【自治基本条例はなぜつくってはいけないのか】 自治基本条例の危険性(文京区を例とした資料).doc
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1 岩倉市の健全を願う者 2012-11-27 02:38:05  [編集/削除]

【自治基本条例はなぜつくってはいけないのか】 自治基本条例を制定してはいけない理由を、東京都文京区の条令を例に説明します。

文京区 自治基本条例 について

 平成16年12月の文京区区議会で、文京区自治基本条例が制定されました。こうした条例は、昨今全国各地でつくられ、またつくられようとしています。しかしながら、なぜ条例をつくるのかも、条例の中身についても、当該自治体住民に周知されているとは、とても言えない状態です。

こうした状態で、自治基本条例が無批判に制定されていくことは、地方自治にとり重大な危機です。端的に言って、自治基本条例は、全体主義条例であり、かつ国家主権の解体、「国民主権」の侵害に道を開く、危険な条例です。

 本稿は、文京区の自治基本条例に即して、それがなぜいけないのか、今後どうするか、について簡単に述べ、文京区を「先進国型全体主義」から解放するための一助にするために書かれます。ただし、本稿は、区議会で確定した条文を精査する機会をまだ得ない段階で書かれています。依拠するのは、「「文の京」の区民憲章を考える区民会議」の最終報告です。

〔文京区自治基本条例はどこが間違っているのでしょうか。〕
 @ 制定しようとする考え方自体が、間違っています。
 A 制定手続きが、間違っています。
 B 内容が、間違っています。

1. 文京区自治基本条例には何が決められているのでしょうか。
 @ 自治の理念が「協働・協治」であること。
 A「自治政府」の政治活動に参加する権利主体。
 B 区、区議会、区長、区職員の責務。
 C 参画権。

【文京区報より】 平成15年3月15日付 文京区報一頁下段において、煙山区長は述べています。「これまで本区では、各種の計画策定や施策の実施にあたり積極的に区民参画を推進し、「区民と共に生きる」区政運営を行ってまいりました。―中略― 21世紀の自治体運営のあり方を示す区民憲章は、これからの文京区にとって欠くべからざるものです。本年は、この報告書をもとに区民公募委員を含めた検討組織を発足させ、「文の京」の区民憲章の策定に着手いたします。」

2 岩倉市の健全を願う者 2012-11-27 02:39:07  [編集/削除]

2. 自治基本条例はなぜ危険なのでしょうか。

◆【制定しようとする考え方、そのものが間違っています】

文京区に「憲法」はいりません。

 イ)国政の基本は憲法に規定されています。地方自治もその下にあります。事新しく、基本理念など決める必要はありません。 区という、最も身近な基礎自治体の仕事は、区民生活に密着した具体的問題の具体的解決です。それは状況の変化に応じて、適宜施策を立案して実行すればよいのです。

施策の実施に「住民参加」が必要な場合は、その都度、提案して理解を得て実行すればよいのです。その施策の方針、重点課題については、区長が提示し、議会の承認を得て実行します。どういう施策を中心におくか、それは区長選挙の争点です。 区長が変われば施策は変わってよいのです。(議会の了解を得られれば。)

 ロ)文京区の特色、など無理して決めることはありません。二十三区それぞれ違いはあります。しかしそれは自然と形成されるものです。緑が多い、学術機関が多い、歴史的建造物が多い、それらはそれらで大事にしていけばよいのです。 そのために、例えばマンション建設で大木を切らざるを得なくなったら、どっかに移植できる仕掛けをつくる、といった個別の政策をとればよいのです。大網を被せるような条例は、政策の柔軟性を奪います。

 ハ)文京区には、基本構想があります。 しかしそれは「区民や議決機関(区議会)を直接拘束するものではない。 したがって、区政全般の基本姿勢を明確に示し、区民の権利義務、区議会及び行政の役割・責務などを規定するためには、別に区の憲法ともいうべき(自治基本条例)を定める必要がある。」(文京区区民憲章研究会報告) として、この条例がつくられたのです。

しかし、人口約17万人、二十三区で四番目に小さい文京区で大仕掛けの条例が必要でしょうか。 新しい「権利」など要りません。 国法に規定されたもので十分です。 自治基本条例が無くても、情報公開条例も景観条例も出来ます。 そうして課題を具体的に一つ一つ解決していくことが、必要とされてい地方政治です。

 ニ)煙山区長は、自己の在任中は議会の承認を得て、自己の政策を推進すればよい。 しかし、自分の任期を越えて後任の区長の政策まで、自己の在任中に拘束するような条例を定めようとすることは越権です。 本条例制定は、区長の憲法ごっこです。

その結果として、区民の国民としての権利を損ない、議会の自主性を損ない、区の行政責任を曖昧にし、恣意的政治活動団体の跋扈を許す結果となっては、無責任の極みです。 そうした条例を可決してしまった議会も、責任を免れません。

条例の趣旨を徹底すれば、議会は必要ありません。そういう条例を可決したということは、議会は、自己が信任に値しない、と自ら認めたのと同じであることが理解されているでしょうか。

 ホ)文京区区民憲章研究会報告書には「自分たちが暮らす地域をどうしたいのか。これからどんな地域になってほしいのか。 町という単位でみた場合、自治体という単位でみた場合、毎日の生活から考えた場合、10年後・20年後の生活から考えた場合…。 いずれにしても、自治体政府が、大所高所から一方的に判断することが妥当でないことは明らかです。」 と書かれています。

その通りです。だから、大網をかけて将来の政策を包括的に縛る条例は、必要ないし、有害なのです。 必要なら住民が「参加」するでしょう。その「参加」の仕方は、実質が確保されるよう、その都度工夫すればよいのです。そうした方法を考え、実現するのが、その時々の行政と議員の仕事である筈です。

3 岩倉市の健全を願う者 2012-11-27 02:40:59  [編集/削除]

◆【制定手続きが、間違っています。】 区民会議には区民を代表する資格がありません

 イ)基本条例をつくる為に、区民会議を設けて、そこから答申を得、それに基づいて区が条例案を作成して議会に上程しました。 この手続き自体が、公平ではありません。区民会議とは何でしょうか。

 ロ)本来、区議会が 「区民会議」 ではありませんか。文京区自治基本条例研究会の会長と副会長が、そのまま 「区民会議」 の学識経験者として横滑りし、会長、副会長となっています。 団体推薦委員六人は町会、PTAなど。 これに公募委員六人と区職員が二名、幹事も区職員一名。 団体推薦委員や公募委員の初会合での発言は、勉強させて戴きます、といった体のもの。 この人達に、17万区民を代表する何の正当性がありますか。

もしこれで区民を代表するといえるなら、区議会議員の選挙は不要です。 諸団体推薦枠を半数、公募枠を半数決めて、推薦され、公募してきた人を籤で選べばよい。

 ハ)この 「区民会議」 において、主導したのは、研究会の会長・副会長であった東大の教授と助教授です。 それと行政。区民は彼らの恣意的行為に、「区民の意見」という仮装を着せるために、目くらましとして利用されただけでしょう。 これなら、当初から、行政が、その責任において作成するのが、責任主体を明確にする、公平な行政の在り方、と言えます。 そして内容の検討は、議会に特別委員会を設けて、(それこそが本来、正当な意味での 「区民会議」 です)、最低でも、自称 「区民会議」 が重ねた程度の会合は重ねて、答申 (議会が関与すれば別の表現になりますが) を提出するのが本来です。

 ニ) 区議会以外に 「区民会議」 を区長自身と区の部局によって作られるということは、議会、議員が区民の代表とみなされていない、ということです。

4 岩倉市の健全を願う者 2012-11-27 02:42:28  [編集/削除]

◆【内容が、間違っています。】 国家解体・外国人参政権・公権力私物化

《1》 意図的に作り出された新語が概念を混乱させ、公権力と公金の私物化を齎(もたら)すばかりでなく、国家主権の溶解の第一歩となります。

 1-1)「協働・協治」とはなんでしょうか。 最終報告書2頁によれば「区民、地域活動団体、非営利活動団体、事業者、区が対等の関係で協力し、地域の情報、人材、場所、資金、技術等の社会資源を有効に活用しながら、地域社会の公共的な課題の解決を図る」 という「ガバナンス」の考え方を表す新しい表現です。 しかし、こうした新語が区民に共通に理解されることは極めて困難です。言葉だけが一人歩きし、勝手な解釈が横行する可能性が高い。そうなったら、行政が甚だしく混乱します。

 1-2)「協働・協治」は、私的団体、恣意的集団による、公権力の分割であり、それは公権力の私物化です。区と区民や諸団体が「対等」であるためには、区が持つ公共性を区民や諸団体も持っていなければなりません。

区政において、区民も諸団体もある役割を有していることは当然です。 例えば、選挙、納税、住民登録などは区民や事業者が担っている役割です。 公共的な課題について、請願を始め政治的運動を行うこともそうです。 しかしそれらは、ここで言う「対等」とは異なります。

政治権利主体として「対等」であるならば、「公共性」においても「対等」性を有するのでなければなりません。 それは区と「対等」であるだけでなく、区民相互、区民と事業者や諸団体、事業者や諸団体相互の間でも同様です。

 1-3)「協働・協治」で権利主体として区民や事業者・諸団体が対等なら、区民、事業者・諸団体は責任においても区と対等です。 行政責任を区民は如何に担うのでしょうか 。区やその職員が 「区民」 「事業者」 と 「対等」 なら、その職務専念義務、秘守義務なども「対等」でなければならなくなります。

 1-4)「協働・協治」の権利主体に、議会が入っていません。 これは議会無視の思想です。 当然です。 各権利主体が対等に区政に参加するなら、どこに議会の必要性があるでしょうか。 どこに選挙をする意味があるでしょうか。

 1-5) 最終報告からは、おそらく意図的に省かれた言葉があります。それは「自治体政府」です。「区民会議」の中間報告や「自治基本条例研究会報告書」には頻出する用語です。 これは平成12年の分権一括法による地方自治改革で地方自治体は、国の出先機関ではなく、国と「対等」になりました。この地位を「地域政府」といったり、「自治政府」といったりします。

 1-6) こうした表現は、機関委任事務が廃止され、地域のことは地域で決める、という意味で地域の自主性に基づく、地方自治を徹底する、という趣旨であれば異論はありません。 しかし、国家と文京区があらゆる面で「対等」であるとする主張なら認められません。日本国家あっての文京区ですから。

しかし、地方自治体と国の「対等」を強調する主張は、「地球市民」として地域が国家を超える、という発想が根底にあります。 実際、他の自治体の自治基本条例では、その思想を明白に提示している所もあります。

パレスチナではあるまいし、「自治政府」という曖昧な用語を許すと、国家主権が危なくなります。(特に基地や米軍施設を持つ自治体では危険です。)

5 岩倉市の健全を願う者 2012-11-27 02:46:01  [編集/削除]

《2》 政治参加の権利主体に、国籍制限がありません。在日外国人も、例えば外国人団体である、朝鮮総連機関も、事業者や地域活動団体として文京区政に参加する権利を有することになります。

 2-1) 上記@で述べたように、自治体政府と「対等」に「自治政治」に関与できるということは、法定の選挙権でこそないものの、事実上の外国人参政権です。 参政権は国民固有の権利ですから、憲法違反です。

例えば、外国人が営む店の前の道路を拡張するとして、その工事につき、その店の希望を聞く、ということはあるでしょう。 そういうことは、通常の行政の範囲のことで、事新しく「協働」という必要もありませんし、その外国人に何らかの「権利」を付与したものでもありません。 しかし「協働・協治」における「参画権」は外国人による「国民主権」の侵害になります。

 2-2)「参画」の主体は、区民だけでなく、地域活動団体、事業者なども列記されています。文京区にある外国人のそうした団体が、区と「対等」に区政に「参画」して「協働・協治」することを許していいのでしょうか。

《3》既に委任された公権力(権限)が国法で決められているのに、新たな規定は必要ありません。

 3-1) 区の責務、区議会の責務などが規定されましたが、それは既に国法で決まっています。事新しく制定する必要はありません。 屋上屋を架すような条例は不要です。

 「区議会議員は、住民全体の代表者としての立場に立ち審議を進めます。」
 「議員は、区民との対話に努め、その把握を行うことを大切にして欲しいと考えます。」 などと、中学公民教科書か高校生の議会見学感想文のような最終答申を読んで、議員は何も感じないのでしょうか。

 3-2) 区議会が主体的に判断して適宜必要なら行うべき事を、一元的に決めています。 最終答申には、「区議会は、区民等と議員との直接対話の場の提供、区議会への住民参加を推進し、わかりやすく開かれた議会運営をめざします。」 と書かれていますが、これは条例で決めることでしょうか。 そもそも、議会には必要なことでしょうか。 議会の主体性が否定されている条例です。

6 岩倉市の健全を願う者 2012-11-27 02:47:27  [編集/削除]

《4》 「参画」とは、平時徴用、行政の責任放棄、活動家・恣意的団体による公権力横領です。

 最終報告には、「区の政策立案・実施・評価の各段階に区民等が積極的に参画し、協働しながら公共的な活動に取り組むことが大切だと考えます。」 と書かれています。

 4-1) 政策立案・実施・評価の各段階に積極的に関与できる区民とは、どの様な区民でしょうか。 その人達は、関与できない人を差し置いて関与し、自己の考えを実現するという、他の区民に対する優越権を、何を根拠にもつのでしょうか。 きわめて特殊な人しか関与できないでしょう。 関与、というのが、年に何回か集まって、思い付きを口にするだけ、或いは学識経験者の誘導に肯 (うなず)くだけ、というのでないならば。

 4-2) 中間報告のまとめを区民に紹介した会合の参加人数は、区民会議委員を含めて約681名、葉書やメールで寄せられた意見は43件。合わせても724。 平成15年区議選の最低得票数1249票にも遥かに及ばず落選者の下から四番目に相当する数です。 区民参加での条例作りを謳いながらこれが実態です。 個々の政策となったらどうなるか。

 4-3) 区と対等に政策立案に関与するの為には、様々なデータが必要です。 そのデータは行政が公権力を用いて集積したものです。 それを利用できる 「区民等」 は公務員としての制約を受けず権力 (情報の入手と政策立案) だけは行使できる特権的区民になります。 その様な区民の存在は許せません。

 4-4) 区民が「協働」するとき、それに応ずる区職員は、正規の仕事として報酬を得て労働します。 これは区民はただ働き、職員は有給ですから、徭役(ようえき: 国家によって人民に強制された労働・律令制で、歳役(さいえき)と雑徭(ぞうよう)の総称)です。 戦時徴用であつても給料は支払われましたが、これはただ。徴用以下です 。区の支出削減のために区民に徭役を課すのが、「協働」です。


【条例の根底には、全体主義的発想があります。】 理想社会構想に基づく社会改良主義こそ全体主義そのものです。
 現在の区政に、問題は沢山あるでしょう。 しかし、それの解決は、具体的施策によるべきです。「協働・協治」という曖昧で無責任な概念を弄ぶことからは、何の解決も生まれません。

研究会報告書や最終報告を読むと、理想社会をこうと規定し、その実現の為にはこういう条例が必要だ、という発想が根底にあることがわかります。 これが全体主義です。 旧ソ連や共産党中国、北朝鮮、ナチスやカンボジアのような暴力的強制を伴わないので一見結びつきませんが、それは大衆消費社会出現後の全体主義だからです。 いわば先進国型の全体主義なのです。

 そもそも、国政においても、着実な経験の蓄積、歴史の智慧の伝承、具体的で有効な政策の実施、政治責任をとらせうる政治体制といった本来的に意味での「民主政治」の為には、国家全体を思想的に統括することに成りかねない成文憲法主義は、必ずしも望ましいものではありません。 諸般の政治情勢からその手法を採らざるを得ない場合も、出来る限り、社会のイデオロギー化=硬直化をさける様に運営するのが憲政のあるべき姿です。

地方自治においては、より身近な政治として、自由と衡平を実現するためにも、「不文憲法主義」を貫くことこそ、必要です。 それが国政に対して、地方が主体的に貢献して、我が国の伸びやかな発展を担保する道です。

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