材大なれば用を為し難し

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明治維新の革新と並んで (コメント数:1)

1 Ryou 2014-01-07 20:41:34 [URL]

 明治維新の革新と並んで、日本の二大革新である大化の改新は、中大兄皇子に依つて成し遂げられたのである。
 当時としては、思ひ切つた改新であるから、大氏族や守旧派の反対は、さぞかし猛烈であつたらうと想像されるが、それを押し切つての御断行は、一に、天皇の御英明に依るものだと思はれるのである。

* 欽明天皇の十三年(皇紀一二一二西暦 五五二)百済の聖明王が、特使を我国に遣はして、仏像や経論を献じて来た。
 天皇は、百済王の上表を聴召して、諸臣に勅して、仏教信仰の可否を諮り給うた。
 朝臣の内、物部氏・中臣氏は排仏を主張し、蘇我氏は崇仏を主張した。
 その理由とする所は、「一は我が国には古来神道があり天神地祇を祭つてあるから、蕃神を祭れば、神の怒りに触れる」と云ふのであり、一は、「他国が既に仏像を礼拝してゐるのに、我が国独り反対する要はない」と云ふのであつた。一は、守旧的な保守的思想であり、一は、開放的な進歩思想であつた。
 それは、中臣氏は、代々神祇祭祀を掌る家柄であり、物部氏は、代々武将であり、これに反して、蘇我氏は、先祖武内宿禰以来韓土と交渉を持ち、代々外交を司る家柄であつたから、この対立が出て来たのであらう。
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