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ホームレス (コメント数:11)

1 manolo 2013-09-06 16:40:22 [PC]


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出典:『人権入門 憲法/人権/マイノリティ(第2版)』、横藤田誠&中坂恵美子、法律文化社、11/20/2012、(「第14講 路上に生きる―ホームレスの人権)pp.164-176

1-1. ホームレスの実態
【家のない人々】
 日本各地で公園や路上で野宿を余儀なくされる人々が目立つようになったのは、1990年代からだ。明らかにバブル崩壊後の不況を背景にしており、《ホームレスは自ら望んでそういう生活をしている》という見方が一面的であることを示している。(p.165)

1-2.
【実態調査に見るホームレスの現状】
 *ホームレスの実態についての全国的な調査によれば、2010年1月現在、全国のホームレスは13,124人となっている。2003年には25,296人いたので、ほぼ半減したことになる。2002年に施行された「ホームレスの自立支援等に関する特別措置法」に基づいて就職相談や住宅提供などの取り組みが強化されたこと、生活保護の受給のハードルが下がったことの結果といえるかもしれない。しかし、1万人以上の人が屋根のないところで生きているのは、放置してよい問題ではない。(p.165)

*ホームレスの自立支援等に関する特別措置法2条は、「『ホームレス』とは、都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者をいう」と定義している。(p.165)

2 manolo 2013-09-06 16:47:26 [PC]

1-3.
〔2007年調査〕ホームレスの生活の場所は、河川敷30.1%、都市公園28.9%、道路16.7%、駅舎4.3%、その他の施設20.0%だった、2003年調査では、河川敷23.3%、都市公園40.8%、道路17.2%、駅舎5.0%だったから、都市公園の割合が減り、河川敷の割合が増加していることがわかる。地方公共団体が公園などからホームレスを退去(排除)させるのに力を入れた結果とみられている。公園から河川敷へと、より残酷な生活環境に追いやられた人も少なくないだろう。(p.165)

1-4.
 以下、詳しい調査をした2003年・2007年の状況を見てみよう。2007年調査では、平均年齢が57.5歳で、2003年調査より1.6歳高くなった。路上生活の期間が5年以上の割合は、前回24%から41%と増えた。明らかにホームレスの高齢化・長期化が進んでいるようだ。仕事をしている人が70%で、前回調査より5%増えている。廃品回収が76%と最も多い。月収は、1~3万未満が30%(前回が35%)、3~5%未満が25%(前回19%)、5~10万未満が22%(前回14%)であり、景気回復の影響が少しは現われているといえるのかもしれない。(pp.165-166)

1-5.
 路上生活になる直前の職業は、建設業関係が約5割を占める。正社員が43%、日雇いが26%だった。路上生活に至った理由は、「仕事が減った」31%、「倒産・失業」27%、「病気・けが・高齢で仕事ができなくなった」21%だ。今後の生活については、「きちんと就職して働きたい」が最も多く36%、「今のままでいい」18%、以下、「就職できないので福祉制度を利用したい」10%、「アルミ缶回収の仕事で生活できるくらいの収入を得たい」9%と続く。2003年と比べると、「きちんと就職して働きたい」と回答した人の割合が下がっている(2003年は50%)。また、「求職活動をしている」が20%(2003年は32%)に減少している。高齢化・長期化の影響とみることができよう。(p.166)

1-6. 2. ホームレスにも人権はあるの?
【ホームレスはごみ】
 ホームレスの3割が、投石・エアガン、火のついたタバコなどで襲撃された経験があるという。彼らに対する人々の視線はたいてい厳しい。市の保健担当者ですら、「ホームレスの人権はあるのですか」と尋ねるのが現実である。最後のセーフティネットである生活保護ですら、住むところがないほど困っているのに、住居不定という理由で支給されないということがある。(pp.166-167)

3 manolo 2013-09-06 17:03:28 [PC]

1-7.
【ホームレスと人権】
 しかしもちろん、憲法が定める基本的人権はホームレスにも保障される。ホームレスの自立支援等に関する特別措置法が、法の目的に「ホームレスの人権に配慮」(1条)すべきことをあげ、自立支援施策の目標、国の定める自立支援の基本方針として、「ホームレスの人権の擁護」(3条1項3号・8項2項4号)に言及するのは当然のことだ。(p.167)

1-8.
 憲法が保障する個別的人権のなかでホームレスにとって最も重要な権利は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)だろう。この権利を具体化するのが生活保護法である。ホームレスをめぐって生活保護がいかに運用されるかが、本講の中心的な論点となる。この他、国際人権規約上の権利、特に「居住権」の意義と内容をどうとらえるかも重要な課題となる。(p.167)

1-9.
【ホームレスの人権の軽さ】
 ホームレスの人権は驚くほど軽い、一見「法を破っている、あるいは、無視する」と見える人であっても、その人が人権をもっていれば、「法に従って動く側」(公務員)はたとえ公益のためであってもその権力行使を制約されるのは、当たらい前のことだ。必要なのは、ホームレスにいかなる権利が認められ、どういう理由であればその権利の制限が正当化されるか、という冷静な議論である。当然のことながら、周辺住民の圧倒的多数が《出て行ってほしい》と思っているとしても、それだけでは正当化事由とはならない。 (p.167)

1-10.
 ホームレスと行政を「同列において論じる」のが許せないということは、このような地道な議論をするまでもない、と考えていることを意味する。それは、《ホームレスには人権がない》というのでないにしても、《ホームレスがもっている権利を重くとらえない》という一般の見方を反映している。(pp.167-168)

4 manolo 2013-09-06 17:07:10 [PC]

1-11. ホームレスの公園からの退去強制
【ホームレスの人権に基づく強制排除?】
 公園にテントを張って住んでいるホームレスに対して、地方公共団体が《シェルター(仮設一時避難所)入所か、公園退去か》の二者択一を迫って「説得」し、場合によっては強制権限を用いてテントを撤去することがしばしば見られる。その際、ホームレスの側が、「自分の居場所を自分で決める権利」を主張して抵抗するのに対して、公権力側から、屋根のある所に移すことは生存権あるいは居住権を保障することであり、非難されるべき権力行使ではない、との反論がなされることがある。たとえば2002年2月、名古屋市議会で次のような発言が議員からなされている。「シェルターに強制的に入れるというのは私は何も人権侵害につながらないと思うのですよ。むしろ、いいところへ入れてあげるのだから、しかも食事をつけてあげるのだから」と。(p.168)

1-12.
 ここでは「ホームレスに人権がない」とはだれも言わない。現代社会において国や地方公共団体が権力を行使しようとするとき、あからさまに人権を無視して行うことはできない。たとえ、周辺住民多数の排除を求める声に応じた権力行使であっても、建前のうえでは、当事者の人権を一定程度考慮する姿勢をとることは不可欠である。だからこそ、《ホームレスを公園から排除してシェルターに入れることが仮に人権制限になるとしても、それはホームレス自身の人権とためだから正当化される》という論理を必要とするのだ。しかし、本人が請求してもいないのに、ホームレスに自ら欲しない居住施設への入所を強制することには無理がある。本人のためという理由で本人の自由が制限されることが許されるのは、「限定的なパターナリスティックな制約」に該当する場合のみである。ホームレスは、子どものように、判断能力が制限されているわけではないのだから、このような人権制限は許されないであろう。(pp.168-169)

1-13.
【強制的な立ち退きを受けない権利?】
 公園にテントを張って居住する者を強制的に立ち退かせる行政側の根拠は、公園の「適正な利用を確保」(ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法11条)することだ。これは、近隣住民が立ち退きを要求する主要な根拠でもある。本講冒頭の投書でも、「公共の場所である公園を不当に占拠」することが非難されている。(p.169)

5 manolo 2013-09-06 17:10:51 [PC]

1-14.
 たしかに「不当な占拠」であれば、立ち退きを迫られてもやむをえない。しかし、もしも「強制立ち退きを受けない権利」なるものが認められるとすれば、ホームレスの存在が公園の適正な利用を多少妨げているとしても、「不法」とはいえず、強制立ち退きが安易には認められないということになる。そして、まだ日本の裁判所は承認してはいないが、そのような権利が現に主張されており、一定の法的根拠を備えているのだ。(p.169)

1-15.
【「居住の自由」と「居住権」】
 憲法22条1項は「居住・移転の自由」を保障している。これは人権体系上の一および沿革的な理由から、《どこに居住するかについて公権力から制約されない》という趣旨であると理解されている。たとえ、客観的に見ればひどい居住環境であっても、当人がそこに居を定めると決めた以上、正当な理由がない限り、それを制限することはできないのだ。(p.169)

1-16.
 しかし、ホームレスに関連して通常主張される居住権は、憲法上の居住の自由ではなく、国連人権規約から導き出されている。経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)11条1項は、「この規約の締約国は、自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める」と規定する。この権利は、居住の自由とは異なり、国に対して一定の行為を請求する社会権的な権利であるとされている。(pp.169-170)

1-17.
【社会権規約委員会の解釈】
 この規定を受けて、国連社会権規約委員会は、1991年の「*一般的意見4」において、「住居に対する権利は、たとえば単に頭上に屋根があるだけの避難所」ではなく、「安全、平和及び尊厳を持って、ある場所に住む権利」とみなされるべきであるとする見解を明らかにしている。また、「占有の種類にかかわらず、すべての人は、強制立ち退き……から法的に保護される一定の占有の保障を有する」とする。ここでいう「占有」には、「土地又は財産の占有を含む非公式の定住(informal settlements)」が含まれる。重要なのは、この見解が「非公式の定住」に対しても一定の法的保護が与えられるべきことを明示している点である。これを、「強制立ち退きを受けない権利」といってよいかもしれない。(p.170)

6 manolo 2013-09-06 17:16:51 [PC]

*条約の規定は非常に簡潔で、文言だけでは具体的内容が明らかでないので、社会件規約委員会が権利の実現すべき内容についての委員の意見が一致したものを「一般的意見」として公表している。同委員会のアイベ・リーデル副委員長の大阪高裁での証言(2003年10月8日)によれば、一般的意見はそれ自体は法ではなく、法的拘束力を持たないが、裁判所は規約を解釈する義務を負い、その際の権威ある非常に有益な解釈の指針である、という。(p.170)

1-18.
 同委員会はまた、1997年の「一般意見書7」において、強制立ち退きの定義・許容性をより明確にした。「国家は、自ら強制立ち退きを控え、かつ、強制立ち退きを行う国家機関又は第三者に対する法の執行を確保しなければならない」。強制立ち退きが正当化されるためには、①高度な正当化事由、②適正な手続き的保護(影響を受ける人との真正な協議、十分かつ合理的な事前の通知など)、③代替的な住居の確保、の3要件が必要とされる。これを前述の「一般的意見4」と併せて読むとき、たとえ所有権・賃貸権のような法的根拠のない占有であったとしても、安易に強制立ち退きされるべきでなく、公権力側に相当高度な義務が課されていることがうかがえる。(pp.170-171)

1-19.
 社会権規約委員会は2001年9月24日、日本における社会権規約の実施状況について、「最終見解」を採択した。同委員会はその中で、「強制立ち退き、とりわけホームレスの人々のその仮住まいからの強制立ち退き」に懸念を表明し(30段落)、生活保護法の全面的適用の確保のための十分な措置(56段落)、立ち退き命令および特に裁判所の仮処分命令手続きが一般的意見4・7に適合するための是正措置(57段落)を勧告している。(p.171)

1-20.
 問題は、社会権規約11条1項のこのような解釈が法的に正当であるか否かである。この点をめぐって争われたのが、今宮中学校前道路事件である。

【今宮中学校前道路事件】
 大阪市は、道路法に基づいて、市立中学校前の市道の歩道部分で生活していたホームレスの居住用テントを撤去した。ホームレスがこの処分を違法であると主張した理由の一つに、社会権規約が保障する居住権を侵害するというものがあった。(p.171)

7 manolo 2013-09-06 17:19:46 [PC]

1-21.
 この主張を裁判所は認めなかった(大阪地裁判決2001.11.8. 大阪高裁判決2004.9.4.)。まず、社会保障法令の国籍要件の合憲性を認めた1989年の塩見訴訟判決(最高裁判決1989.3.2.)を引用して、社会権規約11条1項の定める居住権は、国の政治的責任を宣言したものであって、個人に具体的権利を与えていない、とする。また、「一般的意見」は勧告的な意味を持つもので、裁判規範とはならない。裁判所はそう判断して、「強制立ち退きを受けない権利」の存在を否定したものである。大阪市の2つの公園の強制立ち退きに関する訴訟でも、裁判所は訴えを認めなかった(大阪地裁2009年3月25日、大阪高裁2010年2月18日)。(p.171)

1-22.
【居住権をめぐる課題】
 裁判所のこのような社会理解に対しては、1990年代以降の社会権規約委員会は国際法学説における理論的深化によって時代遅れになっているとの指摘もある。それによれば、近年国際社会では、自由権、社会権を問わず、人権の実現のために国家の負う義務を三層構造のもとに理解しているという。すなわち、国家自らが人権侵害を行うことを控える「尊重義務」、国家が第三者によって行われる人権侵害を規制する「保護義務」、個人の自助努力によって達成されえない側面を国家が補い、結果的に人権の完全な実現を達成する「充足義務」の三層である。たしかに、自由権は尊重義務の側面が強く、社会権は充足義務の色彩を濃くもつという特徴が存在することは事実であろう。しかし、それに終始するものでなく、両権利とも三層それぞれの要素を併せもっている。特にここでいう居住権の内実であるとされる「強制立ち退きを受けない権利」は(充足義務ではなく)「尊重義務」であるから、合法・違法の判断は即時にでき、裁判所の判断を差し控える理由は存在しないのである。(p.172)

1-23.
 それでは、そもそも「強制立ち退きを受けない権利」を社会権規約11条1項の要求と見ることは妥当だろうか。一般的意見4・7により、居住の場所が正規のものでない「非公式の定住」にも一定の保護が与えられ、公権力側が強制立ち退きをするには相当高いハードルを超えられなければならないという解釈が成立するだろうか。(p.172)

8 manolo 2013-09-06 18:24:40 [PC]

1-24.
 この解釈の根拠である一般的意見が法的拘束力のある規範とはいえないことは、国際法学上も、また社会権規約委員会においても認められている。しかし、一方で、一般的意見は権威ある非常に有益な解釈の方針、補助手段であり、これを利用しないかたちでの判決は裁判の拒否にもなりうる、との見解もある。今後の議論の行方が注目される。(p.172)

1-25. 4. ホームレスと生活保護受給権
【ホームレスへの生活保護適用への現状】
 多くのホームレスが「困窮のための最低限度の生活を維持することのできない」(生活保護法12条)状態にあると見られるにもかかわらず、彼らが生活保護を申請しても直ちに保護が行われることは稀である。2006年の1年間にホームレスに対して適用された生活保護件数は、30,298件、そのうち約6割の18,705は同期間内に廃止となっている。意外に多いと思われるだろうが、一般住宅での保護はわずか8%(2,390件)で、最も多いのは入院(38%、1万,1467件)だ。病気が治れば路上にもどることになる。次に多いのが無料低額宿泊所(24%、7,162件)で、これも定住を前提にしてはいない。保護廃止の理由の40%(7,390件)が傷病治療、34%(6,415件)が失踪だという。せっかく生活保護が適用されても、多くが再び路上にもどり、自立につながっていないとすれば、何のための制度なのだろうか。(p.173)

1-26.
 そもそも、2007年実態調査によると、これまで生活保護を利用したことのある人は24%にすぎない。相談に行って断られたのは3%だけだが、利用したことのない人が7割を占める。この数字は2003年調査とほとんど変わらない。生活保護の適用に前提条件を付し、速やかな保護適用を拒否している福祉行政当局の対応に問題はないだろうか。(p.173)

1-27.
【生活保護と住居】
 生活保護法は、困窮に至った原因を問わず、法の定める要件を満たす限り保護を無差別平等に受けられることを明示している(2条)。自らの資産・能力の活用を優先すべきとする補足性の要件はあるものの、「急迫した事由がある」ときにはまず保護すべき旨を定める(4条3項)。また、「居住地がないか、又は明らかでない要保護者」であっても、「現在地」を所管する福祉事務所が保護を実施しなければならない(19条1項2号)。(p.174)

9 manolo 2013-09-06 18:30:42 [PC]

1-28.
 つまり、定まった住居をもたないからといって保護の対象外とはされていないのだ。厚生労働省の通知においても、「ホームレスに対する生活保護の適用に当たっては、居住地がないことや稼働能力があることのみをもって保護の要件に欠けるものではないことに留意し、生活保護を適性に実施する」と強調されている。(p.174)

1-29.
 ところが、実際にはホームレスに対する生活保護の適用は厳しく制限されていた。「一定年齢(通常65歳)未満の働く能力のある生活困窮者」と「住所のない者」が生活保護を受けるのは現実に非常に困難だという実情があったのだ。このような違法な法運用は最近まで続いていた。2008年暮れの「年越し派遣村」が、「派遣切り」による多数のホームレス化という現実を白日の下にさらしたこときっかけに行政も態度を変え、ようやく生活保護法が普通に機能するようになり、ホームレスの保護受給が激増した。(p.174)

1-30.
【林訴訟】
 不況で仕事がなくなり、野宿となった50代の男性が、両足痛を訴えて生活保護(医療扶助・生活扶助・住宅扶助)を申請したが、福祉事務所は、就労可能という医師の判断のみに基づいて、1日限りの医療扶助単給の開始決定、翌日廃止の処分を行った。このような取り扱いは全国的に広く行われてきた。この処分の取消などを求めたのが、林訴訟である。(p.174)

1-31.
 第1審・名古屋地裁は、原告の請求を認めた(名古屋地裁判決1996.10.30)。争点である稼働能力の活用について、判決は、「申請者がその稼働能力を活用する意思を有しており、かつ、活用しようとしても、実際に活用できる場がなければ、『利用しうる能力を活用していない』とは言えない」と判事する。原告は、軽作業を行う稼働能力を有してはいたものの、就労しようとしても実際に就労する場がなかったと認められる。このようにして裁判所は本件開始決定の違法性を認め、これを取り消したのである。(pp.174-175)

10 manolo 2013-09-06 18:33:15 [PC]

1-32.
 これに対して、控訴審・名古屋高裁は、一転ホームレス敗訴の判決を下した。(名古屋高裁判決1999.8.8)。高裁判決は、稼働能力を有するとみなされる年齢であるからといって、保護を否定されるわけではないという点で、地裁判決と共通する。ただ、地裁判決が「具体的な生活環境の中で実際にその稼働能力を活用できる場があるかどうか」とするのに対し、高裁は「その稼働能力を活用する就労の場を得ることができるか否か」によって判断すべきとする。この微妙な表現の違いを反映して、就労場所の有無については、高裁判決は地裁判決と対照的な判断を下す。当時の日雇労働の求人や紹介の状況の厳しさを認めながら、有効求人倍率からすれば、職業安定所に赴き、職業紹介を受けたうえで真摯な態度で求人先と交渉すれば就労の可能性はあったと推認することによって、就労の場の可能性を認定している。また、日雇い建設労働に固執することなく求職の範囲を広げ、真摯に就職のための努力をすべきであったのに、その努力をしていなかったと判断したのである。(p.175)

1-33.
 稼働能力の活用についても同じ解釈に立脚しながら、正反対の結論に達した両判決の相違をもたらしたものは、単なる事実認定の違いではない。背景に、《努力が足りないから就労できないのだ》という高裁判決のホームレス観があることを指摘することができるのである。(p.175)

1-34.
【ホームレス観の源流】
 「健康で文化的な最低限度の生活」を営めていないことが一見してわかるホームレスに対する生活保護の適用を拒むことは、「すべての国民は、この法律の定める要件を満たす限り」(生活保護法2条)無差別平等に保護が受けられるという原理からすれば、明らかに違法である。(p.175)

1-35.
 実は、ホームレスを貧困者一般と分けて扱う傾向は生活保護法成立時から存在していたという。行政側にしてみれば、常用雇用の人々の失業は問題であるが、もともと不安定な生活をしているホームレスの場合、何日か住む場所がなくてもたいしたことはないという逆転の思考があるというのである。(pp.175-176)

11 manolo 2013-09-06 18:34:19 [PC]

1-36.
 このようなホームレス観の源流をたどれば、人々の価値観・社会意識のありように行き着く。すなわち、「近代社会の『普通』の貧困は、……差異や不平等感をもった『われわれ』の社会の序列の下位に位置づけられた、価値の低い『生きて行く場所』しか確保できなかった人々の状態を問題視したところに登場した。これに対して『ホームレス』や『アンダークラス』の貧困は、『われわれ』の社会の中には『生きていく場所』を確保できなかった人々の、あるいは『われわれ』の社会の外に追いやられた『かれら』の貧困を示している」(岩田、2000、p.27)というとらえ方である。生活保護行政による法に忠実とはいえない運用が、このようなホームレス観に影響されたものであることは、容易に想像される。問われているのは、われわれの意識なのかもしれない。(p.176)

1-37. 対大家的鼓励
 人権の根源は、「人間の尊厳」を自他ともに信ずることです。名古屋で野宿生活をしている人が支援者にこう語ったそうです。「野宿に追いやられて、腹が減って、初めてゴミ箱に手を突っ込まないといけなくなった時は、たまらなかった。恥ずかしいので誰も見ていないことを確認して、手を突っ込み残飯を食べた。ああ、とうとう俺もこんなものを食べなければならないようになってしまったとか思うと、情けなかった。人間としても誇りを奪われるように思われたよ。藤井さん、野宿とはそういうことを繰り返すことなんだよ。そのたびに人間の尊厳が奪われていくんだよ。そして、ゴミ箱に手を突っ込むことを恥ずかしく思わなくなり、人前でも突っ込むことになる。どんどん奪われるんだよな」(藤井克彦・田巻松雄『偏見から共生へ』風媒社、2003年、17頁)
 ホームレスという人はいません。いるのは1人ひとりの人間です。私たちはつい、人を属性で決めつけがちです。一般の価値観からすると厳しく見られがちなホームレスに対しては特にそうでしょう。だからこそ、一人ひとりの人間と主張を理解したいものです。(p.176)
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