エスニシティ
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1 manolo 2014-11-04 07:33:53 [画像] [PC]

出典:『国際社会学』、樽本英樹、7/5/2009、ミネルヴァ書房、「I-3. エスニシティの射程」、pp.10-13

1-1.
 エスニック料理、エスニック雑貨という表現で見られるように、エスニックやエスニシティという言葉は日本語でよく使われるようになっている。国際社会学においてもエスニシティは重要な概念である。しかし、意味が曖昧なまま使用されることがあるため、十分注意が必要である。集団間の境界設定という観点から定義をし、当事者たちがどのようにエスニシティを捉えているかという観点で考察を進めるとよい。(p.10)

2 manolo 2014-11-04 07:36:01 [PC]

1-2. 【1. 人種概念への批判】
 I-2で触れたように、人種(race)概念は肌の色、毛質、顔、体型といった生物学的特徴による人々の分類であり、こうした人種概念への批判としてエスニシティ(ethnicity)概念が出てきたのである。とはいえ、生物学的特徴も社会的に構築されなければ存立しえないように、人種概念もエスニシティ概念も人々を区分するための社会的構造物には違いない。問題は、概念の持っている歴史である。人種概念は社会的構築物でありながらも、客観的な生物学的特徴に基づいていると信じられてきた概念である。それに対してエスニシティ概念は、ユネスコ(UNESCO)が1953年に「人種」の代わりに「エスニック集団」(ethnic group)を使うよう勧告して以来、人種概念の持つ「生物学的特徴による決めつけ」から離脱しようとして積極的に使用されるようになった。その結果、エスニシティ概念はもうひとつの前提を得た。それは、人種概念が永続的な要因が人々の間の差異を作り出すとするのに対して、エスニシティは可変的な要因こそが人々の間の違いを形成するのだと仮定していることである。(p.10)

1-3. 【2. 基本的な理解】
 オックスフォード英語辞典は、「人種的、文化的、宗教的、言語的特徴に関連していること、またはそれらを共通に持つこと」を総称して「エスニック」(ethnic)として捉えている。しかしこの定義は「人種的特徴」を含めているため、人種概念批判の文脈を無視したのである。この点を考えると、エスニシティの最も広い定義は、「習慣、宗教、言語等の文化に基づいた人々の分類」となろう。しかしこの定義はあまりにも広く漠然としており、国際社会における意味合いを十分表しているとは言えない。(p.10)

3 manolo 2014-11-04 07:38:51 [PC]

1-4.
 社会学でも最も初期にエスニシティ概念に言及したマックス・ウェーバー(Max Weber)は、「エスニック集団」を次のように定義した。「目に見える慣習か習慣、またはその両者、植民地化、移民の記憶といったものの類似性を基礎にして、先祖の共通性を主観的に信じ合う人々の集まり……客観的な血縁があろうともなかろうとも。」(Webern1976: 237)ウェーバーのこの定義は、エスニシティのある一面を明らかにしている。つまり、エスニシティは人々が社会的に構築しうるものであり、構築のための指標は多元的で交換可能である。例えば、習性、言語、宗教、生活様式、主観、政治的経験や過去の闘争。あらゆるものがエスニシティの指標となりうる。ウェーバーによれば、特に政治的共同体はエスニックな共通性に関する信念を創り上げる傾向にあるという(Weber 1976: 234-44)。ウェーバーの定義はエスニシティの基本的な理解を示していると言ってよい。しかしその後、社会学者や人類学者はその基本的な理解を超えた意味をエスニシティの中に発見していくことになる。(pp.10-11)

1-5. 【3. エスニシティをめぐる考え方の多様性と3つの対立軸】
 エスニシティの多様性が特に注目されたのが、1960年代から70年代にかけて先進諸国が「エスニック・リバイバル」という現象に直面したときである。カナダのケベック、イギリスのスコットランドとウェールズ、スペインのバスク等、近代化を遂げたはずの先進諸国内部で、民族意識が高揚したり、分離独立運動が高まったりしたのだ(Smith1981)。当時、社会学の理論的主流を構成していた*構造機能主義理論と**マルクス主義理論は、両者とも社会が近代化すればエスニシティのような属性に基づく「前近代的な」絆は消失していくと考えていた。ところが、このような近代化論的発想は裏切られた。近代化を達成した先進諸社会におけるエスニシティを根拠とした社会運動の頻発を説明できなかったのである。こうした事情が、エスニシティの社会理論的位置づけに反省を迫ることになった。(p.11)

4 manolo 2014-11-04 07:40:28 [PC]

*構造機能主義(structural-functionalism)
人類学者ラドクリフ・ブラウン(Radcliffe-Brown)らの影響を受けつつタルコット・パーソンズ(Talcott Parsons)が始めた社会学の理論的立場のひとつ。社会を相対的に変化しにくい部分(「構造」)と社会全体の維持に貢献する部分(「構造」)に分け、社会を社会システムとして捉えることを提唱した。社会が近代化して機能的に分化すると、部族のような属性集団は重要性を失うとした。(p.11)

**マルクス主義(Marxism)
カール・マルクス(Karl Marx)とフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)が始めた思想の総称。属性に基づく集団ではなく、労働者階級が資本家階級から政権を奪取し革命を起こすことで、望ましい社会を実現するとした。(p.11)

1-6.
 吉野耕作は、この反省を巡る議論を3つの問いと、それに対する回答からなる二項対立的な視点にまとめている(吉野 1987、1997: 19-36)(p.11)

1-7.
 第1に、近代化した社会においてもエスニックな絆が持続するのはなぜだろうか。そこに提出される2つの視点は、原初主義(primordialism)と境界主義(boundary approach)である。エドワード・シルズ(Edward Shils)やクリフォード・ギアーツ(Clifford Geertz)に代表される原初主義によれば、エスニシティの本質はある集合体内部で過去から現在・未来と持続する原初的な絆や感情だとされる。一方、フレデリック・バルト(Frederik Barth)やサンドラ・ウォールマン(Sandra Wallman)に代表される*境界主義は、自集団と他集団との象徴的な境界形成こそがエスニシティの存続の条件であるとする。(p.11)

*民族関係の結合と分離からエスニシティの顕在化と潜在化を考える立場は、基本的には境界主義的な発想を元にしている。(谷 2002a)(p.11)

1-8.
 第2の問いは、近代社会の人々にとってエスニシティが魅力を持ち続けるのはなぜかである。これには表出主義(expressivism、affectivism)と手段主義(instrumentalism)が対照的な解答を提出する。ミルトン・インガー(Milton Yinger)らの表出主義は、人々が近代社会において失われがちな象徴体系の表出的経験をエスニシティに求めているのだとする。一方、アブナ・コーエン(Abna Cohen)らの手段主義は利益追求のための政治手段としてエスニシティが利用されているのだと主張する。(pp.11-12)

5 manolo 2014-11-04 07:41:49 [PC]

1-9.
 第3に、近代化した社会において「エスニック・リバイバル」と呼ばれるナショナリズム運動が生じたのはなぜだろうか。この問題に対する視点は、「歴史主義(perennialism or historicism)と近代主義(modernism)である。*エスニー概念を用いたアントニー・スミス(Anthony Smith)に代表される歴史主義は、エスニシティおよびナショナリズムを近代以前から永続的に続く歴史過程の産物だとする。一方、アーネスト・ゲルナー(Arnest Gellner)やベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson)らの近代主義は、エシニシティおよびナショナリズムを近代社会の社会構造に付随した、近代工業社会への構造的変動の飢渇であると考えている。(p.12)

*エスニー(ethnie)
近代以降の産物であるネーション(nation)に対比して、歴史的記憶や文化を共有しネーションのもとになったような近代以前の共同体のことを言う。(p.12)

1-10.
 3つの問いに対するこれらの視点は、エスニシティ概念が指示する現象の多様性を示している。エスニシティという現象自体は、上記の諸視点が示す二項対立のいずれかであるといった排他的な性質を持つように見えない。むしろ、*状況によっては異なる性質を持ったり、また異なる性質を同時に包含し、矛盾した性格を持つように見える場合がよくある。この意味で、エスニシティとは何かという問いはあまり意味がない問いなのである。したがってまずは、エスニシティに関して基本的な概念規定をしておき、次にエスニシティの多様性を把握することが望ましい方向性である。(p.12)

*そうした状況の最も顕著なもののひとつは、その社会における人種エスニック編成である。例えば「日系アメリカ人」は、アメリカ合衆国における人種的な序列構造において「アメリカ市民」と「日本民族」という矛盾した2つの要請の上に成立してきた(南川 2007)。(p.12)

6 manolo 2014-11-04 07:43:47 [PC]

1-11. 【4. 基本的な定義の設定】
 3つの問いのうち第1の問いへの解答のひとつである境界主義的立場からエスニシティを以下のように定義しておくとよいであろう。(p.12)

エスニシティとは、集団の起源を初めとしたいくつかの文化的項目によって内集団と外集団との境界を設定する制度である。

 用いられる文化的項目には、領土、歴史、神話、言語、文学、宗教、経済的配慮、象徴的シンボル等様々なものが考えられるであろう。ある社会では、主に宗教が境界設定がなされるというように、使用される文化的項目は異なりうる。そしてもちろん複数の文化的項目が組み合わされて利用されることもある。(p.12)

1-12.
 この定義を用いると、上記の3つの二項対立的解答の多様性を理解することができる。まず、第2の問いであるエスニシティの魅力の持続に関しては、表出主義的か手段主義的という理論的な対立があった。上記の定義においては、境界設定のために選ばれた文化的項目によって表出主義的性質を帯びたり、手段主義的性質を帯びたりするのである。例えば「古来からの神話」が選ばれると表出主義的に見え、「就いている職業」といった経済的配慮で境界が設定されると手段主義的に見えるといったように、さらにそれらの項目を選択する人々の動機が表出的か手段的かによって、エスニシティの魅力の持続の理由が異なって見えてくる。(pp.12-13)

1-13.
 次に第3の問いであるナショナリズム運動が生じた理由について、上記の定義からは次のように考えられる。文化的項目の性質として、「古来より続く象徴的シンボル」が強調され、項目の選択過程が近代以前に遂行されていれば、歴史主義的と判断される。一方で、経済的配慮等、諸利益を示す項目が選択されたのだとすれば、近代主義の考え方に近くなる。近代以降「古来より続く象徴的シンボル」が選択されるという事態は、エリック・ホブズホーム(Eric Hobsbawn)が「伝統の創造」と呼んできたことに近い。(p.13)

7 manolo 2014-11-04 07:45:03 [PC]

1-14.
 最後に、第1の問いに戻ろう。エスニックな絆の持続の理由である。上記の定義は境界主義的な立場をとっている。しかし、原初主義的な説明を排除するものではない。原初主義的説明は、共通の親族・祖先に対する信仰といった集団の歴史的起源に関する事柄や、宗教、言語、習俗等の「自然に備わった」文化的な項目を重視する。したがって上の定義では、*そのような項目が集団間の境界設定のために選択されたとき、エスニシティは原初主義的に見えるのである。ただし原初主義者が強調したように、「エスニック集団の起源」はエスニシティに欠くべからざる要素と捉えてよいであろう。しかし同時に注意しなければならない[の]は、どのような集団でもある種の「正統化」を図るときには自己の「起源」について言及しようとするものだという点である。「私たちは初めは〜から始まったのだ」と言及し、集団の結束を高めたり、集団外に対してその存在を誇示したりするのである。この点に関しては、宗教集団であろうと村落共同体であろうと、また企業のような機能手段であろうとかわりはない。したがって、エスニシティだけに「集団の起源」に関する文化的項目が入っていると断じることは危険である。(p.13)

*このような集団の歴史的起源の信仰や文化項目を継承するのに、様々な儀式が欠かせない。例えば、在日韓国・朝鮮人では「祭祀」(チェサ)が有効に機能している(谷 2002b)。また、家庭内の伝統だけでなく、民族団体への参加や学歴達成によってもエスニシティは「獲得」される場合があるという(福岡・金 1997)(p.13)

1-15.
 以上のような基本的定義に基づき、研究対象となる社会や集団がエスニシティをどのように捉えているのかを探求することが、エスニシティ概念を有意義に取り扱うコツである。(p.13)


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