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スポーツ (コメント数:21)

1 manolo 2013-09-17 16:16:44 [PC]


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出典:『よくわかるスポーツ文化論』井上俊&菊幸一編著、ミネルヴァ書房、1/20/2012、(「I-1. 近代以前のスポーツ」)pp.6-7

1-1. 1. 先史時代
 人びとは、生きるために槍や弓矢などの単純な狩猟具で毎日獲物を捕らなければならなかったので、栄養不足で余暇も持てなかったと考えられていましたが、各地の先住民を調査した結果、採集や狩猟に費やす時間は1日平均3時間程度に過ぎず、それ以外の時間は余暇だったことが明らかになりました。余暇を利用して、男性も女性の球技、格闘技、陸上競技などの近代のスポーツ原型を楽しみました。とくに*通過儀礼のように、スポーツと宗教との関係が強調されていますが、宗教とは関係のないスポーツも多様におこなわれていました。(p.6)

*通過儀礼
たとえば、成人と認められるための試練。ペンテコスト島では、つたを足首に結んで高所から飛び降りた(バンジー・ジャンプ)。(p.6)

2 manolo 2013-09-17 16:18:55 [PC]

1-2. 2. 古代
 メソポタミアでは、軍事訓練が主流でありながらも、水泳、槍投げ、競争、ダンスなどのスポーツも楽しまれていました。紀元前3000年代には、最古のスポーツの証拠(レスリング、ボクシング)がみられます。王侯貴族は、*戦車(馬車)からの弓射を戦争に使用するだけでなく、狩猟圏で大型猛獣狩りとしても楽しみました。この影響を受けて、ギリシャやローマでは、戦車競走が非常に人気のあるスポーツとしておこなわれるようになりました。一方、エジプトの王侯貴族は、特権的なスポーツ(カバ狩り、ダチョウ狩り、鳥打ち、魚突き、猟犬を用いての狩猟)やプロによるショー・スポーツ(ダンス、**球戯、アクロバット)を楽しみました。さらに、レスリングも高度にスポーツ化しており、***ベニ・ハッサンの壁画(紀元前2100年)には、日本の相撲のように、裸体にまわしをつけたレスラーの姿が400組以上にも描かれています。新王国(紀元前1570‐1070)になると、近東諸国との戦争に勝つために、王自身が最強の戦闘能力を持つ指導者となりました。アメンヘテプ2世、3世、トトメス3世、4世は戦車から大型狩猟をおこないました。アメンヘテプ2世は、走っている戦車から銅製の的を弓矢で射抜くことができ、戦車の馬を自分でトレーニングし、兵士と競争しても最も早く走ることができたと言われています。またツタンカーメン王も、戦車からの弓射、カバ狩りを楽しんだともいわれています。(p.6)

*戦車
メソポタミアでは紀元前2700年の戦車が発掘されている。有名なカデッシュの戦い(紀元前1286年)で、ヒッタイトのムワタリ王は3500台、エジプトのラムセス2世は2500台の戦車を投入した。(p.6)

**球戯
手先の器用性を必要とするようなball gamesを「球戯」、体全体を使って対人や集団で競技するball gamesを「球技」と一応区別しているが、「球技」と統一してもかまわない。子どものボール遊びを意味するball gamesは、サッカーやラグビーのように競技化してもball sportsとはならないで、伝統的なgamesが残った。したがって、訳語の問題が残る。(p.6)

***ベニ・ハッサン
エジプトの中王国時代における豪族の岩窟墳墓。(p.6)

3 manolo 2013-09-17 16:19:58 [PC]

1-3.
 平和を好んだクレタ文明では、女性の地位も高かったようです。しかし、プロの男性による危険な雄牛跳びが、宮殿の庭でショー・スポーツとしておこなわれていました。(紀元前1500年)牛の角の突き上げを利用して跳び上がって宙返りをする曲芸は、女神に捧げられた*豊穣儀礼がスポーツ化したものと思われます。これに対して、好戦的なミケーネ文明では、戦争やスポーツにおける貴族の英雄的行為を称えて、葬礼競技(戦車競走)が開催されました。ギリシアのホメロスは、葬礼競技における多くの種目を詳述しています。ここでは、競技の勝敗に神々が介入すると信じられていました。(pp.6-7)

*豊穣儀礼
穀物が豊作になるように祈る行為。(p.7)

1-4.
 戦争では「つねに第1人者であれ、また他のすべてのものに抜きんでよ」という貴族の徳は、ギリシア人の競技理想となりました。主神ゼウスの聖地オリンピアで4年に一度開催された*オリンピックは、紀元前7世紀初頭以降、全ギリシア的な規模に拡大しました。「神の平和」と誤解される「エケケイリア」はオリンピック関係者の旅行の安全を保証するものであり、ギリシャ全体の休戦や平和にかかわるものではありませんでした。勝者は、オリーブの冠だけを授けられても、出身ポリスからは莫大な賞金を与えられたので、「アマ」ではありませんでした。全裸でスポーツをするのは、スパルタ起源であるといわれています。古典期には、スポーツで鍛えた肉体美をもち、教養もあり道徳的にも優れていること(つまり「美と善であること」)という男性の理想像が生まれました。しかし、レスリング、ボクシング、**パンクラティオンは、戦争とも関連して非常に粗暴な格闘技だったのです。女性はスポーツをすることも見ることもほとんどできませんでした。(p.7)

*オリンピック
正式には、オリュンピア祭典競技会。紀元前776年を第1回とする確実な証拠はない。ピュティア、ネメア、イストミアの競技会も全ギリシア的な規模で行われた。(p.7)

**パンクラティオン
禁止されたのは、えぐったり噛みついたりすることだけだった。(p.7)

4 manolo 2013-09-17 16:21:24 [PC]

1-5.
 一方、ローマの支配者は、「パンとサーカス」といわれるように、市民の人気を得るために大規模なスペクテイター・スポーツを無料で提供しました。好まれた娯楽は、戦車競走、円形闘技場における剣闘士や野獣の殺し合い、ギリシア人の裸体競技、巨大な公衆浴場、演劇などであり、女性も観客として死闘に狂喜していました。(p.7)

1-6. 3. 中世
 貴族は、騎士教育で乗馬、水泳、馬上槍試合、剣術、レスリング、作法などを指導されていました。狩猟を楽しんだ後、貴族は馬で、兵士は徒歩で競技しながら帰っていましたが、これらから馬術競技、長距離競争、ハードル競争が発展したのです。聖職者も楽しんだ球技は、*テニスとなりました。農民は豊穣の祈願祭や感謝祭で、ダンス、石投げ、競走、レスリングを、また市民も祝祭日に剣術、幅跳び、ハンマー投げ、ダンス、球技を楽しみました。女性もダンスや競走などに積極的に参加していました。イギリスでは、これらの運動以外に、トランプ、音楽、飲酒などもすおーつと呼ばれていましたが、19世紀に陸上競技、テニス、サッカーなどが盛んになるにつれて、これらの運動競技がスポーツと呼ばれるようになりました。最初は粗暴な競技が多かったのですが、徐々に、相手を負傷さえせることなく、国際的な競技ができるようにルールも統一されたのです。(p.7)

*テニス
フランスのジュ・ド・ポーム(正式には「手のひらの遊び」「手のひらの遊戯」)から発展した。「サーブ」は、召使い(サーバント)が主人に打ちやすいボールを投げ上げてやったことの名残である。(p.7)

5 manolo 2013-09-17 16:37:23 [PC]


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出典:『よくわかるスポーツ文化論』井上俊&菊幸一編著、ミネルヴァ書房、1/20/2012、(「I-2. 近代スポーツとは」)pp.8-9

2-1. 1. 「近代」のモデルとしてのスポーツ文化
 *A. グットマンは近代の競技スポーツを、(1)世俗化、(2)競技の機会と条件の平等化、(3)役割の専門家、(4)合理化、(5)官僚的組織化、(6)数量化、(7)記録万能主義の7点で特徴づけています。宗教的なものから距離を置く点で、スポーツはその原型になった民俗遊技と区別できます。宗教性を帯びた民俗遊技がローカルな共同体を結束させる機能を果たしていたのに対して、世俗化されたスポーツは言語や民族を超えた参加を可能にします。また近代スポーツは、競争に際して「機械の平等」にこだわる点にも特徴があります。「機械の平等」とは、たとえば格闘種目における体重別クラス分けや、記録種目における競技環境の均質化をさします。競技スポーツは、試合前から勝敗がわかっていることを極力避けることで、出自に関係なく個人の努力で成功が勝ち取れるという近代社会の理想と呼応しています。(p.8)

*啓蒙思想の普及と産業革命展開からはじまった近代において「スポーツ」とはもっぱら競技スポーツを意味していた。しかし、近代化がもう理想ではなくなった今は、健康や美容のためのエクササイズやフィットネスの割合が高まっている。(p.8)

6 manolo 2013-09-17 16:39:42 [PC]

2-2.
 スポーツを近代の産物とみなすN. エリアスは、スポーツの原型とされる古代ギリシャの競技実態が、*近代人の感性では耐えられないほど残酷なものであったことを強調しました。人類史は必ずしも一方的に進化するものではありませんが、長い目で見れば暴力的対決をより流血を少ない形に昇華させてきたと彼は考え、その軌跡を「文明化の過程」と呼びます。エリアスにとってスポーツと議会制民主主義は近代化をリードしたイギリスからもたらされた「文明化の過程」の賜物でした。さらにJ.マグワイアは、15世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパに国民意識、個人主義、人権意識、科学的世界観が広まったことが、近代スポーツの誕生に貢献したと補足しました。また井上俊は、鍛え上げた者同士の対戦の結果であれば、敗北さえ名誉あるものとして評価するのがスポーツマンシップだと指摘しましたが、対戦を通して(目上でなく)対等な相手に対する敬意を育むのが近代スポーツの倫理観です。(p.8)

*とくにレスリングやボクシングに似た古代の競技では、その最中にどちらかが死んでしまう例がしばしば見られた。(p.8)

2-3.
 スポーツを、近代に生まれた新しい文化と考えるか、人類史のはじめから普遍的な文化と考えるかは専門家の間でも意見が分かれます。どんな時代、どんな民族にも部分的にはスポーツに似た活動が発見できることを考えると、むしろ発想を逆転して、競技スポーツ的な原理が社会全体に行き渡ったことで近代が構成された可能性を考える方が適切かもしれません。司法制度に検事と弁護士の対決が組み込まれ、立法や行政で選挙制度による競争が活用されているように、科学においても自由で平等な論争が事実を確定しますが、それらはすべて*競技スポーツ的な競争原理の普及と足並みを揃えて確立されました。(pp.8-9)

*厳密には競技スポーツの方が裁判制度や選挙制度をモデルにルールや規範を発展させてきたのだろうが、大衆への啓蒙において競技スポーツの経験が役立ったのに間違いない。(pp.8-9)

7 manolo 2013-09-17 16:41:30 [PC]

2-4. 2. 近代スポーツがかかえる諸問題
 近代という時代と共生してきた競技スポーツには、残念ながらそれに応じた欠点が備わっています。スポーツ文化を肯定的に捉えたエリアスも、イギリスで粗野な民俗遊技の多くがスポーツに「昇華」された過程には、地主貴族や紳士階級(gentry)による里山の囲い込み(enclosure)が影響したことを指摘しています。羊の放牧のための囲い込みによって、イギリスは毛織物産業を発展させ、近代社会離陸(テイクオフ)するきっかけをつかみましたが、同時にそれは民衆独自の遊びの機会を奪いました。小作人や自作農が工場労働者になり、地域共同体のつながりが希薄になっていくなかで、民族遊技は廃れました。代わりに地主貴族や紳士階級の支援する「健全な」娯楽の普及がスポーツの発展につながります。同様の過程はイギリス以外の経済先進国とその植民地でも踏襲され、スポーツはローカルな娯楽や快楽のあり方を劣ったものとして排除し、近代資本主義的なライフスタイルのグローバル化を後押ししました。(p.9)

2-5.
 また、生産の拡大や効率向上を善とする近代思想に加担して、競技スポーツはそれ以外の価値観を低く評価する傾向をもちます。それは機械論的な身体観を前提とし、トレーニングにともなう痛みを無視するよう競技者に強います。健康のために推奨されることの多いスポーツですが、ハイレベルの競技スポーツでは勝利至上主義からくるケガがつきものであって、健康維持に最良の手段とはいえません。さらに、世間で認められるスポーツ種目の多くが筋力や瞬発力を競う種目に偏っているために、産業社会に有用な人物像ばかりを持ち上げ、女性や障がい者を低く見積もる弊害をともなってきました。(p.9)

8 manolo 2013-09-17 16:42:30 [PC]

2-6. 3. 近代と競技スポーツの危機
 環境問題や資源不足が叫ばれる現在、進化論や進歩主義に代表される近代思想は行き詰まり、かつては無条件に賞賛された世界記録の達成も、人間の努力以上に装備や用具の技術改良に大きく左右されるようになりました。経済機構がグローバルに連携する一方で、個々の人間の組織が意識的にコントロールできる部分は縮小し、われわれは社会全体を調整する力を失いつつあります。競技スポーツの世界でも、個別の種目に有能な人材の育成ばかりが追求され、社会全体にスポーツマンシップのような肯定的な人間観を提示することが難しくなりました。他種目にわたるプロ化の進展は選手と観客の距離をひろげ、勝利至上主義のあまり選手が自由な発想でプレイできなくなって、ハイレベルな協議スポーツは見世物に堕する危険にさらされています。(p.9)

9 manolo 2013-09-17 16:44:26 [PC]

出典:『よくわかるスポーツ文化論』井上俊&菊幸一編著、ミネルヴァ書房、1/20/2012、(「I-5. 近代スポーツのゆくえ」)pp.14-15

3-1. 1. 現代におけるスポーツ文化の変容
 「進歩」を合い言葉に発展してきた近代という時代は、大量生産・大量消費がもたらす資源の枯渇に関する不安や環境リスクに押され、このままの形で今後も継続するのが難しくなりました。それにともない、「より速く、より高く、より強く」をモットーとする競技スポーツ文化も変容を迫られています。記録の達成と勝利を目的とした競技スポーツは、エリート選手が活躍する興業としては依然高い人気がありますが、一般市民が自分がおこなう活動としては、もはや主流とはえません。町中でよく見かける「スポーツクラブ」でも、実際は競技スポーツより美容や健康のためのフィットネスやエクササイズが活動の中心になっています。(p.14)

3-2.
 現代を近代の延長と考えるA. ギデンズも、私たちの時代が近代初期とは別の局面に達したことを認めています。一般に近代とは、人びとも神や伝統といった権威にしたがうのをやめ、事の善悪を自分で合理的に判断し実行する社会システムを意味します。そこでの合理性は自然を定量的に分析することで確保されてきました。しかし20世紀後半以降、科学技術が高度に発達したために、合理的な判断の基礎とされてきた自然は徹底的に利用され、むしろ人間によって守られるべき対象に変わりました。第二の自然というべき自己の身体も所与として与えられるものではなく、自由に加工される対象に変化しています。しかも世界はますます多元化・複雑化していますから、たとえ政治家や資産家でも、個人が意識的にコントロールできる部分は限られてしまいました。そのために社会全体に影響する目標の達成より個人的な願望充足が優先される状況が生じ、それが現代におけるスポーツ文化の変容に反映されています。(p.14)

10 manolo 2013-09-17 16:46:11 [PC]

3-3. 2. 美容と自己実現を目指すフィットネス文化
 「一人ひとりがみずからの生活歴を自分で創作し、上演し、補修していかなければならない」現代において、フィットネスは単に個人の外見を向上させるだけでなく、アイデンティティの核心を形成するうえで重要な活動になります。その歴史は20世紀後半のアメリカにはじまりました。(p.14)

3-4.
 男性向けのボディビルや女性向けの美容体操といった先行形態はすでに19世紀の欧州にも存在しましたが、それらに対してフィットネスは、外見の改善と内容の充実が一致すると考える点で違いがあります。他人の目を気にして、主にコンプレックスの解消を目指した前者と比べ、フィットネスはもっぱら自己充足をめざします。そうした印象は、ベトナム反戦運動でも有名だった女優のジェーン・フォンダが1979年に出版したバイブル『ジェーン・フォンダのワークアウト』によってさらに強調されました。(p.14-15)

3-5.
 日本のフィットネス文化の導入は*1980年代以降になります。当初は参加者の多くが若い女性に偏っていました。先行するアメリカの場合も、1980年代までのフィットネス文化は女性を中心に展開されており、男性については身長や学歴に劣等感を抱く一部の人間が代償行為として外面を取り繕うような事例が目立っていました。しかし、製造業の不振に起因する不況を乗り越え、金融業や情報産業を中心に経済復興を遂げた後は、ヤッピー(yuppie)と呼ばれる新しいエリート層を先頭に、男性にもフィットネス文化が普及していきます。この変化はおそらく、自然の加工を目的とする第二次産業に代わって、貨幣や情報といった人工物の操作を目的とする第三次産業に社会の焦点が移行したことを反映しているのでしょう。さらに福祉国家政策の破綻と並行して、医療費の削減が叫ばれるようになると、老若男女を問わずフィットネスは市民スポーツの中心に位置づけられるようになりました。(p.15)

11 manolo 2013-09-17 16:47:42 [PC]

3-6. 3. 日常への抵抗としての「ライフスタイル・スポーツ」
 スポーツ文化の中で、競技志向から離れようとするもうひとつの流れに、「ライフスタイル・スポーツ」があります。B. ウィートンによると、それは行為者の自己実現に関わる点でフィットネスに似ていますが、積極的にリスクを求め、社会規範の縁を綱渡りしようとする点で異なります。(p.15)

3-7.
 旧来のスポーツとライフスタイル・スポーツの違いをスキーとスノーボードを例に説明すると、スピードの危険を飼い慣らし、コントロールすることをめざす前者に対して、後者は危険と戯れ、時には飲み込まれることを好みます。管理された混沌を楽しむライフスタイル・スポーツは、ある意味で前近代の遊びを特徴づけていたカーニバル文化の再興とみなすこともできるでしょう。(p.15)

3-8.
 ライフスタイル・スポーツの典型例にはサーフィンやスケートボードがあげられます。それらは一方で手つかずの自然を理想のプレイフィールドとしながら、他方で都市においての他の用途のために開発された場所を転用する戦略を取ることもあります。後者の場合、それは「ストリート・スポーツ」と呼ばれますが、その際、本来の用途で場所を使用とする一般市民と葛藤が生じることが増えてしまいます。そうした葛藤に嫌気がさした愛好家の中には、規制を受けやすい道具の使用を諦め、「パルクール」や「フリーランニング」と呼ばれる徒手空拳(しょしゅくうけん)のアクロバットをストリートでおこなう者も現われています。(p.15)

12 manolo 2013-09-17 16:50:27 [PC]

出典:『よくわかるスポーツ文化論』井上俊&菊幸一編著、ミネルヴァ書房、1/20/2012、(「IV-6. スポーツ政策)pp.48-49

4-1. 1. 政策と政策科学
 政策(policy)とは、ある集団が目標を達成するためにおこなう決定や行動の指針のことです。そのなかでも公共的な問題を解決するための政府の決定や社会全体にかかわる行動の指針のことを「公共政策(public policy)」といいます。しかし、社会の諸価値や諸制度が多元化し複雑化し変動している状況においては、何が公共的な問題なのか、またどのように行動の指針を決定すべきなのかは明白ではありません。このため、H.D. ラスウェルやY. ドロアは、公共的秩序のための政策決定プロセスに関する知識を提供し、政策決定の合理性を追求する学際的な研究として、「政策科学」を提唱しました。(p48)

4-2.
 政策は、法律や計画などの行動の指針だけでなく、それを具体的に実施するための施策や事業を含めて広義に捉えることができます。政策には政策・施策・事業といった階層構造を持った政策体系が存在し、一連の政策の連鎖の中で政策が実際に実施されます。また、政策は、政策過程として捉えることができます。たとえば、政策は国会において決定され、行政機関によって実施され、市民によって評価されるというように、政策決定、政策実地、政策評価などの政策過程に分けることができます。さらに政策過程には、スポーツ団体やメディアなどの多様な*政策アクターが関与しています。(p.48)

*政策アクター
政策に関与する者のこと。政治家、政党、官僚、利益団体、マスメディアなど、それぞれの政策には多様なアクターが関与している。(p.48)

13 manolo 2013-09-17 16:52:10 [PC]

4-3. 2. 公共政策としてのスポーツ
 スポーツは、文化社会的に発達し、歴史的に徐々に公共政策の対象として認められてきました。スポーツが単に政治や他の政策目的のために利用されるのではなく、スポーツそのものの価値や公共性が認められ、振興されるようになってきました。たとえば、1978年にユネスコは、「体育およびスポーツに関する国際憲章」を採択し、スポーツが人間の発達、文化教育、健康にとって不可欠なものであり、人びとのスポーツへのアクセスが基本的な権利であることを定めました。また、諸外国では、国のスポーツ政策の基本を定める法律、いわゆるスポーツ基本法が制定され、スポーツを専門に担当する行政機関が設置されています。また、スポーツは、本来自由で自発的な活動であり、国の介入が遠慮されてきましたが、スポーツに関係する人びとの権利・利益を保護し、また*公共財としてのスポーツ文化そのものを保護するために、国が積極的にスポーツに介入する動きも生じています。たとえば、スポーツの倫理的価値と競技者の健康を保護するために、2005年にユネスコは、「スポーツにおけるドーピングの防止に関する国際規約」を採択し、各国でドーピング防止政策が展開されています。また、スポーツ界における紛争を公正かつ公平に解決するために**裁判外紛争解決制度が形成され、世界レベルではスポーツ仲裁裁判所(CAS)が、国内では日本スポーツ仲裁制度が設置されています。(pp.48-49)

*公共財
誰もがその財を競合することなく使用し、もしくは消費することができ、またはほかの者の使用もしくは消費を排除することができない性質の財のこと。(p.48)

**裁判外紛争解決制度
ADR(Alternative Dispute Resolution)とも呼ばれ、裁判ではない手続きによって
第三者が紛争を処理する制度のこと。仲裁や調停などの手続きがある。(p.49)

14 manolo 2013-09-17 16:53:58 [PC]

4-4. 3. 日本のスポーツ政策の現状と課題
 日本のスポーツ政策は、主に文部科学省(とくにスポーツ・青少年局)と地方の教育員会によって実施されてきました。しかし、スポーツに関する施策は、厚生労働省の障害者スポーツ施策、健康づくり施策、国土交通省の公園施策、スポーツ・ツーリズム施策、総務省のスポーツを通した地域活性化、外務省のスポーツ外交など多様に実施されています。このため、スポーツを専門に担当する省庁を設置し、政策を一元的に管理することができるかどうかが政策課題となっています。地方レベルでは、2007年の「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の改正にともない、それまで教育委員会が担当していたスポーツに関する事務を地方公共団体の長も担当ができるようになりました。(p.49)

4-5.
 また、日本のスポーツ政策は、1961年の「スポーツ振興法」に基づき実施されてきましたが、制定後50年が経過したことから、2011年に新たに*「スポーツ基本法」が制定され、スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利であることが基本概念として定められました。また、文部科学省は2010年に「スポーツ立国戦略」を策定し、新たなスポーツ文化の確立をめざして**5つの重点戦略を掲げています。(p.49)

*スポーツ基本法
1章総則、2章スポーツ基本計画等、3章基本的施策(1節スポーツの推進のための基礎的条件の整備等。2節多様なスポーツの機会の確保のための環境の整備、3節競技水準の向上等)、4章スポーツ推進に係る体制の整備、5章国の補助等から構成。(p.49)

**(1)ライフステージに応じたスポーツ機会の創造(2)世界で競うトップ指すリートの育成(3)スポーツ界の連携・協働による「好循環」の創出(4)スポーツ界における透明性や公平・公正性の向上(5)社会全体でスポーツを支える基礎の整備。(p.49)

15 manolo 2013-09-17 16:55:12 [PC]

4-6.
 国および地方公共団体のスポーツ施策は、行政計画により具体化されています。たとえば、2006年に改訂された「スポーツ振興基本計画」では、(1)スポーツの振興を通じた子どもの体力の向上方策、(2)生涯スポーツ社会の実現にむけた地域におけるスポーツ環境の整備充実方策、(3)わが国の国際競技力の総合的な向上方策が主要な課題として掲げられ、具体的な施策が示されています。さらに、これらのスポーツ振興施策は行政によってのみ実施できるものではなく、日本体育協会や日本オリンピック委員会などのスポーツ団体とのパートナーシップやスポーツ界内部や地域社会の連携活動が必要となっています。(p.49)

4-7.
 また、スポーツに関する行政計画の実施は、2001年の「行政機関が行う政策の評価に関する法律」の施行にともなって政策評価の対象となっています。*ニュー・パブリック・マネジメントの考え方の影響により、客観的な根拠に基づく政策(Evidence-Based Policy)の実施と評価が求められるようになっており、スポーツ政策についてもより専門的な政策評価制度の導入が求められています。(p.49)

*ニュー・パブリックマネジメント
NPM(New Public Management)と略される。行政に経営手法を導入して行政改革を進め、行政の効率化や合理化を進めようとする考え方。(p.49)

16 manolo 2013-09-18 18:01:36 [PC]

出典:『よくわかるスポーツ文化論』井上俊&菊幸一編著、ミネルヴァ書房、1/20/2012、(「序.スポーツ文化論の視点 」)pp.2-5

5-1. 1. スポーツとは何か
 「スポーツ」という英語は、今や世界の共通語としてグローバル化しています。各国の言語はその文化を代表する第一のコミュニケーション・ツールですから、外国語は原則として翻訳された自国語に翻訳されます。しかし、スポーツという語に限っていえば、たとえば日本語の場合、「運動競技」や「体育」、「身体活動」などと表現するほか、「スポーツ」という英語がそのまま使われます。これは他国においても事情は同じで、私たちはどのような言語を使用する国に行っても、「スポーツ」と発音しさえすればその現象と意味が地球上のどこでも通じてしまうような社会に生きていることになります。このような文化は、他に例を見ません。いったいスポーツとは何なのでしょうか。(p.2)

5-2.
 私たちが今日、オリンピック競技大会や世界選手権大会などで目にするスポーツの原形は、18-19世紀にかけてイギリスという小さな島国で誕生しました。それはもともと、一地方の、特殊なゲーム形式をともなう身体運動文化にすぎないものでしたが、しだいにルールの整備や統一なども進み、19世紀の中頃には、「スポーツ」は「戸外で行われる競技的な性格を持つゲームや運動を行うこと、及びそのような娯楽の総称」を意味する語になり、1968年の国際スポーツ・体育協議会(ICSPE)の「スポーツ宣言」では「遊戯の性格を持ち、自己または他人との競争、あるいは自然の障害との対決を含む運動」と定義されました。しかし、この言葉の定義からだけでは、近代スポーツがなぜこれほどまでグローバルな文化になったのかは説明できません。(p.2)

17 manolo 2013-09-18 18:26:22 [PC]

5-3.
 これを解く重要な文化論的視点は、近代スポーツがイギリスの*パブリック・スクールで誕生したことから教育的機能を果たし、これからの社会(近代社会)を形成していくうえで重要な役割を果たすよう意図的につくられた身体運動文化であったところにあります。近代スポーツの特徴としては、(1)教育的性格、(2)禁欲的性格、(3)倫理的性格、(4)知的・技術的性格、(5)組織的性格、(6)都市的性格、そして何よりも(7)非暴力的性格などが強調されます。このような特徴の形成は、近代社会における人びとのライフスタイルにとって基本的に認められることにほかなりません。逆にいえば、近代以降の社会が成立するためには、このような性格を内面化した人びとの存在が不可欠であるということになります。近代スポーツを受け入れた他の国の人びとには、このような意味合いを十全に表現する自国語(翻訳語)がなかったということになるのです。(pp.2-3)

*パブリック・スクール
イギリスにおいて、主として少年期の男子を教育する私立の寄宿制学校のこと。とくに近代サッカーやラグビーの発祥は、このパブリック・スクールにおけるスポーツ改革の成果であるとされている。(p.2)

5-4. 2. スポーツという文化
 ところで、私たちにとってのスポーツ「体験」は、スポーツ以外の文化と違って、読んだり、調べたり、見たり、考えたりなどを通じてよりも、まず身体を介して「運動する」ことに直接的に焦点化されます。日常生活における身体への負荷はスポーツ行動を通じて高められ、その体験は身体や物の非日常的な激しい動きによって特徴づけられるので、スポーツは身体的技能に代表されるような「物理的な運動」としてイメージされます。また、私たちは運動をすると汗をかき、筋肉が疲労し、心臓が早鐘のように鼓動するため、身体の生理的変化を意識せざるをえません。スポーツ行動は、このような「身体的・生理的な現象」としてイメージされます。そして、私たちは試合を前にしてあがったり、試合後の爽快感を味わうなど、心の状態が変化する体験としてもスポーツを捉えることができます。ここでは、スポーツが「心理的な現象」としてイメージされることになります。(p.3)

18 manolo 2013-09-18 18:37:35 [PC]

5-5.
 このように、ほかの文化現象と比べると、スポーツは従来からイメージされている「文化」として体験しにくい性質を持っているようです。つまり、スポーツ=身体運動として捉えると、これまでの「文化」が洗練された、上品で知的な、あるいは感性的な営みとして捉えられることと比べ、そのようなコントロールが効かない、暴力的でさえある身体運動のイメージが、これまでの文化概念にそぐわないものとして捉えられてしまうのです。また、このような捉え方は、主にキリスト教の教義に影響された西洋の心身二元論にも依っています。心=精神の理性的な働きが、常に身=肉体の動物的な欲望をコントロールしなければならないとする考え方は、身体運動として直接的に体験されるスポーツを文化として考えることからさらに遠ざけててしまう要因となりました。学校期の課外活動がくしくも「運動部」と「文化部」とに分けられているのは、その典型と見ることができるのではないでしょうか。(p.3)

5-6.
 今日、私たちが体験している近代スポーツは、1.でみたように近代社会を成立させていくのに相応しい性格や特徴をもたらされたからこそ誕生したものです。近代スポーツは、具体的には近代社会が望ましいと認めた理念や目標にかわって初めて意味あるものとなり、そこから共通に認められたルールや規則が制定され、その範囲内で運動することや行動することによって成立します。そして、そのルールの範囲内でお互いに競争するレベルを高めたり、よりよい記録の達成を追求したりするために、合理的で効率的な施設や用具が開発されていくことになります。私たちが路上での喧嘩とボクシングを区別し、あるいはボールを追いかけて戯れる犬とボールゲームを区別するのは、ボクシングやボールゲームをこのような「スポーツという文化」として捉えているからにほかならなりません。(pp.3-4)

19 manolo 2013-09-18 19:35:16 [PC]

5-7. 3. スポーツをめぐる文化
 これまでは、どちらかといえば、私たちが今日経験する現在の私のスポーツ=近代から現代に至るスポーツを対象に話を進めてきました。しかし、*古代ギリシア・ローマ時代にも「スポーツが存在していた」、といわれるように、広い意味でのスポーツ的な営みはあらゆる文明においても見出され、それぞれの文明や時代、社会の特徴を帯びながら、文化としてある種の共通性をもって、世界中に遍在してきたものと考えられます。(p.4)

*古代ギリシアでは、近代オリンピック競技大会のモデルとなった、古代オリンピックが都市国家アテネで4年に一度開催され、古代ローマではローマ市内に遺跡として残っているコロッセオ(円形競技場)で剣闘士(スパルタカス)同士の戦いが見世物(スペクタクル)として行われた。(p.4)

5-8.
 それでは、このようなスポーツをめぐる文化としての共通要素とは何でしょうか。生れたばかりの人間が生理的早産の状態であるといわれるように、人間はその本能のみに頼って生きていくことはできません。そこで、人間は自分たちの生活を維持し、より豊かにしていくことを求めて、様々な事物(物質)、行動の方法(行動)、考え方(概念)を考案し、工夫して、発展させていきます。このような人間の生の営みこそが、文化形成の営みにほかなりません。これと同じように、どの時代や文明のスポーツも、それ自体は他の動物と同じく「歩く」「走る」「跳ぶ」などの身体運動によって構成されていますが、それらをある観念(目標や理想)に基づいてルール化した範囲内で複雑に組み合わせて行動(技能)化し、そのための物質(施設や用具)を開発することによって成り立っているのです。(p.4)

20 manolo 2013-09-18 20:07:14 [PC]

5-9.
 すなわち…スポーツをめぐる文化の構成要素としては、(1)各時代や各社会によって価値づけられた特定の目標にかかわる信念や観念の体系(観念文化)、(2)ルールとそれに基づく技術などにかかわる一定の行動様式の体系(行動文化)、(3)運動を発展させたり、させやすくしたりする物的条件としての施設や用具等の事物の体系(物質文化)、といった文化的側面があげられることになります。そして、これらに関連するスポーツ内外の3つの文化的側面と、これを支える社会のしくみや歴史的変動などの影響によって、スポーツをめぐる文化は変化し続けることになるのです。(p.4)

5-10. 4. 社会のなかのスポーツ文化
 私たちが生活する現代社会では、スポーツの持つ社会的役割がますます重要になってきています。このような現象を近代スポーツから現代スポーツへの歴史的な変化と捉えて、スポーツ文化論の視点から少し整理してみましょう。(pp.4-5)

5-11.
 まず、3.で述べたスポーツをめぐる文化的構成要素から考えると、近代スポーツという文化にかかわる社会的な担い手が、ごく一部の上流・中産階級から労働者階級に広がり大衆化した結果、スポーツに対する考え方(観念文化)が大きく変化したことがあげられます。とくに産業資本家層である中産階級は、自分たちの社会的地位を守るためにリベラリズム(自由主義)という価値観を持っていたので、スポーツに対しても社会的自由=個人主義、政治的自由=政治的中立、経済的自由などの価値観を強く求めました。その結果、近代スポーツは、あくまで個人の立場で政治の動きとは関係なく、経済的に余裕のある範囲内でおこなうべきであるという、素人主義=アマチュアリズムに象徴される観念文化によって特徴づけられることになります。そして、この*イデオロギーは、スポーツ大会への参加資格などにまで徹底化され、スポーツを専門知的職業とする**プロフェショナルの参加を長らく排除することになったのです。(p.5)

*イデオロギー
…スポーツとの関連では、ある特定の利害集団や組織あるいは社会階級が、スポーツの社会的存在を正当化するために主張する意義や価値のことである。(p.5)

**1866年にイギリス陸上クラブで最初につくられたアマチュア規定では、機械工や職人、労働者は競技に参加できないとされた。(p.5)

21 manolo 2013-09-18 20:25:45 [PC]

5-12.
 ところが、スポーツの大衆化は、スポーツによる勝敗の結果に対する社会的重要性を高め、それが政治的な国家の威信を高めたり、経済的な宣伝・広告に利用されたりする土台を形成します。それは同時に、スポーツの高度化による差異(優劣)化を求めるので、そのパフォーマンスを高めるためのルールの変更や施設・用具の開発を促進させることになります。このように近代スポーツは、その大衆化と高度化によって政治や経済の分野から利用され、この両者をつなぐメディアの発達によって大きな影響力を与えられるようになり、今日私たちが経験するスポーツ文化=現代スポーツの姿に変容させられていくのです。(p.5)

5-13.
 近代スポーツの伝統的な観念文化である*アマチュアリズムは、ようやく120年余の歳月を経て変容しました。しかし、施設や用具といった物質文化は社会のテクノロジーの発達によって急速に進歩し、ルールや技能といった行動文化を比較的容易に変化させていきます。また、今日ではメディアの発達によって「見るスポーツ」の大衆化が進行し、スポーツを商品化するコマーシャリズム(商業主義)という考え方が行動文化や物質文化に影響を与えています。(p.5)

*1974年にオリンピック憲章のアマチュア規定はすでに撤廃されていたが、1984年のロサンジェルス・オリンピック競技大会から部分的に特定の種目に限り、プロ参加が初めて容認された。(p.5)

5-14.
 たしかに今日、現代スポーツはますます文化として隆盛を極め、見るスポーツ、読むスポーツ、支えるスポーツなど、様々な文化領域に広がっています。しかし、このようなスポーツ文化の隆盛は、一方で政治や経済の分野からコントロールされており、他方でアスリートの身体を蝕むドーピング問題を発生させるなど、様々な社会問題を引き起こしていることもまた事実です。現代社会のなかで望ましいスポーツ文化のあり方を考え、これを実践していることが強く求められています。(p.5)
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