2 manolo 2013-11-20 16:40:24 [PC]
1-3. 彼女は今や変革の顔だ。11年には外交専門誌フォーリン・ポリシーの「世界思想家100人」にランクイン。その発言や行動は中東全域に響き渡る。彼女は「僕がヒーローと呼ぶ人物の1人だ」とセルビアの先輩活動家のスルジャ・ポポビッチは言う。(pp.36-37)
1-4. 厳密に言えば、サウジアラビアで女性の運転が法律で禁止されているわけではない。ただ、女性は運転免許証を取得できず、外国で修得した免許証は国内では無効とされる。女性が車でどこかに行きたいときは、身内の男性に頼むか運転手を雇うしかない。90年にこのタブーに抗議した女性たちは厳しく罰せられた。そのため、その後20年余り誰も運転禁止には異議を唱えなかった――アルシャリフがハンドルを握る決心をするまでは。(p.37)
1-5.【外の世界を知った衝撃】 11年5月、自分の車があるのに運転できないことに業を煮やした彼女は運転席に乗り込んだ。友人がその様子をスマホに撮影した。「籠の鳥のようなもの」と、アルシャリフはその時の心境を話す。「ある日扉が開かれると、鳥はためらう。飛び出してもいいの、本当に大丈夫?」アルシャリフはアクセルを踏み、広い世界へと飛び立った。わずか8分間のドライブだったが、数日後アルシャリフは宗教警察に逮捕され、6時間拘束された。だがそのときには既に、YouTubeにアップされた動画は60万回も再生されていた。彼女の行動が報道されると、女性たちの反応は真っ二つに分かれた。「今のままでいいと思っている女性たちも多い」と、アルシャリフは説明する。「女王様のように扱われ、夫が何でもやってくれるから」(p.37)
1-6. 執拗な嫌がらせは今も続いているが、アルシャリフは動じない。最初の運転の後、支持者たちと草の根運動を組織。ロゴを作り、地元メディアも巻き込んで、11年6月17日にみんなで一斉に車を運転し、動画を撮って公開しようと呼び掛けた。反響は驚くほど大きかった。ネット上でアンケートも実施した。「あなたは6月17日に車を運転したいですか?」という質問には回答者の84%が「はい」と答えたが、「運転できますか」に「はい」と答えたのはわずか11%だった。そこでボランティアの教官を募り、希望者に運転を教えることにした。(p.37)
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