【歴史の断面】
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1 あるサイトから、、 2014-05-25 00:05:37 [画像]  [編集/削除]

ルーズベルトの外交政策にあえて異議を唱えた歴史家、

 「歴史家はもはやルーズベルト外交の失敗だとか軍部が無能であったといった議論を続けることに満足していてはならない。 ルーズベルト外交にはもっと悪辣な否定しようのない陰謀が存在している。」(チャールズ・タンシル ジョージタウン大学歴史学部長・教授)

12 ■ 総督府時代、3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判 2 2015-09-27 23:56:41  [編集/削除]

■ 公正だった3.1事件の裁判
 5月8日までに10,268名が送検され、内3789名が不起訴。1151名が取調中。同日時点で起訴されたのは、約半分の 6417名に過ぎなかった。

5月20日時点での第一審での有罪判決は 3967名、無罪58名、免訴1名。有罪でも死刑はゼロ、
 15年以上もゼロ
 10〜14年が 6名、
  7〜9年が 1名、
  5〜6年が 23名、
  3〜4年 50名、
  3年以上の禁固刑は 80名 と 僅か 2%であった。

尚、裁判では、内乱罪の適用が高等法院で却下され、保安法および出版法違反という微罪となったため、主犯とされた崔麟ら 8人は僅かに 3年 崔南善ら 6人が 2年6ヶ月
有罪となったのは 37人に過ぎない。

証拠主義に徹して、多くの被疑者が無罪放免となり、死刑、無期も一人もなく軽い罰の判決しか出なかった。放火・殺人・建物破損をした罪の 3.1事件の被告達には、控訴や上告も自由にさせた。

このように、朝鮮時代とは違って、酷刑を嫌う穏やかな日本民族の加罰はきわめて軽かった。3.1事件をもって、朝鮮総督府が、他民族を弾圧したと言うのは偽造である。

また、日本人の憲兵6名と警察官2名を殺害し、放火等による官公署建築物破壊をした朝鮮人の被疑者に対して、朝鮮固有の拷問は皆無だった。

13 ■ 総督府時代、3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判 3 2015-09-28 00:03:00  [編集/削除]

3.1事件被告の控訴、上告件数等 5月31日現在
…………………受理件数(人数)
控訴 覆審院……830(3970)
上告 高等法院……214( 588)

 4月3日、水原郡雨汀面(村)の花樹里警察官駐在所(日本人巡査 1人、朝鮮人巡査補 3人が勤務)の川端豊太郎巡査を石と混紡で殺した後、耳鼻などを切断した惨殺事件があったのに、裁判は報復的な事を一切しなかった。そして、起訴された 52名につき予審を担当した京城地方法務院は半数にもなる 25名を証拠不十分で免訴かつ放免した。高等法務院に刑法第77条該当として送致したのは 27名のみだった。

14 ■ 総督府時代、3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判 4 2015-09-28 00:05:49  [編集/削除]

■ 公正だった司法の独立
 ”司法の独立”は、朝鮮には存在しなかった。戦後においても朝鮮半島では、司法の独立は完全ではない。司法への介入は、金大中大統領の時も例外ではない。朝鮮において、司法の独立は、韓国併合時代の 35年間だけである。

 <憲兵警察政治> と称する事が如何に不適切であるかは、憲兵警察のなした逮捕者の半分を不起訴にした数字からも解る。拷問のない世界最高の公正裁判を受けたと言える。そして、インドやアルジェリアでの反乱に対する英国やフランスの事後処理の峻烈さと比較すれば、一層明確になる。

15 ■ 総督府時代、3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判 5 2015-09-28 00:07:31  [編集/削除]

■ 他国の民族独立運動についての裁判では
 ベトナムの民族独立運動の場合 1913年 ハノイや北部・中部の都市で手投げ爆弾を爆発する事件が続き、この事件で 14人が死刑

 1930年 北部トンキン、イェンバイ近くのフランス軍兵舎の近くに、革命軍が集結。フランス人将校 6人を殺害し武器弾薬を運び出した。この事件で、40人が死刑、50人が終身刑で流刑、34人が終身刑で重労働に処された。

 1933年には、120人が裁判となり、8人が無期懲役、79人が 5年から 20年の刑。

このように、3.1事件の最高刑が懲役3年とは比較にならない重刑である。
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