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サウジアラビアの女性差別 (コメント数:3)

1 manolo 2013-11-19 18:39:30 [PC]


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出典: ニューズウィーク日本版、11/26/2013、pp.36-37

1-1.
 アメリカの政治家で科学者の故ベンジャミン・フランクリンによると、人間には3つのタイプがある。動かない人、動く人、そして、動かす人だ。34歳のコンピューター専門家マナル・アルシャリフは自分の前に立ちはだかる、てこでも動かない大岩を動かそうとしている。女性は車を運転してはならないというサウジアラビアの文化的な規範だ。(p.36)

1-2.
 サウジアラビアは女性の運転が禁止されている世界で唯一の国。イスラム教スンニ派の教えと部族的な伝統が、この国の1000万人の女性の権利を制限している。チュニジアの露天商の抗議がジャスミン革命につながり、「アラブの春」を巻き起こしたように、アルシャリフの活動も大きな地殻変動をもたらすとみられている。サウジアラビアで「女性の春」を起こしたいと、彼女は言う。サウジ王家はアラブの春の波及を警戒して、反政府派への締め付けを強化しているが、アルシャリフは屈しない。(p.36)

2 manolo 2013-11-20 16:40:24 [PC]

1-3.
 彼女は今や変革の顔だ。11年には外交専門誌フォーリン・ポリシーの「世界思想家100人」にランクイン。その発言や行動は中東全域に響き渡る。彼女は「僕がヒーローと呼ぶ人物の1人だ」とセルビアの先輩活動家のスルジャ・ポポビッチは言う。(pp.36-37)

1-4.
 厳密に言えば、サウジアラビアで女性の運転が法律で禁止されているわけではない。ただ、女性は運転免許証を取得できず、外国で修得した免許証は国内では無効とされる。女性が車でどこかに行きたいときは、身内の男性に頼むか運転手を雇うしかない。90年にこのタブーに抗議した女性たちは厳しく罰せられた。そのため、その後20年余り誰も運転禁止には異議を唱えなかった――アルシャリフがハンドルを握る決心をするまでは。(p.37)

1-5.【外の世界を知った衝撃】
 11年5月、自分の車があるのに運転できないことに業を煮やした彼女は運転席に乗り込んだ。友人がその様子をスマホに撮影した。「籠の鳥のようなもの」と、アルシャリフはその時の心境を話す。「ある日扉が開かれると、鳥はためらう。飛び出してもいいの、本当に大丈夫?」アルシャリフはアクセルを踏み、広い世界へと飛び立った。わずか8分間のドライブだったが、数日後アルシャリフは宗教警察に逮捕され、6時間拘束された。だがそのときには既に、YouTubeにアップされた動画は60万回も再生されていた。彼女の行動が報道されると、女性たちの反応は真っ二つに分かれた。「今のままでいいと思っている女性たちも多い」と、アルシャリフは説明する。「女王様のように扱われ、夫が何でもやってくれるから」(p.37)

1-6.
 執拗な嫌がらせは今も続いているが、アルシャリフは動じない。最初の運転の後、支持者たちと草の根運動を組織。ロゴを作り、地元メディアも巻き込んで、11年6月17日にみんなで一斉に車を運転し、動画を撮って公開しようと呼び掛けた。反響は驚くほど大きかった。ネット上でアンケートも実施した。「あなたは6月17日に車を運転したいですか?」という質問には回答者の84%が「はい」と答えたが、「運転できますか」に「はい」と答えたのはわずか11%だった。そこでボランティアの教官を募り、希望者に運転を教えることにした。(p.37)

3 manolo 2013-11-20 16:52:34 [PC]

1-7.
 ここまで運動が盛り上がったのは、本人にとっても予想外だった。アルシャリフは聖地メッカで幼少時代を過ごした。この街のカリキュラムは宗教教育が4割近くを占める。、中学1年になると、それまで仲良く遊んでいた親せきの男の子と引き離された。「ショックだった。ただの遊び友達なのに。家族と一緒に休暇でエジプトに旅したとき、自分で運転しスカーフもかぶらずに街を行く女性たちの姿に衝撃を受けた。「信じられない光景だった」(p.37)

1-8.
 アルシャリフは学校生活を通じて自我を確立していった。一致親はトラックの運転手、母親は主婦と、労働者階級の家庭だったが、両親の方針で3人の子どもたちは高い教育を受けた。(p.37)

1-9. 【サウジ男性の二重基準】
 成績優秀だったアルシャリフはコンピューター科学を専攻、国営の石油会社サウジアラムコに就職した。会社から派遣されて1年間ボストンで生活したことが2度目の開眼となった。自分でアパートを借り、車の運転もした。旅行に行くにもいちいち父親の署名は要らない。ところが祖国に帰ると苦痛の日々が待っていた。「何をするにも、父の署名入りに許可証が要る」。一度自由の味を知ったら、もう窮屈な生活には戻れない。サウジアラビアには二重基準があると、アルシャリフは言う。「教育のある男性は外国で女性が運転したり、フカーフなしでいる姿を見ても問題だとは思わない。でも自分の国に帰ると態度を一変させる」(p.37)

1-10.
 彼女はその後も国内で女性の権利拡大の活動を続けていたが、昨年5月にサウジアラムコに解雇され、今はドバイで働いている。離婚した夫が息子を国外に出したがらないため、息子に会いに祖国に「通う」日々だ。アルシャリフはサウジ当局のブラックリストに載り、移動中も監視されている。彼女たちの組織のサイトは最近、何者かに荒らされた。それでもアルシャリフは世界中を飛び回って活動を続け、自伝も執筆中だ。(p.37)

1-11.
 抑圧されていることに気付いたら、もう二度とその状態には戻れないと彼女は言う。初めてハンドルを握ったときもそうだった。「思い切って飛び出すだけ。自分を信じて飛び出すの」(p.37)
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