材大なれば用を為し難し

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太子は、内治に御心を (コメント数:1)

1 Ryou 2014-01-07 20:40:00 [URL]

 太子は、内治に御心を用ゐられたばかりでなく、欽明天皇の御世に亡んだ任那日本府を復興せんとし、屡々新羅を御征討になつたし、又推古天皇の十五年小野妹子を隋に遣はされて対等の国際的関係を結ばれ、尋いで高向玄理、南淵請安などの留学生を送られたことも亦、著名な事件である。
 又、太子は始めて国史編纂の業を起され、天皇記、国記を編まれ、その間に、卓抜なる御見識を以て仏典の註釈を完成された。それが三経義疏と呼ばれてゐるものである。
 十七条の憲法も、太子の御自作であるが、詩経、書経、易など支那の古書を引用して書かれた漢文で、わが国の漢文では最古のものであり、かつ御名文である。
 太子は、推古天皇の三十年に薨去されたが、天皇をはじめ奉り、全国民に至るまで「日月輝を失ひ、天地既に崩れぬべし」と、嘆いたと云はれる。太子は、日本が生んだ偉大なる宗教家であり、政治家であり、同時に日本文化の偉大なる建設者だと申上げてもよいであらう。
 この聖徳太子の御精神と御事業を継承して、大化の改新を断行されたのが、中大兄皇子である。
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