、子ども(生殖)が重視されるようになったからこそ、先述のように、*男女の役割が子育てのために公的/家内的という形で峻別され、一方、生殖に繋がらない同性愛に対しては差別が激しくなっていったのです(pp.86-87)

*子どもを中心として父・母からなる核家族的な家族のあり方とは、現在ではごく当たり前のように見えるが、近代以降に理想的な家族像とされたものである。ゆえにこの形態を「近代家族」と呼ぶこともある。(p.86)

5-6. 【3. 性には男女以外の形もある】
 実際、このように男性と女性だけを前提とする考え方から一歩離れるならば、世界各地には*「第3の性」とも呼ばれる他の性の形が見いだせます。(p.87)

*第3の性
異性愛の男性および女性にあてはまらない性のあり方を総称する言葉だが、近年では、もともとは「変態」「倒錯」を意味するクイア(queer)という言葉が使われ始めている。そこには、同性愛だけでなく・・・インターセックス、トランスジェンダー、トランスセクシュアルなども含まれるが、それぞれの区分もまた明確に行うことはできない。(p.87)

16 manolo 2015-01-17 00:25:08 [PC]

5-7.
 例えば、北米先住民の中には、ベルダーシュ(berdache)と呼ばれてきた*トランスジェンダーの人たちがいます。彼/彼らは、たいてい子ども時代に身体的な性とは異なる性役割への指向があらわれ、以降、異性の衣服を身につけ、異性の仕事に従事するようになった人たちです。男性の身体をもつベルダーシュであれば、女性の服装をまとい、女性の仕事とされている織物や壺作り等に携わり、男性と結婚しますし、その逆もあります。このためベルダーシュは、白人との接触後、近代西洋的な論理によって同性愛者として厳しい差別にさらされてきました。ベルダーシュという言葉も、同性愛者を意味するフランス語由来の**蔑称です。しかし先住民社会においては、彼/彼女らは、むしろ男女両方の能力や技術を持つものとして尊敬されており、シャーマンとみなされることもありました。こうしたベルダーシュの存在は、北米先住民の社会では、そもそも性別が生まれながらの身体によって決定されるとは考えられておらず、しかも、男女の中間的な性のあり方も認められていたことを示しています。このほかにも、インドの***ヒジュラのように、世界各地には異性愛の男女には収まらない多様なジェンダーのあり方が数多く存在しています。(p.87)

*トランスジェンダー
生まれながらの身体的な性とは異なる性別役割や服装を指向する人たちのこと。彼/彼女らは、身体を変えることは少ないが、これらに対して、生まれながらの身体的な性に強い違和感を覚え、性転換を望む者(あるいは実行した者)を、トランスセクシュアルと呼ぶ。ただし、両者の間は明確に区別できない。(p.87)

**現在、彼/彼女らは。「ツー・スピリット two-spirit」という新たな言葉を用いて自らを呼ぶようになっている。この言葉には、自分たちを男女二つの精神を持つ者とみなすという意識が込められている。(p.87)

***ヒジュラ
ベルダーシュと違って、身体的に男性のみのトランスジェンダーであり、たいては服装だけでなく、去勢という身体的な変工も行う。ヒジュラは、宗教的な役割が重視され、特に誕生儀礼では不可欠の存在とされているが、売春を生業としていることも多く、しばしば差別の対象となっている。(p.87)

17 manolo 2015-01-17 00:59:08 [PC]

5-8. 【4. 性は性を超えても広がっていく】
 こうしてみると、私たちの性は、セックス、ジェンダー、セクシュアリティ、どの次元をとっても限りなく多様であることを前提に考察していく必要が出てきました。その意味では、ジェンダーに関する研究はまだこれからですが、最後に、性の問題は、性の領域を超えたところにもあることを述べておきます。(p.87)

5-9.
 すでに述べたように性差は、権力と密接に結びついています。性の関係はたいてい、男と女の関係に代表されるように、権力関係でもあります。それゆえ人種や民族間などの権力関係も、性的な比喩で語られます。例えば、黒人を性的モラルに欠けるとみなす白人社会の言説は多々あります。また民族闘争の際には、戦時中に多発する強姦事件など、深刻な性暴力が発生します。性は一見私的な事柄ですが、実は最も有効な権力の装置の1つとして、私的な場所を超えても利用されるのです。したがってジェンダーという視点は、グローバル化にともなって権力構造がさらに複雑化しつつある現在、その構造を批判的に暴くものとしても必要になってくるでしょう。(p.87)


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