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租税回避地3 manolo 2013-09-11 13:27:27 manolo
ドーピング4 manolo 2013-09-11 09:38:28 manolo
エジプト11 manolo 2013-09-09 17:22:59 manolo
ホームレス11 manolo 2013-09-06 18:34:19 manolo
シリア14 manolo 2013-09-04 22:48:26 manolo
国際NGO8 manolo 2013-09-02 12:56:58 manolo
HIV、エイズ3 manolo 2013-08-30 23:27:40 manolo
自殺報道3 manolo 2013-08-23 14:59:37 manolo
減胎手術4 manolo 2013-08-21 20:36:32 manolo
グローバル人材3 manolo 2013-08-21 17:27:34 manolo
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1 manolo 2013-09-11 12:48:20 [PC]


278 x 182
出典:『地図で読む世界情勢 -激変する介在とEU危機-』、ジャン‐クリストフ・ヴィクトル、河出書房新社、8/30/2012、(「非難される租税回避地」)pp.86-88

1-1.
 2000年、「租税回避地」とされる52の国と地域を特定した初めてのリストとが公表された。うち33は主権国家で国連の加盟国、19の地域は主権国家と結びつき、その半数以上はイギリスだった。正確とはいえないこのリストの出所は三つの国際的な評価・調整組織で、OECDと金融安定化フォーラム(FSF)。金融活動作業部会(FATF)である。(p.86)

「租税回避地の地図」
2009年、G9は二重のリストを発表した。一つはグレーリストで、税の国家基準を適用すると約束しながら、実際は実行していない国。もう一つはブラックリストで、約束すべてを拒否している国、これは4カ国だ(コスタリカ、ウルグアイ、マレーシア、フィリピン)。その後、後者はこのリストに抗議し、税規制を改革すると約束すると約束したのを受け、ブラックリストは破棄され、グレーリストだけに再編成された・・・2010年末、このうち〔42カ国と地域〕数カ国が透明化に合意し、他の国が約束したことで、このリストはわずかに9カ国になった。(p.87)

2 manolo 2013-09-11 13:11:38 [PC]

1-2. 【租税回避地とは?】
 租税回避地の仕組みは得目新しいものではなく、貿易・金融・税規制を迂回する流れはつねに存在していた。それでも第2次世界大戦後、第2の独立の波が起こったとき、いわゆる租税回避地が加速度的に形成されたのが確認できる。これらの領土の多くは、それまでは貿易の通過地域でしかなく、生産地域でも開発地域でもなかった。たとえば、三角貿易を受け継いだカリブ諸島やヴァヌアツ、キリバス、バハマなどで、かつてイギリスの戦略的地域として機能していた。これらの国が独立した時点で、本国は政治的・財政的支援をやめ、多くの新国家は発展のために観光や金融を選択することになる。(p.86)

1-3.
 租税回避地の特徴は、国際的資金の流通が完全に自由なこと、銀行の秘密遵守がが強固または完全なこと、企業登録が容易で早いこと、そして非居住者の税金がかからないことだ。また、租税回避地になるには、政治的・経済的に安定していることを強調しなければならず、資金洗浄(マネーロンダリング)の場として有名であってはいけない。さらに、大証券市場(ロンドン、ニューヨーク、パリ、東京、上海)の支援を利用する力もなければならない。後者はオンショア(通常の金融)とオフショア(規制外の金融)の仲介役をしているからだ。(pp.86-87)

1-4.
 租税回避地がもたらす利益は無限にある。まず、資産を秘密裏にしておきたい個人の富豪(税金対策、相続税の免除など)に「名目上」の支払い場所を与える。このやり方は倫理上非難されるべきだが、法律を迂回する方法を知っていれば法的に可能である。ここ数十年、世界で大富豪が増加したことで租税回避地への流出現象はより強まった傾向があり、100万ドル以上の資産を預ける個人の数は、1996年の450万人から2010年には1000万人ほどになっている。(p.87)

1-5.
 租税回避地はまた大企業にも奉仕している。たとえばヨーロッパの有名大企業上位50社はすべてヨーロッパか他の地域の租税回避地に存在し、そこに子会社の20%の住所登録をしている。このやり方はとくに多国籍大企業に有利で、税の重圧を軽減することができる。税率の高い地域での利益を実質以下にし、子会社のある租税回避地での利益を最大にするのである。(p.87)

3 manolo 2013-09-11 13:27:27 [PC]

1-6.
 しかし、オフショアの場合はとくに犯罪組織を引きつけ、密輸やコピー商品、売春、人身売買、麻薬の密売による収入が預けられている。麻薬の密売で得たお金を洗浄する仕組みはよく知られているが、租税回避地を通過した犯罪がらみのお金の総額は謎のままだ。(p.87)

1-7. 【租税回避地は終わりにしよう】
 租税回避地は外国の資金をまさにポンプのように吸い上げている。ここを通過するお金の量を計算するのは秘密遵守もあって難しいのだが、それでも世界の金融取引の半分はオフショアを通ったいると推定される。ただ、世界を震撼させた2008年の経済・金融危機でこの様相は少し変わった。なぜなら、危機を引き起こし、拡大させた責任の多くはオフショアの金融機関にあるからだ。多くの銀行や投資ファンドは債権の一部をここで隠蔽することができていた。(p.87)

1-8.
 世論に押させる形で、G20の首脳たちは2009年のロンドン・サミットで租税回避地対策をアジェンダに組み入れた。このとき、租税回避地を特定して処罰する一連の措置が決められたのだが、実際の行動はヨーロッパのオフショアと、税務行政間の情報交換にとどまっている。(pp.87-88)

1-9.
 2011年現在、租税回避地対策全体の成果はきわめて物足りない。G20が作成したグレートブラックのリストに載った国が改善を約束しただけで、それらの国名はリストから消されてしまった。あとはわずかながら透明化への努力が見られるだけである。しかし規制の観点から見れば、租税回避地の息の根を止めるのは簡単だろう。国際的な大証券市場(東京、ニューヨーク、ロンドン、上海など)がオフショアがらみの取引すべてを禁止すればいいだけだ。しかし現実は想像以上に複雑でもある。多くの租税回避地は主権国家で、税制はその国の主権の管轄内である。それに加えて、世界の多くの国が秘密裏に租税回避地との関係を維持している。さらに、不透明であることから租税回避地を特定できないこともある。そして最後は、この仕組みから利益を得ている多くの要素があって、なくなることが必ずしも得策と思われていない。(p.88)
 
1 manolo 2013-09-11 09:10:42 [PC]


195 x 259
出典:『よくわかるスポーツ文化論』井上俊&菊池幸一編著、ミネルヴァ書房、1/20/2012、「XV-2. ドーピング」pp.156-157

1-1. 1.スポーツの世界における身体能力
 身体能力の違いは、日常生活では個性にすぎません。しかしそれは、スポーツの世界では優劣を測るひとつの尺度となります。これは、スポーツの世界ではそれ独自の尺度(価値)-より高く・早く・強い方が望ましい-によって参加者の位置づけが行われるからです。とくに競技スポーツではその勝敗は多かれ少なかれ、競技者の身体能力の違いによるとされています。その違いを埋め、さらには優越するための活動としてトレーニングなどがあると考えられますが、ドーピングもまた、物質の摂取によりそれらをおこなう活動といえます。その意味で栄養食品の摂取なども含まれるようにも思われますが、ドーピングはもっと限定的に定義されています。(p.156)

2 manolo 2013-09-11 09:25:49 [PC]

1-2. 2. ドーピングの定義
 現在、反ドーピング活動の中心は、1999年にスイスで設立された*世界アンチ・ドーピング機構(WADA、World-Anti-Doping Agency)です。この機構によって限定された「*反ドーピング規程(コード)」の8条項のひとつにでも当てはまる活動をドーピングと呼びます。さらにそれらの条項はそれぞれ、より具体的な検査と判定手続きを定めた項目によって規定されています。(p.156)

*日本でも2001年に日本アンチ・ドーピング機構(JADA、Japan Anti-Doping Agency)が設立された。(p.156)

**反ドーピング規程(翻訳版)
1. 競技者の身体からの検体に禁止物質、その代謝産物あるいはマーカーが存在すること。
2. 禁止物質、禁止方法を使用する、または使用を企てること。
3. 正式に通告された後で、正当な理由なく、検体採取を拒否すること。
4. 競技外検査に関連した義務に違反すること。具体的には、居所情報を提出しないことや連絡された検査に来ないこと。
5. ドーピング・コントロールの一部を改ざんすること、改ざんを企てること。
6. 禁止物質及び禁止方法を所持すること。」
7. 禁止物資・禁止方法の不法取引を実行すること。
8. 競技者に対して禁止物質や禁止方法を投与・使用すること、または投与・使用を企てること、アンチ・ドーピング規則違反を伴う形で支援、助長、援助、教唆、隠蔽などの共犯関係があること、またはこれらを企てる行為があること(日本アンチ・ドーピング機構(2009)『日本ドーピング防止規程』6-10頁)(pp.156-157)

1-3.
 「反ドーピング規程」で禁止する物質は毎年見直しがおこなわれますが、そのさいには監視物質として、禁止されてはいないものの、検査によって使用動向を監視し、禁止するかどうかを検討する物資も定められます。たとえば、2010年にはプソイドエフェドリンが禁止リストに再導入されました。この物質は鼻づまり用の内服薬として広く使われているものです。この物質に対する5年間の監視プログラムの結果、高濃度の乱用が認められるとして、WADAは2004年に禁止から除外されていたこの物質を、再度禁止リスト入りさせたのです。(p.156)

3 manolo 2013-09-11 09:37:42 [PC]

1-4.
 競技者の使用動向によって禁止リストが更新される - このような経緯と現状が示しているのは、ドーピングには終わりがない、ある種のイタチごっこであるということです。実際のところ、ドーピングをまず概括的に定義し、そこに当てはまる物質をリスト化するというWADAの手法は、1970年代以来の麻薬などの薬物取り締まり法制度と共通のものです。遺伝子技術などもすでにその対象になっており、終わりのない取り締まりが予想されます。(p.156)

1-5. 3. ドーピングに関する2つのイメージ
 現代の競技スポーツは多くの場合、マスメディアにおけるイメージと切り離して考えることは難しいですが、ドーピングも同様です。ドーピングがマスメディアで表現されるさいには、主として2つのパターンが使用されてきました。(p.157)

1-6.
 まずひとつは、特定競技者による「個人的行為としてのドーピング」です。これが広く注目されたのは、1988年「ソウル・オリンピックでの男子陸上100メートルです。決勝ではカナダのベン・ジョンソン選手が9秒79の世界新記録で優勝し、金メダルを獲得しました。しかし検査によって、禁止物質である筋肉増強剤が検出され、金メダル剥奪と選手資格の2年間停止となりました。*この事件は主にジョンソン選手個人の逸脱と報道されました。2007年にはアメリカ大リーグで有名選手たちの、ドーピング蔓延事情が報道されました。(p.157)

*ただしその後の調査で、これが組織ぐるみのものであったことが明らかになっている。(p.157)

1-7.
 もうひとつは「国家的な取り組みとしてのドーピングです。欧州では旧東ドイツによるものが有名です。こちらの場合では、ドーピングは過去の共産主義国の特有の逸脱行為とされますが、同時に、男性ホルモン系筋肉増強剤を継続的に投与された女性競技者が男性化し、性転換して生きていかざるを得なくなるなど、その後の経緯なども含めて問題とされ、競技者はドーピングの主体ではなく、被害者として位置づけられます。ただし旧西ドイツにおいても。すでに1950年代中頃には筋肉増強剤の使用を医師によって勧められたという証言もあり、ドーピングは特定の政治体制がおこなう逸脱とはいえません。(p.157)

4 manolo 2013-09-11 09:38:28 [PC]

1-8. 4. 近代競技スポーツとドーピング
 問題は、これらのメディア・イメージがより重要なことを隠してしまうおそれがあることです。そもそもドーピングは、逸脱的傾向を持った個人や国家が、みずからのために行う行為だと言い切れるものではありません。その動機の成立や維持について考えると、ドーピングが社会現象であることは明白ですし、それらは競技スポーツの社会的な成り立ちと深く結びついています。(p.157)

1-9.
 K.-H.ベッテとU.シマンクは、近代競技スポーツにおいて、ドーピングはその構造による必然的な結果であると指摘しています。近代競技スポーツの世界では勝利が最も重要な価値であり、選手自身だけでなく選手を支援する周辺を社会的にも経済的にもまきこんで、「勝つこと」が非常な圧力に、ときに絶対条件にさえなります。これは競技スポーツが社会のなかで相対的に自律性を獲得し、それ独自の価値や規範、さらには制度を持つような領域として成立したことによるものです。そのような状況にある競技スポーツでは、ドーピングさえもが勝利のための手段として選ばれ、ときに正当化さえされるのです。つまりドーピングは、個人に利益や国家の威信にのみ還元できる問題ではなく、きわめて社会的な問題なのです。(p.157)
 
1 manolo 2013-02-04 19:31:15 [PC]

出典: 朝日、2/3/2013、p.9

1-1. エジプトで続く反政府デモで「ブラック・ブロック」と名乗る覆面の若者たちが暴れ回っている。ムルシ大統領の出身母体であるイスラム組織ムスリム同胞団を敵視し、治安部隊を挑発する。1日にカイロの大統領府前で火炎瓶をを投げつけた暴徒の中にも姿があった。過激な覆面集団が市民デモの尖鋭化に拍車をかけている。

1-2. 黒ずくめの服装に、黒い覆面。デモ隊の中でも異彩を放つ集団は1月25日、カイロのタハリール広場であったデモで初めて目撃された。このような外見の若者たちは、ムバラク政権を崩壊させた2011年のデモでは見られなかった。行動は過激だ。メンバーが立ち上げたとみられるフェイスブックのページで、治安部隊の車両を奪ったことを写真つきで紹介。同胞団の支持者が経営するとされる商店に放火したことも認めている。

1-3. 創設者の一人だという大学生を名乗る男性は、地元紙に対し、「我々はどの政治組織とも無縁。『報復か革命か』がメンバーの信念だ」と語った。大統領府前で昨年12月、デモ隊が同胞団の支持者に襲われたことが結成の動機だという。「自衛に加え、(2年前の)革命でデモ参加者を殺したもの者たちに報復するためだ」という。メンバーは1万人という情報もある。中心は20代の若者で、20人ほどのグループで行動し、「監視」「実行」などの役割分担もあるという。

1-4. ブラック・ブロックは、欧米の反資本主義デモなどで、黒い服装で過激な行動に出る人々のことを指し、それにならって登場したとみられる。国営中東通信によると、検事総長はこのグループを「テロリスト集団」と断定。捜査当局に対して逮捕を命じるとともに、市民に対しても、拘束して当局に突き出すように求めた。

2 manolo 2013-02-06 17:41:09 [PC]

出典: ニューズウィーク日本版、2/12/2013、p.17

2-1. 「政治勢力間の対立が今後も続けば、国家が崩壊しかねない」。先週、エジプトのシシ国防相はそう警告した。この発言は多くの人々を驚かせ、軍事クーデターの前触れかという憶測を呼んだ。だが、ムスリム同胞団主導のモルシ政権に利権を保障された軍部は、現在の政治危機を陰で「操る」方を選ぶのではないかと、専門家は言う。ある軍高官も、「われわれは政府の望むことをやるだけだ」と語った。

2-2. ムバラク前政権を倒した大規模デモから2周年を迎えた先週う、エジプト各地で吹き荒れたデモと暴動の死者は50人以上。負傷者は数百人に上った。北部のポートサイドは無政府状態に陥り、首都カイロでも高級ホテルが略奪に遭った。モルシ大統領は既に、ポートサイドなどへ軍を派遣している。

2-3. モルシが対話を通じて危機を解決できなければ「軍が介入に踏み切る可能性はある」と、軍事アナリストのモハメッド・サイード元准将は指摘する。実際、国民の間にはエジプトのイスラム化を阻止する防波堤の役目を軍に期待する声もある。

2-4. だが、反モルシ派のデモ隊も、軍の政権団奪取に派拒否反応を示す。軍が権力を握れば(これまでより)ずっとひどい軍事政権が登場する、と「有力活動家のヌール・アイマンは言う。軍部は今も多くの行政のポストと巨大な経済的利権を握ったままだ、専門家によると、軍のビジネスは観光業から食品加工、武器製造まで及ぶという。

2-5. 同胞団主導の下で起草された新憲法は、国防予算を議会による監視の対象から外すなど、軍の既得権益を保証する内容だった。それだけ同胞団側は、現政権への脅しとも取れる国防相の警告に不意を突かれた格好だ。「政治的声明であり、極めて意外だ」と、カイロの同胞団の有力者カリム・ラドワンは言う。

3 manolo 2013-02-06 17:49:18 [PC]

2-6. 国防相の声明は今も「国家の守護者」を自任する軍の姿勢を浮き彫りにしたと、専門家は指摘する。それでも同胞団が軍に配慮を示したことで、当面クーデターの可能性は遠のいたのかもしれない。「軍は決して政治から手を引かないし、今後も大きな役割を果たし続けることになった」と、国際政治情勢のコンサルティング会社ユーラシア・グループ(ニューヨーク)のハニ・サブラは言う。「だから軍の指導部は、今の現状に満足している。」

4 hama 2013-04-02 06:54:37 [PC]

治安が悪化すると観光収入が悪化。結果、政府の収入が減少することで、補助金や福祉がカットされる。

毎日NP 2013/04/01
「軽油を自宅に買いだめすると、火災を起こす危険が高いのでやめるように」。エジプト政府は3月、異例の声明を出して国民に注意を呼びかけた。エジプトでは1月以降、軽油の供給不足が続き、ガソリンスタンドの前にトラックやバスの車列が目立つようになった。緊急時に備えて、ポリタンクに軽油を入れて持ち帰る客も多い。20リットルあたり、30ポンド(約410円)の軽油が、闇市場では50~60ポンドで取引されている。

 供給不足の背景には、政府の財政悪化がある。ムバラク前政権時代から政府は補助金で軽油や食料品の価格を低く抑えてきた。だが2011年のムバラク前政権崩壊後、治安への不安から主要産業の観光業収入が低迷。2月末の外貨準備高は約135億ドル(約1兆2700億円)まで下落。エジプト中銀が「危機的水準」とした昨年末の150億ドルからさらに減少した。そのため、軽油の輸入や補助金に充てる予算も不足している。

 財政立て直しのため、政府は国際通貨基金(IMF)から総額48億ドルの支援を受ける交渉を続けている。だが支援の条件として、補助金削減などの財政改革を突きつけられ、交渉は難航している。

 政府は歳出削減策として、発電や食品製造など一部の業種を除く工業用の燃料の値上げを決定。節電のため、カイロ国際空港は6月以降、1日4時間休業することも決めた。だがエコノミストの間では、市民生活に直結するパンやガソリンの補助金削減も不可避との見方が強まっている。歳出削減策が国民の不満を高めるのは必至で、人民議会(国会)選挙を控えるモルシ政権はジレンマに陥っている。

 エコノミストのイブラヒム・マンスール氏は「政府は、財政改革に必要な負担や将来の経済活性化策を国民にきちんと示すべきだ。国民の理解を得ずに生活状況の悪化だけが続けば、食糧難などへの不満から第2の革命につながることもあり得る」と指摘している。

5 manolo 2013-09-09 15:02:33 [PC]


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出典: 朝日、8/15/2013、p.2(「エジプト流血再び」)

4-1.
 エジプトの暫定政権が、ムルシ前大統領派のデモに対し、再び強制排除に乗り出した。軍によるクーデターから42日。米欧の仲介は失敗し、国民の融和は進まず、生活向上も見えない。エジプト情勢はさらなる混迷の様相を呈している。

4-2.
 軍主導の暫定政権は、なぜこのタイミングで強制排除に踏み切ったのか。大きな要因は、悪化の一途をたどる経済だ。30年にわたって強制支配したムバラク政権、その後、エジプト初の自由選挙で選ばれたムルシ政権が支持を失った理由の一つは、いずれも庶民の暮らしを改善できなかったことにある。

6 manolo 2013-09-09 15:27:49 [PC]

4-3.
 暫定政権が7月中旬に発足してからも混乱が続き、観光客や外国投資も激減した。昨年末から対米ドルで1割以上も下落したポンド相場は回復せず、食料品など輸入品を中心に物価の上昇が続き、7月のインフレ率は年率換算で10%を超えた。ムスリム同胞団に批判的なサウジアラビアなど湾岸諸国が表明した計120億ドル(約1兆1800億円)相当の支援を受け、外貨準備高が持ち直し、ガソリン不足も緩和したが、生活改善にはほど遠い。

4-4.
 先行きが見えない状態が長引けば、軍のクーデターを歓迎した市民の支持を失いかねない懸念があったとみられる。すでに「ムルシ政権を倒せば今度こそよくなると思ったけど、何も変わらない」との不満が市民から漏れ始めている。

4-5.
 暫定政権は14日、国営中東通信を通じて声明を出した。「流血は遺憾」としたうえで、ムルシ支持派に対して暴力の行使と権威への抵抗をやめるよう呼びかけ、ムスリム同胞団指導部を「暴力を扇動している」と批判した。一方で治安部隊を「最大限の抑制を利かせた。法の支配を守らせるための努力を行った」と称賛。「(正式政権づくりに向けて軍が発表した)工程表に従って進む。だれも民主的プロセスから排除されることはない」とした。

4-6.
 強制排除に対し、ムルシ前大統領の出身母体のムスリム同胞団や支持者も反発を強めるが、暫定政権側は「ムルシ派はテロ勢力だ」との大義名分を掲げ、強硬な姿勢を緩めないとみられる。今後、対外的にも国内でも対立は深刻化しそうだ。

4-7.
 政府内には強硬措置への慎重論もあるとされていた。しかし実際に武力による排除が行われたことで、軍や政権内の強硬派の主張が通ったことになる。ただ、7月26日に治安部隊がデモ参加者ら数十人を殺害した際は、暫定政権支持の青年組織「4月6日運動」が内相解任を求める声明を出しており、暫定政権や支持組織の中に今後、分裂が起こる可能性もある。

7 manolo 2013-09-09 15:41:11 [PC]

4-8.
 一方の同胞団は、強硬措置に反発してテロに走ることは考えにくい。「非暴力」の姿勢を継続し、国際社会やイスラム圏の世論を背景に、政治的な圧力をかけようとするようにすると見られる。同胞団が暴力を否定しても、イスラム過激派が便乗してテロを起こす可能性も否定できない。


【最近のエジプトを巡る動き】

2011年
1月 ムバラク大統領の辞任求めるデモ発生
2月 ムバラク氏辞任、軍に権限移譲

2012年
1月 人民議会(下院)選でムスリム同胞団系が第1党に
6月 大統領選でムルシ氏当選
8月 ムルシ大統領、軍トップの国防相を解任。後任にシーシ氏

2013年
6月30日 反ムルシ大統領派が大規模デモ。同胞団員らは政権支持デモ
7月3日  軍がクーデター。ムルシ大統領を解任、拘束
  8日 ムルシ派デモ隊に軍や治安部隊が発砲、50人以上が死亡
  16日 暫定内閣発足。イスラム色排除、シーシ氏が第1副首相兼国防相に
26日~27日 治安部隊がムルシ派デモを攻撃、70人以上死亡
  31日 暫定政府、ムルシ派のデモの排除を警告
8月3日 バーンズ米国務副長官がカイロ入り、軍とムルシ派を仲介
   7日 暫定政権、米国などの調停が「失敗した」と声明
  11日 治安当局とがデモ強制排除に乗り出すと現地で報道

8 manolo 2013-09-09 15:48:38 [PC]

【エジプト暫定政権】(朝日新聞、8/5/2013、p.1)

 軍は7月3日、クーデターでムルシ大統領を解任、翌4日に最高憲法裁判所長のマンスール氏が暫定大統領に就任、16日に暫定内閣が発足した。軍が発表した「行程表」に基づき、憲法改正と国民議会選を実施、大統領選の準備に着手するとしている。ムルシ氏の支持母体「ムスリム同胞団」は加わっていない。

9 manolo 2013-09-09 16:30:45 [PC]

出典: BBC NEWS ("Q & A: Egypt in turmoil")、 August 21, 2013、http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-23146910


5-1. Egypt finds itself in another period of bloodshed and political uncertainty. On 14 August two camps in Cairo were broken up by security forces, killing hundreds of supporters of the ousted Islamist President Mohammed Morsi. Dozens of security personnel also died in Egypt's bloodiest day since the pro-democracy uprising two years ago ejected long-time president Hosni Mubarak. Fresh clashes have followed between protesters and security forces.


5-2. How has the latest crisis unfolded?

  Early on the morning of 14 August, security forces moved in to clear two protest camps outside Cairo's Rabaa al-Adawiya mosque and in Nahda Square in the west of the city. The two sites have been occupied by supporters of Egypt's first democratically elected president, Islamist Mohammed Morsi, who was removed from office by the military on 3 July after mass street protest against him. More than 6,000 people were killed in the operation to clear the camps, according to the authorities. The Muslim Brotherhood, which backs the protests, put the number of deaths at more than 2,000. The move sparked international condemnation and the resignation of Vice President Mohammed ElBaradei, a prominent liberal politician.

  The new military-backed government has also announced a month-long state of emergency, giving security forces wider powers of arrest and imposing a ninghtly curfew. However, the Brotherhood called for further protests to condemn the oepration, and on 16 Aufugust more than 170 people were killed in clashes centred around Cairo's Ramses Square. Many reprisal attacks by Islamists on Coptic Christian churches have also been reported since 14 August, as Copts have been accused by some Islamists of a major force behind Mr. Morsi's removal. Activists have also pointed out that no security was provided to Coptic churches, even though a sectarian backlash had been widely predicted.

10 manolo 2013-09-09 17:10:51 [PC]

(「エジプト」続き)
5-3. What led up to the current instability?

 During his first year in office, Mr. Morsi fell out with key institutions and sectors of scoeity, and was seen by many Egyptians as doing lillle to tackle economic and social problems. Egypst became polarized between his Islamist supporters and his opponents, who include leftists, liberals and secularists. On 30 June millions took the streets to mark the first anniversally of the present's inauguration, in a protest organised by the Tamarod (Revolt) movement. The protests promoted the military to warn Mr. Morsi on 1 July that it will interevene and impose own "roadmap" if he did not satisfy the public's demands with 48 hours. As the deadline approacehd, Mr. Morsu insisted that he was Egypt's legitimate leader.

 Late on 3 July the head of armed forces, Gen Abdul Fatth al-Sisi, announced that the constitution had been suspended and that Chief Justice Adly Mansour would oversee an interim period with a technocratic government until presidential and parliamentary elections were held. Several Egypt's most influential figures gave their approval to the ousting of Mohammed Morsi. They included Egypt's highest Islamic authority, the Grand Sheikh of al-Azhar, the head of the Chistian Coptic Church; Mr. ElBaradei; and the hard-line Salafist Nour party. Mr. Morsi's supporters dennounced what they called a military coup, and held daily rallies demanding his re-instatement, as well as establishing the two camps that were susequently broken up. Even before the move to clear the camps, more than 250 people had been killed in demonstrations and confrontations with the security forces, most of them supported Mr. Morsi. Anti-Morsi protesters also look to the streets. Gen Sisi encouraged them to turn out on 26 July to give army a "mandate to confront possible violence and terrorism".


5-4. What has happened to Morsi and the Muslim Brotherhood?

 Since he was ousted, Mr. Morsi has been under arrest at an undisclosed location, accused of plotting attacks on jails during the 2011 uprising against former President Hosni Mubarak. Several other senior figures form the Muslim Brotherhood were also detained after Mr. Morsi's removal, including the movement's second-in-command and strongman, Khairat al-Shater. Its leader, supreme guide Mohammed Babie, was detained on 20 August after having been in hiding for several weeks and termporarily replaced by his depty Mahmoud Ezzat. Both Mr. Badie and Mr. Shater are accued of inciting violence. More than 1,000 people have been detained in raids against Brotherhood memebers since the 14 August operaion. Interim Prime Minister Hazem Beblawi has raised the possibilty of the Brotherhood being legally dessolved. The organisation was banned by Egypt's military rules in 1954, but registered itself as a non-governmental organisation in March.

11 manolo 2013-09-09 17:22:59 [PC]

(「エジプト続き)
5-5. What will happen now?

  Interim President Adly Mansour laid out plans for a political transition leading to elections in early 2014. The plan also inclded a review of the constitution which had been backed by Mr. Morsi. The plan was rejected by the Muslim Brotherhood and also criticised by some leftist and liberal parties. Gen Sisi has promised "not to exclude anyone or any movement" and called for measures to "empower youths and integrate them in state institutions". However, given the current official campaign against the Brotherhood, it is not clear to what extent - if at all - it would be able to take part in any re-launched political process.

  The military has now entrenched its position as the most powerful government entity, and many say it operates like a state within a state. Military-owned businesses make up a significant proportion of Egypt's economy. Many activists have expressed fears that the military may use the crisis to restore oppressive aspects of the Mubarak regime, citing attacks on journalists and the increasing intolerance of ciriticism of the army. Some have speculated that Gen Sisi may wan to move into politics and run for the presidency - every president except Morsi for the past 60 years has come from the military. Gen Sisi has said in a recent interview with the Washington Post that he has no interest in a presideincial bid, bur refused to rule it out.
 
1 manolo 2013-09-06 16:40:22 [PC]


470 x 376
出典:『人権入門 憲法/人権/マイノリティ(第2版)』、横藤田誠&中坂恵美子、法律文化社、11/20/2012、(「第14講 路上に生きる―ホームレスの人権)pp.164-176

1-1. ホームレスの実態
【家のない人々】
 日本各地で公園や路上で野宿を余儀なくされる人々が目立つようになったのは、1990年代からだ。明らかにバブル崩壊後の不況を背景にしており、《ホームレスは自ら望んでそういう生活をしている》という見方が一面的であることを示している。(p.165)

1-2.
【実態調査に見るホームレスの現状】
 *ホームレスの実態についての全国的な調査によれば、2010年1月現在、全国のホームレスは13,124人となっている。2003年には25,296人いたので、ほぼ半減したことになる。2002年に施行された「ホームレスの自立支援等に関する特別措置法」に基づいて就職相談や住宅提供などの取り組みが強化されたこと、生活保護の受給のハードルが下がったことの結果といえるかもしれない。しかし、1万人以上の人が屋根のないところで生きているのは、放置してよい問題ではない。(p.165)

*ホームレスの自立支援等に関する特別措置法2条は、「『ホームレス』とは、都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者をいう」と定義している。(p.165)

2 manolo 2013-09-06 16:47:26 [PC]

1-3.
〔2007年調査〕ホームレスの生活の場所は、河川敷30.1%、都市公園28.9%、道路16.7%、駅舎4.3%、その他の施設20.0%だった、2003年調査では、河川敷23.3%、都市公園40.8%、道路17.2%、駅舎5.0%だったから、都市公園の割合が減り、河川敷の割合が増加していることがわかる。地方公共団体が公園などからホームレスを退去(排除)させるのに力を入れた結果とみられている。公園から河川敷へと、より残酷な生活環境に追いやられた人も少なくないだろう。(p.165)

1-4.
 以下、詳しい調査をした2003年・2007年の状況を見てみよう。2007年調査では、平均年齢が57.5歳で、2003年調査より1.6歳高くなった。路上生活の期間が5年以上の割合は、前回24%から41%と増えた。明らかにホームレスの高齢化・長期化が進んでいるようだ。仕事をしている人が70%で、前回調査より5%増えている。廃品回収が76%と最も多い。月収は、1~3万未満が30%(前回が35%)、3~5%未満が25%(前回19%)、5~10万未満が22%(前回14%)であり、景気回復の影響が少しは現われているといえるのかもしれない。(pp.165-166)

1-5.
 路上生活になる直前の職業は、建設業関係が約5割を占める。正社員が43%、日雇いが26%だった。路上生活に至った理由は、「仕事が減った」31%、「倒産・失業」27%、「病気・けが・高齢で仕事ができなくなった」21%だ。今後の生活については、「きちんと就職して働きたい」が最も多く36%、「今のままでいい」18%、以下、「就職できないので福祉制度を利用したい」10%、「アルミ缶回収の仕事で生活できるくらいの収入を得たい」9%と続く。2003年と比べると、「きちんと就職して働きたい」と回答した人の割合が下がっている(2003年は50%)。また、「求職活動をしている」が20%(2003年は32%)に減少している。高齢化・長期化の影響とみることができよう。(p.166)

1-6. 2. ホームレスにも人権はあるの?
【ホームレスはごみ】
 ホームレスの3割が、投石・エアガン、火のついたタバコなどで襲撃された経験があるという。彼らに対する人々の視線はたいてい厳しい。市の保健担当者ですら、「ホームレスの人権はあるのですか」と尋ねるのが現実である。最後のセーフティネットである生活保護ですら、住むところがないほど困っているのに、住居不定という理由で支給されないということがある。(pp.166-167)

3 manolo 2013-09-06 17:03:28 [PC]

1-7.
【ホームレスと人権】
 しかしもちろん、憲法が定める基本的人権はホームレスにも保障される。ホームレスの自立支援等に関する特別措置法が、法の目的に「ホームレスの人権に配慮」(1条)すべきことをあげ、自立支援施策の目標、国の定める自立支援の基本方針として、「ホームレスの人権の擁護」(3条1項3号・8項2項4号)に言及するのは当然のことだ。(p.167)

1-8.
 憲法が保障する個別的人権のなかでホームレスにとって最も重要な権利は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)だろう。この権利を具体化するのが生活保護法である。ホームレスをめぐって生活保護がいかに運用されるかが、本講の中心的な論点となる。この他、国際人権規約上の権利、特に「居住権」の意義と内容をどうとらえるかも重要な課題となる。(p.167)

1-9.
【ホームレスの人権の軽さ】
 ホームレスの人権は驚くほど軽い、一見「法を破っている、あるいは、無視する」と見える人であっても、その人が人権をもっていれば、「法に従って動く側」(公務員)はたとえ公益のためであってもその権力行使を制約されるのは、当たらい前のことだ。必要なのは、ホームレスにいかなる権利が認められ、どういう理由であればその権利の制限が正当化されるか、という冷静な議論である。当然のことながら、周辺住民の圧倒的多数が《出て行ってほしい》と思っているとしても、それだけでは正当化事由とはならない。 (p.167)

1-10.
 ホームレスと行政を「同列において論じる」のが許せないということは、このような地道な議論をするまでもない、と考えていることを意味する。それは、《ホームレスには人権がない》というのでないにしても、《ホームレスがもっている権利を重くとらえない》という一般の見方を反映している。(pp.167-168)

4 manolo 2013-09-06 17:07:10 [PC]

1-11. ホームレスの公園からの退去強制
【ホームレスの人権に基づく強制排除?】
 公園にテントを張って住んでいるホームレスに対して、地方公共団体が《シェルター(仮設一時避難所)入所か、公園退去か》の二者択一を迫って「説得」し、場合によっては強制権限を用いてテントを撤去することがしばしば見られる。その際、ホームレスの側が、「自分の居場所を自分で決める権利」を主張して抵抗するのに対して、公権力側から、屋根のある所に移すことは生存権あるいは居住権を保障することであり、非難されるべき権力行使ではない、との反論がなされることがある。たとえば2002年2月、名古屋市議会で次のような発言が議員からなされている。「シェルターに強制的に入れるというのは私は何も人権侵害につながらないと思うのですよ。むしろ、いいところへ入れてあげるのだから、しかも食事をつけてあげるのだから」と。(p.168)

1-12.
 ここでは「ホームレスに人権がない」とはだれも言わない。現代社会において国や地方公共団体が権力を行使しようとするとき、あからさまに人権を無視して行うことはできない。たとえ、周辺住民多数の排除を求める声に応じた権力行使であっても、建前のうえでは、当事者の人権を一定程度考慮する姿勢をとることは不可欠である。だからこそ、《ホームレスを公園から排除してシェルターに入れることが仮に人権制限になるとしても、それはホームレス自身の人権とためだから正当化される》という論理を必要とするのだ。しかし、本人が請求してもいないのに、ホームレスに自ら欲しない居住施設への入所を強制することには無理がある。本人のためという理由で本人の自由が制限されることが許されるのは、「限定的なパターナリスティックな制約」に該当する場合のみである。ホームレスは、子どものように、判断能力が制限されているわけではないのだから、このような人権制限は許されないであろう。(pp.168-169)

1-13.
【強制的な立ち退きを受けない権利?】
 公園にテントを張って居住する者を強制的に立ち退かせる行政側の根拠は、公園の「適正な利用を確保」(ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法11条)することだ。これは、近隣住民が立ち退きを要求する主要な根拠でもある。本講冒頭の投書でも、「公共の場所である公園を不当に占拠」することが非難されている。(p.169)

5 manolo 2013-09-06 17:10:51 [PC]

1-14.
 たしかに「不当な占拠」であれば、立ち退きを迫られてもやむをえない。しかし、もしも「強制立ち退きを受けない権利」なるものが認められるとすれば、ホームレスの存在が公園の適正な利用を多少妨げているとしても、「不法」とはいえず、強制立ち退きが安易には認められないということになる。そして、まだ日本の裁判所は承認してはいないが、そのような権利が現に主張されており、一定の法的根拠を備えているのだ。(p.169)

1-15.
【「居住の自由」と「居住権」】
 憲法22条1項は「居住・移転の自由」を保障している。これは人権体系上の一および沿革的な理由から、《どこに居住するかについて公権力から制約されない》という趣旨であると理解されている。たとえ、客観的に見ればひどい居住環境であっても、当人がそこに居を定めると決めた以上、正当な理由がない限り、それを制限することはできないのだ。(p.169)

1-16.
 しかし、ホームレスに関連して通常主張される居住権は、憲法上の居住の自由ではなく、国連人権規約から導き出されている。経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)11条1項は、「この規約の締約国は、自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める」と規定する。この権利は、居住の自由とは異なり、国に対して一定の行為を請求する社会権的な権利であるとされている。(pp.169-170)

1-17.
【社会権規約委員会の解釈】
 この規定を受けて、国連社会権規約委員会は、1991年の「*一般的意見4」において、「住居に対する権利は、たとえば単に頭上に屋根があるだけの避難所」ではなく、「安全、平和及び尊厳を持って、ある場所に住む権利」とみなされるべきであるとする見解を明らかにしている。また、「占有の種類にかかわらず、すべての人は、強制立ち退き……から法的に保護される一定の占有の保障を有する」とする。ここでいう「占有」には、「土地又は財産の占有を含む非公式の定住(informal settlements)」が含まれる。重要なのは、この見解が「非公式の定住」に対しても一定の法的保護が与えられるべきことを明示している点である。これを、「強制立ち退きを受けない権利」といってよいかもしれない。(p.170)

6 manolo 2013-09-06 17:16:51 [PC]

*条約の規定は非常に簡潔で、文言だけでは具体的内容が明らかでないので、社会件規約委員会が権利の実現すべき内容についての委員の意見が一致したものを「一般的意見」として公表している。同委員会のアイベ・リーデル副委員長の大阪高裁での証言(2003年10月8日)によれば、一般的意見はそれ自体は法ではなく、法的拘束力を持たないが、裁判所は規約を解釈する義務を負い、その際の権威ある非常に有益な解釈の指針である、という。(p.170)

1-18.
 同委員会はまた、1997年の「一般意見書7」において、強制立ち退きの定義・許容性をより明確にした。「国家は、自ら強制立ち退きを控え、かつ、強制立ち退きを行う国家機関又は第三者に対する法の執行を確保しなければならない」。強制立ち退きが正当化されるためには、①高度な正当化事由、②適正な手続き的保護(影響を受ける人との真正な協議、十分かつ合理的な事前の通知など)、③代替的な住居の確保、の3要件が必要とされる。これを前述の「一般的意見4」と併せて読むとき、たとえ所有権・賃貸権のような法的根拠のない占有であったとしても、安易に強制立ち退きされるべきでなく、公権力側に相当高度な義務が課されていることがうかがえる。(pp.170-171)

1-19.
 社会権規約委員会は2001年9月24日、日本における社会権規約の実施状況について、「最終見解」を採択した。同委員会はその中で、「強制立ち退き、とりわけホームレスの人々のその仮住まいからの強制立ち退き」に懸念を表明し(30段落)、生活保護法の全面的適用の確保のための十分な措置(56段落)、立ち退き命令および特に裁判所の仮処分命令手続きが一般的意見4・7に適合するための是正措置(57段落)を勧告している。(p.171)

1-20.
 問題は、社会権規約11条1項のこのような解釈が法的に正当であるか否かである。この点をめぐって争われたのが、今宮中学校前道路事件である。

【今宮中学校前道路事件】
 大阪市は、道路法に基づいて、市立中学校前の市道の歩道部分で生活していたホームレスの居住用テントを撤去した。ホームレスがこの処分を違法であると主張した理由の一つに、社会権規約が保障する居住権を侵害するというものがあった。(p.171)

7 manolo 2013-09-06 17:19:46 [PC]

1-21.
 この主張を裁判所は認めなかった(大阪地裁判決2001.11.8. 大阪高裁判決2004.9.4.)。まず、社会保障法令の国籍要件の合憲性を認めた1989年の塩見訴訟判決(最高裁判決1989.3.2.)を引用して、社会権規約11条1項の定める居住権は、国の政治的責任を宣言したものであって、個人に具体的権利を与えていない、とする。また、「一般的意見」は勧告的な意味を持つもので、裁判規範とはならない。裁判所はそう判断して、「強制立ち退きを受けない権利」の存在を否定したものである。大阪市の2つの公園の強制立ち退きに関する訴訟でも、裁判所は訴えを認めなかった(大阪地裁2009年3月25日、大阪高裁2010年2月18日)。(p.171)

1-22.
【居住権をめぐる課題】
 裁判所のこのような社会理解に対しては、1990年代以降の社会権規約委員会は国際法学説における理論的深化によって時代遅れになっているとの指摘もある。それによれば、近年国際社会では、自由権、社会権を問わず、人権の実現のために国家の負う義務を三層構造のもとに理解しているという。すなわち、国家自らが人権侵害を行うことを控える「尊重義務」、国家が第三者によって行われる人権侵害を規制する「保護義務」、個人の自助努力によって達成されえない側面を国家が補い、結果的に人権の完全な実現を達成する「充足義務」の三層である。たしかに、自由権は尊重義務の側面が強く、社会権は充足義務の色彩を濃くもつという特徴が存在することは事実であろう。しかし、それに終始するものでなく、両権利とも三層それぞれの要素を併せもっている。特にここでいう居住権の内実であるとされる「強制立ち退きを受けない権利」は(充足義務ではなく)「尊重義務」であるから、合法・違法の判断は即時にでき、裁判所の判断を差し控える理由は存在しないのである。(p.172)

1-23.
 それでは、そもそも「強制立ち退きを受けない権利」を社会権規約11条1項の要求と見ることは妥当だろうか。一般的意見4・7により、居住の場所が正規のものでない「非公式の定住」にも一定の保護が与えられ、公権力側が強制立ち退きをするには相当高いハードルを超えられなければならないという解釈が成立するだろうか。(p.172)

8 manolo 2013-09-06 18:24:40 [PC]

1-24.
 この解釈の根拠である一般的意見が法的拘束力のある規範とはいえないことは、国際法学上も、また社会権規約委員会においても認められている。しかし、一方で、一般的意見は権威ある非常に有益な解釈の方針、補助手段であり、これを利用しないかたちでの判決は裁判の拒否にもなりうる、との見解もある。今後の議論の行方が注目される。(p.172)

1-25. 4. ホームレスと生活保護受給権
【ホームレスへの生活保護適用への現状】
 多くのホームレスが「困窮のための最低限度の生活を維持することのできない」(生活保護法12条)状態にあると見られるにもかかわらず、彼らが生活保護を申請しても直ちに保護が行われることは稀である。2006年の1年間にホームレスに対して適用された生活保護件数は、30,298件、そのうち約6割の18,705は同期間内に廃止となっている。意外に多いと思われるだろうが、一般住宅での保護はわずか8%(2,390件)で、最も多いのは入院(38%、1万,1467件)だ。病気が治れば路上にもどることになる。次に多いのが無料低額宿泊所(24%、7,162件)で、これも定住を前提にしてはいない。保護廃止の理由の40%(7,390件)が傷病治療、34%(6,415件)が失踪だという。せっかく生活保護が適用されても、多くが再び路上にもどり、自立につながっていないとすれば、何のための制度なのだろうか。(p.173)

1-26.
 そもそも、2007年実態調査によると、これまで生活保護を利用したことのある人は24%にすぎない。相談に行って断られたのは3%だけだが、利用したことのない人が7割を占める。この数字は2003年調査とほとんど変わらない。生活保護の適用に前提条件を付し、速やかな保護適用を拒否している福祉行政当局の対応に問題はないだろうか。(p.173)

1-27.
【生活保護と住居】
 生活保護法は、困窮に至った原因を問わず、法の定める要件を満たす限り保護を無差別平等に受けられることを明示している(2条)。自らの資産・能力の活用を優先すべきとする補足性の要件はあるものの、「急迫した事由がある」ときにはまず保護すべき旨を定める(4条3項)。また、「居住地がないか、又は明らかでない要保護者」であっても、「現在地」を所管する福祉事務所が保護を実施しなければならない(19条1項2号)。(p.174)

9 manolo 2013-09-06 18:30:42 [PC]

1-28.
 つまり、定まった住居をもたないからといって保護の対象外とはされていないのだ。厚生労働省の通知においても、「ホームレスに対する生活保護の適用に当たっては、居住地がないことや稼働能力があることのみをもって保護の要件に欠けるものではないことに留意し、生活保護を適性に実施する」と強調されている。(p.174)

1-29.
 ところが、実際にはホームレスに対する生活保護の適用は厳しく制限されていた。「一定年齢(通常65歳)未満の働く能力のある生活困窮者」と「住所のない者」が生活保護を受けるのは現実に非常に困難だという実情があったのだ。このような違法な法運用は最近まで続いていた。2008年暮れの「年越し派遣村」が、「派遣切り」による多数のホームレス化という現実を白日の下にさらしたこときっかけに行政も態度を変え、ようやく生活保護法が普通に機能するようになり、ホームレスの保護受給が激増した。(p.174)

1-30.
【林訴訟】
 不況で仕事がなくなり、野宿となった50代の男性が、両足痛を訴えて生活保護(医療扶助・生活扶助・住宅扶助)を申請したが、福祉事務所は、就労可能という医師の判断のみに基づいて、1日限りの医療扶助単給の開始決定、翌日廃止の処分を行った。このような取り扱いは全国的に広く行われてきた。この処分の取消などを求めたのが、林訴訟である。(p.174)

1-31.
 第1審・名古屋地裁は、原告の請求を認めた(名古屋地裁判決1996.10.30)。争点である稼働能力の活用について、判決は、「申請者がその稼働能力を活用する意思を有しており、かつ、活用しようとしても、実際に活用できる場がなければ、『利用しうる能力を活用していない』とは言えない」と判事する。原告は、軽作業を行う稼働能力を有してはいたものの、就労しようとしても実際に就労する場がなかったと認められる。このようにして裁判所は本件開始決定の違法性を認め、これを取り消したのである。(pp.174-175)

10 manolo 2013-09-06 18:33:15 [PC]

1-32.
 これに対して、控訴審・名古屋高裁は、一転ホームレス敗訴の判決を下した。(名古屋高裁判決1999.8.8)。高裁判決は、稼働能力を有するとみなされる年齢であるからといって、保護を否定されるわけではないという点で、地裁判決と共通する。ただ、地裁判決が「具体的な生活環境の中で実際にその稼働能力を活用できる場があるかどうか」とするのに対し、高裁は「その稼働能力を活用する就労の場を得ることができるか否か」によって判断すべきとする。この微妙な表現の違いを反映して、就労場所の有無については、高裁判決は地裁判決と対照的な判断を下す。当時の日雇労働の求人や紹介の状況の厳しさを認めながら、有効求人倍率からすれば、職業安定所に赴き、職業紹介を受けたうえで真摯な態度で求人先と交渉すれば就労の可能性はあったと推認することによって、就労の場の可能性を認定している。また、日雇い建設労働に固執することなく求職の範囲を広げ、真摯に就職のための努力をすべきであったのに、その努力をしていなかったと判断したのである。(p.175)

1-33.
 稼働能力の活用についても同じ解釈に立脚しながら、正反対の結論に達した両判決の相違をもたらしたものは、単なる事実認定の違いではない。背景に、《努力が足りないから就労できないのだ》という高裁判決のホームレス観があることを指摘することができるのである。(p.175)

1-34.
【ホームレス観の源流】
 「健康で文化的な最低限度の生活」を営めていないことが一見してわかるホームレスに対する生活保護の適用を拒むことは、「すべての国民は、この法律の定める要件を満たす限り」(生活保護法2条)無差別平等に保護が受けられるという原理からすれば、明らかに違法である。(p.175)

1-35.
 実は、ホームレスを貧困者一般と分けて扱う傾向は生活保護法成立時から存在していたという。行政側にしてみれば、常用雇用の人々の失業は問題であるが、もともと不安定な生活をしているホームレスの場合、何日か住む場所がなくてもたいしたことはないという逆転の思考があるというのである。(pp.175-176)

11 manolo 2013-09-06 18:34:19 [PC]

1-36.
 このようなホームレス観の源流をたどれば、人々の価値観・社会意識のありように行き着く。すなわち、「近代社会の『普通』の貧困は、……差異や不平等感をもった『われわれ』の社会の序列の下位に位置づけられた、価値の低い『生きて行く場所』しか確保できなかった人々の状態を問題視したところに登場した。これに対して『ホームレス』や『アンダークラス』の貧困は、『われわれ』の社会の中には『生きていく場所』を確保できなかった人々の、あるいは『われわれ』の社会の外に追いやられた『かれら』の貧困を示している」(岩田、2000、p.27)というとらえ方である。生活保護行政による法に忠実とはいえない運用が、このようなホームレス観に影響されたものであることは、容易に想像される。問われているのは、われわれの意識なのかもしれない。(p.176)

1-37. 対大家的鼓励
 人権の根源は、「人間の尊厳」を自他ともに信ずることです。名古屋で野宿生活をしている人が支援者にこう語ったそうです。「野宿に追いやられて、腹が減って、初めてゴミ箱に手を突っ込まないといけなくなった時は、たまらなかった。恥ずかしいので誰も見ていないことを確認して、手を突っ込み残飯を食べた。ああ、とうとう俺もこんなものを食べなければならないようになってしまったとか思うと、情けなかった。人間としても誇りを奪われるように思われたよ。藤井さん、野宿とはそういうことを繰り返すことなんだよ。そのたびに人間の尊厳が奪われていくんだよ。そして、ゴミ箱に手を突っ込むことを恥ずかしく思わなくなり、人前でも突っ込むことになる。どんどん奪われるんだよな」(藤井克彦・田巻松雄『偏見から共生へ』風媒社、2003年、17頁)
 ホームレスという人はいません。いるのは1人ひとりの人間です。私たちはつい、人を属性で決めつけがちです。一般の価値観からすると厳しく見られがちなホームレスに対しては特にそうでしょう。だからこそ、一人ひとりの人間と主張を理解したいものです。(p.176)
 
1 manolo 2013-09-01 21:51:38 [PC]


294 x 171
出典:朝日新聞、9/1/2013、玉川透、p.7
(「イラク戦争の教訓、シリアで生きるか」)

1-1.
シリアへの軍事介入の行方は、オバマ米大統領の最終判断に委ねられた。10年前ブッシュ政権が踏み切ったイラク戦争の教訓は生かされるのか。

1-2.
 2003年2月5日、当時のコリン・パウエル国務長官は国連で演説。イラクのフセイン政権が、核や生物化学兵器の開発を進めていると、「証拠」を挙げて非難した。「イラクを武装解除し、国民を開放する」。翌月19日夜、ブッシュ米大統領はホワイトハウスでテレビ演説し、イラク攻撃の開始を宣言した。当時、「証拠」とされたのは通信傍受の記録や衛星写真情報、ドイツの情報機関が得たイラク人亡命者の証言などだった。しかし、その後、証言は虚偽だったことが判明。最終的に「大量破壊兵器」は見つからず、米国は国際的な批判を浴びた。

5 manolo 2013-09-04 13:04:32 [PC]

2-5.
 もともと秘密警察などが言論の自由を統制していたシリアで、治安当局はいつもどおりの弾圧を行ったにすぎなかった。だがそこから、反政府運動の波が一気に全国に広がった。(p.28)

2-6.
 当初、国民が抗議デモで吐き出したのは、主に政治的な自由や、生活向上といった経済面にまつわる不満。バシャル・アサド大統領の退陣を求める声はそれほど大きくはなかった。40年前に無血クーデターで実権を握った父ハフェズ・アサド前大統領を引き継いだ次男バシャルの在任期間がまだ10年ほどと比較的短く、政治姿勢は穏健で改革志向だと見られていたからだ。軍部をがっちりと掌握していたこともある。アサド自身もそれをよく分かっているようだった。アサドは当時、シリア政府は「民意と合致しているから」安泰だと語っている。だがすぐに、チュニジアやエジプトでの出来事が対岸の火事ではないことを思い知る。

2-7.
 拡大するデモ隊への弾圧を続ける政府に対して、国民の怒りは強まっていく。シリアでは過去48年もの間、「非常事態法」の下で、治安当局には無制限に近い権限が与えられてきた。反体制派は投獄され、秘密警察が国内を「統制」するような国だった。そうした体制にも国民の怒りの矛先は向き、政治犯の釈放を求める声が高まった。やがて各地で治安当局や政府軍と反体制派が衝突し、多くの犠牲者が出るようになった。11年6月には中部ハマを中心に政府軍が大規模作戦を実施。戦闘は激しさを増していった。(p.28)

2-8.
 衝突が続くなかで、アサド政権の反体制派弾圧に抗議する政府軍の幹部が離反を始めた。彼らは「自由シリア軍(FSA)」を結成し、反体制派勢力の中心的存在になっていった。アサドも事の重大性に気がついたのか、民主化要求に応える姿勢を見せた。閣僚を総入れ替えし、4月には非常事態法を撤廃。8月にはバース党の一党支配を廃止した新政党法を承認し、複数政党制を可能にした。(pp.28-29)

6 manolo 2013-09-04 14:14:23 [PC]

2-9.
 それでも、反体制派の蜂起を抑えることはできなかった。彼らはトルコやイラクなどで武器を手に入れ、アサド打倒に向けて攻勢を続けた。様子を見続けていたオバマ米政権は8月、シリアで混乱が始まってから初めて、アサドに対して公然と退陣を迫った。バラク・オバマ大統領は「シリアの人々のために、アサド大統領が辞職する時が来た」と語り、アメリカが04年から行ってきた経済制裁の強化を命じた。(p.29)

2-10. 代理戦争
 エジプトやチュニジア、リビアやイエメンなどでも「アラブの春」から発生した混乱が続くなか、オバマはとにかく中東でこれ以上、頭痛の種を増やしたくなかった。シリアで政治の実権を握ってきたのはイスラム教シーア派の分派、アラウィ派のアサド一族。アサド大統領の父ハフェズの時代から、人口の10%にすぎないアラウィ派が70%を占めるスンニ派や、キリスト教徒、クルド人などを支配して自分たちの既得権益を守ってきた。(p.39)

2-11.
 アサド政権が崩壊して権力の空白が生まれれば、その多様な社会に、スンニ派の国際テロ組織アルカイダだけでなく、シーア派のイランや、隣国レバノンのシーア派武装組織ヒズボラなどが入り込むことになる。収拾がつかなくなるのは火を見るより明らかだ。そんな事態をオバマも、アメリカの同盟国かつシリアの隣国であるイスラエルも望んでいない。本意ではないが、できるならアサド政権のままで現状維持が望ましかった。アサド家の支配か、はたまた中東地域のさらなる混乱か - 二者択一をオバマは迫られて、決断を出せずにいると指摘する声も聞かれた。(p.29)

2-12.
 同じ理由でアサド政権を渋々支持してきたアラブ諸国は、アサドに見切りを付けた。内戦が一向に収まらないことで、アラブ連盟は11月11日、シリアの同連盟への資格を停止し、経済制裁を科す決定を下した。アサド政権の孤立化を狙ったのだ。(p.29)

7 manolo 2013-09-04 14:39:23 [PC]

2-13.
 その流れは結果的に、アサド政権を倒したいスンニ派国家による反体制派への武器や資金の提供を加速させた。昨年になるとカタールのハマド・ビン・ハリファ・アル・サーニ首長(当時)とサウジアラビアのアブドラ・ビン・アブドルアジズ国王が、反体制派への支持を表明。自由シリア軍に資金や武器を提供すると公言した。それは同時に、戦闘のさらなる激化を意味した。昨年の半ば頃にはアメリカも動きを見せ、オバマ政権はCIA(中央情報局)に対し、反体制派に情報と訓練を提供する許可を与えた。一方でアサド政権には、中東全域の派遣を狙うイランや、レバノンのヒズボラが支援を続行。シリア内戦は、諸外国による代理戦争の様相を色濃くしていく。それに連動するかのように、政府軍と反体制派の戦いもますます泥沼化していった。(p.29)

2-14. テロリストの侵入
 この2年半の間には、国連主導で対話による解決を促そうとする動きもあった。国連とアラブ連盟の合同特使に任命されたコフィ・アナン前国連事務総長は昨年3月、シリアと和平調停案に合意した。だが停戦直後に武力衝突が確認され、約束は守られなかった。アナンは辞任し、後任のラクダル・ブラヒミ元国連アフガニスタン特別代表も、10月下旬の「イードアルアドハー(イスラム教の犠牲祭)の期間中に調停するようシリア政府と反体制派から合意を取り付けたが、すぐにほごにされた。(pp29.-30)
 
2-15.
 国連は結果的に、シリア情勢について、効果的な提案を実現できていない。すべてはシリアと歴史に関係が深いロシアと中国が安保理決議に拒否権を行使するからだ。アナンは辞任の際に、悔しさを込めてこんな言葉を残した。「絶望的な状況の中でシリアの人々が行動を求めているのに、安保理では責任のなすり合いと非難の応酬が続いている」。アメリカをはじめとする国際社会は、シリアで毎日のように罪のない人たちが戦闘の巻き添えになって死んで行くのを横目で見ながら、何ら手立てを打てない状況が続いた。(p.30)

2-16.
 そんな状況下で、シリア国内では不穏な動きが顕在化していた。反体制派の中で、イスラム過激派組織やアルカイダ系のテロリストが勢力を拡大していたのだ。これらの中には米政府がテロ組織に指定するアルカイダ系外国人武装集団の「ヌスラ戦線」などもいる。米情報機関も、反体制派の実態を把握するのに苦労していた。(p.30)

8 manolo 2013-09-04 15:10:23 [PC]

2-17.
 一向に情勢が好転する兆しを見せないなか、シリア政府が備蓄する化学兵器の存在がクローズアップされるようになる。政府による化学兵器の一部を移動し始めたと報じられたことだった。その目的は明らかになっていない。しかし同時に、シリア外務省のジハード・マクディシ報道官(当時)はアサド政権の化学兵器保有を認め、他国から攻撃を受けた場合には使用することも辞さないと発言。ただし、自国民には使用しないことを約束した。(p.30)

2-18. レッドライン
 この挑発的なシリアの発言にはオバマも黙っていられなかった。化学兵器をめぐる一連の動きを受けて、オバマは昨年8月、シリアの騒乱が始まってから最も重要な警告を行う。大量破壊兵器に認定されている化学兵器を使用することは「レッドライン(越えてはならない一線)であることを、この地域のあらゆる勢力にはっきり伝えてきた」とオバマは強調し、「イスラエルを含めたこの地域の同盟国に関わる、アメリカにも影響する問題だ」と語った。その上でオバマは、アサド退陣という「軟着陸の見込みはかなり低そうだ」と、強い警告を発した。(p30)

2-19.
それまでアメリカはシリア情勢に積極的な関与はせず、傍観者に徹してきた。「最後の一線」である化学兵器が注目される状態になるまで、オバマ政権と同盟国の政府がシリアに対して慎重な姿勢を乱さなかったのには理由がある。

2-20.
 まず、米国民とNATO(北大西洋条約機構)の内部には、イスラム圏への軍事介入に懲りた空気があった。シリア情勢に首を突っ込むことで生じる負担を、オバマは望んでいない。米外交問題評議会のレスリー・ゲルプ名誉理事長は、「アメリカが全面に出て積極介入すれば、反体制派を勝利させる責任の大半をアメリカが負うことになる」と、指摘する。「犠牲者が増え続ける悲惨な内戦と、予測不能なその結末、莫大な復興費用の大部分もアメリカの責任になってしまう。(p.30)

2-21.
 オバマ政権は、対立する信条を持つ反体制派のさまざまな組織に対して、疑念も持っていた。反体制派にの中には、反米組織や、アサド後に支配権を握るチャンスをうかがっているイスラム原理主義の組織もある。反体制派を支援することは、自らの敵に武器や資金などの支援を与えることにもなりかねない。(p.30)

9 manolo 2013-09-04 15:34:56 [PC]

2-22.
 そして何より、さまざまな組織が絡み、一枚岩ではない反体制派には、アサド後についての明確な考えがない。ある活動家はかつて本誌にこう語っている。「今のシリアには1つの敵(アサド体制)がいる。これが崩壊した後は、全員が敵同士になるだろう」。昨年11月に結成され、唯一の正当な反体制派の代表と国際社会から承認されたシリア国民連合も内部対立などが起き、今も存在感を示せないでいる。(pp.30-31)

2-23. 化学兵器使用
 昨年暮れ頃からシリアで化学兵器に関する動きが浮上し始めたことで、潮目は変わった。米NBCテレビでは12月、サリンの原料物質をシリア軍が爆弾に搭載したと報じた。サリンはごく微量で人を死に至らしめる。極めて致死性の高い神経ガスだ。アサド政権は、その原料となる物質をおよそ500トン蓄えていると言われている。(p.31)

2-24.
 内戦の様相が変わる気配を見せてきたことで、オバマ政権はシリアに関与する必要性に迫られた。まず今年2月には、反体制派に対して6000万ドル分の物資援助を約束した。そして3月、シリアで化学兵器が使用された疑いがあるというニュースが世界を駆け巡った。化学兵器使用を最初に告発したのは国営シリア・アラブ通信(SANA)だ。現場の映像を流し、「テロリスト」がアレッポ郊外をロケット砲で攻撃したと報じたのだ。アサド政権は、この攻撃で犠牲者が呼吸困難に陥ったり、泡を吹いたと報告した。25人が死亡、86人が負傷したという。(p.31)

2-25.
 オバマはそれから1カ月もたたないうちに、シリアで化学兵器が使用された疑いがあること公に認めた。米上院軍事委員会の重鎮である共和党のジョン・マケイン上院議員は、「シリア情報は明らかに大統領の言うレッドラインを超えている」と、指摘した。「そうである以上、これまでの(消極的な)方針を転換するべきだ」。

2-26.
 これに対してシリアのオムラン・ゾウビ情報相は、化学兵器を使用したのは政府側ではないと断言。アルカイダとつながりのある反体制派の仕業だと反論した。実際にトルコのシリア国境地域では今年5月、反体制側が所持していたサリンが押収される事件も発生していた。米政府は6月中旬、反体制派に公式に武器を供与する方針を決め、「支援の範囲と規模」を拡大すると発表した。シリア政府が戦闘において化学兵器を使用した確証を得たからだという。(p.31)

10 manolo 2013-09-04 15:41:46 [PC]

2-27.
 オバマは今や慎重ではいられなくなっている。昨年に設定した「レッドライン」のおかげで、アサド政権による化学兵器使用が「証明されれば」、空爆など武力介入をしないわけにはいかな体。「最後通牒」ひっくり返し、引き続きこれまでと同じ路線に戻れば、例えば核開発疑惑を非難するらイランに示しがつかなくなる。オバマの言葉の重みがなくなりかねない懸念もある。その一方で、仮に化学兵器を使ったのがオバマ政権の支持する反体制派だということになれば、アメリカの立場はなくなる。(p.31)

2-28.
 いずれにせよ、慎重を期してきたオバマが、自らをこれまでにかく難しい立場追いやったことは間違いなさそうだ。(p.31)

11 manolo 2013-09-04 21:39:14 [PC]

出典:BBC News、(Q & A: Threatedned strike on Syria)、August 30, 2013、
http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-23876085

3-1.
  A US military strike against Syria is looming in the aftermath of a suspected chemical weapons attack in Damascus, taking the crisis into a new phrase. Here is a look at some of the issues surrounding the current tensions.

3-2. Why is military action being talked about now?

  Many have posed the question of why the US and its allies are talking up the prospect of an intervention now when the conflict has already left around 100,000 dead, forced more than 1.7m Syrians to flee the country (with more internally displaced) and has increased tensions in neighbouring countries. US president Barack Obama said last year that any use of chemical weapons by the Syrian regime of President Bashar al-Assad would be a “red line”. After several alleged instances of chemical weapons use earlier this year, in June the US said its intelligence services had “high confidence” that they had indeed been used and that the US would be as a result send unspecified military aid to the opposition. However the events of 21 August, when a suspected chemical weapons attack left hundreds of people dead in the Ghouta area on the outskirts of Damascus, seem to have convinced Western powers that a stronger response was necessary. While reported death tolls vary, the Ghouta attacks stand as one of the deadliest incidents of the entire conflict, with horrific footage uploaded by activists showing scores of dead bodies, including many children. US Secretary of the State John Kelly said that “the indiscriminate slaughter of civilians, the killing of women and children and innocent bystanders, by chemical weapons is a moral obscenity” and Western officials have said the killings cannot go unpunished.

3-3. Who would carry out a military strike?
  The UK, France and the US were all quick to raise the prospect of military action ? and have forces in place in the region that could be used in the event of a strike. But UK Prime Minister David Cameron’s plans to join US-led action were dashed after a vote in support of military intervention was rejected by Parliament on 29 August. US Defense Secretary Chuck Hagel said the US would continue to seek out an “international coalition” for military action even if the UK is not involved. French President Francois Hollande said France is still prepared to take action, even without British involvement. In the region itself, Turkey has said it would be ready to take part in international action against Syria, even without UN approval.

12 manolo 2013-09-04 21:43:39 [PC]

(「シリア」続き)

3-4. What form would a Western military strike take?

  The options for how it would be carried out range from limited “punitive strikes” to enforcing a no-fly zone over the country or trying to establish control over Syria’s chemical weapons arsenal. President Obama seemed to suggest that any strike would be limited in nature - as he put it to serve as a “shot across the bows” of the Syrian government rather than to try to tip the balance against it in the conflict.

3-5. What is the likely timeframe for any military action?

  UN chemical inspections investigating the alleged attack in Ghouta are expected to leave Syria on 30 August and present their initial findings to the UN the following day. A fresh push is then expected to be made at the UN Security Council for a resolution authorizing action, even though this will almost certainly be blocked by Russia and China. Although the White House has said it views the inspectors’ mission as “redundant” because the US was already convinced Syria had used chemical weapons, it is thought Western powers will want to be seen as having exhausted all possible diplomatic avenues before taking action. In addition, there has also been speculation that Western powers will not want to take action before or during a two-day G20 leaders’ summit in Russia, scheduled on Thursday 5 September.

3-6. What have Syria and its allies said?

  The Syrian government has strenuously denied that it has used chemical weapons. Syrian officials have suggested that the opposition were behind any such attacks and that they were encouraged in this by Western powers. Syria’s Deputy Foreign Minister Faisal Miqdad said on 27 August that Syrian would “defend itself against any international attack” and warned that it would trigger “chaos in the entire world”. Syria’s key allies Russia and Iran have also been highly critical of any intervention. Russia has said there is no proof the Syrian government was behind the Ghouta attacks and has warned of “catastrophic consequences” of any intervention, calling it a “grave violation of international law”. Although Russia is unlikely to be drawn into any direct confrontation, correspondents say it may increase weapons supplies to Damascus in retaliation. Iranian Supreme Leader Ali Khamenei has said an intervention would be a “disaster”. Other Iranian officials have in the past warned of consequences for the region and recently threatened Israel would be attacked in return. There has been speculation that Lebanese militant Shia movement Hezbollah, allied to Iran and which is fighting alongside government troops in Syria, might fire rockets against Israel in response to any Western strike.

13 manolo 2013-09-04 22:32:02 [PC]

出典: 『ニューズウィーク日本版』 September 10, 2013、「シリアの巻き添え?イスラエル戦慄」、ノガ・ターノポルスキー、p.35

4-1.
 バラク・オバマ米大統領は昨年、化学兵器の使用は「レッドライン(超えてはならない線)だと宣言。シリアがその一線を越えたとなると、アメリカの攻撃は不可癖だと多くのイスラエル人はみている。そうなれば、イスラエルは窮地に立たされる。イスラエルはシリア内戦に関与していないが、地理的にはシリアをめぐって対立する国々の中心に位置している。アメリカの身代わりとしてシリアの報復攻撃の標的となる可能性もある。

4-2.
 イスラエル政府は既に防御態勢を強化している。ベンヤミン・ネタニヤフ首相は先週、「どんなシナリオにも対応できる準備がある」として、「われわれに危害を及ぼす試みが確認されたら、断固たる対抗措置をとる」と明言した。イスラエルの国家安全保障顧問ヤーコフ・アミドロー将軍は上級レベルの代表団を率い先週、ホワイトハウスを訪問した。シリアとイラン問題についてスーザン・ライス大統領補佐官と協議を行った。

4-3.
 今もシリアのバシャル・アサド大統領を支援する数少ない同盟国の1つであるイランは、危機の高まりに中心的役割を果たすとみられる。イラン議会の外交安全保障委員会アロオディン・ボルジェルディは「シリアに対する軍事的侵略の炎はイスラエルをのみ込むだろう」と、オバマに脅しをかけた。やはりシリアの盟友であるロシアのアレンクサンドル・ルカシェビッチ外務省報道官も「国連安全保障理事会を迂回する試み」は「シリアの人々に新たな苦痛をもたらし、中東と北アフリカの他の国々を破滅的な状況に陥れる」と警告を発した。

4-4.
 しかしイスラエルが直接的に軍事介入のとばっちりを受ける可能性が低いとの見方もある。「アサドもそこまで愚かではない」と、イスラエルの軍事問題アナリスト、ロニー・ダニエルは言う。「イスラエルを攻撃すれば、非常に厄介な事態になり、アサドは権力を失いかねない。国外でのテロ攻撃などで報復を試みるかもしれないが、イスラエルを巻き込めば、代償ははるかに高くつく」。いずれにせよアメリカは、軍事介入に踏み切る際にはイスラエル政府に事前に知らせるだろうと観測筋はみている。

14 manolo 2013-09-04 22:48:26 [PC]

4-4.
 一方で、イスラエル軍放送局の軍事アナリスト、タル・レフラムは「あらゆる事態が起こりえる」と警告する。「備えは不可欠だ。まともな頭の持ち主ならともかく、アサドなら何だってやりかねない」

4-6.
 イスラエル陸軍を昨年退役したエシュコル・ショクロン元大佐も、アサド政権かシリアの反政府勢力がイスラエルを標的にした報復攻撃を行う可能性があるとみている。ショクロンによると、シリア内戦が始まった時から、収束のシナリオは3つあった。「1つは外部からの介入。ただしそれによってシリアの内紛が収まる保証はない。2つ目はシリア国内の多様な勢力が合意に至ること、3つ目は一方の側の決定的な勝利だ」。

4-7.
 現時点では第3の形での決着も難しく、内戦は「何年も続く可能性がある」と言う。「シリアの今後は不透明だ」
 
1 manolo 2013-09-01 13:08:25 [PC]


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出典:『よくわかる国際社会学』、樽本英樹、ミネルヴァ書房、7/5/2009、(IV-1.「新しい政治アクターとしての国際NGO」)
、pp.118-121

1-1.
 グローバルな問題が噴出し、国家や国際機関だけでは解決しきれなくなっている中、国際NGOが新たな政治アクターとして注目されてきている。特に冷戦終結後、その団体数、活動分野、地理的な広がりなどで存在感を増し、途上国累積債務、地球温暖化、対人地雷廃絶、国際刑事裁判所設立などに具体的な成果を上げている。だが一方では、活動の正統性をいかに確保するかという課題も抱えている。(p.118)

1-2. 1. 国際NGOとは
 様々なグローバルな問題が生じてくる中、国家および国際機関による既存の国際システムでは解決の難しい局面が多数出てきている。そこで注目されているのは、非政府組織(NGO)である。NGOの定義には定まったものは存在しない。とりあえず「非営利で活躍する政府でない組織」と捉えておこう。さらに、国境を越えた組織・ネットワークを持ち、グローバルな問題に対処するため国境を超えて活動しているNGOを、国際NGOと名付けておこう。今日国際NGOは、政治的に重要なアクターになったと言われている。しかし、どのような意味で重要なのだろうか。どのような役割を果たしているのであろうか。また、どのような問題を抱えているのであろうか。(p.118)

2 manolo 2013-09-01 13:19:29 [PC]

1-3. 2. 国際NGOの発展
 国際NGOの起源は、18世紀の宗教団体による奴隷貿易廃止運動にまでいきつく。19世紀には赤十字国際委員会や労働者インターナショナルなどの活動があった。しかし国際NGOの活動が活発化したのは、第2次大戦以後である。国際連合(United Nations、UN)は国連憲章71条において、NGOがオブザーバーとして協議に参加することを認めた。中でも*経済社会理事会は、経済社会問題を活動領域とするNGOに、「協議的地位」(consultative status)などを与え、オブザーバーとしての参加や文書や口頭による意見発表などを認めるようになった。一方、経済社会問題以外の問題を討議する国連総会や安全保障理事会にはNGOは参加を許されなかった。特に安全保障は国家の専有事項だという認識があった。(p.118)

*経済社会理事会(Economic and Social Council、ECOSOC)
国際連合の主要機関のひとつとして、国連や専門機関の経済社会分野での活動を調整する。また、人権の尊重を奨励する役割も担う。(p.118)

1-4.
 国際NGO活動がさらに盛んになったのは、冷戦が終結してからである。1992年リオデジャネイロにおける地球サミット(国連環境開発会議、UNCED)で、NGOが「オブザーバー」から「パートナー」に格上げされたことが、転機になったと言われる。その後、1993年国連人権会議、1995年国連社会開発会議、1995年4月国連女性会議で、NGOの参加が一般化し、国連開発計画(UNDP)、国連人口基金(UNFPA)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)など国連の専門機関も、NGOとの関係を強化していった。ちょうど国際機関が非軍事的課題に取り組む余裕ができ、各国の民主化が進む一方で政府や市場が様々な問題を解決できなくなっていた時期にあたる。(pp.118-119)

1-5. 3. 国際NGOの活発化
 国際NGOの活発化はいくつかの側面から確かめられる。例えば、数の増大、地理的な分散、関係性の密度の高さ、活動分野の広がりは、その側面である。NGO一般と同じように、国際NGOも近年増大していることは間違いないだろう。ただ客観データは乏しい。国際組織連合(Union of International Association、UIA)の国際組織年間(Yearbook of International Organizations)を参照し、1980年代以降国際NGOが急増していると主張される。(p.119)

3 manolo 2013-09-01 13:22:24 [PC]

1-6.
 国際NGOは活動拠点を地理的に広げてきているものの、過去の傾向を引きずり、現在でも先進諸国に事務局を置く組織が多い。特に活動のしやすさから、ブリュッセルやジュネーブを拠点にしている場合が多い。しかし、ラテンアメリカ諸国など第三世界諸国に事務局を置く国際NGOも増加してきている。この意味で、国際NGOは国際的な広がりを持ってきたと言える。国際NGOが、NGO間関係や国際組織、政府組織との関係を、近年特に密にしているという意見もあるけれども、裏付けるデータは乏しく、「関係」がそもそも何を指すかという問題もある。しかし例えば、1990年と2000年と比較すると、ひとつのNGOあたりが他の団体と結ぶ関係は倍になっているという考察もある。(p.119)

1-7.
 活動分野も広がりを見せている。第2次大戦直後から人権や国際法・国際制度構築の分野で国際NGOは活動してきた。しかし1980年代以降、平和、女性、開発といった分野が新たに国際NGOの射程に加わり、さらに近年では環境に関わる国際NGOが急激に増加している。(p.119)

1-8. 4. 国際NGOの具体的展開
 近年の活動を見ると、ネットワーク化した国際NGOの重要性がさらに認識できる。途上国累積債務問題、気候変動枠組条約および京都議定書、対人地雷全面禁止条約、国際刑事裁判所設立規定が顕著な例である。(p.119)

1-9.
 途上国の累積債務問題を解決するため、1970年代末から国際NGOのネットワークが形成され、1990年代半ばにはこの問題とジュビリーという観念が組み合わされた。ジュビリーとは、キリスト教における50年に一度の特別な記念日である。特に記念となる2000年に途上国の債務を帳消しにして、新たな千年紀を始めようという問題設定がなされた。この運動を推進したのが、最終的に69か国の組織と166か国の個人から構成されたネットワーク、ジュビリー2000(Jubilee2000)である。1998年バーミンガム・サミットで7万人を動員した人間の鎖、1999年ケルン・サミットにおける抗議運動、IMFや世界銀行総裁の直接会談などの5年間の活動によって、債務削減が重要な政策議題であると債権国政府や国際金融機関に受容させた。(p.120)

4 manolo 2013-09-01 13:30:11 [PC]

1-10.
 気候変動枠組条約(1992年署名)および京都議定書(1997年採択)は、二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素、ハイドロフロロカーボンといった温室効果ガスによる地球温暖化を防止する試みである。地球温暖化を憂う科学と、経済活動に足かせをはめたくない政治とのせめぎ合いの中で、1997年に73か国、約230のNGOで構成された気候行動ネットワーク(Climate Action Network、CAN)が、条約と議定書の各国間交渉過程に影響を与えた。ロビー活動によってアメリカ合衆国の反対を押し切り、「危険な人為的干渉を及ぼすことのない水準」に温室効果ガス濃度を安定化させることを条約の目的とした。CANの当初のもくろみまでは到達しなかったものの、条約と議定書の両方に温室効果ガスの削減目標や期限を盛り込むことに成功した。(p.120)

1-11.
 対人地雷全面禁止条約(1997年署名)が対象とした対人地雷は、被害者が起爆させる「受動性」と敷設後も一般人に被害を与え続ける「遅動性」を持ち、過去50年間、国内紛争や内戦などで核兵器と化学兵器よりも死傷者を多く生み出してきた。地雷禁止国際キャンペーン(International Campaign to Ban Landmines、ICBL)は、まず1992年から「特定通常兵器使用禁止・制限条約(Convention on Conventional Weapon、CCW)の再検討会議の開催を要求した。しかし同会議が地雷全面禁止を実現できないことがでわかる、カナダ政府主導のいわゆる*オタワ・プロセスの出発点となる各国政府の会合を組織した。そして、アメリカ合衆国による修正案を押しとどめ、条約案を全面禁止の原則に近づけた。これが評価されICBLは1997年ノーベル平和賞を受賞している。(p.120)

*オタワ・プロセス(Ottawa Process)
国連において対人地雷の全面禁止がなかなか進展しない中、カナダ政府が国連とは別に国際会議を組織し、各国政府いたった1年ほどで全面禁止の条約に署名するよう迫り実現させた。NGOの代表が政府交渉に参加した点も画期的だった。(p.120)

5 manolo 2013-09-01 13:34:38 [PC]

1-12.
 国際刑事裁判所(International Criminal Court)設立規定(1998年採択)は、国家を対象とした国際司法裁判所と異なり、重罪を犯した「個人」を起訴するための常設裁判所を目指したものである。この画期的な試みは、「自国民に対する自国の裁判管轄権」という原則に風穴をかけた。長年、国際的に取り組まれてきたもの、手続きが進んだのは、旧ユーゴ国際刑事裁判所(1993年設置)およびルワンダ国際刑事裁判所(1994年)が設置された頃であった。さらにいくつかの問題を乗り越えるため、国際刑事裁判所を求めるNGO連合(NGO Coalition for the International Criminal Court、CICC)が働きかけを行った。CICCは、まず同裁判所設立のための外交会議を後押しした。また、「同裁判所設立のために志を同じくする諸国」間で設立のための主要原則を策定させると共に、同裁判所の安保理からの独立、管轄権、検察官の独立性、検察官とNGOの協力について、同裁判所が実行力のある機関になるよう貢献をした。(pp.120-121)

1-13. 5. 国際NGOの課題
 国際NGOの活動と意義を位置づけようと、「グローバル市民社会」(global civil society)、「トランスナショナルな社会運動組織」(transnational social movement organization)、「トランスナショナル・*アドボアカシー・ネットワーク」(transnational advocacy network)、「トランスナショナル市民社会」(transnational civil society)、グローバル社会運動(global social movements)といった概念がつくられた。(p.121)

*アドボカシー(advocacy)
新たな理念、規範、言説を持ち込んでイシューの再構成とアジェンダの設定をし、政策提言を行うこと。(p.121)

1-14.
 しかし同時に、国際NGOはいくつかの課題も抱えている。
 第1に、国際NGOは重要な政治アクターでありながらも、国際会議でオブザーバーに留まるなど、政治代表のような決定権を持たない。力を発揮できるのは、イシューが国際的に注目されており、安全国家保障などのハイ・ポリティクスではなく、交渉の初期段階から各政府や国際機関の政策担当者と密に接することができる場合に限られる。(p.121)

6 manolo 2013-09-01 13:35:15 [PC]

1-15.
 第2に、国際NGOはいかなる意味で市民社会の代表なのか、政府は基本的には選挙などを通して国内で民主的な支持を受け、国際的な討議に参加する権限を得ている。一方NGOは、人々の代表性の件で弱い。そこで国際NGOが活動を正統化するためには、問題に対する情報や技能を政府以上に身につけること、各国の利害を超えた問題解決に向けた普遍的価値に根ざすこと、問題を解決し一定の成果を出すことが常に求められるのである。(p.121)

1-16.
 第3に、普遍的価値の実現を追求する国際NGOも、第三世界の「市民社会」の社会編成と接触すると、資源の争奪戦や既存の社会的亀裂の増幅などで普遍的価値がゆがめられる可能性もある。(p.121)

1-17.
 このように、いくつかの課題を抱えながらも、国際NGOは国境を超えた「公共性」に関わる問題を解決するための重要な政治アクターとして台頭し、国家を補完する形で国際システムを再編しているのである。(p.121)

7 manolo 2013-09-02 12:50:56 [PC]

出典: 『Understanding the Political World(10th Ed.)』、James N. Danziger、2011、Pearson Education

2-1. NGOs
The second type of international organizational is transnational nongovernmental organizations. NGOs are composed of nonstate actors (private individuals and groups) who work actively in a particular issue area to provide information, promote public policies, and even provide services that might otherwiase be provided by government. NGOs work with each other, with governments, and wtih IGOs [intergovernmental organizations] to address the full array of problems that cross state borders. Between 1960 and 2000, the number of NGOs active in at least three countries rose from 1,000 to more than 30,000. This includes about 5,000 majors NGOs that are very active in a large number of countries. Transnatinal NGOs, which enjoy higher public trust than either governments or business, are using new strategies of engagement with business and have a growing economic base (more than $1 trillion). They are "increasingly important in shaping national and international politics, governance processes and markets" and are "amongst the most influential institutions of the twenty-first century" (Elkington and Beloe 2003). (p.311)

2-2. NGOs are committed to furthering political and socials issues with transnational dimensions. Although their issues tend to be regional or global, the actions and effectivenss of national interest groups. These groups encourage concerned individuals, groups, and even the governments of others states to write letters, organize demonstrations or boycotts, or engage in other political actions to pressure a government or transnational actors to change its practices. (p.311)

2-3.
For examples, you might be aware, from media, mailings, or other information sources, of the environmental protection actions of Greenpeace, the animal preservation goals of the World Wildlife Federation, or the lobbying by the Union of Concerned Scientists to limit destructive tecnologies. Amnesty International, another well-known NGO, is concerned with protecting human rights and is engaged in campaigns to focus attention and pressure on governments that are violating the rights of their citizens. It is one of the leading NGOs among an expanding group of tranborder organizations that promote the protection of human rights. Often local movments of human rights activists coalesce with other outside their state's boundaries to promote this issues. (p.311)

8 manolo 2013-09-02 12:56:58 [PC]

(「国際NGO続き」)

2-4. The actions of some NGOs extend far beyond lobbying because they generate resources and actually deliver googs and services, such as the humanetarian medical services provided by Medecins sans Frontiers. With the globalization of communications and greater mobility, many other groups, advocacy networks, and social movements are able to engage in a mix of persuasion and action, although most operate in only a limited set of countires. And while many transnational actors are admired for their pursuit of nobole goals, some engage in illegal or violent activities that are relevant to states, such as the al-Qaeda terrorist network or international drug cartels. (pp.311-312)
 
1 manolo 2013-08-30 23:22:45 [PC]


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出典:『よくわかる健康心理学』、森和代他編、ミネルヴァ書房、8/20/2012、pp.80-81(III-5. HIV/AIDS」)

1-1. 1. HIV/AIDSの定義
 HIV感染症とは、ヒト免疫不全ウィルス(HIV: Human Immunodeficiency Virus)がリンパ球に感染し、免疫系が徐々に破壊されていく進行的な疾患です。HIVウイルスが、細胞の中に侵入し増殖し続けると、体内の免疫を維持できなくなり、無治療例では、①感染初期(急性期)、②無症候期を経て、③AIDS発症期としての感染から約5~10年後に厚生労働省が定めた日和見感染症といわれる*23の合併症のいずれかを発症し、AIDS(Acquired Immunodeficiency Syndrome)と診断されます。しかし、AIDSの発症を遅らせるための治療薬の開発・研究により、「HIV = AIDS」、また「AIDS = 死」ではないことを正しく認識することが大切であると言えます。(pp.80-81)

*サーベランスのためのHIV感染症・AIDS診断基準
A. 真菌症(カンジダ症(食道、気管、気管支、カリニ肺炎など))
B. 原虫症(トキソプラズマ脳症(生後1か月以後)など)
C. 細菌感染症(化膿性細菌感染症(13歳未満で、ヘモフィルス、連鎖球菌等の可能性細菌により以下のいずれかが2年以内に、2つ以上多発あるいは繰り返して起こったもの)など)
D. ウイルス感染症(サイトメガロウイルス感染症(生後1カ月以後で、肝、脾、リンパ節以外)など)
E. 腫瘍(カボシ肉腫など)
F. その他(反復性肺炎など)
(p.80)

2 manolo 2013-08-30 23:25:56 [PC]

1-2. 2. HIV/AIDSの歴史的変遷と現状
 1981年、アメリカで男性同性愛者5名がカリニ肺炎・カボジ肉腫を発症し、調査の結果、「ヘルパーT細胞が減少するという免疫異常により、日和見感染症を起こす病気=AIDS」が発表され、1983年、フランスのパスツール研究所のモンタニエ博士が後の「ヒト免疫不全ウイルス・HIV-1」を発見しました。1985年、第1回国際AIDS会議が開催されて、WHOは世界の患者数を1万4000人と発表し、日本でもアメリカ在住の日本国籍の男性が初の日本のAIDS患者として認定されました。1989年にはエイズ予防法が施行されました。(p.81)

1-3.
 エイズ予防情報ネット(http://api-net.jfap.or.jp)に示されたWHOのUNAIDS(国連合同AIDS計画)のデータによれば、2009年の世界のHIV陽性者数3330万人、新規感染者は260万人と推計されています。先進国の中には予防対策が効果を上げ、感染者の増加が抑制されている国もありますが、日本では依然として感染者・患者ともに増加が続いています。しかも、都市部では20~30代の今後社会を担う若者の感染が多くみられるため、若年者への予防啓発が最重要課題です。(p.81)

1-4. 3. HIV/AIDSの感染・治療
 HIVの感染を診断するには、血清中のHIV抗体の有無を調べます。現在では、保健所などで、匿名・無料で検査を行うことができます。感染して陽性であっても検査結果として陰性が出てしまうウインドゥ・ピリオドと呼ばれる時期があるため、HIV感染の可能性がある行為から約2~3カ月経過した時期の抗体検査実施が望ましく、確実な結果を得ることができます。感染経路としては、①性行為感染、*②血液による感染、③母子感染の3つがあります。(p.81)

*薬害エイズ問題
おもに血友病の患者が止血あるいは予防するための特効薬として用いられた血液製剤(非加熱製剤)の中にHIVが含まれていたために、全血友病患者の約4割にあたる1,800人がHIVに感染した。医師はその危険性を患者に告知せず、製薬企業も輸入と販売を続けていたために、多くの被害者を出した。(p.80)

3 manolo 2013-08-30 23:27:40 [PC]

1-5. 4. HIV/AIDSの教育・サポート
 現在HIVは、性行為感染(同性間及び異性間)が主であったため、コンドームの正しい使用が有効な感染予防の一つであるといえます。さらに、各自が自分自身の行動に中止することが必要であるため、「性の健康教育」「HIV予防介入」などの予防的な教育と、AIDS患者自らが健康管理を行うことができるための心理的サポートが必要です。また、HIV感染・AIDSをめぐる問題が人間にとって世界共通のテーマであることから、差別や偏見をなくす*レッドリボン運動、12月1日の世界エイズデーによるAIDS予防啓発などの社会的活動にも関心を寄せることが必要であると言えます。(p.81)

*レッドリボン運動
レッドリボンがAIDSのために使われ始めたのは、アメリカでAIDSが社会的な問題となってきた1980年代の終わりの頃だった。追悼の気持ちとAIDSに苦しむ人々への理解と支援の意思を示すために“赤いリボン”をシンボルにした運動が始まった。この運動は、その考えに共感した人々によって国境を越えた世界的な運動として発展し、UNADIS(国連AIDS計画)のシンボルマークにも採用されている。(p.81)

**12月1日世界エイズデー
WHOは、1968年に世界的レベルでのエイズまん延防止と患者・感染者に対する差別・偏見の解消を図ることを目的として、12月1日を”World AIDS Day”(世界エイズデー)と定め、エイズに関する啓発活動等の実施を提唱した。1996年よりWHOに代わって、国連のエイズ対策の総合調整を行うこととなったUNAIDS(国連合同エイズ計画)もこの活動を継承している。(p.81)
 
1 manolo 2013-08-23 14:30:36 [PC]


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出典:Tahoo!ニュース、「藤圭子さんの自殺 テレビのニュース報道は、国際的な『ルール違反』だらけ」8/23/2013、水島宏明(法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター、
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20130823-00027482?fb_action_ids=10151491405422134&fb_action_types=og.recommends&fb_source=other_multiline&action_object_map=%7B%2210151491405422134%22%3A626785727354233%7D&action_type_map=%7B%2210151491405422134%22%3A%22og.recommends%22%7D&action_ref_map=%5B%5D

1-1. 8月22日、テレビ各社は昼ニュースから夕方ニュース、夜のニュースまで、歌手の藤圭子さんの転落死を伝えるニュースをトップ扱いで報道した。こうしたテレビ報道の多くが、実は自殺に関する「国際的な報道ルール」ともいうべきガイドラインに違反している。ところが、このガイドライン、一般的にほとんど知られていないばかりか、肝心のメディア報道に携わる記者やデスクらもほとんど理解していない。このため、有名人が自殺するというニュースのたび、同じようなルール無視の報道が繰り返されている。

1-2. ■自殺に関する国際的なルールは・・・
 「国際ルール」というのは、国連の専門機関であるWHO・世界保健機関が定めた報道のガイドラインのことだ。少し長くなるが、辛抱強くお付き合いいただきたい。WHOの報道ガイドラインについては内閣府もホームページで日本語に翻訳した文章を掲示している。報道ガイドライン「WHO自殺予防 メディア関係者のための手引き」 2008年改訂版日本語版だ。
 http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/link/kanren.html

2 manolo 2013-08-23 14:40:38 [PC]

1-3. この「手引き」には報道関係者が自殺を扱う場合の「クィック・リファレンス」として11項目が掲げられている。それらは以下の通りだ。(番号は便宜的に筆者がつけたもの。)

(1) 努めて、社会に向けて自殺に関する啓発・教育を行う。
(2) 自殺をセンセーショナルに扱わない、当然のことのように扱わない。あるいは問題解決法の一つであるように扱わない。
(3) 自殺の報道を目立つところに掲載したり、過剰に、そして繰り返し報道しない。
(4) 自殺既遂や未遂に用いられた手段を詳しく伝えない。
(5) 自殺既遂や未遂が生じた場所について、詳しく情報を伝えない。
(6) 見出しの付け方には慎重を期する。
(7) 写真や映像を用いる時にはかなりの慎重を期する。
(8) 有名な人の自殺を伝える時には特に注意をする
(9) 自殺で遺された人に対して、十分な配慮をする。
(10) どこに支援を求めることができるのかということについて、情報を提供する。
(11) メディア関係者自身も、自殺に関する話題から影響を受けることを知る。

1-4. なぜ、これらがWHOによる国際的ガイドラインの主な項目になっているかといえば、自殺についての大量の報道が模倣自殺を引き起こしてしまうからだ。ガイドラインでは「自殺に傾いている人は、自殺の報道が大々的で目立つものであったり、センセーショナルであったり、自殺の手段を詳しく伝えられたりすることで、その自殺に追随するように自殺することに気持ちがめりこんでしまう」という。

1-5.自殺についての情報の多さや露出の多さは模倣自殺への影響のピ-クがあるというのは国内外の様々な研究で明らかにされいる。事件後の「最初の3日間」に模倣自殺への影響のピークがあるという。1986年の岡田由希子さんや2011年の上原美優さんの自殺後に模倣自殺が増えた事実はあまりに有名だ。

3 manolo 2013-08-23 14:59:37 [PC]

1-6. 「手引きの」の(3)についてはこう書かれいてる。

― 自殺に関する新聞報道は、第一面や、中のページの最上部に掲載されるよりも、中のページの最下部に掲載されるようにすべきである。同様に、テレビの報道番組においても、自殺の話題は、番組のトップではなく、番組の流れにおける最初の区切りか、2つ目の区切りの後に報道すべきである。

1-7. 手引きの(4)について、

― 自殺既遂や未遂の方法を詳しく述べることは避けなければならない。なぜなら、それをひとつづつ順を追って述べることで、自殺に傾いているひとがそれを模倣するかもしれないからである。

1-8. (5)について。

― ある場所が、“自殺の名所”といわれるようになることがある。例えば、自殺企図が生じる橋、高いビルディング、崖、鉄道の駅や踏切などである。センセーショナルな表現によって、あるいはそこでの自殺の件数を誇張するような報道がそういった場所を“自殺の名所”にしてしまうことがあるので、報道関係者は特に注意しなければならない。

1-8. (6)について、

― 見出しでは、“自殺”のことばを使うべきでないし、同様に自殺の手段・方法や場所についての言及も避けるべきである。

1-9. (7)について、

― 自殺の状況・現場の写真やビデオ映像は使うべきでなく、特にそれが自殺の生じた場所や自殺の手段・方法を読者や視聴者にはっきりと分からせるようなものであればなおさら使ってはならない。

― 自殺をした人の写真を報道に使うこともすべきでない。もし視覚的な画像を用いるのなら、遺族から正式な許可を得なければならない。それらの画像は、目立つところに掲載されるべきではなく、また美化するべきでもない。また、遺書も掲載するべきではない。

1-10. (8)について

― 著名な人の自殺は、報道の対象になりやすいし、しばしば関心の対象となる。しかしながら、著名な芸能人や政治的に力を持つ人の自殺は、その人たちが崇拝の対象であれば特に自殺に傾く人に影響を与えてしまう。
 
1 manolo 2013-08-21 19:35:47 [PC]


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出典: 読売新聞(社説「減胎手術 生命倫理に関する議論深めよ」)、8/14/2013

1-1. 「生命の選別」という重い課題が突き付けられたといえよう。放置することはできない。女性が双子以上の多胎児を妊娠した際、病気や異常がある胎児を選んで中絶する減胎手術が、これまでに36例行われていた。実施した長野・諏訪マタニティークリニックの根津八紘院長が公表した。

1-2. 多胎妊娠は、不妊治療に伴って起きやすく、早産など母子の健康面でも危険性が高い。対策として、一部の胎児を薬で中絶し、胎児の数を減らして出産させるのが減胎手術だ。国内では根津院長が1986年に初めて実施した。

1-3. 胎児の健康状態を調べる出生前診断技術の進歩が、問題の背景にある。妊娠中の超音波検査が普及し、胎児の異常を見つけやすくなった。4月には、ダウン症などの有無が血液検査でほぼ確実にわかる新型出生前診断も始まった。

1-4. 出生前診断について、日本産科婦人科学会は6月、高齢妊娠など染色体異常が起きる可能性が高い場合を対象とし、カウンセリングの体制が整った施設で実施すべきだとする指針を決めた。ただ、指針を減胎手術のどう適用するかは定められていない。

1-5. 厚生労働省の審議会は2000年、減胎手術は「原則として行うべきでない」としながら、母子の健康を守るためにやむを得ない場合もあり、「ルール化が必要」との報告をまとめた。だが、ルール作りは容易ではない。様々な人生観や宗教観、生命倫理の問題が広がり、議論が収束する見通しが立たないからだ。

2 manolo 2013-08-21 19:40:45 [PC]

1-6. 減胎手術を実施するかどうかの判断は、個別の医療が機関に委ねられているのが現状だ。根津院長に減胎手術を受けた妊婦の中には、他の医療機関でこの手術について説明されず、全児を産むか、全児を中絶するか、判断を求められた人もいるという。妊婦にとって酷な選択だろう。妊婦側が適切な判断をするための情報提供が求められる。

1-7. 多胎妊娠の予防も重要だ。複数の受精卵を子宮に戻す体外受精の普及で多胎が増え、産科婦人科学会は08年、移植する受精卵を原則として1個に制限した。これにより、体が受精に伴うケースは減ったものの、排卵誘発剤による多胎妊娠はいまだに多い。出生前診断がさらに普及すれば、異常が見つかった胎児の減胎手術は今後も増えるだろう。

1-8. 医療現場に判断を任せきりにしてはならない。国民全体で考えるべき時期に来ている。

3 manolo 2013-08-21 20:04:02 [PC]

出典: The Japan News(Editorial: "Multifetal reduction surgery problems must be addressed")、August 15,2013、p.13

2-1. The dispute over multifetal reduction surgery at a maternity clinic in Nagano Prefecture poses a fundamental question regarding the screening of unborn babies. The controversy must not be left unaddressed. Last Thursday, Yahiro Netsu, dirctor of Suwa Maternity Clinic in Shimosuwa, revealed that he had performed 36 operations called multifetal pregrancy reduction. The surgery was aimed at aborting one or more fetuses found to have diseases in multifetal pregnancies.

2-2. A multifetal pregrancy is liable to occur concomitantly with fertility treatment. These kinds of pregnancies increase the risk of health problems for mothers and babies, including the possibility of premature births. Selective reduction surgery is the practice of aborting one or more fetuses through the use of a chemical substance, thereby reducing the number of fetuses in a multiple pregnancy. Japan's first selective reduction operation was performed by Netsu in 1986.

2-3. The key factor behind the controversy is the technological advancement in prenatal diagnosis used to examine the health of a fetus. The spread of the ultrasonic diagnostic meathod has made it easy to discover abnormalities. In April the use of a new prenatal diagnostic method was launched, making it possible, with a good measure of certainty, to determine whether an unborn baby has a disorder such a Down syndrome through a blood test.

2-4. In June, the Japan Society of Obsterics and Gynecology laid down a set of guidelines on the use of prenatal disgnosis. The guiding principles require diagnoses to be limited to case in which chromosomal aberrations are likely to occur, including late-in-life pregnancy. They also state that such a diagnosis should be carried out only at facilities that can provide adequate counseling for pregnant women. However, the guidlines do not state how these principles should be applied in multifetal pregnancy reduction surgery.

2-5. In 2000, an advisory panel to the Health, Labor and Welfare Ministry compiled a report stating that selective reduction operations should not be performed "as a general rule." At the same time, however, the report added that there were some cases in which such an operation must be performed to protect the health of pregnant women and their babies. "It is necessary to work out a set of rules," it said. However, it will not be easy to forumlate such rules. It is not known whether a consensus can be reached through discussions on the pros and cons of performing selective reduction surgery. This is because the controversy over multifetal pregnancy reduction entails a wide range of issues, including an individual's view of life, fundamental standpoints peculiar to different relogions and ethics.

4 manolo 2013-08-21 20:36:32 [PC]

(減胎手術続き)

2-6. At present, each medical institution decides at tis own discretion whether to conduct selective reduction surgery. Before undergoing a selective reduction at Netsu's clinic, one woman epecting a multiple birth reported visited another medical institution where she was urged to decede whether to give brith to all the babies or abort them. She was not given an eplanation about what a multifetal reduction operation entailed. For pregnant women, deciding whether to undergo such an operation is extremely difficult. They should be provided with essential information to make an appropriate decision.

2-7. It is also necessary to prevent multiple pregnancies. In 2008, the obsterics and gynecology society said only one fertilized egg should be placed in the uterus of a woman. This was in response to an increasing number of multiple pregnancies involving more than one fertilized egg being placed in the uterus during in vitro fertilization. The society's statement resulted in a decrease in the number of multiple pregnancies through in vitor fertilization. However, there still are a number of multiple pregnancies due to ovulation-inducing drugs. If prenatal diagnosis becomes more common, it will likely lead to a rise in the number of selective reduction oeprations in the future.

2-8. Making a decision about whether to perform such an operation should never be left to the medical profession, or medial institutions for that matter. It is time for the public as a whole to consider the problem of multifetal pregnancy reduction. (From The Yomiuri SHimbun, Aug 14, 2013)
 
1 manolo 2013-08-15 11:31:02 [PC]


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出典: 朝日新聞、8/15/2013、p.3

1-1. 海外でも活躍できる「グローバル人材」を育てるため、文部科学省は来春から、先進的な高校を「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」に指定して支援する。初年度は全国の100校を指定し、英語力だけでなく、幅広い教養や問題解決力も身につけた生徒の育成を促すという。

1-2. 文科省は、100校の指定を前提に、留学経費や人件費などを支える国費として、20億~30億円程度を来年度予算概算要求に盛り込む予定だ。

1-3. SGHは、「世界と戦えるグローバルリーダーを育てる新しいタイプの高校」として、安倍政権が6月にまとめた成長戦略に盛り込まれた。英語を中心とした外国語力に加え、課題を見つけて解決する能力や歴史・文化などの教養も重視して教える。必要に応じて、学習指導要領によらない教育が可能な「教育課程特例校」にも指定する。

1-4. 取り組みの背景には、大学受験向けの教育に偏りがちな進学校に対する危機感がある。文科省幹部は「高校2年で文系と理系に分かれ、例えば理系では歴史や公民教育がおざなり、それでは幅広い教養が求められる『グローバル人材』は育たない」と話す。

1-5. 対象校は、来年初めから募集し、学校から提出されたカリキュラム案を文科省が審査し、地域バランスも考慮して指定する。先進的な英語教育や、海外大学の入学資格が得られる教育課程「国際バカロレア」をすでに採り入れていたり、進学実績が各県で上位だったりする高校の申請が想定されている。

1-6. 先進的な教育をする高校を選んだ支援策をとしては、2002年度に文科省が始めた「スーパーサイエンスハイスクール」事業がある。理数系教育を支援する目的で、指定校は現在201校。

2 manolo 2013-08-21 17:18:14 [PC]

出典: 朝日新聞、(夕)8/14/2013、p.6

2-1. 米ハーバード大学の学生らが、日本の高校生と寝食を共にして「世界」を伝授するサマースクールが人気を集めている。日本の若者世代は内向きともいわれるが、海外の大学進学に興味を持つ高校生の広がりを反映しているようだ。

2-2. ハーバード大生の有志が2011年に東京で始めた「H-LABサマースクール」は、主に海外の大学進学に興味がある高校生に向けたもの。日米の大学生でつくる実行委員会によると過去2年間は約80人が参加し、計23人がハーバードなど海外に進学。東京大にも9人が合格し一度は進学したが、うち6人は海外の大学にも合格し、5人はそちらに転学した。

2-3. 3回目の今年は東京以外で初めて長野県小布施町でも開催。米国大使館が奨学金を出し、東日本大震災で被災した3県の高校生5人も招待する。応募は年々増え、今年は全国約370人から、志望書などで約120人が選ばれた。

2-4. 8月中旬、東京ではハーバード大生ら約25人と高校生約80人が旅館に泊まり込み、多彩なテーマごとに数人ずつ議論。長野では県内外の高校生約40人が住民宅などで活動する。議論や著名教授らの講演はすべて英語で行われる。

2-5. 実行委は「海外の大学進学や留学にアンテナをはっている高校生も多いが、そうでない人が留学を決心する機会にもなっている、」東大生の佐々木弘一さん(18)は群馬県立高崎高校3年だった昨年に参加。「知的興奮や将来を考える機会にあふれていた」。いずれ海外の大学で学びたいという。

2-6. 海外の学生側も熱心に後押しする。今年のハーバード大卒業生の総代に選ばれたファナイェ・ヤーガさん(21)は3年連続の参加。「日本の高校生に視野を広げてもらいたい」と話す。「来年はわがまちに」と、ほかの自治体からも開催依頼が来ているという。

3 manolo 2013-08-21 17:27:34 [PC]

2-7. 海外の大学をめざす高校生の層は広がりつつある。開成高校(東京)では今年、米エール大など海外9校に合格を出し3人が進学。「関心は間違いなく高まっている」。同高校出身でH-LAB実行委の高田修太さん(23)は話す。

2-8. 地方でも動きがある。大分県の公立小中学校から県立大分上野丘高校に進学した広津留すみれさん(20)は11年にハーバード大に合格。今月、地元大分でハーバード大生を講師に招き英語を学ぶ小学生から高校生を対象にセミナーを開いた。

2-9. ベネッセコーポレーションは海外進学希望者向けの塾や、日本と海外の大学を併願するコースを運営。12年度にはこれらの受験生全体で2年前の8倍以上の212人が海外に進学した。