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責任論 (コメント数:7)

1 manolo 2014-06-25 23:10:40 [PC]


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文献:『よくわかる刑法』、井田良他著、4/20/2006、ミネルヴァ書房、(「第1部 III-2 責任論(1):責任主義、責任の本質」)、井田良、pp.66-67

1-1. 責任主義の原則
 刑法の基本原則として罪刑法的主義と並んで重要なのが、*責任主義の原則である。この原則によれば、行為者に責任を問い得ない行為、いいかえれば、意思決定を非難できない行為は、これを処罰することができない。また、刑罰の分量も、行為に対する非難の程度に見合った重さの刑を超えるものであってはならない。(p.66)

*責任主義
この原則は「責任なければ刑罰なし」という標語で言い表わされることもある。この原則が承認されるまでは、重大な結果を生じさせた以上、本人に主観的な責任を問いえないような場合でも処罰されたり(結果責任)、また、他人の犯罪についても連帯責任を問われることがあった。責任主義はこれを否定するもので、行為者の意思決定が主観的かつ個人的に非難可能な場合でなければ処罰できないとするのである。(p.66)

2 manolo 2014-06-25 23:14:10 [PC]

1-2.
 刑罰が本質的に応報であり、刑は犯人に対する非難としての意味を持つ限度で正当化されるとする応報刑論の立場からは、責任主義は当然の帰結である。たとえ何人も被害者を死亡させるような重大な結果を引き起こしたとしても、その行為が異常な精神状態・心理状態で行われた場合には、行為者を非難することはできない。例えば、意思決定をコントロールできない精神障害者には責任能力が欠如し、その違法行為を理由として刑罰を科すことは許されない(39事項1項)。また、責任を問うためには、故意か、過失か、少なくとも過失が必要であり、過失もない行為を理由として行為者を処罰することはできない。(p.66)

1-3. 【2. 違法性と責任の区別の必要性】
 法益は侵害したが、違法性が阻却される行為(例えば、正当防衛行為)は、法が許容する「やってよいこと」である。違法ではあるが責任は否定される行為(例えば、精神障害者による違法行為)、法秩序に反する「やってはならない」行為ではあるが、「仕方がない」ことであり、刑を科すことが正当化できないから犯罪とならない。違法と責任とを区別することにより、評価においてかなり違いのある二種類の行為を分けることができる。そればかりでなく、適法行為に対しては正当防衛をもって対抗することはできないが、責任を問い得ない行為でも違法行為である以上(例えば、精神障害者が通行人にいきなり殴りかかってきたとき)、これに対して身を守る行為は正当防衛となり得る。さらに、*違法判断は共犯者に対しても連帯的に作用するが、責任判断は個別的なものである。(p.66)

*違法判断の連帯性、責任判断の個別性
適法行為に協力したとき、協力者たる共犯者の行為も原則として適法であり、逆に違法行為に協力した共犯者の行為は同様に違法であるのが通例である。これに対し、責任があるかないかは、その個人がノーマルな精神状態・心理状態にあるかどうかの問題であるから、その人ごとに個別に判断されるべき問題である。(p.66)

3 manolo 2014-06-25 23:18:01 [PC]

1-4. 【3. 責任の本質】
 刑罰についての考え方の違いは、責任の本質についての見解の対立として現れる。応報刑論によれば、違法行為を思い止まることもできたのに、あえて違法行為に出たところに道義的非難が可能であり、それこそが責任の本質である(*道義的責任論)。この立場から、責任の根拠は個々の行為における非難されるべき意思決定であり、行為に対する責任が問われるべきことになるから、行為責任論が採られる。これに対し、目的刑論の立場からは、行為者が犯罪を思い止まることができないという「性格の危険性」をもつことが刑を科す根拠であり、そういう人は、社会に迷惑がかからないように刑罰を受けるべき義務がある。社会的に危険な犯人が再発防止のための刑を受けるべき負担こそが責任の本質と言うことになる(**社会的責任論)。この立場からは、責任の問われる根拠は行為者の危険な性格であり、性格責任論が問われる。現在では、応報刑論を基本とする立場が支配的であり、社会的責任論・性格責任論は支持者を失っている。(p.67)

*道義的責任論
この見解によれば、精神病や薬物の影響による場合など、病的な精神状態・心理状態で行われた行為(39条1項)や14歳に満たない子どもの行為(41条)の意思決定に対しては「けしからん」という非難ができないことから責任が問われないと説明されることになる。

**社会的責任論
社会的責任論を徹底すれば、性格の危険性のあらわれとして違法行為が行われるかぎり、行為者が精神障害者であろうと、子どもであろうと、刑事責任を肯定しない理由はない。目的刑論・社会的責任論の立場からは、刑罰と保安処分の区別は否定される(一元主義)。

4 manolo 2014-06-25 23:21:14 [PC]

1-5. 【4. 責任の要素】
 責任の要素(ないし責任の要件)をどのように捉えるかをめぐり、心理的責任論と規範的責任論という見解の対立があった。かつての心理的責任論は、「行為者の心の中にある心理的事実の確認」が責任判断であるとし、故意と過失という「責任の種類」があり、責任能力は責任そのものでなく「責任の前提」であるとした。しかし、やがて責任の本質は非難という否定的価値判断であると考えられるようになり、しかも、故意・過失という心理的事実があっても責任を問い得ない場合、すなわち「適法行為の期待可能性」がない場合があることが気づかれるに至った。例えば、1人で乳児を育てている若い母親が収入を得られず生活に困って、赤ちゃん用の粉ミルクを万引きしたという窃盗(235条)の事例を考えてみよう。このケースでは、責任能力も故意もあるかも知れないが、責任の程度は低いと考えられ、よくよくの事情があったのであれば、責任を否定することが認められてよいであろう。そのことは、適法行為の期待可能性もまた責任要素として認められなければならないということを意味するのである。現在の通説たる規範的責任論は、責任の実体を意思決定に対する非難可能性に求め、「責任の要素」として、責任能力、故意・過失の他に、*適法行為の期待可能性(さらに、違法性の意識の可能性)が必要であるとしている。(p.67)

*期待可能性
刑法の規定をみると、期待可能性の思想が基礎にあると考えられるものが少なくない。過剰防衛(36条2項)や過剰避難(37条1項ただし書)において寛大な取扱いを受けることがあるのは、緊急の事態のもとで行き過ぎた行為を行わないように意思決定することの困難さ、すなわち期待可能性の減少が考慮されたものと理解することができる。よりはっきりと、期待可能性の欠如による不処罰の場合を規定したと解されているのは、「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」1条2項である。(p.67)

5 manolo 2014-06-28 18:22:11 [PC]

出典:『よくわかる刑法』、井田良他著、4/20/2006、ミネルヴァ書房、(「第1部 III-3 責任論(2):責任能力」)、野村和彦、pp.68-69

2-1. 【責任能力とは】
 行為が構成要件に該当し、違法性があると評価されても、なお、行為について行為者を非難できなければ、つまり、責任がなければ、犯罪は成立しない。責任能力をめぐる議論では、行為者に対して刑法による非難を差し向けることができるかどうかが問題となる。多数死傷した事件において、事件当時、行為者に責任能力があったかどうかが主な論点として*争われることがある。(p.68)

*例えば、東京地下鉄サリン事件(1995年)、和歌山ヒ素入りカレー事件(1998年)、大阪教育大附属池田小学校児童殺傷事件(2001年)など。(p.68)

2-2.
 責任能力とは、行為時に、刑法による非難を認識して、行為を止める(あるいは行為する)ことができること、である。刑法の役割は、他者や社会に危害を加えないよう行為者の危険性を除去するために存在するのではなく、あくまでも、過去に犯した行為に対して非難するところにある。(p.68)

2-3. 【2. 責任能力の判断基準、及び責任能力の程度:心身喪失、心神衰弱】
 39条1項は、「心神喪失者の行為は、罰しない」と定め、心神喪失者には責任能力がないため、不処罰となる旨を規定する。また、同条2項は「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」とし、責任能力はあるものの、それが完全でない場合は、刑を必ず軽減する、としている。ここでは、責任能力の有無及びその程度は、何を基準に決定すべきかが問題となる。(p.68)

2-4.
 判例によれば、心神喪失とは、精神の障害によって、事柄の是非善悪を弁(わきま)えることができず、あるいはその弁えに従って行動することができないことを指す。また、心神耗弱(こうじゃく)は、精神の障害によって、是非善悪を弁える力、その弁えによって行為をする力が著しく低下していることを指す。つまり責任能力の判断に際しては、①行為者に精神障害があるか否か、②行為者の心理面(是非善悪を弁えること)に問題があるかどうか、という、二つの事情を基礎としている。行為時に、刑法の規範を遵守しえたかを責任能力の中心に据えるとき、判例の採用している方法は妥当だといえよう。(p.68)

6 manolo 2014-06-28 18:23:55 [PC]

2-5.
 このように、刑法における責任能力は、精神面と心理面とによって判断される。それ故、責任能力を判断するための判断材料を得るためには、精神医学や心理学の協力がなければならない。しかし、責任能力の有無および程度には、*最終的には、刑法の役割から決せられることになる。(p.68)

*最高裁は、心神喪失という精神鑑定の結論を採用せず、心神喪失とした精神鑑定書全体の内容やその他の精神鑑定並びに記録における諸状況(犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・態様など)を総合的に判断して、被告人を心神衰弱とした原判決を支持した(最決昭和59年7月3日刑集38巻8号2783頁)。(p.68)

2-6. 【3. 保安処分】
 心神喪失とされれば、当人に対して刑事責任を追及することはできなくなる。行為者が刑法による非難を理解できない以上、その者に刑罰を科すことは無意味である。しかし、心神喪失により無罪となった人を、犯罪事実が認められないとして無罪となった人、正当防衛として違法性が阻却された人と比較した時、実際、一抹の不安が残る。心神喪失の原因となった精神障害や心理的障害が治癒されなければ、再び同種の犯罪行為に及ぶ可能性も否定できないからである。(p.69)

2-7.
 心神喪失者や心神耗弱者に対しては、刑罰を科さない代わりに保安処分を課す国が少なくない。保安処分とは、心神喪失者の身柄を確保して、その者に対し精神面及び心理面の治療を実施し、それを通じて社会の安全を目指す処分のことである。わが国の刑法は保安処分をもたず、心神喪失者のその後の治療については、刑事司法の手を離れ、*行政的措置に委ねられてきた。(p.69)

*「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」における措置入院制度。措置入院は身柄の拘束度が弱く、もっぱら医学的観点によって、退院を決することになる。(p.69)

7 manolo 2014-06-28 18:25:02 [PC]

2-8.
 しかし、2001年6月8日に発生した大阪教育大附属池田小学校事件をきっかけに、心神喪失者や心神耗弱者を、単に行政による措置に委ねるのは妥当ではないという意見が強まった。そして、心神喪失者や心神耗弱者に対して、自由をより制限する形で、治療的処遇を行う必要があることが強調された。その結果、2003年に心神喪失者等医療観察法(「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」)が成立した。*この制度は、事実上の保安処分と言ってよい。(p.69)

*入退院の判断の際に、裁判所が関わる点が、措置入院と大きく異なる。(p.69)

2-9. 【4. 刑法41条と少年】
 「14歳に満たない者の行為は、罰しない」と41条は規定する。それでは、14歳以上の物の行為は、刑法によって裁かれるのかといえば、必ずしもそうではない。刑法の特別法として、少年法がある。(p.69)

2-10.
 少年法は、20歳未満の者に対して適用される(少年法2条1項)。少年法において最も特徴的なことは保護処分である。保護処分は、少年院送致、児童自立支援施設および児童養護施設送致、保護観察からなる(少年法24条1項)。保護処分は、原則的に、教育的処分である。刑法は、基本的に、過去に犯した罪の重さの程度に応じて刑罰を科す。しかし、少年法では、過去の罪の重さよりも、むしろ、今後、犯罪を犯さないよう、*少年の教育に重点が置かれる、このため、保護処分では、罪の重さよりも、少年の人格や社会的環境が重視される。少年鑑別所や家庭裁判所調査官が少年の人格や社会的環境の調査にあたる。(p.69)

*もっとも、被害者保護の思潮が有力になるにつれて、少年の厚生を重視する少年法のあり方が批判されるようになってきている。刑法の場合と同様、少年も、過去に犯した罪に応じた制裁を受けるべきであるというのが、その批判の主眼であるといってよいであろう。(p.69)
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