幸福追求権
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1 manolo 2013-01-18 00:34:40 [PC]

出典『よくわかる憲法』(2006)工藤達郎編、ミネルヴァ書房

1-1. (憲法)13条は、前段で個人尊重の原則を定め、後段で「生命・自由及び幸福追求権」を保障する。個人尊重の原則は、全体主義を否定し、個人主義の原則を掲げるものであり、その意味で「かけがえのない個人」を憲法上最高の価値とする原則である。生命・自由及び幸福追求権は、個人尊重の原則と密接に結びつきながら、自然権思想に基づく包括的な権利を保障したものと考えられている。(p.38)

1-2. 13条解釈において学説の対立が激しいのが幸福追求権の保障範囲である。通説的見解は、幸福追求権を「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体」と理解する(人格的利益説)。これと対立するのが、人格的利益説が「人格的生存に不可欠」という基準を持ち出すことに反対して、幸福追求権は「あらゆる生活活動領域について成立する一般的な行動の自由」を保障していると解する立場である(一般自由説)。人格的利益説からすれば服装・髪型の自由などはそもそも「人格的生存に不可欠」ではないという理由で憲法上の補償を受けないこととなる可能性もあるが、一般的自由説の立場ではこれらもとりあえず憲法上の保障を受け、その上で公共の福祉による制約の問題として取り扱われることとなる。(p.38)

1-3. 【幸福追求権と新しい人権】
しかも、憲法制定後の社会変動は新たな権利要求を生み出すことがある。新しい人権とは、こうした新たな権利要求のうち、憲法上保障するにふさわしいと考えられているもののことをいう。当然、新しい権利は憲法上明文の規定をもたないわけだが、幸福追求権はその包括的な性格から新しい人権の根拠規定とありうるのである。(p.39)

1-4. 【新しい人権】
これまで新しい人権として、プライヴァシー権、肖像権、環境権、日照権、静穏権、眺望権、入浜権、嫌煙権、健康権、情報権、アクセス権、平和的生存権、自己決定権、適正手続を要求する権利など多くの権利が主張されたが、このうち判例で明確に認められたのは、プライヴァシー権、肖像権、人格権(自己決定権)だけである。(p.39)

2 manolo 2013-01-18 01:04:39 [PC]

1-5.【肖像権(京都府学連事件最高裁判決、1969年)】
デモ行進に際して、警察官が犯罪捜査のためにデモ行進参加者の写真を撮影したことの適法性について、最高裁は、13条が保障する個人の私生活上の自由には「みだりにその容ぼう姿態を撮影されない自由」が含まれ、「これを肖像権と称するかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼうを撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されない」と判じした。(最大判昭和44年12月24日刑集23巻12号1625頁)(p.38)

1-6.【プライヴァシー権】
プライヴァシー権は、もともとアメリカの判例の中で「ひとりでほうっておいてもらう権利」として発展した権利であり、日本では「宴のあと」事件判決が「私生活をみだりに公開されない権利」と定義し、13条の個人の尊重を根拠に権利性を認めた(東京地判昭和39年9月28日下民集15巻9号2317頁)。現在プライヴァシー権は消極的権利としてだけでなく、「自己に関する情報をコントロールする権利」として積極的に理解されるようになっており、2003年に成立した個人情報保護法にもその影響がみられる。(p.39)

1-7.【個人情報保護法】
2003年5月30日に成立した「個人情報の保護に関する法律」のこと。個人に関する情報の取り扱いの適正を図るために制定された法律で、個人情報を取り扱を業者の義務義務などを定めている。とりわけ、個人情報の取り扱いについて本人同意の原則が採用され、また、個人情報の開示・訂正・削除などについて本人の権限が広く認められている点に、現代のプライヴァシー権論の影響がみられる。(p.39)

3 manolo 2013-01-18 06:19:54 [PC]

1-8. 人格権は、身体・名誉・信用など個人の人格と深くかかわる利益について保護を求める場合に用いられる権利である。例えば、北方ジャーナル事件最高裁判決では「人格権としての名誉の保護」という言い方がされているし、エホバの証人輸血拒否事件最高裁判決では輸血拒否の意思決定を「人格権の一内容」と位置付けられている。(p.39)

1-9. これらに対して、学説上は新しい権利として認められる傾向があるにもかかわらず、判例上承認されていないのが環境権である。環境権は、大気汚染や水質汚濁、騒音などの公害問題をきっかけに、13条・25条に基づく「良好な環境を享受する権利」として主張された権利である。しかし判例においては、内容が不明確であるという理由から、確立した権利としては認められていない。この点、環境の劣悪化によって健康や財産に被害が生じた場合には、司法上の人格権などに基づいて差止めや損害賠償を請求できることが大阪空港訴訟控訴審判決などで認められてきたが、その上告審で最高裁がこうした差止め請求の可能性を否定して以来、人格権を根拠とした訴訟自体が困難になっている。(p.39)

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