民族
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1 manolo 2015-01-21 08:26:05 [画像] [PC]

出典:『よくわかる文化人類学(第2版)』、綾部恒夫・桑山敬己編、ミネルヴァ書房、2/25/2010「]-1. 民族とは何か」、綾部真雄、pp.92-93

1-1. 【1. 古い民族概念の解体】
 文化人類学上もっとも重要な概念のひとつである「民族」には、いまだに誰もが認めるような定義がありません。1940年代ぐらいまでは、「特定の地域に住む固有の言語と文化を持った集団」といった程度の受け止められ方をしていましたが、その後の綿密なフィールドワークによって、簡単に定義できる存在ではないことが分かってきました。その結果、従来の民族観、つまり土地、言語、形質、出自、文化といった要素を完全に共有する固定的な集団が存在するという考えは「幻想」として退けられ、民族を実体的なものとして扱う研究者は次第に批判にさらされていったのです。(p.92)

1-2.
 定義上、先に掲げた諸要素にはそれぞれ弱点があります。人々が極めて高い移動性を持つ今日の世界においては、土地は民族にとっての絶対的な条件とは言いがたいですし、言語についても、異民族によって、学習可能なものである以上、同じことが言えます。文化も、一見自律性と独自性を持ったように見えますが、実は果てしない混合と変容の産物である場合が大半です。形質と出自についてはどうでしょうか。学習不能で不変なように見えても、これらも絶対ではありません。混血者をどのように位置づけるか、主張される系譜の信憑性をどのように評価するかという問題が常に残るからです。(p.92)

2 manolo 2015-01-21 08:26:57 [PC]

1-3. 【2. 新たな補助線へ】
 そこで浮上してくるのが「名」というアイデンティティです。ケニアのマーサイ、アマゾン河流域のナンビクワラ、ヨーロッパのケルトなどを挙げるまでもなく、「名」を持たない民族は事実上存在せず、また、その「名」を自らの存在と強く結びつける意識、すなわち「アイデンティティ」がなければ、民族は成立しないからです。ところが、「名」という“看板”だけでは、人々はそこに強いアイデンティティを感じることができません。餅を売っていない「餅屋」には、誰も足を向けないのと同じです。このとき、人々にとっての公分母(共通基盤)となり、「名」に一定の意味を与えるものとして検討し直したいのが、文化と出自です。まず、ここであらためて取り上げる文化とは、信仰、服飾、食生活といった具体的な要素の集合というよりは、人々によって程度の差こそあれ共有され、その行動と心理を規定する*「プログラム」のようなものです。同じ民族に属する人々でも、そうしたプログラムにどの程度拘束されるかについては個人差がありますし、また、同じプログラムが民族の境界を超えて作用することもあります。さらに、時代が変わればプログラム自体も少しずつ書き換えられます。したがって文化とは、時代を超えて受け継がれながらも、基本的には、同時代的な「横」のつながりの感覚を強く生み出すものです。一方、出自については、祖先と本当に血がつながっていることが絶対条件ではありません。民族によっては、**つながっているという意識や物語そのものが、実際の血縁に取って代わる場合があるからです。その意味で出自は、時代を通じた***「縦」のつながりの感覚を生み出します。(pp.92-93)

*フランスの社会学者ブルデュー(Bourdieu, P.)は、人間の行動(実践)を規定する身体化された構造を「ハビトゥス」と呼んだ。ここでいう「プログラム」は、それより広い範囲の人々に共有された状態と考えてもいい。(p.92)

**たとえば森山工は、マダガスカルのシハナカと呼ばれる人々の間で観察される、外部からの移住者(たとえばメリナ)がシハナカの墓地への被埋葬権を獲得することでシハナカになっていくプロセスを報告している。森山工『墓を生きる人々』東京大学出版会、1996年。(p.93)

3 manolo 2015-01-21 08:35:17 [PC]

***近年の研究は、「縦」のつながりを外して民族を捉える傾向が強い。しかし、実際の血のつながりの有無はともあれ、現在の自分の位置を過去との関係で歴史的に捉える観念はほとんどの民族に見られる。(p.93)

1-4.
 ここまでの議論を整理すれば、民族とは「文化を基礎とした横のつながりの感覚と、出自を基礎とした縦のつながりの感覚を反映した一定の『名』を持ち、その『名』のもとでアイデンティティを共有する人々」と理解できます。ただし、これは定義というよりは、民族という現象を考えるための補助線のひとつとして考えた方がよいかもしれません。(p.93)

1-5. 【3. 中間範疇としての民族】
 近年よく指摘されるのが、民族という概念の中間性です。我々が住む世界には、「村」や「近隣」のように小規模な対面的(顔の見える)共同社会が無数にあり、そのはるか外側に国家が存在します。そして、両者の間には様々な中間範疇があり、民族はそのうちのひとつだということです。(p.93)

1-6.
 たとえば、タイの北部にはコン・ムアンと呼ばれる人々が住んでいます。コンは「人」、ムアンは「町」を指し、字義どおりには「町の人」を意味します。ただし、これはあくまで固有名詞であり、同じく町に住んでいる人々でも、中央や南部のタイ人を指してコン・ムアンを呼ぶことはありません。したがって、コン・ムアンをひとつの民族として考えてもよさそうなものですが、学術書にはコン・ムアンは通称に過ぎず、そう呼ばれている人々は原則としてユアンというタイ系の民族に属すと書かれています。つまり、コン・ユアンは民族名ではないということなのです。ところが、実際にタイ北部に行って調べると、コン・ユアンを自称するひとびとの大半がユアンという自らの民族の名前を知らなかったり、ユアンでない人々がコン・ムアンを自称しています。では、コン・ムアンとはいったいなんなんでしょうか。(p.93)

4 manolo 2015-01-21 13:44:49 [PC]

1-7.
 答えは簡単です。コン・ムアンとは、対面的共同社会と国家の間に位置するローカルは中間範疇です。その意味では民族と同じですが、なにをもって民族とするかについての絶対的な基準がない以上、それが民族であるかどうかを無理に決める必要はありません。一般的な分類になじまない中間範疇は、無数にあってよいのです。このことが分かってさえいれば、民族の“深い森”に迷い込んで途方に暮れることもなくなるでしょう。(p.93)


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