尼北16期生(昭和42年卒)掲示板(新版)

私の尼北卒業以来の最大事 (コメント数:1)

1 元3年6組 軟式テニス部 丸尾 照二 2010-05-15 10:12:09 [PC]

私の尼北卒業以来の最大事      元3年6組 軟式テニス部 丸尾 照二
2007-08-15 12:00
尼北16期同窓生の皆さんお元気ですか。折角、野村正明さんが我々のHPを作ってくれていますので僭越ですが私の卒業以来の最大事を投稿させて頂きます。皆さんも同期の同窓生がどんな体験をしてきたのか興味があると思いますので差しさわりのない範囲でどしどし投稿して下さい。
私は尼北2年生の時、大庄北中学からクラブ活動で努力していた軟式テニスで近畿大会3位になることが出来ました。この年は近畿大会、インターハイ、国体に出場でき最高の軟式テニスでのクラブ生活でした。しかし大学受験のため3年になりクラブ活動は止め受験勉強に専念しました。ところが大学入試は大阪市立大学、富山大学は不合格になり、やっと関西学院大学の法学部に辛うじて合格できただけでした。中途半端な受験勉強であったのかも知れませんでした。関学に入学し、高校時代に県伊丹高校や県芦屋高校などで活躍していた旧知の軟式テニス仲間が体育会軟式テニス部に入部していたので経済的には困難な状況ではあったものの、同好会ではなく厳しい大学での体育会クラブ活動に没頭しました。しかし高校3年生の時の1年間のブランクは大きく、目立った活躍は出来ないまま大学1年生はあっと言う間に過ぎてしまいました。大学でのクラブ活動は経済的に負担が大きいため毎朝新聞配達をし、昼間は厳しいトレーニングに耐え、夜は家庭教師のアルバイトの毎日が続きました。そして私にとって最大の経験になった出来事がついにやって来ました。大学生活2年目の春の健康診断で肺結核がわかり入院生活が余儀なく始まったのです。大学入試では希望は叶わなかったものの何とか関学に入学できたし、そこそこ順調に人生を歩んでいたのに将来的に大きな大きな挫折を迎えました。努力すれば何とか報われるという信念は脆くも崩れ、この世の中の無常を初めて実感しました。2年間は入院生活を覚悟していましたが、幸いにも半年で退院でき大学も留年せずに卒業できましたが
この経験は私の人生に大きな影響を与え今尚忘れられない大きな大きな出来事です。
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