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子育て (コメント数:10)

1 manolo 2014-07-25 09:50:59 [PC]


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出典:『よくわかる現代家族』、神原文子他編著、ミネルヴァ書房、4/30/2009(第3部 IX-1 「子育てと子育て支援」)、船橋惠子、pp.126-127

1-1. 【1. 育児費用の再配分システム】
 出世率が低下し、高齢者人口の割合が増加するにつれて、次世代を育み育てることが社会の存続にとって不可欠の重要な課題であるという認識が広がっている。また産業化の以降の現代社会では、育児を丁寧に手間をかけて行うようになり、子どもの教育期間も長くなったため、子育てに多額の費用がかかるようになった。そこで、*育児の費用を家族だけで負担するのではなく、社会全体で担うべきだという考え方が支持されるようになってきた。(p.126)

*AIU保険会社は、出産から22年間の育児にかかる総費用を算出して発表している。2005年度では、基本養育費が1,640万円、教育費も加えると、公立コースでは2,985万、私立医大のコースでは6,064万円であった。(p.126)

2 manolo 2014-07-25 11:11:24 [PC]

1-2.
 育児の費用を社会全体で担っていくための制度としては、児童・家族給付と税金控除がある。北欧などの社会民主主義諸国では、子どもがどんな環境のもとに生まれても最低限の豊かな生活ができるようにするために、親の所得水準に関係なく普遍主義的に給付される*児童手当制度が発達している。またアメリカ合衆国などの自由主義諸国では、児童・家族手当は存在しないが、子どもをもつ世帯への税金控除の制度が発達しており、それによって子育て世帯が享受する育児費は北欧の児童手当なみの金額になるという。日本では、児童手当があるほか、世帯主の給与に付加される扶養家族手当や、税の控除があるが、その総額は育児費用に対して多くはない。(p.126)

*スウェーデンでは所得に関係なく16歳未満のすべての子どもにひとり月額1,050クローナ(1.9万円)を支給。日本では所得制限(第1子では年収570万以下)のもと、3歳まで月額1万円、3歳から12歳まで5,000円を支給(2007年)。なお、2010年より扶養控除の代わりに所得制限無しの児童手当を増額することになった。(p.126)

1-3. 【2. 保育と育児休業】
 幼い子供を持つ親が職業活動と育児を両立させるためには、働いている時間に子どもを誰かに保育してもらうか、育児休業を取得して一定期間は育児に専念することが必要になる。少子高齢化社会において労働力が不足し、女性労働者の活用が課題になるにつれて、保育制度を充実させ、また育児休業を取得しやすくして、女性の熟練労働者が育児期の困難をこえて就労継続できるようにする社会的仕組みが整えられてきた。(p.126)

1-4.
 日本における両性にひらかれた育児休業の法律は1992年にはじめて施行された。その後1999年に介護に関する規定とセットになって育児・介護休業法として施行され、さらに2004年に改正法が施行された。基本的に1歳に満たない子(実子・養子)を養育する労働者は、連続するひとまとまりの期間として1回だけ育児休業を取得できるが、保育所への入所時期などの理由から1歳6ヶ月までのばすことができる。期間雇用者についても、継続的に雇用されている場合は育児休業を取得できる。(pp.126-127)

3 manolo 2014-07-25 11:47:37 [PC]

1-5.
 しかし、雇用保険により40%の所得保障があるとはいえ所得保障は不十分であり、職場の理解が得にくいなどの理由により女性ですら取得しにくい状況がある。ちなみに第1子出産を機に約7割の女性が仕事を辞めている。出産後も仕事を続けている3割の女性労働者のうち、育児休業を取得した女性は7割程度である。また男性の育児休業取得者は、全取得者の1.9%に過ぎず、配偶者が出産した男性労働者の0.33%にとどまる(2002年)。専業主婦の妻が多いために、育児休暇の取得など念頭にない夫婦が多いと思われるが、じつは妻が専業主婦であっても産後8週間は「常態として育児休業に係る子を養育することができない」とみなされるので、夫は育児休暇を取得することができるのである。所得保障の低さ、職場の無理解、性別役割分業意識などが、男性の育児休暇取得の障壁になっている。(p.127)

1-6.
 保育所は、戦後1948年の児童福祉法施行とともにスタートし、「保育に欠ける」子どもを措置する福祉制度であったが、次第に共働き世帯の子どものための施設へと変化していき、1997年の児童福祉法改正を経て、育児支援センターとしての役割も与えられるようになった。また保育所には、国の最低基準を満たし認可を受けて公費で運営されている認可保育所(公立・私立)と無認可保育所がある。歴史的に幼稚園には文部科学省管轄の幼児教育施設、保育所は厚生労働省管轄の福祉施設と異なっていたが、少子化のもとで私立幼稚園では預かり保育を付加サービスとして行うようになり、今日では両者の統合に向けてさまざまな試みが行われている。(p.127)

1-7.
 いまだ出産退職する女性が多く、就労を継続する女性にも親族に預ける場合があるため、保育所に通う子どもは0歳で1割、1歳で2割、2歳以降で3割、幼稚園に通う子供は3歳で4割、4~5歳で6~7割という比率で、保育園児は少数派である。しかし、就労を継続したい女性が増え親族世帯が減るにつれて、保育ニーズは年々高まり、待機児の増加が社会問題化している。3歳以上では保育所にも幼稚園にも入園しやすいが、2歳以下の保育が不足している。学齢前の子どもに対する総合的体系的な施策が求められている。(p.127)

4 manolo 2014-07-25 11:52:16 [PC]

1-8. 【3. 子育て支援センター】
 みずから望んで育児に専念することを選び専業主婦になった母親も、育児支援を必要としている。歴史的に母親がひとりで育児を担ったことはなく、親族や近隣のネットワークに支えられてはじめて育児が可能であった。平均きょうだい数がふたりという環境で育った若い親は、育児を身近に見る機会がなく、はじめて親になって戸惑うことばかりである。そのような若い親に、子どもを預ける場でなく、子どもを連れてきて仲間と集い、専門家のアドバイスを受けながら相互に学び合う場を提供するのが、子育て支援センターである。(p.127)

5 manolo 2014-07-25 11:54:52 [PC]

出典:『よくわかる現代家族』、神原文子他編著、ミネルヴァ書房、4/30/2009(第3部 IX-3 「3歳児神話」)、船橋惠子、pp.130-131

2-1. 【1. マターナル・デプリベイションの真意】
 3歳児神話とは、乳幼児期の大切さゆえに、子どもが3歳になるまでは母親がつねに子どもそばにいて育児に専念すべきだという考え方である。実際に3歳まで母親が育児に専念した場合と就労継続した場合とで子どもの発達に差が出るかどうかについて、科学的な根拠は明確に示されていない。しかし日本ではこの信念が広く行き渡っており、今なお少なからぬ若い女性が子供が生まれたら仕事を辞めて育児に専念しなければと思い込んでいる。(p.130)

2-2.
 3歳児神話のルーツは大正期にさかのぼる。産業化とともに都市の中間層で、男性が外で働き女性が家庭を守るという性別役割分業家族が登場しはじめた。それに呼応するように男性の医師や教育者、心理学者などが、幼少期には母親が子育てに専念するかどうかが、子どもの育ちの善し悪しに影響すると述べだしたのである。(p.130)

2-3.
 さらに強い影響を与えたのが、母性剥奪(Maternal deprivation)理論である。1951年に世界保健機構が精神医科学者のジョン・ボウルビィに委託してホスピタリズム(施設病)研究を行った。その結果、当時劣悪な環境にあった乳児院の子どもの心身の発達が遅れているのは、子どもにきめ細やかな感覚刺激を与える母性的なケアが欠けていたからであった。それが、母親がそばにいないと子どもの発達がゆがむと短絡化されてしまった。欧米では母性剥奪理論の功罪を問い直す研究(マイケル・ラター)が行われ、子どもの発達に必要なのは、必ずしも生みの母親が子どものそばにいることなのではなく、あたたかいケアをする大人たちが子どもと安定的な関係を結ぶことであると修正されていったが、日本では母性剥奪理論が問い直されずに3歳児神話が強化された。(p.130)

6 manolo 2014-07-25 11:57:07 [PC]

2-4. 【2. なぜ高度経済成長期に?】
 1955年頃から1975年頃までのいわゆる高度成長期に、3歳児神話は日本社会に広がり深く根を張った。その背景には社会の構造的変化があった。(p.130)

2-5. 
 この時期には、多産多死を経て少産少死に至る人口転換の途上で生じる*人口ボーナスがあり、その若い労働力は産業化と都市化の中で長男のみを地方の農家に残して都市の移動し核家族を形成した。同時に、高度経済成長の中で利益を上げつつあった大企業では、男性基幹労働者に家族を養える賃金を提供するようになり、終身雇用、年功序列・年功賃金、企業別組合という日本的経営の三本柱を実現させた。それまでの一家総出で働く農家の暮らしに代わって、世帯主の男性が安定した大企業に働いていれば妻子を養うことができる時代になったのである。つまり、男性は外で働き、女性は家庭に専念するという性別分業が、一般に多くの家族にとって可能になった。生活のために働きながら子育てをするという労苦から解放されて、家庭生活の主人公になるという専業主婦の暮らしは、当時は憧れられたのであった。(pp.130-131)

*人口ボーナス
乳児死亡が減ったためにきょうだい数が多い世代が働き盛りになって労働力が豊富になること。(p.130)

2-6. 【3. 3歳児神話の再生産】
 高度経済成長が終わり、サービス化、情報化、グローバル化が進み、女性の労働力を活用しなければならない社会に転じても、いったん根を下ろした3歳児神話は容易には抜けなかった。むしろ子供を丁寧に育てて高い教育を与える傾向が高まるとともに、3歳児神話は強化されていく。その要因として、ジェンダーにとらわれた「科学」や、「制度」化された3歳神話の存在を挙げることができる。(p.131)

7 manolo 2014-07-25 11:58:17 [PC]

2-7.
 母性剥奪の理論に続いて、1970年代後半から80年代にかけて、母子相互作用研究が盛んになった。動物の母子の行動パターンを左右するホルモン作用からヒントを得て、ヒトの母子関係への推論が行われ、生まれて間もない幼い子どもと産みの母親が授乳やスキンシップ・添い寝を通して密接な母子関係をもたないと、子どもの情緒的・精神的・身体的発達に悪い影響を与えると考えられた。また乳児の研究も進められ、保育者の働きかけに応えて乳児の脳が早くから発達することもわかり、早期教育がはやり始めた。漢字や算数をカードで遊ばせながら教えると、2歳程度の子供が驚くような学習成果を現したりする。そのため、子どもを産む若い女性たちは、よりよい子育てをめざし、子育てはとても片手間ではできない大きな仕事であり、女性の使命であると感じるようになっていった。(p.131)

2-8.
 3歳児神話は保育制度の中にも根を下ろしている。3歳未満の保育所入所については人数枠が少なく、待機児が多い。また保育者のがわに、本来は母親がみるべきであり、保育に欠ける(貧しくて母親が働かないと生活ができない、母親が病気で育児ができないなど)場合を除いては、できるだけ保育時間を短くする、あるいは母親に世話をさせるように仕向けるという傾向がしばしばみられた。1986年に施行された男女雇用機会均等法の後も、職業を持つ母親は、就労時間と通勤時間をカバーしていない保育期間や、病児保育の欠如に悩まされなければならず、世間から「子どもがかわいそう」という言葉が投げられ、両立は困難に満ちていた。(p.131)

2-9. 
 3歳児神話は、このようなさまざまな制度や人々の意識の中に組み込まれ、再生産されつつ根強く生き残っており、それが今日の先進国の中で例外的な日本女性のM字型就労パターンの存続を支えている。(p.131)

8 manolo 2014-07-25 12:00:09 [PC]

出典:『よくわかる現代家族』、神原文子他編著、ミネルヴァ書房、4/30/2009(第3部 IX-4 「母性神話」)、船橋惠子、pp.132-133

3-1. 【1. 「母性」という言葉の歴史的登場】
 沢山美果子によれば「母性」という言葉は、古来から日本にあった言葉ではなく、大正期の人口転換の開始期に乳児死亡率を下げるために母親の自覚を求める文脈で使われるようになった。スウェーデン語のmoderskkap、英語のmotherhoodの訳語として使用され、はじめは「母心」という表現だったものが「母性」として定着した。(p.132)

3-2.
 「母性」とは子を産み哺乳しうるという女性の身体的特徴から出てくる。子を愛する心であり、子のために尽くす心であるとされた。「母性」という言葉によって、①母子は一体である(子は母のすべてであり母は子のほかには何もない)、②生みの母があらゆることを断念して育児に専念すべきである、③母の愛は盲目なので育児知識を学ぶ必要がある、という主張がなされた。つまり、母親の育児責任を自覚させるとともに、祖父母による民族的育児法を否定して、男性小児科医の指導に従った「科学的育児」を推進したのである。母乳の価値を認識すること、時間決め授乳、早期の離乳、抱き癖をつけないこと、排泄の訓練などが推奨された。(p.132)

3-3.
 しかし母性が美化され強調される裏で、徳川時代には少なかった親子心中、特に母子心中が大正期に急増した。母親に経済力がないため、母子の生活が行き詰ってしまうと、自分が死んでしまえば子は果たして幸福になれるかわからないと思い詰めて、子どもを道連れにしてしまうのである。このような歴史的経緯の中ですでに、今日の孤立した母親の育児の問題点が孕まれている。(p.132)

9 manolo 2014-07-25 12:01:19 [PC]

3-4. 【2. 戦後の母性神話】
 時代は変わって戦後、家同士の見合い結婚から本人同士の恋愛結婚へと家族規範が変化していく中で、「母性」に関する意識はどのように変化してきたのであろうか。(p.132)

3-5.
 山村賢明は、戦後日本社会の「母」の観念をテレビドラマやラジオ番組などの分析によって、「価値としての母」として抽出した。すなわち、母は子を生き甲斐として、様々な苦しみに耐え、自分のすべてを捧げて子に尽くす「苦労する母」である。そのため「母に対する子の愛着は、父をこえて濃密なものとなり「情動化される母」となる。そのような母は、子にとって精神的な支えとなって子を励まし、そのアチーブメント(達成)を助ける「支えとしての母」だけでなく、子が最後に帰ってゆくことができる心のよりどころでもある「救いとしての母」である。そのような母はかけがいのないありがたい存在であるが、子はそれを償い得ないので「罪の意識としての母」となる。このように甘えと罪悪感を?子にして、子は母のために自らの達成に向かった。山村の分析は日本文化の中に潜む「母性」の呪縛を示唆している。(pp.132-133)

3-6.
 このように戦後なお、産みの母による献身的な子育てが賛美され、「母性」が社会的な物語構成のキーワードであり続けた。マスコミにより、しばしば「母性喪失」という名の母親バッシングも行われた。田間恭子は、1973年を中心に盛んに行われた子捨て・子殺し報道を分析し、実際の統計的傾向とはうらはらに「父親不在の、母親による子捨て・子殺しの物語」のみが紡がれてきたことを明らかにした。(p.133)

3-7.
 女性は子どもを産むのが自然で、子どもを産んだらあふれる愛情で献身的に育てるのが当然であるという「母性神話」は、子どもができない不妊の女性、事情によって中絶を選んだ女性、育てられずに子どもを手放す女性、懸命に育てるほど子育てがつらいと感じる女性たちを苦しめてきた。(p.133)

10 manolo 2014-07-25 12:02:39 [PC]

3-8. 【3. 「母性」意識の変容:父親の育児】
 しかし、当事者の母親たちの孤立した無休の子育てがつらいという声や、女性研究者による実証的な産業研究の蓄積、男女平等教育の成果などにより、現代の若い母親たちの母性意識は変容しつつある。(p.133)

3-9.
 まず、パートナー・父親の育児責任を問う意識が高まっている。父親も子供が小さいうちから子育てに参加すべきである。子どもの問題は母親だけでなく、父親の責任でもある。父親も母親と同じく家計の安定と家事や子育てを共有すべきである、父親は子どもの誕生に立ち会うべきである、と考える女性が過半数である。(p.133)

3-10.
 さらに職業と育児の優先度をカップルの組み合わせ方で聞くと、夫には職業と育児で同じように重視してほしいが、自分は育児を優先したいという、「男性の二重役割、女性の育児優先」という新しい性別分業意識が生まれている。これは父親の育児と母性神話の新しい妥協形と見ることができよう。(p.133)
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