材大なれば用を為し難し

返信投稿フォーム
ニックネーム:
30文字以内
URL:
* コメント: [絵文字入力]

1000文字以内
文字色:
* 印の付いた項目は必須です。

六日黎明 (コメント数:1)

1 Ryou 2013-12-16 21:54:00 [URL]

 六日黎明、基次、東軍大和口の先鋒水野勝成、本田忠政、伊達政宗等と片山道明寺附近で遭遇して激戦の末戦死した。之より前家康、本田正信の親族、相国寺僧揚西堂をつかわし基次に帰降を勧めた事がある。その時、基次「大阪方の運開け関東危しとならば、また考えようがある。只今のように大阪方非運の場合、左様の事は思いも及ばない。さるにても、自分は、唐まで聞えた秀吉公の御子息から、此上なく頼まれている上に、今また将軍家から、そんな話があるなど、日本一の武士と云うのは自分の事だろう」と豪語した。しかしその事件から基次、関東に内通せりとの訛伝ありし為既に死は決していたらしい。その心情の颯爽たる実に日本一の武士と云ってもよい。彼の力戦振りは、「御手がら、げんぺい以来有間敷と申すとりざたにて御座候。日本のおぼへためしなきやうに存候」と『芥田文書』にある。彼の奮戦は日本中の評判になった事が分る。
Ads by Google
(c)Copyright mottoki.com 2007- All rights reserved.