社会統合 (コメント数:6)
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1 manolo 2014-06-11 10:22:18 [PC]
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『よくわかる国際社会学』、樽本英樹著、ミネルヴァ書房、7/5/2009、(III-1 「社会統合としての同化」)、pp.62-63
1-1. 移民やマイノリティをホスト社会に統合するため初めて登場した社会科学的観念は、同化である。同化理論として、パークの人間関係モデル、ゴードンの同化過程モデル、シブタニ=クワンの生態学的モデルといった考え方がアメリカ合衆国のシカゴ学派を中心に提出されてきた。1960年後半以降、強制や差別につながるということで規範的側面が否定されたものの、同化理論の記述的・説明的側面は1990年代から再評価されるようになってきた。(p.62)
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2 manolo 2014-06-11 10:23:31 [PC]
1-2. 【1. 同化という考えの背景】 急増する国際移民やエスニック・マイノリティをいかにしてホスト社会に*統合するか。この問いは現代においてだけ問われているのではない。人間社会が誕生して以来、問われ続けているのである。20世紀初頭、社会学の一派であるシカゴ学派は、同化(assimilation)という考えを定式化した。これが移民・マイノリティの社会統合に関する初めての社会科学的な考えであったと言ってよいであろう。(p.62)
*統合(integration)も多義的な概念で混乱しがちである。ここでは、国際移民やエスニック・マイノリティを社会に含みこんで社会秩序を実現することと、とりあえず考えておく。(p.62)
1-3. このとき同化は次のように定義された。「人々や集団が、他の人々や他の集団の記憶、感情、態度を獲得し、経験や歴史を共有することで共通の文化的生活に組み込まれる、相互浸透と融合の過程。」(Park and Burgess 1966: 735)こうして、同化へと至る過程や段階を特定しようとする学問的な営みが始まったのである。(p.62)
1-4. 【2. パークの人種関係循環モデル】 ロバート・パーク(Robert E. Park)は、都市シカゴに集まってくるヨーロッパ系移民を対象として、次のような人種関係モデル(race-relations cycle model)をつくった(Park 1950; 関根: 1994: 62)。(p.62)
接触(contact)→競合(competition)→応化(accommodation)→同化(assimilation)
1-5. 人々の移住はそれ以前には会ったことのない異文化の人々との「接触」をもたらす。諸集団は、接触すると互いに有利な位置を占め利益を得ようと「競合」し、衝突や葛藤(conflict)を起こして社会は不安定になる。やがて、集団間の優劣関係が定まり人々が集団の位置づけを認識することで、社会はより安定的になり、「応化」の段階を迎える。しかし、集団の境界を超えた人々の個人的つながりがそのような集団間の優劣関係を掘り崩し、「同化」の段階がやってくる。パークは同化までのこの過程を、「明らかに、前へ向かい後戻りはしない過程」と見なしていた。(pp.62-63)
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3 manolo 2014-06-11 10:24:42 [PC]
1-6. 【3. ゴードンの同化過程モデル】 しかし同化と一言で言っても、いくつかの次元でそれは生じうる。その様々な次元を区別したのがミルトン・ゴードン(Milton Gordon)の同化過程モデルである(Gordon 1964=2000 : 67; 関根 1994 : 62-5)。
文化的・行動的変化(cultural・behavioral)→文化変容(acculturation) 構造的同化(structural) 婚姻的同化(marital)→融合(amalgamation) アイデンティティ的同化(identificational) 態度受容同化(attitude receptional) 行動受容同化(behavior receptional) 市民的同化(civic) (p.63)
1-7. 同化過程モデルは7つの段階を区別する。第1に、移民がマジョリティと接触しホスト社会の文化パターンを修得しようとする段階は、「文化的・行動的同化」である。マイノリティがホスト社会の言語、服装、感情的表現を身につける段階のため、「文化変容」とも呼ばれる。第2の段階は、マイノリティ集団がホスト社会の教会、クラブ、コミュニティ組織など小集団に加入する段階であり、「構造的同化」と呼ばれる。構造的同化が深まっていくと、エスニック集団外との婚姻も増えてきて、第3の段階である「婚姻的同化」が進行する。婚姻的同化は生物学的同化とでもあるということで、「融合」という名前も与えられている。第4の段階では、マイノリティたちはホスト社会の国民であるという感覚を持つようになり、「アイデンティテイ的同化」が生じる。さらに第5の段階で偏見や差別意識がなくなる「態度受容的同化」、第6の段階でマイノリティとマジョリティの現実の行動に差がなくなる「行動受容的同化」に達する。そして、最後の第7の段階でエスニック集団間に文化・価値のレベルでも政治的行動のレベルでもコンフリクトがなくなる理想的な状況、「市民的同化」が訪れるのである。(p.63)
1-8. ゴードンの同化過程モデルは、必ずしも同化が必然的に生じる過程であることを前提にしているわけではない。しかし、第1次大戦中およびその後のアメリカ合衆国の時代的風潮の中では同化は国民形成原理として当然のことだと思い込まれていた。その影響から、ゴードンのモデルが必然的過程であると解釈されることもあった。(pp.64-65)
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4 manolo 2014-06-11 10:25:38 [PC]
1-9. 【4. シブタニ=クワンの生態学的モデル】 ゴードンの同化過程モデルは、各段階の移行がなぜ生じるかに関する因果的なメカニズムを特定してはいなかった(Alba and Nee 1997: 837)。マイノリティの同化の因果メカニズムまで踏み込んだのがシブタニ=クワン(Shibutani and Kwan 1965)の生態学的モデル(ecological model)である。シブタニとクワンは、G・H・ミード(G. H. Mead)のシンボリック相互作用論に基づき、人々は「実際にどんな人か」ではなく「どのように定義されているか」によって扱われるとする。そして、個々人の感じる他者との主観的な距離を「社会的距離」(social distance)と定義する。社会的距離がある程度遠いときは、人々は共通のアイデンティティや経験の共有を感じる。一方、社会的距離が近くなると、人々は他者を別のカテゴリーに属した人々として扱うようになる。その結果、社会移動が盛んになりマイノリティが上昇移動を果たしたとしても、社会的距離が縮まることによって、エスニック・アイデンティティは変化せず残存するという(Shibutani and Kwan 1965)。つまり、シブタニとクワンに従えば、エスニック諸集団で構成される*エスニック階層の秩序は強固で変化しにくいということである。(p.64)
*エスニック階層(ethnic stratification) エスニック集団間関係として構築された社会階層のこと。(p.64)
1-10. しかし、そのように安定的なエスニック階層の秩序でさえ、生態学的な要因にさらされることでパークの人種関係循環モデルの示す変動を起こす。この生態学的要因にはいくつかのものが想定される。まず、生産様式に関する技術革新が挙げられる。例えばアメリカ合衆国で開発された自動綿つむぎ機は、南部へ向かっていたマイノリティ労働者の流れを北部工業地帯へ向かわせ、国内のエスニック階層を変動させた。マジョリティとマイノリティの間の人口バランスの変動も、後者の割合が増加したときには、多文化的な政策を促進するなどの効果を持つ。人権の擁護など、既存の文化的価値に対抗する新たなアイデアの登場も、マイノリティ抑圧に反対する社会運動を生じさせるなどして、安定的であるはずのエスニック階層を揺るがすであろう。この考えは、エスニック集団をとり巻く生態学的要因に着目したため、「生態学的モデル」と呼ばれるのである(Alba and Nee 1997 : 837-41 ; Shibutani and Kwan 1965)。(p.64)
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5 manolo 2014-06-11 10:29:50 [PC]
1-11. ゴードンの同化過程モデルが因果的な説明に欠き、個人レベルの同化の記述に終始していたのに対して、シブタニ=クワンの生態学的モデルは、因果的要因を組み入れつつ、集団レベルのエスニック境界の変動までを視野に入れたと言える。(p.64)
1-12. 【同化理論への批判と再評価】 同化理論は、マイノリティの様態を記述・説明するために使われると同時に、「マイノリテイは同化すべきだ」という規範的要求のために利用されることが多かった。それゆえ戦後、特に1970年代以降その倫理的側面を降強く批判され、公の場で提唱されることは少なくなった。主な批判点は次のようなものである。(p.65)
1-13. 第1に同化はマイノリティのエスニックな出自の徴を消し去ろうとするものがあり、強制的である。第2に同化理論は少なくとも結果的には同化できないマイノリティを排除したり、不適切な存在であると烙印を押すことになる。第3に同化理論はヨーロッパ系など初期の移民を説明することはできるけれども、非ヨーロッパ系など後にやってきた移民を説明できない。第4に同化理論は、移民がホスト社会での滞在年数を重ねていくと自然に同化していくという「直線的同化」(straight-line assimilation)(Gans 1992)を前提にしている。(p.65)
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6 manolo 2014-06-11 10:31:31 [PC]
1-14. 批判点の1番目と2番目は同化理論の規範モデル的解釈に対するものである。規範的解釈は、アングロ文化への*同一化や、「**人種のるつぼ」といった素朴なイメージに基づいているため、批判は現在でも正当だとみなされることが多い。しかし記述・説明モデルの側面に関する第3と第4の批判に関しては、1990年代半ばあたりから見直しが始まり、同化理論は再評価され、マイノリティの社会統合の考察に用いられ始めている。(p.65)
*アングロ文化への同一化(Anglo conformity) 移民の、イギリス的な文化、制度、慣習への適応のことを言う。アメリカ合衆国では特に20世紀初めまで強固な考え方であった(明石他1984 : 17-20)(p.65)
**人種のるつぼ(melting pot) イギリス系ユダヤ人作家イスラエル・ザングウィルの戯曲『るつぼ』に端を発する。あらゆる国から来た人間が融け合い、ひとつの新しい人種になるというイメージを与え、新しいエスニック集団も統合できるという発想を与えた(明石他 1984: 20: 20-3)。(p.65)
1-15. 同化理論の再評価は、「直線的同化」という仮定をまず疑問視し、「でこぼこ線エスニシティ」(bumpy-line ethnicity)を前提として採用するところから始まる。すなわち同化は、直線的かつ一方向に進行する過程ではなく、停滞する時期を幾度かはさみながら徐々に生じる過程なのである(Gans 1992)。(p.65)
1-16. そして、同化理論を単に移民個人に焦点を合わせたものではなく、移民の性質とホスト社会の制度や構造との相互作用を捉えるものに発展させようとした。例えば、マイノリティの社会経済的地位に着目した「社会経済的同化」(socio-economic assimilation)、マイノリティの居住地の変化に注目する「居住的同化」(residential assimilation)、そして同化がホスト社会の中流文化へ向かうだけではなく、上層や下層など様々な層へと向こうことがあるという分割的同化(segmented assimilation)といった考え方が提出されている。このように同化理論は再評価され、マイノリティのホスト社会への統合を記述・説明するために現在でも拡張され利用されているのである。「マイノリティは「同化しなければならない」とか「同化すべきだ」といったイデオロギーにとらわれることなく、同化理論を応用すべきである。(p.65)
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