Tokon Debatabank

Ads by Google

多文化主義 (コメント数:16)

1 manolo 2014-01-13 01:18:34 [PC]


275 x 183
出典:『よくわかる法哲学・法思想』、深田三徳・濱真一郎編著、ミネルヴァ書房、5/20/2007、「第2部 III-16 多文化主義の問題」、濱真一郎、pp.124-125

1-1. 【1. 多文化主義と文化の「共存」】
 近代社会には、-国内には一つの国民のみが存在するという「国民国家」の理念が存在してきた。しかしながら、実際には、多くの国家には複数の先住民族や移民が生活している。彼ら/彼女たちは、以前は多数派と同じ権利を要求していたが、現在ではむしろ、多数派と異なる自分たちの伝統文化を保持する権利を主張している。こういった、マイノリティとしての先住民や移民の権利を尊重する動向は、多文化主義と呼ばれている。多文化主義とは、一つの社会の内部において複数の文化の「共存」を是とし、文化の共存がもたらすプラスの面を積極的に評価しようとする主張ないし運動を指す。(p.124)

2 manolo 2014-01-13 01:20:30 [PC]

1-2. 【地平の融合】としての多文化主義
 次に、多文化主義の理論的基礎をみていこう。C.テイラーは、カナダにおける英語系カナダ人の文化と、マイノリティとしてのフランス語系カナダ人(ケベック人)の文化の「共存」を構築する。彼によると、ケベック人のアイデンティティは、フランス語系文化を色濃く反映したケベックの文化によって確立される。すなわち、英語系文化とは異なる「独特の文化」として承認されるべきなのである。ケベック州政府は、英語で教育を行う学校に自分の子どもを通わせることを規制する法律や、フランス語以外のいかなる言語の商業用の看板も違法とする法律を制定した。テイラーは、ケベック州民の集団的目標を重視し、ケベックの文化的コンテクストに対応した法を許容する。(p.124)

1-3.
 ところで、テイラーの以上の見解は、互いの独特の文化を承認し合う態度に基づいている。彼はそういった態度を、ドイツの哲学者H=G.ガダマーが「地平の融合」と呼ぶ理論から学んでいる。この理念は、自分たちの価値判断の地平を、かつて未知であった異文化がもつ異質の地平と並べて、可能性の一つとして位置づけることを、可能とする。地平の融合は、文化の断絶の差異を乗り越える地平を提供するという意味で、極めて示唆的な理念である。(p.124)

1-4. 【3. リベラルな多文化主義】
 以上のように、テイラーの地平の融合という理念には学ぶべき点が少なくない。しかしながら、彼の多文化主義の議論そのものは、多数派としての英語系カナダ人と、マイノリティとしてのフランス語系カナダ人の共存を模索するものであった。すなわち、それはあくまでも、広い意味での西洋文明の内部における、複数の文化の「共存」を模索するものである。従ってそれは、非西洋的な文化を有する先住民や移民に対する配慮が欠けているように思われる。それに対して、*W.キムリッカは、カナダ、アメリカ、オーストラリアなどにおける多数派としての白人文化と、マイノリティとしての先住民や移民との文化との共存を模索する点に特徴がある。(pp.124-125)

*W. キムリッカ(Will Kymlicka、生年は未公表)
カナダの政治哲学者。オックスフォード大学で博士号を取得後、現在はカナダのクィーンズ大学教授。(p.125)

3 manolo 2014-01-13 01:22:10 [PC]

1-5.
 キムリッカによると、現代社会における*先住民や移民は、自らの文化が多数派の文化に同化されることなく、固有の文化として存在することを求める。彼ら/彼女たちは、自分たちの共同体の文化を、自分以外の共同体の構成員と共有することで、自らのアイデンティティを確立できるからである、キムリッカは、人々がアイデンティティを獲得するために必要な、それぞれの共同体に内在する文化を社会構成的文化と名づける。社会構成的な文化を保持するためには、エスニック集団には**エスニック文化権が、民族集団には自治権が認められるべきだとされる。(p.125)

*キムリッカは、マイノリティとしての先住民や移民が、一つの国家内で分散・混在している場合、それを「エスニック集団」と呼ぶ。逆に、先住民や移民が、一つの国家内で地域偏在している場合には、それを「民族集団」と呼んでいる。(p.125)

**自らの文化の独自性や文化への誇りを表明する権利。民族集団に認められる自治権と民族集団に認められる自治権とは区別される。(p.125)

1-6.
 キムリッカの多文化主義の基底には、R.ドゥオーキン流の平等主義的リベラリズムが、普遍的な規範的理論として捉えられている。彼が、マイノリティとしての先住民や移民の文化に配慮したのは、ドゥオーキン流の「平等な配慮と尊重」という理念を念頭に置いていたからなのである。(p.125)

1-7. 【4, リベラルな多文化主義の普遍性】
 キムリッカの、普遍的な規範理論としてのリベラルな多文化主義は、カナダなどにおいては一定の有効性を有していた。しかし、例えばフランスでは、公立学校内における、宗教的象徴の着用を禁止する法律が施行された。そのため、イスラム女性が公立学校でベール着用することが、禁じられることになった。同法の目的は、信教の自由の侵害ではなく、公立学校において中立的な教育環境を確立することにある。同法に寄せられた賛否両論は、宗教的民族的文化からの中立性を要請する普遍主義的なリベラリズムと、宗教的・民族的文化の特殊性に配慮する多文化主義の結合が難しいことを、示している。(p.125)

4 manolo 2014-01-13 01:23:18 [PC]

1-8.
 あるいは、キムリッカは近年リベラルな多文化主義を、東欧諸国やアジア・アフリカに「輸出」する試みに従事している。そうした地域には、「民族浄化」がもたらすような*ナショナリズムが存在する。リベラルな多文化主義は、そうした地域でも有効に機能するのだろうか。リベラルな多文化主義の普遍性は、今後さらに問われ続けることになろう。(p.125)

*そうしたナショナリズムを、リベラリズムの理念で緩和使用とする立場は、「リベラル・ナショナリズム」と呼ばれることがある。この立場については、例えばY.タミール『リベラルなナショナリズムとは』夏目書房、2006年を参照。(p.125)

5 manolo 2014-05-03 23:48:50 [PC]

『よくわかる国際社会学』、樽本英樹著、ミネルヴァ書房、7/5/2009、(III-3「多文化社会と多文化主義」)、pp.70-75

2-1.
 国際人口移動が活発になり、社会が多様なエスニック文化で彩られるようになると、同化主義はもはや有効でなく多文化主義に基づく多文化社会の方が規範的に望ましいとされ、政治プログラム化されるようになってきた。しかし、カナダ、オーストラリア、スェーデンで定着しているとされる多文化主義には多文化の許容度に関して様々な考え方が並存しており、社会統合を現実にもたらすのかどうかなど、乗り越えなければならないいくつかの問題を内に含んでいる。(p.70)

2-2. 【1. 多文化主義の発達と多様性】
 国境を越える人の移動が活発になると、社会は様々な文化を持った人々で構成されるようになる。しかし文化の違いは、エスニック集団間の構造的不平等を容認する口実に使われやすい。では文化的に多様で不平等もある社会をどのように統合したらよいのであろうか。ひとつの考え方は、移民たちが自らの文化や習慣を捨て、ホスト社会の文化や習慣を身につけるというものである。しかしこの同化主義は、国際移動の規模が大きくなり、マイノリティ文化の否定が国際的に受け入れられなくなるにつれて、直接には持ち出されなくなった。代替案として提唱されているのが「*多文化主義」(multiculturalism)であり、多文化主義を体現している社会が「多文化社会」(multicultural society)と呼ばれる。(p.70)

*多文化主義をエスニック集団だけでなく、ジェンダーや世代の多様性とも関連づけて使う論者もいる。また、類似の概念である「文化多元主義」で、人口学的―記述的な多文化主義を指す場合もあるし、後に見るリベラル多文化主義を指すこともある。(p.70)

6 manolo 2014-05-03 23:52:16 [PC]

2-3.
 早くも同化主義が主流であった1920年代から30年代のアメリカ合衆国で、ユダヤ系哲学者ホレス・カレン(Horace Kallen)は1924年に『アメリカ合衆国の文化と民主主義』(Culture and Democracy in the United States)を著し民主主義の下では明確な差異があってもすべての人々は平等で、マイノリティ集団の構成員も国家に貢献しうる価値を持っているという多元論を理論的に主張した(田村 [1992] 1996: 279-280)。第2次大戦でユダヤ人やいわゆるジプシーらが虐げられた反省から、国際連合(United Nations、UN)やその関連団体でも戦後エスニック・マイノリティの文化を保護しようとしてきた。国連憲章は第1章で文化の重要性に触れ、ユネスコ(UNESCO)憲章も「文化の豊かな多様性」に言及している。1948年には世界人権宣言が初めて文化的権利の尊重を打ち出し、1966年「市民的および政治的権利に関する国際規約」(B規約)は第27条で、マイノリティが自らの文化、宗教、言語を享受する権利を持つと定めた(Inglis 1996:12-5)。しかし、多文化社会・多文化主義の議論が本格的になったのは1970年代以降のことである。(p.70-71)

2-4. ○多文化主義の3つの側面
 カナダ、オーストラリア、スウェーデンでは定着し、イギリス、オランダでも導入されていると言われる多文化主義ではあるけれども、その内容は混乱しがちである(Cashmore [1984] 1996: 244-6)。混乱を避けるため、まずは人口学的―記述的、イデオロギー的―規範的、プログラム的―政治的という3つの区別をしなければならない(Inglis 1996: 244-6)。混乱を避けるため、まずは人口学的―記述的、イデオロギー的―規範的、プログラム的―政治的という3つの区別をしなければならない(Inglis 1996: 16-7)。ある社会が様々な文化的背景を持つ人々から構成されるようになることを多文化主義と言うときには、人口学的―記述的概念として使われている。イデオロギー的―規範的概念として使われるときには、社会に多様な文化が存在することは望ましいし、自らの文化を保持することは人々の権利であるという規範的な考え方が含意される。さらにプログラム的―政治的意味では、政策や政治的対応がエスニックな多様性を維持・促進する性質を持つことを指す。これら3種類は互いに関連しているけれども、多文化主義の異なる側面を指しており、区別しなくては議論が混乱してしまう。(p.71)

7 manolo 2014-05-03 23:54:30 [PC]

2-5.
 これら3つの多文化主義のうち、多く議論されるはずのイデオロギー的―規範的なものとプログラム的―政治的なものである。すなわち、人口学的―記述的な意味での多文化主義の進行を前提として認めた上で、規範的・イデオロギー的に多文化主義は望ましいのかどうか。望ましいとしたらどのような政治プログラムを導入したらよいのかなどが議論されているのである。(p.71)

2-6. 【2. 規範としての多文化主義】
 イデオロギー的―規範的な多文化主義(規範的多文化主義)は、社会の構成員のエスニックな文化は尊重されなければならないし、尊重されるような社会が望ましいという規範的な内容とする。しかしこのような含意は、すぐさま私たちに様々な文化的背景を持った人々が何の共通性も持たずに乱立する社会という多文化社会のひとつのイメージを与える。文化的に多様な社会において人種差別や構造的不平等をなくし、社会秩序を実現することは可能なのだろうか。そこで次に社会秩序を実現できるような多文化社会を模索するような試みが行われる。(p.71)

8 manolo 2014-05-03 23:57:50 [PC]

2-7. ○多文化社会の希求
 [公的領域/私的領域]と[同質性/多様性]の2つの軸で社会の4つのタイプが区別できる。第1のタイプは公的領域と私的領域の両者において文化的同質性が追及される「同化社会」(assimilation society)である。単一文化、単一民族による国民国家の理想型と合致する。第2のタイプは公的領域と私的領域の両者で文化的多様性が優位になる「多元社会」(plural society)である。東南アジアでかつて見いだされたような、市場でのみ複数のエスニック集団が出会う社会はこれに当たる。私的領域において文化や生活習慣が同質的であるにもかかわらず、公的領域において多様な文化や政治参加の格差がみられる社会が第3のタイプであり、「南部アメリカ型社会」('Deep South’ society)と呼ばれる。白人系と黒人系が隔離していた公民権運動以前のアメリカ合衆国南部に典型例があるとされるからである。最後の第4のタイプは、私的領域においては文化や生活習慣が多様である一方、公的領域においては市民権や福祉給付を通じて単一の同質的な文化や習慣が現われる社会である。一般にはこれこそが、社会統合が達成可能な「多文化社会」であるといわれる。いわば「複数のコミュニティを包括するコミュニティ(a community of communities)の創出を目指すのである(Commission of the Future of Multi-Ethnic Britain 2000: Rex 1997: 207-8)。(pp.71-72)

2-8. ○多文化主義のバリエーション
 しかし、私的領域において多様性を許容しつつ、公的領域においては同質性を保持するという「私化の戦略」(a strategy of privatization)(Barry 2001)の範囲内でも、多文化主義はいくつかのバリエーションに開かれている。例えば関根政美は多文化主義を*6つの種類に分ける(関根 2000: 50-9)。(1)シンボリック多文化主義(2)リベラル多文化主義(3)コーポレイト多文化主義(4)連邦制多文化主義/地域分権多文化主義(5)分断的多文化主義(6)分離・独立主義多文化主義(p.72)

*これらの6つの多文化主義には規範的なものと政治プログラム的な物の両者を指している可能性がある。ここでは規範的側面に限って取り上げておく。(p.72)

9 manolo 2014-05-03 23:58:43 [PC]

2-9.
 このうち、(5)分断的多文化主義はマイノリティがマジョリティの文化・言語・生活様式を否定し、独自の文化や生活を追求する考え方であり、多元社会を目指すものと言える。また、(6)分離・独立主義多文化主義は、チェコとスロバキアのように、エスニック・マイノリティが現存社会を解体してでも分離・自治を求める考え方を指す。したがってひとつの社会を複数に分け、同化社会を新たにつくる試みであり、ひとつの社会内で多文化を許容するのではない。すなわち(5)と(6)は通常言われる多文化主義とは異なる。(p.72)

2-10.
 一方、(1)から(4)までは多文化社会の実現を志向している。ただし、多様性の許容度および同質性の要求度に関して程度の差がある。(1)シンボリック多文化主義は、エスニック料理店の増加や、伝統芸能を披露する年数回の多文化フェスティバルのような限定的な多様性は許容するけれども、それ以上の多様性は許容しないという考え方である。(2)リベラル多文化主義は、私的領域においては文化的多様性を認める一方、市民生活や公的生活ではリベラルな価値観に基づいた市民文化や社会習慣に従うべきだとする。「機会の平等を確保すれば、エスニック集団間の不平等は解消すると想定する点で、いわば多文化主義の「理念型」と言えるであろう。(3)コーポレイト多文化主義は私的領域だけでなく、公的領域における文化的多様性も一部認める。例えば多言語放送や多文化教育の実施、教育や雇用におけるアファーマティヴ・アクションで「結果の平等」を求めることが望ましいと考え方である。エスニック集団は法人格を持つ(コーポレートな、corporate)存在として、政府援助の対象となる。最後に、ひとつの社会内でエスニック集団の地域棲み分けがある場合には(4)連邦制多文化主義/地域分権多文化主義が模索されうる。スイスやベルギーで見られるように、各地域それぞれに政治的、法的制度を設け、各言語の公用語としての使用を平等にしたりする。また、地域分権という形で中央政府の権限を譲渡することで、全体としての社会の統合を維持しようとする。地域ごとの自律性をかなり認めるという点で、最も多文化社会の「理念型」から離れた考えであるといえる。(p.73)

10 manolo 2014-05-03 23:59:43 [PC]

2-11.
 規範的多文化主義の中で、どれが最も望ましいのであろうか。どのタイプが社会統合をもたらすのであろうか。また、どのタイプが社会の構成員により充実した生き方を与えるのであろうか。現在のところ確固とした解答は得られていない。当該社会の歴史や社会的文脈などによって回答は異なることであろうし、文化ごとに考え方は異なるであろう。そのため多文化社会と多文化主義は論争の的であり続けている。(p.73)

2-12. 【3. 政治プログラムとしての多文化主義】
 多文化主義を論争の的にしているもう一つの理由は、規範を政治プログラムに変換することの難しさである。一般に政治プログラムとしての多文化主義は、異文化・異言語の維持と発展、エスニック・マイノリティの社会・政治参加の促進、受け入れ社会のマジョリテイへの啓蒙活動という3つで主に構成される。(p.73)

*カナダの多文化主義の基本目的は、(1)文化維持への公的援助の推進、(2)各エスニック集団間の相互交流、(3)公用語修得の奨励、(4)機会平等を妨げる文化的障害の打破とされる(田村[1992]、1996: 236)。これらは3つの政治プログラムに位置づけて理解されうる。(p.73)

2-13.
 第1に、異文化・異言語の維持と発展は、文化やアイデンティテに尊厳を与えることでマイノリティの劣等感を消し去り、能動的に社会に関わるきっかけを与えようとしている、いわゆるエンパワーメント(empowerment)が目的である。第2に、社会・政治参加の促進は、参加に関わる様々な障害を取り除き、マイノリティの持つ人的資本がホスト社会で有効に活用され、マイノリティが社会の一員として充実した生活を送れるように導くことである。第3にマジョリティへの啓蒙活動は、なじみのない文化や言語に接して偏見や差別が生じることを防ぐために、異文化交流などを通して異文化や異言語へのマジョリティの理解を深める目的を持つ。以上の3つの政治プログラムを通じてエスニック集団間関係が良好になることが期待されている。(pp.73-74)

11 manolo 2014-05-04 00:03:12 [PC]

2-14.
 こうした政治プログラムとしての多文化主義の施策は、*多岐にわたる。有効性を発揮することも多い一方、有効に働かない場合も多々ある。多文化主義という理念を具体化するために各国は模索を続けているのである。(p.74)

*政治プログラムとしての多文化主義: オーストラリアの例

異文化・異言語維持・促進プログラム
エスニック・コミュニティの財政援助(エスニック学校/移民博物館/福祉施設)
エスニック・メディアへの免許付与・公的援助(テレビ・ラジオ放送)
エスニック・ビジネスへの援助・奨励、表彰
 非差別的移民政策の実施(聖職者、教師など文化的専門職の移住規制はしない)
社会参加促進プログラム
 ホスト社会の言語・文化の教育サービス
 通訳・翻訳サービスの実施(電話通訳/裁判所、病院、警察など公共施設)
 公共機関における多言語出版物の配布(災害情報など)
 国外の教育・職業資格の認定
 新規移民・難民向け福祉援助
 教育・雇用に関するアファーマティヴ・アクション
 永住者・長期滞在者への選挙権付与
 人種差別禁止法の制定と実施
 人権・平等委員会などの設置
受け入れ社会のマジョリティへの啓蒙活動
 公営多文化放送の実施(テレビ・ラジオ放送)
 学校、企業、公共機関における多文化教育の実施
 多文化フェスティバルなどの実施
 多文化問題研究・広報機関の設置
 多文化主義法の制定
(p.74)

2-15. 【4. 多文化主義の問題点】
 多文化主義を実現することに以下のような問題に直面しているため容易ではない。第1に、公的領域と私的領域の区別が曖昧になる場合がある。フランスでは教育現場におけるイスラム教徒のスカーフ着用が、私的領域のみ許される宗教信仰を公的領域に持ち込むことだとしばしば問題にされる。また、イギリスのアジア系住民の「お見合い結婚」では、結婚という私的領域の行為が公的領域の問題だとみなされ女性の人権侵害に当たると主張されることがある。このように、公的領域と私的領域の境界は曖昧である。(p.74)

12 manolo 2014-05-04 00:05:36 [PC]

2-16.
 第2に、多文化的要求は私的領域の不可侵を同時に主張しやすい。ところが私的領域には様々な問題がある。例えば、多文化主義の下でエスニックな文化が擁護されると同時に、その中の女性差別や子どもの権利軽視など家父長制的な要素は温存されることがある。このように*多文化主義が反リベラルな文化を擁護せざるを得ないかどうかは、大きな争点となっている(Kymlicka 1995=1998: 226-58; 盛山 2006: 268-74)。(pp.74-75)

*キムリッカはこの争点に関して、「対外的防衛」と「対内的制約」という概念を提出している。対外的防御とは、マイノリティ集団とマジョリティ集団との平等を達成するため、マイノリティ集団を外部の決定から守ることである。対内的制約とは、マイノリティ集団が内部のコンフリクトで不安定にならないようにすることである(Kymlicka 1995=1998: 50-63; 盛山 2006: 265-6)。(p.75)

2-17
 第3に、ホスト社会内のすべての文化の多文化的要求に応えることは容易ではない。例えば、多言語教育に振り割ることのできるカリキュラム上の時間、教員数、資金は限られている。このとき多文化的要求を認める文化をいくつかに限定しなければならない。ウィル・キムリッカはこの問題に対して、「*社会構成的文化」だけに限定すればよいと考えている(Kymlicka 1995=1998: 111-60)。しかし、社会構成的文化の選定基準自体は極めて曖昧であり、どの要求を認めどの要求を認めないかを決めることは難しい。(p.75)

*社会構成的文化(societal culture)
公的、私的領域を含む人間の活動のすべてにわたって、有意味な生き方を人々に与える文化のこと(Kymlicka 1995=1998: 113)。(p.75)

13 manolo 2014-05-04 00:06:50 [PC]

2-18.
 第4に、多文化主義にはパラドクスがある。マイノリティの文化・言語が維持・発展するほど、さらなる援助が得られることから、マイノリティは自らの文化・言語をことさらに強調し、文化的独自性を絶対視する原理主義的主張を発展させかねない。すると今度は、自らの文化が脅威にさらされているとマジョリティが感じる。多文化教育などはマイノリティの利益になるだけで、社会的コストにすぎない。マジョリティ文化だって文化のひとつだから多文化主義の下で保護されるべきだと。こうしてナショナル・アイデンティテイが動揺し、「*人種なき人種主義」に基づいた、極右政党の台頭、差別、人種間分離、失業の生起を促してしまう。社会統合のための多文化主義が社会的分裂を引き起こしてしまうのだ。これが「多文化主義のパラドクス」である(Bolaffi 2003: 184; 関根 2005: 334-8)。このパラドクスに直面して、劣位にあるマイノリティを社会に統合するための福祉主義的多文化主義の政策は削除される。代わって、移民政策をくぐり抜けた経済的に有用な高技能労働者のみに対して、その労働者たちの自助努力に基づく限りでの多文化を許容する経済合理主義的多文化主義が台頭する(関根 2005: 338-41)。(p.75)

*人種なき人種主義
人種やエスニシティの優劣に基づく伝統的な人種主義ではなく、文化間の両立不可能性や文化間境界の消滅への不安に基づいて主張される人種主義のこと。(p.75)

2-19.
 第5に、上記の問題の背後には文化に関する本質主義と反-本質主義の緊張関係が存在する。文化本質主義によれば、各エスニック集団は確定した文化をひとつだけ持ち、その文化は不変で、そこから抜け出すことは困難で、集団外の人々には身につけられない(馬渕 2002; 関根 2000: 200-2)。本質主義は文化的差異の絶対視につながり社会的分裂の原因となる。しかし反-本質主義の下では逆に文化による集団の一体性がなくなり、多文化主義は力を失う。ネオリベラリズムの下でエスニック集団は個人化し、人々をナショナリスムに駆り立ててしまう(塩原 2005)。したがって、多文化主義は本質主義と反-本質主義の微妙なバランスの上に成立可能なのである。(p.75)

2-20.
 多文化社会実現への道は険しい。しかしグローバル化時代にいるわれわれには、同化主義へと後戻りする選択肢は残されてはいないのである。(p.75)

14 manolo 2014-05-04 00:08:44 [PC]

『よくわかる国際社会学』、樽本英樹著、ミネルヴァ書房、7/5/2009、(コラム2「様々な多文化社会」)、pp.76-77

3-1. 【世界は多文化社会でいっぱい?】
 世界各地はかなりの数の外国人・移民人口を抱えており、その割合は徐々に大きくなってきている。(中略)より細かく見ると都市住民のさらに多くの割合を外国人・移民が占めていることがわかる。例えば、ロンドンの行政区の中には外国人・移民人口が半分を超えているところもある。すなわち、人口構成だけを見ると世界は多文化社会でいっぱいである。しかしふつう多文化社会と言われる社会は、人口構成上、移民・外国人がいるだけではない。その社会に移民・外国人の文化を許容するような政策や法体系があって初めて多文化社会と言われることが多いのである。(p.76)

3-2. 【多文化社会の国ごとの違い】
 多文化社会と一言で言っても、国ごとに様々な違いがある。例えば最も多文化主義が進んでいるとされるカナダ、オーストラリア、スウェーデンに関してでさえ、進展の仕方や背景は異なる。(p.76)

3-3.
 カナダは、イギリス系移民とフランス系移民が先住民族の土地に入植することでできあがった国である。したがってまずは英仏二大集団の融和をいかに図るかが課題となり、多文化社会となる基礎が築かれた。特にフランス系住民がマジョリティを占めるケベック州にどれだけの権限を与えるべきかが焦点となった。そして1960年代終わりからアジア系が新規移民として流入したことで多文化法が制定され、英仏以外の集団にも多文化主義の枠組みが広げられていった。後に先住民族もこの多文化主義の枠組みに組み入れられていったのである。(p.76)

15 manolo 2014-05-04 00:10:55 [PC]

3-4.
 オーストラリアは、イギリス系移民の入植で始まった国であるため、イギリス系住民が圧倒的多数であり、「白人の国オーストラリア」の形成と維持を目指す「白豪主義」を採用した。この過程で先住民族は白人系文化への同化を迫られていった。しかし、イギリス系移民が減少し、さらに他のヨーロッパ系移民も減少する中で、1960年代終わり頃から徐々にアジア系など非白人系移民を受け入れざるをえなくなった。白豪主義は放棄せざるをえなくなり、多文化主義的な政策がとられるようになった。この過程で白人系への同化政策が迫られていた先住民族も自らの文化を認められるようになった。ただしオーストラリアは、多文化主義を法制度上公式に認めたわけではない。(pp.76-77)

3-5.
 スウェーデンは、前二者のような移民国ではない。スウェーデン人という単一の集団と少数の北方民族で構成された非移民国であった。しかし2回にわたる世界大戦と冷戦下における東西対立の経験をふまえて、人権擁護の見地から多くの難民を受け入れた。また、1954年北欧共通労働市場の形成により国内に隣国のフィンランド人が多数同居することになった。その結果、外国人住民に対しても国政選挙を含む政治的権利を与えるといった外国人に対する寛容な政策がはぐくまれた。さらに、文化的権利を認め多文化主義を採用していくことになった(Inglis 1996: 41-59)。(p.77)

3-6.
 以上のような典型例だけが多文化社会なのではない。外国人・移民の同化を望ましい表明している社会も、多文化的な側面を持つことがある。つまり、表向きは多文化社会を否定しているにもかかわらず、事実上多文化主義的な施策を容認しているということがよくある。例えば移民個人個人が社会と文化へと同化すべきだと強く主張しているフランスにおいてでさえも、移民が独自の文化を守ることを「相違への権利」(le droit a la difference)という名で定式化し、擁護しようという動きがでてきているのである。(p.77)

16 manolo 2014-05-04 00:11:50 [PC]

3-7. 【多文化社会をめぐる社会の類型?】
 III-3では、多文化社会の本質を示すために、同化社会、南部アメリカ型社会、多元社会とは異なる社会として、多文化社会を提示した。しかし、多文化社会をめぐる社会類型には他にもいろいろなものがある。社会のメンバーである国民や市民を規定する市民権付与の仕方で分けるやり方もよく使われる。例えば社会を、帝国モデル、エスニックモデル、共和制モデル、多文化モデルに分けるのである。(p.77)

3-8.
 エスニックモデルは、血統や文化で規定されるエスニシティを共有している者を市民と規定する。共和制モデルは憲法・法律を尊重し、それらに基づく政治共同体のメンバーを市民とし、当該社会のマジョリティ文化の受け入れを要請する。多文化モデルは、共和制モデルと同じく政治共同体のメンバーを国民としつつ、文化的差異や社会内でのエスニック・コミュニティ形成を許容する社会モデルである(Castle and Miller 1993 = 1996: 42-3)。(p.77)

3-9. 【多文化社会をまとめる文化】
 どのような類型で多文化社会を捉えようとも、「多文化社会を許容すると社会の統一が乱れる」という批判にさらわれてしまう。そこで多文化を許容しかつ社会の統一を達成できるような包括的な文化をつくり出すことは可能なのだろうか。もしそのような包括的文化が可能だとすれ、個々の文化よりも抽象的なものとなるであろう。しかし往々にして包括的文化と見えるものは、ホスト社会の文化的要素から成立している。例えば、イギリスやオーストラリアにおける英語とか。西欧諸国やアメリカ合衆国に見られるキリスト教のように、個々の文化を担っているマイノリティから見ると、そのような包括的文化でさえ、具体的・個別的で自らの文化と相容れない敵対的なものに見えかねない。イスラム教徒から見た西欧的価値がその典型例である。そこで、多文化社会をまとめる文化はどのようなものでありうるのか、この問題が現在問われ続けているのである。(p.77)
Ads by Google
返信投稿フォーム
ニックネーム:
30文字以内
メールアドレス:
* メールアドレスは非表示ですが、迷惑メール等受信する可能性があります。
URL:
* メッセージ: [絵文字入力]

1000文字以内
文字色:
画像: 600 kバイト以内
* 編集・削除パスワード: 英数字で4文字以上8文字以内
* 確認キー:   左の数字を入力してください
* 印の付いた項目は必須です。