地震大丈夫でしたか? (コメント数:5) |
2 佐藤(旧西堀)英子 2011-03-12 23:51:52 [PC]
一応東北山形に住んでおります山形の佐藤です。 一応と書きましたのは、今回の地震での直接の被害は箪笥からこけしが落ちたこと、ワイングラスが一個壊れたこと位で 東北の太平洋側に住んでらっしゃる皆様には申し訳ない程度だったからです。 千葉の岸さんの方がむしろ大変だったかもしれません。 只、地震発生直後から今朝の8時半過ぎまで停電と電話の不通が続き、少々不自由な思いは致しました。 でも水道は出ていたし、幸いプロパンガスなので煮炊きは出来るし、湯たんぽにして暖は取れるしで 負け惜しみでなく「オール電化でなくて良かったな」と思った次第です。 ろうそくの灯りの下で簡単な夕食を摂り、やっぱり暗くて寒くて何も出来ないので8時ごろには早々と寝てしまいました。 釜石の津波の様子の映像も今日になってから見ました。凄いことになっていたのですね。 首都圏の方々は、交通機関がストップしてこれも又大変の様子でしたね。 我が家の首都圏に住む子供達も、長女は会社に泊まって過ごし、電車の開通待って帰ったけれど4時間かかったとのメール寄こしたかと思うと 次女の方は「会社に泊まりこむ人もいたけど歩いて帰った」とのことで、東京は東陽町の職場から西船橋のアパートまで歩いて帰った様子でした。 途中、道路に亀裂が走ったり陥没したりの処があっても暗くてよく見えず、何度もつまずいたりしながら5時間以上かけてたどり着いたとのこと、 道に迷いさえしなければ4時間掛からずに帰れたかもと悔しがっていました。 大都会に住む人達は何か事起きると、先ず交通手段がいろいろと大変みたいですね。 今回、電話はつながりにくくてもメールは比較的通じ易いと実感しました。 あと、岸さんの石油ストーブの話も貴重だなと思いました。 (我が家ではずーっと残しておいたストーブ、例の2000年問題の後捨ててしまったのです) こんな教訓、阪神大震災を経験なさった方々にとっては当たり前のことかもしれませんけれど。 明日ガソリン詰めることが出来れば、気がかりになってる夫の仙台の実家まで行ってこようと思っています。 今日はスタンド長蛇の列で諦めたのでした。 |
3 丸尾 照二 2011-03-22 17:30:53 [PC]
野村さん、佐藤さん、岸さんお疲れ様です!! 関西からはテレビの報道でしかわかりませんが、埼玉、山形、千葉は今も何らかの影響を受けておられる事と思いますが、頑張って下さい。 まだまだはっきりしない福島原発の事故での関係者の皆さんの献身的な行為に感激しています。早く解決し、本格的な復興が始まり、日本の底力を世界中に報道してもらいたいものです。阪神大震災の時も凄いエネルギーでした。 私が所属してます大阪地区のロータリークラブでは、全ての催しが中止になり、被災者への支援の方法を真剣に話し合っております。 |
4 岸 則子 2011-03-23 00:51:49 [PC]
「 東日本大震災 ② 」 励ましていただいて、ありがとうございます。 12日に、「震災 ①」の書き込みをした後、次々と明らかになる東北から関東太平洋側の、 信じられないような被害の惨状に、「地震の揺れ」ぐらいで書き込んで、恥ずかしくなりました。 書き込みを削除しようかと思いましたが、これを見られた千葉県松戸市にお住まいの、 Uさんから 「掲示板、見ました。すごい揺れだったね。でも、被害なく元気です。」と、連絡いただきました。 私こそとてもうれしかったです。 Uさんに被害がなかったことは、K氏もたぶん被害なくお過ごしでしょう。 偶然にも、とてもご近所さんですから。 私は、11日の本震のあと、たびたびの強い余震と、東北の被害の映像に 気分が沈んでおりました。 それと、 千葉の旭市で 津波で亡くなったかたが12名もおられたことにも、驚きました。 旭市には、大地震から30分後に第1波の津波があったとのことで、避難されたのに小さな津波だったので、 解除になり皆さん帰宅されたところ、2時間後 第2波で大津波が来て、犠牲者が出たそうです。 11日の午後2時46分の地震体験後、家にいると毎日午後2時頃から心がザワザワし、 「怖い地震」のトラウマを抱えた友人たちと、外出するようになりました。 いろいろ話すことで、不安が少しずつ楽になるようです。 前の書き込みに、テレビと灯油ストーブのことを書きましたが、我が家も地震対策はしていたのです。 テレビは テレビ台との接地面に「ブルーのベトベト専用テープ」を貼っていましたが、 凄い揺れに、薄型画面も異常に揺れ、脚と画面のところでパキッと折れそうでした。 台から床にテレビを下ろそうとすると、ベトベトテープの粘着力が強くて、剥がれません。 余震の間隔が長くなった頃、お好み焼きのコテでテープをこそぎ取り、火事場の馬鹿力で床に下ろし やっとホッとしました。 怖かった!!。 ストーブは緊急消火装置より、私の反応のほうが早く消火できたので、便利なので注意しながら 昼間は使います。 避難されているかたには、申し訳ないのですが、地震後5日位すっかりカラだったスーパーの商品棚、 今日は、9割がた戻っていました。 でも牛乳と納豆は、いまだに見かけません。 ガソリンもずっとガマンしていましたが、ひとり20リットル限りで、1時間並んで買えました。 1リットル147円でした。 佐藤さん、ガソリン入れられて、仙台のご親戚へ無事に行かれたのですか?。 少し不謹慎なことも書きましたが、これが千葉の様子です。 お心遣いいただきました皆さま、こちらはまだまだ余震に怯えての毎日ですが、 前向きに暮らして行きたいと思っています。 ありがとうございます。 これからもよろしくお願い申し上げます。 |
5 佐藤英子 2011-03-24 00:08:07 [PC]
仙台には2回行きました。1回目は夫だけ。 仙台には夫の兄弟3家族が住んでいます。実家に母と兄夫婦。実家から徒歩でそれぞれ10分位の所に姉夫婦と弟の家族。 地震の翌日、実家の兄とは携帯繋がって、どうやら他の家族も無事らしいとは分かったものの、他とは連絡取れず気にしていました。 姉夫婦の携帯は、首都圏に住む娘と息子に連絡取ろうとしているうちにバッテリーが上がってしまったとのことでした。 弟の所は、長男のお嫁さんが行方不明になってしまい、一所懸命探すうちに同じくバッテリーが上がってしまったとのことでした。 幸い無事に見つかってめでたしめでたしですが、彼女の車は津波に持って行かれてしまいました。 仙台市内に住む親戚の中で、海近くに住む人たちはやはり津波による被害が大きかったようです。 義理の叔母は、近所に住む妹の家でお茶飲みしている時に地震が起き、妹夫婦に送られ、家に戻る途中で津波に遭い、3人共亡くなってしまいました。 夫の弟の奥さんの実家と、さっきの行方不明騒ぎのお嫁さんの実家も比較的海に近くて それぞれ、倒壊してしまったり、その寸前だったりとのことです。 夫の実家は海からはかなり離れているので、津波の被害はありませんでしたが 地盤に問題ある弟の家が傾いて、その傾いた家に、弟の奥さんのお母さんと、叔父さん、叔母さんが避難してきています。 お母さんは耳が遠くて殆ど聞こえなく、叔父さんはおむつをした要介護の人で、 初め避難所になってる中学校に避難していたのを弟夫婦がこれは無理だと引き取ったとのでした。 2回目は私も一緒に仙台に向かいました。 義妹から叔父さんのおむつが品薄で手に入りにくいと聞いたのと 地震発生後5日目で電気が、7日目で水道が復旧し喜んだものの家が傾いた所為で下水道が使えず 洗濯機を回せないので、叔父さんの下着も買って来て欲しいと頼まれたのでした。 ガソリンは1回目は、仙台往復だけならカツカツなんとかなるのではと見切り発車で行きました。 2回目行く前は、8時間並んで3,000円分。翌日は運が良かったです。効率よく2時間で3,000円分と、もう一軒でも2時間で2000円分。 ガソリン求めて並ぶ列は日に日に長くなってる気がします。それにいろいろとトラブルもあるようです。 で、職場の営業マン、山形で並ぶのはもう諦めてしまいました。今日は自分の家にある「携行缶」なるもの携えてはるばる新潟まで出かけて行きました。 新潟では制限なしで買えるところがいっぱいあると言うのです。 往復250キロ余りの距離をガソリン使ってガソリンを買いに行くと言うなんともバカバカしい話ですが、 それでも、車を満タンにした上に、余分に60?を持ち帰れるのですから、ま、良しと致しましょう。 地震の後、何となくふらつくいて、地に足がつかないと言うか 地球の軸と自分の軸が微妙にずれて、微妙に反発しあってるような、そんな不安定な感覚が続いていました。 これを「地震酔い」と言うのだと姪っ子から聞きました。時間が経つにつれ、そんな不安定感も徐々に薄れつつあります。 皆様は如何でしょう?体調不調など感じていらっしゃいませんか? お見舞い申し上げます。 佐藤英子 |
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