材大なれば用を為し難し

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皇極天皇は (コメント数:1)

1 Ryou 2014-01-07 20:40:45 [URL]

 皇極天皇は、蘇我氏が滅んだ翌日、皇位を中大兄皇子に譲り給はうとしたが、皇子は叔父君たる軽皇子を皇位に即け奉られた。これが、三十六代孝徳天皇である。初めて、年号を立て、大化元年とされた。
 そして、皇子は皇太子として、中臣鎌足と共に、政治の改新に当り給うた。
 それまでの日本の政治は、臣、連、国造、県主など、勢力のある氏の長が、土地人民を私有してゐたので、天皇は、氏の長を率ゐて居られるだけで、直接の御領地以外は、人民全体から、税なども、お取り立てになることはなかつたのである。
 だから、臣、連など云はれる勢力のある氏の長は、土地人民を私有し、勢力を養ひ、遂に蘇我氏の如く国政を紊すものが生ずるに至つたのである。
 されば、大化の改新の一大眼目は、これらの氏の長の私有してゐた土地人民を悉く皇室に返上させ、凡てを公地公民とし、天皇たゞ御一人が、君主として、支配されるやうにすることだつた。
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