善きサマリア人の法
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1 manolo 2013-02-06 08:14:31 [PC]

出典: 『よくわかる 法哲学・法思想』、深田三徳・濱真一郎編著、ミネルヴァ書房、5/20/2007、pp.92~93

1-1. 危険や困難に陥っている人に遭遇したとき、見知らぬ他人であろうとも助けるべきだと考えることについて、反対するものはあまりいないであろう。「救助義務」は、古今東西を問わず、道徳上、宗教上の義務として、広く一般に受け入れられてきた。だが、これを法的な義務と考えるかどうかについて、各国の法制度は様々である。ドイツ、フランス、イタリア、スペインといった、いわゆる大陸法諸国においては、法によって救助が義務付けられている。他方で、英国、合州国、カナダといったいわゆる英米法諸国においては、特別な人的関係が前もって存在しているなどの一定の例外的状況を除いて、救助を要する場面に遭遇したとしても、法的な救助義務は課されない。日本の法制度もまた基本的に英米法と同様の立場に立っている。

1-2. こうした中、1964年にニューヨークの路上で起こった一つの事件は、救助義務の法制化の是非について、様々な議論を引き起こすとなった。女性が暴漢に襲われている暴行現場を、計38人もの人が目撃していながら、誰も制止せず、通報すらしなかったため、女性が死に至ったという痛ましい事件が起きたのである(被害者の姓をとって、ジェノヴェーゼ事件と呼ばれる)。(p.92)

1-3. ジェノヴェーゼ事件以降、救助義務の法制化をめぐって議論が活発化した。救助行為を法的に義務づけることによって懸念される問題は三つある。第一に、救助義務が法的に課されることになれば、救助するか否かを選択する自由が失われ、他人の救助を考慮に入れた生活を強いられるのではないか;第二に、救助義務は道徳的・宗教的な起源を有することから(聖書の逸話から、救助義務は、「善きサマリア人」たる義務と呼ばれることが多い)、救助行為の法的義務づけは、自己の信奉しない道徳の実践を強いられることになるのではないか(リーガルモラリズムへの抵抗);第三に、果たして救助義務を法で規定したとして、実効性があるのか。(p.92)

2 manolo 2013-02-06 08:52:29 [PC]

1-4. 【法と救助行為(1):「直接強制アプローチ】
 救助行為をめぐる議論は、ある特殊で不幸な事件を契機として始まったため。法は人々を強制してでも救助行為を図るべきだとするか、それとも、「個人の自由」を保持するために、法は一切関わるべきではないとするか、の二者択一的な結論に終始してきた。救助行為に対する「法の関わり方」として、強制が前提とされている。これを「直接強制」アプローチと呼ぼう。(pp.92-93)

1-5. 「直接強制」アプローチにおいて、「法」は歪んだ現代社会を矯正すべき道具として登場する。ここでは、「勇気を出して救助行為に出ようか、それとも申し訳ないけれども、あまり関わりたくないので見なかったことにしてしまおうか」という、ある意味で一般的ともいえる心情は、法的に配慮されない。救助義務の法制化は「個人の自由」と衝突するおそれがある、として否定論者が批判するのは、このためである。これに対して、肯定論者は、救助行為を促進させるためには、人々の行動の自由に一定の制約(要求する救助行為を「容易なもの」に限った上で)を課すことも致し方ないと考えるのである。(p.93)

1-6. 「善きサマリア人」の逸話については、新約聖書「ルカによる福音書」第10章を参照。ただし、救助義務は宗教を問わず、広く社会において認められた道徳である。この意味では、単なる「個人道徳」を超えた、むしろ「社会道徳」としての側面を多分に有している。その一方で、自己を犠牲にするような博愛的な救助行為に典型的なように、個人の自由な意思に任されているからこそ賞賛される。その意味では、強制になじまない「個人道徳」としての側面も強い。(p.93)

3 manolo 2013-02-06 09:04:07 [PC]

1-7.【法と救助行為(2):「間接奨励アプローチ」】
 だが、これまでの議論は、救助行為を拒絶する者ばかりで構成された社会を前提として、「法は、彼らをどのように律するべきか」という観点にのみ立ってきた。そのため、救助行為に少なからず関心を有するものによって成り立っている社会を前提とし、「法は、彼らが安心して救助行為を試みられるよう何を用意すべきか」という観点が見落とされてきたのである。(p.93)

1-8. ここに登場するのが、「間接奨励」アプローチである。「間接奨励」アプローチは、救助行為に伴う一般的な負担を軽減するような法制度の整備を目指す。具体的には、費用償還(例:救助に際して衣服が避けたような場合、けがを負った場合の治療費や休業に伴う経済的負担など)に関する規定が挙げられる。さらに、より重要な規定として、万一、救助行威が望んでいた結果を生ぜず、むしろ、より重大な被害を生じさせてしまったような場合における、救助行威者に対する免責が挙げられる。(p.93)

1-9. 「間接奨励」アプローチは、救助行為を。「強制」によってでなく、いあわば、「側面支援」することによって、その促進を図ろうとする立場である。この見解は、「個人の自由」との抵触を避けることができるのみならず、救助行為を試みるものが法整備の不十分さゆえに躊躇させられることのないよう。配慮しうるものになっている。現代社会において、「善きサマリア人の法」とは、救助しない自由とともに、救助する自由という「個人の自由」を保障するものとして理解されるべきであろう。(p.93)

1-9. 「個人主義」的色彩の強い英米法の伝統においては、他人を救助するか否かは「自己決定」に委ねられるべき問題であるとされてきた。だが、危難にある者を救助をしなくともなんら法律上の責任は生じないという立場は、同時に、頼まれもしないのに救助者が損害をこうむっても、救助者は何ら補償を請求し得ないということを意味していた。(p.93)

4 manolo 2013-02-07 23:20:38 [PC]

【訂正】

1-3.
誤 リーガルモラリズム
正 リーガル・モラリズム

1-4.
誤 始まったため。法は
正 始まったため、法は

誤 「法の関わり方」として、
正 法の「関わり方」として、

誤 これを「直接強制」アプローチと呼ぼう。
正 これを、「直接強制」アプローチと呼ぼう。

1-7.
誤 社会を前提とし、「法は、
正 社会を前提として、「法は

1-8.
誤 衣服が避けたような場合
正 衣服が裂けたような場合

誤 救助行威が望んでいた結果を
正 救助行為が望んでいた結果を

誤 救助行威者に対する
正 救助行為者に対する

1-9.
誤 救助行為を。「強制」によってでなく、いあわば、
正 救助行為を、「強制」によってでなく、いわば、


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