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アフリカの民族紛争 (コメント数:5)

1 manolo 2013-10-03 01:15:37 [PC]


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『宗教と現代がわかる本2012』平凡社、渡邊直樹[責任編集]、2/24/2012、(「アフリカの民族紛争、宗教対立の解決策を探るために」、竹内進一)pp.154-157

1-1.
 アフリカでは、民族や宗教の違いが暴力的紛争の中でしばしばクローズアップされる。一九九四年にルワンダで起こった大量殺戮(*ジェノサイド)は、少数派民族のトゥチを主たる標的としたものだった。二〇〇七年末の大統領選挙をきっかけにケニアで勃発した大規模な暴力では、キクユやルオといった民族間で殺戮が繰り返された。最終的に南スーダンの独立に至ったスーダン内戦は、北部に居住するムスリムのアラブ人と、南部に居住するキリスト教のアフリカ人との戦いだと言われた。南部のキリスト教徒と北部のムスリムの間の亀裂は、コートジボワール、ナイジェリア、チャドといった国々でも指摘されてきた。(p.154)

*ジェノサイド
ナチス・ドイツによるユダヤ人殺戮の教訓を踏まえ、一九四八年の条約で制定された大量殺戮の概念。国際法上は、民族、宗教、人種などに関わる集団の全部または一部を破壊する意図を持ってされた殺害行為を指す。ドイツやルワンダのほかにも、オスマン・トルコ帝国のアルメニア人虐殺(一九一五年~一六年)や、スレブレニツァ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)におけるモスレム人の殺戮(一九九五年)、またポル・ポト政権下(カンボジア)の大量殺戮(一九七六~七九年)もジェノサイドと見なされることがある。(p.154)

2 manolo 2013-10-03 01:17:00 [PC]

1-2. 《人は民族や宗教が違うだけで殺しあったりしない。》
 こうした紛争にいかに対処するかは、今日の国際社会にとって喫緊の課題である。解決策を考えるためにまずもって重要なのは、民族や宗教の違いと暴力的紛争の関係を正確に理解することである。人々は、単に民族や宗教が違うというだけで殺し合ったりしない。そうした違いはしばしば長い年月をかけて政治化されてきた経緯があるし、政治家など有力者の動員によって人々が暴力へと駆り立てられることが多い。(p.154)

1-3.
 ルワンダを例にとろう。一九九四年の大殺戮は、*トゥチが被害者、多数派民族の**フトゥが加害者という構図であった。トゥチとフトゥはそれぞれ全人口の一割強、八割強を占めるが、言語や宗教に違いはなく、国土に混じりあって居住する。ヨーロッパに植民地化される以前のルワンダ王国において二つの集団は社会階層に近い性格を有していた。支配階層にはトゥチが多かったものの集団間の境界は曖昧で、アイデンティティが集団間を移動する場合も珍しくなかった。(pp.154-155)

*トゥチ
ルワンダ、ブルンジで全人口の一割強を占める民族。日本語では通常「ツチ」と表記されるが、現地の発音は「トゥチ」が近い。植民地化以前のルワンダ、ブルンジ両王国では、トゥチは支配層に多く、王族を輩出した。長身痩躰の体型を有するというステレオタイプ・イメージがあるが、フトゥと体型で区別できない人も多い。今日、ルワンダでは政権与党(ルワンダ愛国戦線[RPF])、ブルンジでは第二の政党(民族進歩連合[UPRONA])の中心を占めている。(p.154-155)

**フトゥ
ルワンダ、ブルンジの全人口の八割強を占める民族。日本語では通常「フツ」と表記されるが、現地の発音は「フトゥ」が近い。植民地化以前は被支配層に多かった。トゥチに比べてずんぐりしているというステレオタイプ・イメージがある。ルワンダでは、植民地末期の紛争以降一九九四年にRPFが内戦に勝利するまで、フトゥ・エリートによる政治支配が続いた。ブルンジにおける現在の政権与党民主防衛国営会議―民主主義防衛勢力派(CNDD-FDD)は、もともとフトゥのゲリラ組織である。(pp.155-156)

3 manolo 2013-10-03 01:18:04 [PC]

1-4.
 ところが、一八九九年以降にルワンダを統治したドイツとベルギーは、トゥチを支配民族とみなしてフトゥに対する差別政策を制度化した。教育や就職で差別を受けたフトゥは怨念を抱き、それが独立運動の中で爆発する。独立直前の一九五九年、ルワンダは史上初めて全国レベルの民族紛争を経験することになる。この紛争で多数のトゥチが難民化したが、彼らは国外で武装組織を結成し、一九九〇年に祖国に侵攻して内戦を引き起こす。一九九四年のジェノサイドは、その内戦の帰結であった。アフリカにおける近年の内戦や大量殺戮の原因を辿ると、たいていの場合、植民地期の差別政策が影響している。(p.155)

1-5.
 国連とフランスの軍事介入(二〇一一年四月)で注目を集めたコートジボワールの内戦では北部と南部が対立したが、この地域対立も政治的に創られた側面が強い。直接のきっかけは、政権を握った南部の政治家が北部の有力な政治指導者を大統領選挙から排除し続けたことである。この北部政治家は隣国に出自を持ち、立候補資格がないというのが理由であった。独立以前、コートジボワールはブルキナファソ、マリ、ギニアといった隣国と「フランス領西アフリカ」を構成し、したがって人々も国境をまたいで自由に往来していた。厳格な国籍条項の適用は、多くの北部人を事実上国民から排除することにつながる。政敵を排除するための措置が北部と南部の差異を強調し、結果的に暴力的紛争へと導いたわけである。(p.155)

1-6. 《民族や宗教の違いが政治に利用されている》
 二つの事例から明らかなのは、民族や宗教が違うから殺し合うというより、そうした差異が植民地政策や政治権力闘争によって強調され(あるいは創造され)、紛争の中で利用されるということだ。民族紛争や宗教対立をこのように捉えれば、差異の政治的動員をいかに封じ込めるかが重要になる。この点で、ルワンダとブルンジの比較は興味深い。中部アフリカに位置し、国境を接するこれらの二つの小国は、植民地化以前の伝統王国に起源を発し、少数派のトゥチと多数派のフトゥからなる社会構造を共有する。そしてともに独立後は民族を基軸とする紛争を繰り返し経験してきた。しかし、一九九〇年代に深刻な紛争を経験した両国は、その後紛争予防を掲げて対照的な政治制度を導入した。(pp.155-156)

4 manolo 2013-10-03 01:18:57 [PC]

1-7.
 ルワンダの内戦とジェノサイドを経て権力を握ったのは、トゥチを中核とする元ゲリラ組織「ルワンダ愛国戦線(RPF)であった。内戦に軍事的勝利を収めて権力を握ったRPFは、「ジェノサイドを繰り返さない」ことを最優先課題に掲げて民族表象を抑圧する政策をとってきた。RPFは政権を握ると、まず身分証明書の民族名を削除する政策を打ち出した。ルワンダの身分証明書には、植民地期以降、民族名が記載されており、内戦時には殺戮対象者を選別するために利用された。この制度を廃止したのである。それにとどまらず「ルワンダ人は一つ」という論理の下で、公の場で民族に言及することはタブーとなった。二〇〇三年制定の憲法では、民族などの「分断(division)」を助長すれは処罰の対象になると定められた。(p.156)

1-8.
 内戦後のルワンダではRPFが権力を握り続けているが、政権は軍事的性格を色濃く残し、この条項を国内治安確立のために利用している。これまで「分断」条項に抵触したとして、有力野党が解散させられたり、大統領選挙に立候補しようとした人が逮捕されている。ルワンダは制度的に多党制民主主義を採用しているが、現実にはRPFが重要な権力装置を独占し、強権的な政治体制が敷かれている。抑圧的な民族政策は、民族を通じた政治的動員を阻止し、少数派のトゥチを基盤とするRPF政権を永続させるためのものだという見方も強い。(p.156)

1-9.
 ブルンジもまた一九九〇年代に長期の内戦を経験し、国際社会の介入を経て、二〇〇〇年に停戦協定が結ばれた。その後、移行期政権を経て二〇〇五年に制定された新憲法では、民族間の厳密な権力分有政策が制度化された。ルワンダとは逆に、ブルンジ憲法は、第一条で民族的多様性を認めている。そのうえで、議会や内閣、軍や警察、公企業や地方行政府などについて、民族間の比率が厳密に定められている。二名の副大統領を異なる民族から出すこと、内閣、下院、公企業経営者などに関してはトゥチとフトゥの比率を四対六とし、上院や治安機関(軍、警察、諜報機関)に関しては五対五とすることなど、憲法には事細かに政治ポストの民族別比率が書き込まれている。(p.156)

5 manolo 2013-10-03 01:19:46 [PC]

1-10
 民族動員の強力な手段となる政党の編成についても、制度的工夫がなされている。ブルンジの下院選挙では、拘束名簿式比例代表制が採用されているが、名簿作成にあたって、三人に一人は異なる民族の候補者を記載することが義務づけられている。そのため、政党は必ず多民族から構成されることとなる。今日ブルンジの政権与党は、かつてフトゥを中核とするゲリラ組織であった「民主主義防衛国民会議-民主主義防衛勢力派(CNDD-FDD)」だが、同党に所属する下院議員の三割はトゥチである。(p.157)

1-11. 《権力闘争の制度化(ルール化)に向けて》
 ルワンダとブルンジを比較すると、ルワンダが物理的な力で民族の表出を抑制しているのに対して、ブルンジは権力分有制度を通じて民族対立を防ぐ工夫を講じている。一見するとブルンジのやり方が合理的で持続可能に思えるだろう。実際、今日ブルンジでは、民族の違いは国政において重要な意味を持っていない。政治エリートの間に民族を通じた動員を行うインセンティブがないからである。(p.157)

1-12.
 ただし、問題はそれほど簡単ではない。今日ブルンジは、ルワンダよりもずっと政治的に不安定化している。政権与党に反発するグループが散発的な軍事行動に出ているためだが、このグループは政権与党と同じく、かつてのフトゥ・ゲリラである。権力分有制度の導入によって民族間の対立を封じ込めたものの、同じ民族内の政治対立が紛争再発の危機を招いているのである。(p.157)

1-13.
 政治対立や権力闘争は、どんな国でも必ず起こる。暴力ではなく何らかのルールに則ってそれを処理しなければ、武力紛争は防げない。暴力的紛争の解決という観点から考えれば、民族や宗教の対立を緩和する制度導入以上に、権力闘争を暴力に依らずに処理するためのフォーマル、インフォーマルな合意形式が重要なのである。(p.157)
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