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■ 晩年 1928年(昭和3年)、札幌農学校の愛弟子であった森本厚吉が創立した東京女子経済専門学校(のち新渡戸文化短期大学)の初代校長に就任。 1929年(昭和4年)、学監を務めた拓殖大学から名誉教授号を受ける。 (画像: 札幌農学校時代の仲間と共にメリマン・ハリスの参り。1928年 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0#/media/File:50th_Anniversary_of_Baptism_by_Harris.jpg ) 1932年(昭和7年)、軍国主義思想が高まる中「わが国を滅ぼすものは共産党と軍閥である。 そのどちらが怖いかと問われたら、今では軍閥と答えねばならない」との発言が新聞紙上に取り上げられ、軍部や右翼、特に在郷軍人会や軍部に迎合していた新聞等マスメディアから激しい非難を買い、多くの友人や弟子たちも去る。 同年、反日感情を緩和するためアメリカに渡り、日本の立場を訴えるが、満洲国建国と時期が重なったこともあって「新渡戸は軍部の代弁に来たのか」とアメリカの友人からも理解されず、失意の日々だった。 翌1933年(昭和8年)、日本が国際連盟脱退を表明。 その年の秋、カナダのバンフで開かれた太平洋問題調査会会議に、日本代表団団長として出席するため渡加した。 会議終了後、当時国際港のあった西岸ビクトリアで倒れ、永眠する。
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