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------------------ 1937.8.13 〜 第二次上海事変(支那事変) + 1941.12.8 〜 日米戦争=大東亜戦争。 【1】戦争の原因( → 所謂 A級戦犯? = 戦後1946年1月「平和に対する罪」制定) 蒋介石軍による上海租界テロ攻撃(日本人居留区を攻撃&租界を無差別爆撃) 米英による蒋介石テロ軍に対する資金・武器テロ支援。 米英蘭による被害側の日本に対する不当な経済制裁(石油禁輸など) 【2】政治・軍体制に関する議論(ただし、共和制でも戦争は起こる) 【3】戦争中の一つ一つの作戦の議論(補給確保や特攻など) 【4】戦争中の犯罪(原爆、南京大虐殺?慰安婦?など) → 所謂 BC級戦争犯罪(南京大虐殺や従軍慰安婦は無かったが分類すると犯罪の部類ということ) ------------------ 【1】〜【4】どの話をしているのか分けて考えたほうがいい。 【2】〜【4】は侵略側、被侵略側に関係なく起こる議論。 大東亜戦争後、最大級の隠蔽情報は【1】。 そもそも大東亜戦争は日本が武力攻撃を受けて始まった戦争である。この事実を周知することができれば多くの問題が解決する。 『大東亜戦争は日本が武力攻撃を受けて始まった戦争です』 日本は欧米と同じように条約によって中国に租界を設置し、日本は欧米と同じように条約によって中国に軍隊が駐留していました。 1936年(昭和11年)12月12日の西安事件により、アメリカが支援する蒋介石(国民党・重慶政府)と ソ連が支援する毛沢東(共産党・延安政府)が 第二次国共合作をし、合法居留の日本人・合法駐留の日本軍に対して盧溝橋事件(1937.7.7)・ 第二次上海事変(1937.8.13〜) などで テロ攻撃をしてきたのが支那事変の始まりであり大東亜戦争の始まりでした。 中国には条約で欧米人 ・ 欧米10ヵ国軍もいたのに、中国は、同じく条約でいた日本人・日本軍だけを攻撃してきました。 日本側は中国側に何度も和平を打診していたのですが、アメリカが中国(蒋介石)に資金・武器を支援し続けていたので、蒋介石は日本からの和平提案を拒否し続けました。(ほぼ蒋介石軍との戦いであり、ほとんど毛沢東軍とは交戦していない) アメリカは不法テロ側の中国(蒋介石)には資金・武器支援を続け、アメリカが蒋介石に武器輸送していた援蒋ルート(蒋介石支援ルート)を、日本が仏印と条約を結んで日本が合法的に仏印に進駐して援蒋ルートを遮断すると、合法側 ・ 被害者側の日本に対しては経済制裁を仕掛け、中国大陸から日本だけ出て行けと、不法な事を言っていました。 日本は石油などの資源がないと国として立ち行かなくなるので、蘭印の石油を武力で確保する決断をし、その前にハワイのアメリカ艦隊が来るのを遅らせるために真珠湾攻撃をして日米戦争となりました。 このように大東亜戦争は日本へのテロ攻撃で始まり、日本への原爆テロ攻撃で終わりました。 支那事変から日米戦争までを総称して大東亜戦争といいます。
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