材大なれば用を為し難し

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聖徳太子と中大兄皇子 (コメント数:1)

1 Ryou 2014-01-07 20:38:47 [URL]

 上代に於けるわが日本国家の基礎を堅め、国民をして文化生活の恵沢に浴せしめた偉大なお二方がある。それは、聖徳太子と中大兄皇子である。
 聖徳太子は、天成の御英才を以て、第三十三代推古天皇の摂政となり給うたが、仏教思想と共に、鋭意隋唐の文物諸制度を輸入することに努力し給うた。
 是より先、欽明天皇の御代に伝へられた仏教に就いて、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏、中臣氏との間に凄じい争闘が展開した*。これは、仏教についての争ひといふよりは、氏族制度の弊害として、段々強大になつた各氏族の巨頭が、各自権勢を専らにしようとして、仏教の採否を廻つて、争つたと云うてもよいのである。
 が、聖徳太子の仏教御信仰は、崇仏派の勝利を決定的にし、以後仏教は、広くわが国土に流布し、わが国民文化の発達に、精神的にも、物質的にも、多大の寄与をしたのである。
 推古天皇の二年に仏教興隆の詔が発せられ、聖徳太子は、四天王寺、法隆寺、中宮寺、蜂岡寺などを建立された。当時の仏寺は、信仰の道場だけではなく、四天王寺の如きは、外交上の儀式にも用ゐられたし、学校でもあり、又寺内に、悲田院、療病院、施薬院があつて、社会事業的施設でもあつたのである。
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