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実名報道 (コメント数:3)

1 はまっち 2013-02-02 15:32:14 [PC]

実名報道により事件への関心が生まれる2013/02/02 毎日NP
【薬剤エイズ】
みんなの党参院議員(東京選挙区)の川田龍平さん(37)は、危険な血液製剤で「薬害エイズ」に感染した被害者として、民事訴訟係争中に実名を公表した。
 「それは19歳の予備校生の時。訴訟が山場にさしかかっていた。多くの人に薬害エイズのことを知ってもらいたかった。問題に関心を持ってもらいたかったし、裁判に勝ちたかった」
 川田さんの実名公表は、薬害エイズの深刻さを社会に訴える大きな力になった。「実名が出たことで周りの人が応援してくれるようになった。既に公表していた人もいたが、未成年で家族とともに、顔も名前も出したことから反響がとても大きかった」という。


【9.11】
東京都目黒区の住山一貞(すみやまかずさだ)さん(75)は2001年9月11日に起きた米同時多発テロで、銀行員だった長男、杉山陽一さん(当時34歳)を亡くした。
 事件の数時間後、銀行から「氏名を公表してよいか」と電話で問い合わせがあり了承した。「やむを得ないなと。ああいう事件だから出るのは当然だと感じた。当時は行方不明だったから情報が得られるとも思った」

 時間がたって気持ちはより前向きに変わった。「<米国の事件>という見方が次第に広がっていったから『日本人だってこんな被害者がいるんだ』と社会にアピールしたくなった。名前があるのとないのとでは、受け取る側の重みは違う。名前が出たことで、交流のない人からも電話で励ましを受けた。ご家族によっては嫌という人もいるかもしれないが、私は実名を出してよかった」と振り返る。

 今、ニューヨークなど米国の3カ所に陽一さんら同時多発テロの日本人被害者の氏名を刻んだ記念碑が建っている。「これは米国が続く限りなくならない。よかったと思う」

2 はまっち 2013-02-02 15:47:35 [PC]

メディアの自主性の任せると、本人の許可を取らずに実名報道を行う
(2013/01/26 伊藤和子 国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長)

今回、日揮の意向により、人質となられた方の氏名はしばらく公表されず、「家族の強い意向」とされた。こうした事件でのメディア・スクラムの過熱と家族の意向を考えれば、賢明な判断だったと思う。

ところが、朝日新聞等がこうした意向に反して実名を報道し(報道によれば遺族との約束を破って実名公表したとされる)、政府も最終的には実名公表するに至った。


実名報道の取材で被害者がダメージを受ける
観光旅行に行って殺害された女性等には「甘かったのではないか」、ジャーナリストや人道支援家には「危険なところに行った判断が間違っていたのではないか」と非難し、プライバシーを暴き立ててきた。

無事で帰ってほしいと祈る家族、死去を知らされて本当に大きなショックを受け、立ち直れずにいる遺族の方々に、情け容赦なく、何ら関係もない報道関係者が取材合戦・会見要求をし、居丈高に私生活に介入し、追い打ちをかけるようなストレスを与えてきたのだ。

それは暴力的であり、第四権力ともいわれる権力をかさに着た強制的なものであり、脆弱な個人が太刀打ちできるようなものではない。

私自身は、2004年のイラク邦人人質事件の際、人質になった一人と親交があったので、ご家族に頼まれて様々なサポートをしたことがある。

この事件では、三人の人質の実名が公表され、新聞に大きく顔写真が掲載された。そして自宅には報道陣が殺到した。しかし、事前に家族などにメディアが了解をとって実名を公表した形跡はない。

犯人グループが自衛隊撤退を求めたために問題自体が政治性を帯びてしまったことも影響しているが、家族はメディアに連日さらされて、その一挙手一投足が詳細にメディアに取り上げられ、家族へのバッシングが人質バッシングにつながった。プライバシーを侵害したり、憶測に基づくひどい報道が雑誌を中心に相次いで報道され、あまりにも心無い報道に、「犯罪に巻き込まれただけでなぜこんなプライバシーまで書きたてられるのか」と愕然とした。

3 はまっち 2013-02-02 15:48:20 [PC]

取材を受ける側はメディアのプレッシャーで拒否できない】
救出されて帰国した直後、人質になった三人の方は、無防備にカメラのフラッシュの放列にさらされ、恐怖を覚えたようだ。

自宅に帰る前に一時滞在した都内のホテルで、メディアの方々とやりとりをしたことを覚えているが、毎日本人の声を拾うためにホテルの前で待ち続けていたメディアは怒りやいらだちを隠そうとせず、「あれだけみんなに心配をかけたのだから、会見を開いてほしい、いつ開くのか。」と迫り、「いつまでも会見を開かないと、我々の三人に対する報道姿勢はいよいよ厳しくなりますよ」と脅してきた。

被害直後に事件を思いおこすということはそれ自体フラッシュバックを伴うものであり、大勢の人間の前で声を大にして事実関係を微細にわたり問い詰められる「会見」というものは精神的に著しい負荷である。精神科医はもちろんストップをかけた。2004年の事件の場合、「判断が甘かったのではないか」などと徹底して責められるという恐怖も甚大であった。

本人の心身が少し回復したタイミングにようやく会見を開いたわけだが、そうした対応も批判された。

週刊誌のなかには、いまだに「あの人は今」という記事で、元人質だった方に悪罵を投げつけるような報道をする社もある。


→「取材の拒否は社会正義上、悪」という刷り込みを受け、本人が嫌でも取材にさらされダメージ受ける=Forced Choice
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