Tokon Debatabank II

首相靖国参拝 (コメント数:11)

1 manolo 2014-01-30 15:54:51 [PC]


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出典:ニューズウィーク日本版、「劇場化する靖国問題」、1/28/2014、pp.23-28

日本 首相参拝で慰霊の場が外交劇場と化す
異常とも言える騒ぎの核心にあるのは欺瞞だらけの中韓の批判と議論を避ける日本の怠慢だ(p.23)

1-1.
 「騒ぐようなことじゃない」 昨年12月26日の朝、東京の靖国神社で参拝に訪れる安倍晋三首相を宮司の徳川泰久共に迎えながら、日本遺族会会長の尾辻秀久参議院議員(自民党)は苦い思いをかみしめていた。日本海軍の駆逐艦隊艦長だった尾辻の父は、戦時中に南太平洋ソロモン沖で戦死した。幼かったため、父の顔はよく覚えていない。だが、母に連れられて幼い妹と参拝するようになってから、尾辻にとって靖国神社は父と切り離せない場所になった。

2 manolo 2014-01-30 16:22:34 [PC]

1-2.
 遺族会会長である尾辻にとって、時の首相による靖国参拝は手放しで歓迎することのように思える。しかし当日の朝に参拝の連絡を受け、慌ただしく神社に向かった尾辻の心は淡々としていた。落ち着きを失っていたのは神社や尾辻ではなく、周囲だ。「靖国参拝はいわば墓参り。それを脇から騒ぐのは無礼ではないか」と、尾辻は言う。「靖国は慰霊の場だ」(p.23)

1-3.
 日本の首相による靖国参拝を批判し続けてきた中国と韓国は、今回の安倍の参拝後も「横暴にも第二次大戦のA級戦犯がまつられている靖国神社を参拝」(中国外務省報道官)「『軍国主義の心臓』靖国神社を参拝」(韓国の朝鮮日報)と、お決まりの批判を繰り広げた。こうした中韓両国の反発を予想したかのように、安倍は参拝直後に「平和を誓うために参拝した」という趣旨の談話を出した。ただ、尾辻にはその内容が気に掛かった。靖国は霊魂が眠る場所。仰々しい誓いを立てるような場所ではない。静かに手を合わせてもらえれば、それでいい――。(p.23)

1-4.
 今の日本には「2つの靖国」が存在している。1つは中国と韓国がむき出しの感情をぶつけ、結果的に外交の道具と化した「ヤスクニ」。もう1つは、外国からの批判に惑わされ、日本人が見失ってしまった慰霊の場としての靖国だ。78年にA級戦犯14人が合祀され、80年代半ば以降に外交問題になってから、まるで腫れ物に触るかのように日本人は靖国問題の本質的な議論を避けてきた。いつしかその怠慢が「2つの靖国」という乖離を生み、靖国神社を本来あるべき姿から懸け離れた存在に変えてしまった。(p.23)

1-5. 【無関心だった中国と韓国】
 首相の靖国参拝は歴史教科書問題、従軍慰安婦問題と共に、中国と韓国が第二次大戦に対する日本の歴史認識を追求する上での「材料」にされている。今でこそ中国と韓国にとって靖国参拝は「決して譲ることのできない外交問題」というイメージが定着しているが、実のところかつてはあまり問題視していなかった。(pp.23-24)

3 manolo 2014-01-30 16:51:41 [PC]

1-6.
 戦後、吉田茂をはじめ歴代の日本の首相は靖国参拝を行ってきた。首相参拝が批判されるのは78年のA級戦犯合祀がきっかけだが、中国が問題視し始めたのは85年、中曽根康弘首相の10回目の参拝の時だった。「それまで中国側は合祀の意味を理解してなかったか、あるいは大目に見ていた」と、小泉政権時代に中国公使を務めた宮家邦彦は言う。「日本の一部の新聞が騒いで、中国側も動かざるを得なくなった」(p.24)

1-7.
 神社側によってひそかに行われていた合祀は、79年4月の報道によって表沙汰になった。その直後に当時の大平正芳首相が参拝しがた、鄧小平ら中国指導部から批判が出ることはなく、大平の後に鈴木善幸が在任期間わずか2年4カ月の間に9回参拝しても、外交問題になることはなかった。その風向きを変えた1つのきっかけが日本メディアだ。戦後40周年に当たる85年、「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根政権に対し、右傾化を警戒する朝日新聞などリベラル系メディアが、それまで大きく取り上げてこなかった首相参拝の批判記事を続々と掲載し始めた。(p.24)

1-8.
 日本メディアの批判の焦点は、実は政教分離にあった。ただ、この報道キャンペーンが82年の歴史教科書の書き換え問題以来くすぶっていた中国の日本批判に火を付け、結果的に靖国に目を向けさせた可能性もある。中国が72年の日中国交正常化から85年まで靖国問題に沈黙していたのは、その国情も背景にあるだろう。80年の中国のGDPは日本の3分の1以下。文化大革命という動乱がようやく終わり、経済開放に取り組み始めたばかりで、既に先進国として経済成長を遂げていた日本に学ばねばならなかった。(p.24)

1-9.
 その中国から突然、靖国参拝への批判が噴出したのは、国際情勢の変化も影響していたはずだ。文革の最中の70年初めには「帝国主義国家」として敵視していたアメリカ、そして日本と突如手を結んだのは「三角外交」によって深刻な対立関係にあったソ連を牽制するためだった。80年代に入って中ソ関係が改善するのと、歴史問題を材料に中国が日本を批判し始めるタイミングは一致している。(pp.24-25)

4 manolo 2014-01-30 17:17:28 [PC]

1-10.
 韓国はこの時期、靖国批判に積極的に関与していなかった。いわゆる親日派が幅を利かせていた80年代の全斗?(チョンドゥファン)政権時代、靖国参拝に対する韓国の関心は必ずしも高くなかった。そもそも日本に統治されていた韓国は日本と戦争をしたわけではない。戦死者をまつる靖国神社とはあまり関係なく(日本軍の一員として戦い、命を落とした朝鮮半島出身者がまつられていることを除いて)、A級戦犯合祀の事実で影響を受けているわけでもない。(p.25)

1-11.
 「中国やアメリカにとっての靖国参拝に対する批判が持つ特別な意味を、韓国の人々は理解できないだろう」と、神戸大学大学院国際協力研究科の木村幹教授(韓国政治)は言う。第二次大戦中に連合国でなかった韓国には、靖国は実のところ関係がない問題だ。日本との外交問題の中心はあくまで歴史教科書と慰安婦、そして竹島(韓国名・独島)をめぐる領土問題だ。

1-12. 【自己都合で靖国を批判】
 中国にとっては、侵略国だった日本と国交正常化するために中国国内の世論を説得する必要もあった。そこで編み出したのは「悪いのはA級戦犯、日本国民は悪くない」という都合のいい理屈だ。また今の共産党政権が成立したのは蒋介石率いる国民党との血と血で洗う内戦の結果だが、その正統性を強調するときに引き合いに出されるのが、なぜか国民党でなく日本だ。「アヘン戦争以来の列強による『屈辱の100年』を耐え、最後にやってきた日本に勝利したことが中華人民共和建国の正統性になった」と、在北京日本大使館で駐在武官を務めた東京財団研究員の小原凡司氏は言う。このためA級戦犯がまつられた靖国神社を日本の首相が参拝することを容認すれば、日中国交正常化だけでなく、49年以来の共産党政権の正統性まで揺るぎかねない―中国が靖国に過剰反応するのは、そんな自国の都合からである。(p.25)

1-13.
 01~06年の在任中、毎年参拝した小泉純一郎首相に対して、中国は参拝ごとに激しい批判を繰り返した。江沢民(チャンツォーミン)国家主席の時代には江自らが批判の先頭立ち、日中首脳会談では小泉に対して「参拝は13億中国人民の感情に触れる問題」(02年)などと抗議した。ソフトなイメージから対日融和が期待された次の胡錦濤(フー・チンタオ)主席も、靖国批判の旗を降ろすことはなかった。(p.25)

5 manolo 2014-01-31 12:24:50 [PC]

1-14.
 江沢民は89年の天安門事件後、思いもかけず鄧小平によって総書記に抜擢され、常に背後から鄧の重圧を感じていた。胡錦濤も江沢民に囲まれ、身動きが取れなかった。2人にとって日本の首相の靖国参拝を認めることは、共産党の正統性の否定、ひいては自らの失脚に結びつかネない敏感な政治テーマだった。ただ、同時に靖国問題は「反日カード」の1つとして、国内の不満のガス抜きをするための有効な手段としても機能した。(pp.25-26)

1-15.
 それは現在の習近平主席も同じだ。人民解放軍に権力基盤を持つとされる習も、就任1年ではまだ国内の派閥争いから自由にはなれない。不用意に靖国参拝を容認すれば、対立する勢力に足を引っ張る格好の材料を与えてしまう。「(習は}昨年来、内政に忙殺され、外交で決断をする余裕はない」と、宮家は指摘する。(p.26)

1-16.
 こうした状況に、韓国も便乗してきた。韓国が靖国を外交カードとして利用するようになったのは、国内事情ゆえんだ。本来、靖国問題と関係ないはずの韓国は政権の変化に応じてトーンを変えており、その批判には一貫性も重みもない。いわば、中国が走らせる「靖国列車」の乗り合い人、という立場にすぎない。(p.26)

1-17.
 連合国の一員でなかった韓国が一転して靖国問題に批判を強めるようになったのは90年代半ばのこと、金大中(キム・デジュン)大統領の太陽政策を03年に引き継いだ蘆武鉉(ノ・ムヒョン)政権の支持者らには、北朝鮮寄りの傾向が強かった。その結果、韓国政府が日か挑戦を敵視するレベルは相対的に弱まり、日本が主要が「外敵」になった。靖国参拝は韓国政府にとっても看破できないものとなり、金大中時代には「深い憂慮」という表現にとどまっていた声明が、蘆武鉉時代に「韓国に対する挑戦」とエスカレートしていった。そして慰安婦・竹島・教科書の「半日3点セット」に加え、靖国問題は韓国政府が内政対応に窮した際の強力な切り札になった。(p.26)

6 manolo 2014-01-31 16:11:55 [PC]

1-18.
 靖国問題を内政に利用する中韓両国だが、実はそれぞれの内情は大きく異なる。韓国にとって靖国は諸刃の剣だ。それは、韓国が内なる「ヤスクニ」を抱えているからに他ならない。韓国にとっての「靖国」は国立墓地である国立ソウル顕忠院だ。ソウルの中心に位置するこの墓地には、日本の植民地時代に独立を目指した運動家や朝鮮戦争の犠牲者、ベトナム戦争に参加した韓国兵の戦死者がまつられている。日本も安倍首相や野田佳彦前首相もかつてここを訪ねて献花している。(p.26)

1-19. 【譲れる国と譲れない国】
 この施設に関する韓国国内からの批判は、ベトナム戦争にまつわるものだ。韓国政府は当時30万人もの兵士をベトナムに派遣したが、一部の兵士は現地住民を虐殺したり、性的に暴行したとされる。こうした証言があるため、「人道に対する罪」を犯した兵士が眠る国立墓地は韓国人にとって必ずしも「なんの問題もない施設というわけではないようだ。(p.26)

1-20.
 世宗大学日本文学科の朴裕河(パク・ユハ)教授は、「ベトナム人をどれだけ殺傷したか、さらにはベトナムの少女をどれだけ強姦したかについて、国立墓地は戦争記念館は沈黙を続けている」と指摘する。さらに、日常の奥底まで軍事主義的施行方式に染まっている」韓国による靖国批判は、「根本的な矛盾を抱えている」と指摘する。韓国の左派メディアであるハンギョレ新聞も、「ベトナム戦争時に起きた不幸な民間虐殺を最後まで認めようとしない韓国人の心の中にも(中略)、いつのまにかヤスクニは渦巻いているのかもしれない。(pp.26-27)

1-21.
 一方、中国が靖国問題で譲歩する可能性は低い。情報できない最大の理由は尖閣問題だ。元外交官宮家によれば、小泉首相が引き起こした参拝問題を解決したのは、後継となった第1次政権時代の安倍だ。参拝するともしないとも言わない曖昧戦略をと、「戦略的互恵関係」という、同じく曖昧な2国間関係の枠組みがうまく働いたのだ。領土問題が今ほど注目されてなかったこの時代、靖国問題を棚上げすることで日中双方のメンツを保つことが可能だった。(p.27)

7 manolo 2014-01-31 16:42:08 [PC]

1-22.
 ところが10年に尖閣諸島をめぐる争いが本格化し、日中関係が緊迫すると、中国国民が靖国問題を棚上げすることは不可能になってしまった。「だから中国政府は一切の妥協を見せない」と、宮家は言う。中国政府が領土に対して敏感になる背景には、もちろんそのしたたかな海洋戦略がある。昨年末の参拝騒ぎがいったん収まり、靖国問題に対する日本メディアと国民の関心は「安倍首相がいつ再び参拝するのか」という一点に集まろうとしている。そこで問題になるのは、遺族やその他の関係者にとっての慰霊の場としての靖国ではなく、「参拝で中国や韓国との関係はどうなるのか」という外交の道具化した「ヤスクニ」だ。(p.27)

1-23. 【失われた本質的な議論】
 一方で、靖国問題で日本人が向かい合うべき本質的な議論は放置されたままだ。そもそも靖国とはどのような存在なのか。戦没者の慰霊の場はどうあるべきなのか。政教分離をどう考えるのか。ひいては、あの戦争をどう総括するのか――。派生した外交問題ばかりがクローズアップされ、靖国問題の核心をめぐる国民的議論はすっかり埋没している。

1-24.
 外交問題化してから、在任中に参列した歴代の首相たちは小手先の対応を繰り返すばかりで、ことの本質をうやむやにし、国民議論をの欠如を助長してきた。国内の反発にかかわらず10回の参拝を行った中曽根は、85年に中国から批判を受けた後は参拝をやめてしまった。毅然としていたように見えた小泉も、参拝日を公約の8月15日からずらすだけでなく、服装もモーニング、羽織はかま、スーツと二転三転。さらに参拝の方法も昇殿したりしなかったりと、その場しのぎに終始した。安倍も参拝にこだわったものの、国民の議論を喚起することはなかった。(p.27)

1-25.
 その一方で、小泉参拝の時に盛んに議論された分祀問題や、靖国以外の新たな国立追悼施設建設といった問題に関する議論はすっかり忘れ去られてしまった。もはや慰霊の場がどうあるべきか、という問題を喚起する者はおらず、本質的な議論は起こる兆しすらない。小泉以降の首相が靖国参拝を敬遠してきたことで、議論できる時間はいくらでもあったはずだ。しかしそんな議論が行われないまま、もともとあった「靖国アレルギー」ばかりが国民の間に広がっている。(p.27)

8 manolo 2014-02-01 18:40:44 [PC]

1-26.
 遺族会の尾辻に言わせれば、靖国をめぐる混乱は、日本人が自らの過去と向かいったこなかったツケだ。「日本はあの戦争についてまったく総括していない」と尾辻はいう。当時の日本の指導者を戦争犯罪人として扱った東京裁判に対しては、戦勝国が事後法で裁き、再審もないままに、処刑した、という疑問が今もある。だがそれならば日本人が自らの手で、当時の指導者の責任を追及すべきだったのではないのか。A級戦犯だから東条英機元首相が悪い、というのではなく、日本人自身の手で彼が負う責任を問うべきだったのではないか――尾辻はそう考える。確かに、日本人自身が戦争指導者を総括していたら、靖国をめぐる外交問題は起きていないはずだ。(pp27-28)

1-27.
 議論を避けてきた日本人の怠慢は何も戦争指導者の責任追及にとどまらない。外交にせよ安全保障にせよ、戦後の日本は既存の秩序に安住するばかりであった。冷戦構造の崩壊や湾岸戦争、イラク戦争といった世界情勢の変化でほころびが出ても、国内の議論を重ねることなく外国の顔色を見て何となくやり過ごす。「一億総無責任」体制は今も続いている。(p.28)

1-28.
 「ぬるま湯」からの脱出は、時として激しい痛みを伴う。中曽根の「戦後政治の総決算」や安倍がかねて掲げた。「戦後レジームからの脱却」というスローガンはそれにかなうものかもしれない。だがどこか曖昧模糊としているおは、痛みを伴う覚悟や国民的議論や説明を抜きにして、事を進めようとしているからだろう。だとすればそれも無責任体質の繰り返しにすぎない。(p.28)

1-29. 【中韓両大使の意外な反応】
 小泉政権から第2次安倍政権まで7年にわたって日本の首相参拝は絶え、民主党政権になると官房長官や外相以外の閣僚も参拝の自粛が求められた。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の羽田雄一郎参議院議員(民主党)は幼い頃から毎年参拝を続けてきたが、野田内閣の国土交通相として、12年に自粛要請に直面にした。最終的な私的参拝の形で終戦の日に参拝をしたが、羽田はその数日前に、中国と韓国の駐日大使に参拝の意思を伝えていた。英霊に平和を誓うための参拝だと、分祀論議を交えながら力説した。(p.28)

9 manolo 2014-02-01 18:41:07 [PC]

1-30.
 厳しい言葉を覚悟したが、膝詰めで向き合った韓国大使から「思いは理解した」という意外な答えを聞かされた。中国側からの同様の言葉が返ってきた。中韓両国は、本心では靖国神社が「軍国主義の心臓」ではないことを理解している。両大使の言葉は、裏を返せば彼らの公式批判に欺瞞が含まれることを自ら認めたようなものだ。もっとも、中韓の欺瞞を追求するだけでは、靖国問題は何も解決しない。日本が自らの怠慢を改め、慰霊の場としての靖国に向き合って初めて、こじれた問題の糸口は見つかる。(p.28)

1-31. 【外交問題と化した靖国参拝】
1945年の敗戦によって国家神道の時代は終わり国の管理は【終わり、国の管理下にあった靖国神社も宗教法人化した。戦後それほど注目されなかった靖国参拝が問題になるのは1978年のA級戦犯合祀以降。中国と韓国だけでなく、アメリカまでも巻き込んだ外交問題に発展した。

1945年 太平洋戦勝終結
1946年 靖国神社宗教法人化
1952年 サンフランシスコ平和条約発効
1965年 日韓基本条約締結
1972年 日中国交回復
1978年 日中平和条約締結
      鄧小平来日
      靖国神社にA級戦犯合祀
1979年 靖国神社にA級戦犯合祀を共同通信が報道
      大平首相参拝(任期中計3回)
1980年 鈴木首相参拝(計9回) 
1983年 中曽根首相が終戦記念日に参拝(計10回)
1985年 中国の靖国参拝が批判が本格化
1986年 遊就館再開
1987年 韓国民主化
1989年 中国で天安門事件
1996年 橋本首相参拝(1回のみ)
2001年 小泉首相参拝(計6回)
2005年 中国で反日デモ
      韓国の慮武鉉大統領が日韓首脳会議で靖国参拝批判
2006年 小泉首相が周年記念日に参拝
      シーファー駐日米大使らが遊就館の展示批判
2010年 尖閣沖漁船衝突事件、中国で反日デモ
2012年 尖閣諸島国有化、中国で反日デモ
2013年 安倍首相参拝
(pp.24-25)

10 manolo 2014-02-01 19:22:51 [PC]

出典:The Economist, 1/4/2014, "Japan and its neighbours: A slap in the face", p.20

2-1. 【Shinzo Abe takes a dangerous gamble】
 The first visit by a Japanese prime minister in seven years to the Yasukuni shrine in Tokyo, made by Shinzo Abe on December 26th, looks like a diplomatic disaster. China, South Korea and America had all made clear their opposition to his going to a temple where the spirits of 14 high-ranking war criminals are ensrhined, along with those of 2.5m other Japanese war dead. Mr Abe said he regretted not his having visited the shrine during first stint in the job in 2006-07. He may well have felt he had little to lose, and judge now that his decision to go has been vindicated by international reaction.

2-2.
 The Chinese and South Korean governments were predictablly fierce in their responses. A Chinese spokesman accused Mr Abe of "beautifying aggression" and called the war criminals remembered at Yasukuni "the Nazis of Asia". South Korea expressed "lamentation and rage". The visit ruffled South-East Asia, too. Even Singapore, which rarely speaks out on such issues, expressed regret at Mr Abe's visit.

2-3.
 America, too, was embarrassed and angered by the provocation. Senior officials of Japan's closest ally had urged Mr Abe numerous times not to visit Yasukuni. He may have hoped that American annoyance would be tempered by the news on December 27th of progress in winning approval for the long-planned relocation of its Futenma air base on Okinawa to a less populous part of that island. Yet America, which kept silent during six visits to Yasukuni by a former prime minister, Junichiro Koizumi, from 2001 to 2006, this time expressed "disappointment".

2-4.
 Its reprimand, however, was fairly gentle, urging Japan "and its neighbours" to work for better relations. And Mr Abe may even consider the threats from South Korea and China fairly toothless. South Korea's president, Park Geun-hye, had already ruled out any meeting with Mr Abe. Her government's poor relations with Japan are concern for America, but not for Korean citizens or businesses.

11 manolo 2014-02-01 19:39:37 [PC]

2-5.
 As for China, its government has neither encouraged anti-Japanese protests nor imposed trade sanctions. Indeed, an editorial in the normally ultra-nationlistic Global Times newspaper argued for responding to Mr Abe's provocation in a measured way, and shunning "large-scale economic sanctions". China has ruled out any summit with Mr Abe. But tension over the disputed Senkaku and Diaoyu islands meant none was on the cards anyway.

2-6.
 So Mr Abe's gamble looks, for now, to be fairly low-risk. His visit to Yasukuni clearly accords with his own desire to free Japan from what he sees as its humiliating, pacifist post-war constitution. It's timing was well calculated. In November China annoucend the establishment of an air-defense identification zone (ADIZ) in the Est China Sea that overlaps with Japan's own ADIZ and includes the disputed islands, which Japan controls. Mr Abe may have seen this act of Chinese assertiveness as cover for a nationalist step of his own.

2-7.
 He will also ahve been encouraged by a general warming towards Japan around the region. Since taking oddie a year ago he has visited all ten members of the Association of South-East Asian Nations (ASEAN) and in December he hosted a Japan-ASEAN summit. Even those ASEAN members seen as loyal friends of China, such as Cambodia, agreed to a statement on the importance of the freedom of aviation, an implicit-if-mild-rebuke to China.

2-8.
 Concern about China's rise mean that many Asian nations, and even America,a re prepared to put up with Mr Abe's provocations, repellent though they find them. Ominously, one of his advisers says he might make a pilgrimage to shrine an annual event. That Abe apears to have got away with it this time is no guarantee he would keep doing so.
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