ドーピング (コメント数:4)
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1 manolo 2013-09-11 09:10:42 [PC]
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出典:『よくわかるスポーツ文化論』井上俊&菊池幸一編著、ミネルヴァ書房、1/20/2012、「XV-2. ドーピング」pp.156-157
1-1. 1.スポーツの世界における身体能力 身体能力の違いは、日常生活では個性にすぎません。しかしそれは、スポーツの世界では優劣を測るひとつの尺度となります。これは、スポーツの世界ではそれ独自の尺度(価値)-より高く・早く・強い方が望ましい-によって参加者の位置づけが行われるからです。とくに競技スポーツではその勝敗は多かれ少なかれ、競技者の身体能力の違いによるとされています。その違いを埋め、さらには優越するための活動としてトレーニングなどがあると考えられますが、ドーピングもまた、物質の摂取によりそれらをおこなう活動といえます。その意味で栄養食品の摂取なども含まれるようにも思われますが、ドーピングはもっと限定的に定義されています。(p.156)
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2 manolo 2013-09-11 09:25:49 [PC]
1-2. 2. ドーピングの定義 現在、反ドーピング活動の中心は、1999年にスイスで設立された*世界アンチ・ドーピング機構(WADA、World-Anti-Doping Agency)です。この機構によって限定された「*反ドーピング規程(コード)」の8条項のひとつにでも当てはまる活動をドーピングと呼びます。さらにそれらの条項はそれぞれ、より具体的な検査と判定手続きを定めた項目によって規定されています。(p.156)
*日本でも2001年に日本アンチ・ドーピング機構(JADA、Japan Anti-Doping Agency)が設立された。(p.156)
**反ドーピング規程(翻訳版) 1. 競技者の身体からの検体に禁止物質、その代謝産物あるいはマーカーが存在すること。 2. 禁止物質、禁止方法を使用する、または使用を企てること。 3. 正式に通告された後で、正当な理由なく、検体採取を拒否すること。 4. 競技外検査に関連した義務に違反すること。具体的には、居所情報を提出しないことや連絡された検査に来ないこと。 5. ドーピング・コントロールの一部を改ざんすること、改ざんを企てること。 6. 禁止物質及び禁止方法を所持すること。」 7. 禁止物資・禁止方法の不法取引を実行すること。 8. 競技者に対して禁止物質や禁止方法を投与・使用すること、または投与・使用を企てること、アンチ・ドーピング規則違反を伴う形で支援、助長、援助、教唆、隠蔽などの共犯関係があること、またはこれらを企てる行為があること(日本アンチ・ドーピング機構(2009)『日本ドーピング防止規程』6-10頁)(pp.156-157)
1-3. 「反ドーピング規程」で禁止する物質は毎年見直しがおこなわれますが、そのさいには監視物質として、禁止されてはいないものの、検査によって使用動向を監視し、禁止するかどうかを検討する物資も定められます。たとえば、2010年にはプソイドエフェドリンが禁止リストに再導入されました。この物質は鼻づまり用の内服薬として広く使われているものです。この物質に対する5年間の監視プログラムの結果、高濃度の乱用が認められるとして、WADAは2004年に禁止から除外されていたこの物質を、再度禁止リスト入りさせたのです。(p.156)
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3 manolo 2013-09-11 09:37:42 [PC]
1-4. 競技者の使用動向によって禁止リストが更新される - このような経緯と現状が示しているのは、ドーピングには終わりがない、ある種のイタチごっこであるということです。実際のところ、ドーピングをまず概括的に定義し、そこに当てはまる物質をリスト化するというWADAの手法は、1970年代以来の麻薬などの薬物取り締まり法制度と共通のものです。遺伝子技術などもすでにその対象になっており、終わりのない取り締まりが予想されます。(p.156)
1-5. 3. ドーピングに関する2つのイメージ 現代の競技スポーツは多くの場合、マスメディアにおけるイメージと切り離して考えることは難しいですが、ドーピングも同様です。ドーピングがマスメディアで表現されるさいには、主として2つのパターンが使用されてきました。(p.157)
1-6. まずひとつは、特定競技者による「個人的行為としてのドーピング」です。これが広く注目されたのは、1988年「ソウル・オリンピックでの男子陸上100メートルです。決勝ではカナダのベン・ジョンソン選手が9秒79の世界新記録で優勝し、金メダルを獲得しました。しかし検査によって、禁止物質である筋肉増強剤が検出され、金メダル剥奪と選手資格の2年間停止となりました。*この事件は主にジョンソン選手個人の逸脱と報道されました。2007年にはアメリカ大リーグで有名選手たちの、ドーピング蔓延事情が報道されました。(p.157)
*ただしその後の調査で、これが組織ぐるみのものであったことが明らかになっている。(p.157)
1-7. もうひとつは「国家的な取り組みとしてのドーピングです。欧州では旧東ドイツによるものが有名です。こちらの場合では、ドーピングは過去の共産主義国の特有の逸脱行為とされますが、同時に、男性ホルモン系筋肉増強剤を継続的に投与された女性競技者が男性化し、性転換して生きていかざるを得なくなるなど、その後の経緯なども含めて問題とされ、競技者はドーピングの主体ではなく、被害者として位置づけられます。ただし旧西ドイツにおいても。すでに1950年代中頃には筋肉増強剤の使用を医師によって勧められたという証言もあり、ドーピングは特定の政治体制がおこなう逸脱とはいえません。(p.157)
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4 manolo 2013-09-11 09:38:28 [PC]
1-8. 4. 近代競技スポーツとドーピング 問題は、これらのメディア・イメージがより重要なことを隠してしまうおそれがあることです。そもそもドーピングは、逸脱的傾向を持った個人や国家が、みずからのために行う行為だと言い切れるものではありません。その動機の成立や維持について考えると、ドーピングが社会現象であることは明白ですし、それらは競技スポーツの社会的な成り立ちと深く結びついています。(p.157)
1-9. K.-H.ベッテとU.シマンクは、近代競技スポーツにおいて、ドーピングはその構造による必然的な結果であると指摘しています。近代競技スポーツの世界では勝利が最も重要な価値であり、選手自身だけでなく選手を支援する周辺を社会的にも経済的にもまきこんで、「勝つこと」が非常な圧力に、ときに絶対条件にさえなります。これは競技スポーツが社会のなかで相対的に自律性を獲得し、それ独自の価値や規範、さらには制度を持つような領域として成立したことによるものです。そのような状況にある競技スポーツでは、ドーピングさえもが勝利のための手段として選ばれ、ときに正当化さえされるのです。つまりドーピングは、個人に利益や国家の威信にのみ還元できる問題ではなく、きわめて社会的な問題なのです。(p.157)
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