材大なれば用を為し難し

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それだから僧侶が (コメント数:1)

1 Ryou 2013-12-01 12:19:32 [URL]

 それだから僧侶が商売をやるとか農業をやるとか、あるいは職工をやるとかあるいは牧畜をやるとか、いろいろな事をやりますので、それからまた僧侶の本分として俗家へお経を読みに行って、その布施金を畜えるということも大いに行われて居る。かわいそうなのは少しも学資金がなくて勉強して居る修学僧侶でありますが、それとても目的はやはりその一般の風習に化せられて、今のこの苦労が後の安楽を得たいということに向って進んで居るので、決してその苦しんだ事をもって社会を利益しよう、衆生の苦しみを救う資本としてやろうという志望をもってやって居るような人は、あるいは有るかはしらんけれども、私はそういう結構な人に不幸にして逢うことが出来なかった。
肉粥の供養 そこでそういう僧侶がずっと二十年間も学問して進んで行きますと、いずれ博士になることが出来る。博士になる時分には少なくとも五百円位の金は掛る。それはどういう事で掛るかというと、その学部一体の者に肉粥を供養しなくちゃあならん。
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