材大なれば用を為し難し

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それは椀に一杯ずつ (コメント数:1)

1 Ryou 2013-12-01 12:19:52 [URL]

それは椀に一杯ずつですけれども、その一杯ずつがどうしても二十五銭位ずつ掛るです。その外にいろいろ入用なものがあるからどうしても五、六百円の金は掛る。その金はこの貧乏な修学僧侶には一文でもあるものじゃあないけれども、またその位置に進んで行くと金を貸してくれる僧侶がある。その金満家の僧侶は金を貸し利子を取って、そうしてその人に恩を被せまた自分も利子を得るという訳です。なぜならば博士になると実際それだけの力のないバカセでも、その名だけでお経を読みに行くと金を沢山得られるからです。どうなりこうなり二十年の修行を済まして、博士の名を貰った人はどういう事をするかというと
一生自分の借金済し の奉公をしなくてはならん、その金を貸してくれた人に対して……。まあ都合好く行けば五年か八年で借金は抜けるそうですけれども、そう行かなければ一生奉公するというような詰らん境遇に立つのです。せっかく苦心して学問して、そうしてその虚名を貰うためにまた後の苦心を続けるという、実に社会の制裁とはいいながらその制裁に支配されて居るチベット僧侶の愚もまた憫むべき訳である。僧侶の事はこれくらいにして置きましょう。
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