されば神武天皇の大和に
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1 Ryou 2014-06-21 19:22:58 [URL]

されば神武天皇の大和に土賊を平らげ給うや、天津神の教によりて天神・地祇を崇祭し給い、その位に橿原宮に即き給うや、また天神・地祇を宮中に祭り奉り、特に天津神の代表者と仰ぎ奉るべき天照大神と、大地主神なる倭大国魂神とを、ともに宮中に安置し、殿を同じゅうして崇敬怠り給うことがなかった。降って崇神天皇の御代に至り、そのかえって神威を涜し奉らんことを恐れ、宮外の適当な地を選んでこれを祭り奉り、各々皇女をして、これに仕えしめ奉ったのであった。のみならず天皇は、さらに天社・国社を定め、神地・神戸を奉りて、あまねく天津神・国津神をお祭りになった。爾来上は皇室を始め奉り、下は一般庶民に至るまで、その祖神として天神・地祇を崇祭すること、あえてその間に区別を置かない。近く明治・大正の御大典に際しても、大甞祭に悠紀・主基の二殿を設け、まず新穀を天神・地祇に奉るの例は廃しない。これ以て我が「日本民族」が、天津神と国津神とを祖神と仰ぐ両民族の、完全なる融合同化から出来た複合民族であることを、立証したものと謂わねばならぬ。
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